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9月1日、歌舞伎町ビル火災(明星56ビル)から6年目-「天国へ旅立った44人の尊い命を無駄にしないで下さい」- [その他]

2001年(平成13年)の夏の終わり、8月最後の週末、金曜日の深夜の歌舞伎町の出来事だ。日付は9月1日土曜日、0時57分。新宿区歌舞伎町1-18-4明星(みょうじょう)56ビルの4階「スーパールーズ」の従業員2名より消防署に「煙が凄い、火災のようだ。」と119番が入る。(第一報、119番覚知 午前1時1分)

解体される前の明星56ビル(火災後、証拠保全されていた頃のもの)

出火場所:東京都新宿区歌舞伎町1丁目18番4号 明星(ミョウジョウ)56ビル 
構造:耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途 
建築面積:83.07 ㎡ 
延床面積:497.65 ㎡
建物所有者:(有)久留米興産

◆火災の概要

3階麻雀店「一休」のエレベーター付近から出火(放火の可能性)、0時59分ごろのことだが、一休の従業員3名がビルを飛び降りたことで負傷。しかし、煙は上階へ。4階「スーパールーズ」の女性従業員の2人が煙に気づき119番通報する。上階へ避難しようにも、屋内に階段が1箇所しかなく、階段にはロッカーが多数置いてあったため、幅が狭く、その上屋上に逃げようとしたものたちを立ちふさがったのは開かない扉。消火活動の際もこれらは大きな障害となった。階段の防火扉も作動せず、開放されていた為、火炎と煙の拡散は非常に早かったと思われる。8月の最終週末、人ごみでごった返す歌舞伎町一番街での出来事である。

・建築面積 83㎡
・延べ面積 516㎡のうち、3階部分80㎡、4階部分80㎡(焼損床面積計160㎡
・2階階段及び5階(屋上)階段の内壁6㎡、天井3㎡計(焼損床面積計9㎡)

延焼防止:午前2時14分
鎮圧 :午前5時36分
鎮火:午前6時44分

死者44人(性別:男性32人・女性12人、場所:3階16人・4階28人)
負傷者3人(全員3階男性従業員)

消防の救出・鎮火作業中に4階「スーパールーズ」で拾った携帯電話には最後の発信記録が。0時57分、119番。これが第一通報者の携帯電話であった。所有者は中村さゆりさん。当時23歳、「スーパールーズ」の女性従業員である。

当時23歳だった中村さゆりさん。(亡くなる10日くらい前に自宅にて撮影)

さゆりさんの母、スイ子さん(当時53歳)は足利の自宅にいた。毎晩さゆりさんから電話が入るのに、この日の夜には電話が無い。「何をやってるのかしら・・・さゆりは。」そんな風に思っていたところに、さゆりさんの携帯電話から着信が。「さゆりだわ。」そう思って自分の携帯電話をとる。すると向こうの方から男性の声で「新宿消防署のものですが、火災現場でこの携帯電話がありまして。」それから急遽新宿に向かったスイ子さん。「とてもさゆりが死んだなんて考えられなかった。どこかでほっつき歩いてるんじゃないかとか。でも、消防の人が、いいえ、まちがいなく娘さんはここにいましたって言うので・・その後は何も考えられなかった。何を話ししたのか記憶もない。」スイ子さんがさゆりさんに会えたのはそれからかなり時間がたって、確か午後5時過ぎだったという。「43番という札がついてたから、43人目に搬出されたんだなって。でも、火傷も何もしてなくて、ただそこに娘が眠っていたという感じだった。」さゆりさんのいた4Fのスーパールーズには客と従業員を合わせ28人がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒による死亡である。

さゆりさんは、女優になる夢を追って東京に出てきた。市原悦子に憧れ、エキストラのバイトをしたり養成所のも通い、しかし東京の一人暮らしは厳しい。生活費を稼ぐためにスーパールーズで働いていた。一時そこを辞め、足利の実家に戻っていたが、店から人が足りないので手伝って欲しいと言われ、再び東京に戻る。事故にあったのは、それから1週間後のことだという。「あの時、さゆりに行くなって言えばよかった。さゆりが乗っていった列車が、実家の窓から見える。でも、その列車を見ると悲しくなるんです。だから、見ないようにしている。」とスイ子さん。今、59歳になったスイ子さんもあのときから時間が止まっているのかもしれない。

毎年、9月1日の深夜の事件時刻にあわせ、現場となった明星56ビル跡地前には慰霊の献花台が置かれる。遺族の方々、通りすがりでも当時の記憶を持つ歌舞伎町の人たちがここで花を捧げ、また手を合わせていく。↓テントの壁面には亡くなった方たちへの遺された人たちからの手紙が張られている。

 

 

「天国に旅立った44人の尊い命を無駄にしないで下さい」~ビル火災被害者の会

今年の3月2日、東京地裁において行われていた歌舞伎町ビル火災における民事裁判が和解した。死者44名のうち33名の遺族がビルのテナント経営者、店長等を相手に損害賠償を求めての訴訟は2400万円を支払うことを条件に和解したという。昨年4月にビル管理会社である久留米興産やビルの実質的オーナーであった瀬川重雄被告らとは、遺族との間で約8億円の支払いで和解しており、今回の和解で遺族会による久留米興産および個人6人に対する総額26億を求めた一連の民事訴訟は被告側の総額8億6800万円の支払いによって終結している。なお、瀬川重雄被告らに対する刑事訴訟は続行中。この時にはすでに旧明星56ビルは久留米興産から所有権は移転しており、現在のこの土地の地権者はニュージーランドに会社籍を置くレオナルズ・プロパティズ・リミテッドにある。現在更地になっているこの場所も、近々に建物が建つことが予想され、この場所で慰霊をすることもひょっとしたら七回忌となった今年が最後になるかもしれない。

↓8月31日、夕方の5時過ぎ、新宿消防署の人たちも現場を訪れ、敬礼。その足で、この日は劇場通り一番街を中心に消防署員らが査察に巡回を行っていた。

 

「歌舞伎町一帯の一斉立入検査を何回もやり、普及啓発をさせていただいているが、立入検査をやった直後はすぐ綺麗になるんですけども、目を離すと元の状態に戻ってしまうというのが実態です。そういった立入検査を繰り返し続けていかねばならない。階段にモノが置かれていたことが被害を大きくした一つの原因ということだが、これに対して階段にモノを置いてはいけないということに尽きるのですが、その置いてはいけないというのが法律で決まっているから、消防がうるさく言うからということではなくて、建物なり事業者の方々が、その建物を利用する人たちの立場に立って、例えば階段にモノを置くといざと言うときに逃げられなくなって危ない、だから置かないんだという、人命第一という意識を持っていただいて、と考えています。」(新宿消防署予防課歌舞伎町防火安全対策係中西正浩係長)

新宿消防署の中西係長が言うように、火災予防に対する普及啓発は頻繁に行ってきたが、一方でしばらく間をおくとすぎ酷くなる、そんな建物もまだまだある。歌舞伎町の環境浄化は、たしかに少しずつであるが変化はしているとは思うが、じゃあどれだけ良くなったかと言えるほどかどうか。まだまだといわざるを得ないところも多い。

そもそも、歌舞伎町のビルオーナー、ビル管理会社、そのなかでどれほど「健全」といえる事業者がいるのか。その中の一つの明星56ビルであって、自分の利益しか考えないビルオーナーと、自分の利益しか考えない店の間に挟まれて殺された、言い方は悪いが被害者の方々は結局部分が強い。お互いに問題に気づいていても、同業者、あるいは同種類の人間と言うことで見てみぬふりをする人たちばかり。今でも、そういうビルオーナーがほとんどだし、その人たちがのうのうと息づいているのが歌舞伎町だ。そして、自分の中にグレーな部分があるから、人の黒いところ、グレーな部分を知っても黙っている。

 

↑毎週3~4日のペースで行われている客引き等迷惑行為の排除活動ボランティア、歌舞伎町商店街振興組合の下部組織で、何業であっても誰でも参加できる会議体である「よくしよう委員会」が中心に進めている。迷惑行為の排除活動というのが実質ではあるが、それ以上に来街者からの道案内や店探しといったニーズが非常に高い。

遵法営業をモットーとするホストクラブの人たちもこのパトロール活動を一緒に行っている。観光客らに「一緒に写真を撮ってください~」と声をかけられる姿も割りと頻繁に見られる。

話はややずれるが、この客引き等迷惑行為の排除活動ボランティア、これが本来目指しているものは何か?これは、最終的には二つの意図がある。一つは、民間の監視力の強化と情報共有、もう一つは「街のコンシェルジュ」、つまり来街者に対するおもてなしにある。その第一次的な地ならしが、いわば質の悪い客引き、迷惑行為等を排除することであり、それを現在、週3~4日であるがセントラルロードとコマ劇場前あたりを中心に活動を続けている。あくまでボランティア活動であるため、限られた時間、限られた場所ということになってしまう。知ってる人は知っているだろうが、かなり強硬にホストクラブやスカウト行為を排除している姿をセントラルロードなどで見かけることもあるだろう。しかし、一方で、この活動をしていくことで、彼らホストやスカウト、あるいはキャバクラの客引きらと決して喧々諤々というわけでないコミュニケーションをとり、情報を得ながら抑止をしていこうとしている部分もある。

ここから先は、やや個人的な想い、あるいは意見ということで・・・

警察にせよ、消防にせよ、行政にせよ、歌舞伎町はもはやコントロールできるような街ではない。消防の防火安全対策にしても、生活安全課の風適法違反の摘発にせよ、すべてがパフォーマンスである。つまり、法の公平性を保ち、違法なものは全て是正しましょうというのが、少なくとも現状の人員、ましてモチベーションでは不可能。6000からある事業所・店舗の中で、目立ったところだけ是正する、日程を決めてたまには大きな摘発をイベント的に行うが、現実にはその他の期間は黙認、そうせざるを得ないのが歌舞伎町だった。

さて、この街をコントロールするとすれば何か。一体、何が街のみんなのベクトルをそろえられるか、といえば「利益」しかない。そして、「利益」とは何か?つまり、歌舞伎町が来街者で溢れかえることである。

歌舞伎町に一番必要とされ、また欠けているのは来街者に対する「おもてなし」の心

例えば、来街者から見て、迷惑、居ないほうがいいホストや客引きがいる一方で、居て欲しい客引き、ホストもいる。つまり、彼らは客も引くが、来街者にとっての案内人でもあり、歌舞伎町と接する楽しみの一つでもあり、また防犯インフラと言う見方をすれば監視の「目」にもなっている。酔客を作る街である以上、客のトラブルは絶えない。そんなのを監視し、ケンカがあればとめ、無茶にはじけたがる若者達を歌舞伎町の「住人」達が抑止しているという部分もある。しかし、自分の利益、自分の店の利益だけを思うから、客の引き方もしつこくなるし、セントラルロードの入り口を客引きが大人数で来街者への立ちふさがり、自らバリケードを作って街に人が入りにくくしてしまってきた。これが、コレまでの歌舞伎町の姿。「それはマズイだろ。。」と言ったら、「僕も思ってました。」ってある客引きが言っていた。自分の利益ばかりに執着し、結局自分達の首を絞めてきた、これが歌舞伎町のほとんどの客引きやホスト。

ここでいう、客引き等迷惑行為の排除活動が実は目指しているという「歌舞伎町コンシェルジュ」って何?というと、結局は案内人、つまり一人案内所みたいなもんで、それを「利益」ではなく「おもてなし」=「街の利益」ということで、言ってみれば、現行法でいうと客引きとなんら変わらない。ちょっと微妙な言い方をしてしまったが、動機が正反対であるだけで、あるべき姿は実は同じ、というか。。

今、街に出ている客を引いてる連中がこんなことを言ってきた。「自分ら、目立たないように私服とかでやったほうがいいですか?」自分は、これに対し、「まず今は出るなとしか言えない。でも、自分らがいなけりゃどうせ出るんだろ?だったら、それは本末転倒、客を引くならちゃんとした格好でやるべきじゃないか?来街者に対する印象は、どっかのホストみたいに私服でチャラチャラしてるのは印象最悪だよ。歌舞伎町にようこそ、そうおもてなしをするつもりでやってよ。違法は違法、警察にやられるかもしれない。でも、それだって一つの正義だろ?」今、自分は、ちょっとそんな試みをし始めている。あくまで、個人的にではあるが。

なぜ、こんなことを歌舞伎町ビル火災の日に書いているか、というと、つまり明星56ビルの火災事件があって、これがきっかけになり歌舞伎町をモデルに全国の繁華街対策が始まった。それは、形の上では官民協働となっているが、実質は行政主導のものが多かった。また、歌舞伎町ルネッサンスもそうである。しかし、さっきも書いたが、繁華街自治において、警察や行政、あるいは消防に出来る部分は思ったより少なく、むしろ、彼らの職域外の部分を民間がやるべきであり、またそれを放置すれば悪い部分の歌舞伎町のように無秩序になっていく。ここを、どうせ頼ってもどうにもならないのなら、民間自らやろうよ、歌舞伎町ルネッサンスの活動が始まって約3年だが、3年たってやっとそういう機運が生まれてきた感じがする。客引き等迷惑行為排除活動のボランティア(歌舞伎町よくしよう委員会)はまさにそれであり、遺族の方々に分かって欲しかったのは、「天国に旅立った44人の尊い命」はこういう活動一つ一つに繋がっていて、そこに生きているんだということだ。また、歌舞伎町の街づくりに関わる全てのものが、この9月1日に、彼らの魂を胸に襟を正すべき日でもある。


8月最後週末の歌舞伎町景色

9月1日(土)夜9時ごろの劇場通り一番街

同じく、セントラルロード付近

 

↑あけて9月2日、朝の3時の一番街、朝3時のセントラルロード。この時間でもまだまだ人が多い。

◆9月1日(土)、新宿ミラノ1では早朝8時より「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」解禁

 

新宿ミラノ1、客席数1,064席。歌舞伎町にある映画館は14スクリーン+劇場が2あるわけだが、映画館の中では最大のキャパを誇るこの新宿ミラノ1、まして9月1日は「映画の日」(一人1,000円で鑑賞できる)ということもあり、その様子をのぞきに。

9月1日早朝。開場は7時からでそれより少し前、シネシティ広場を一周では足りなく、ミラノの南側にも列が出来ている。

開場直後の様子

 

9月1日(土)より公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」は、早朝8時の回(満席)にてスタート、土曜の最終回まで6回興行が満席、オールナイト興行では3回上映されそれぞれ7~8割の入場。実質、9月1日早朝よりオールナイト明けまででざっと9,000人を動員。

シネシティ周辺劇場・映画館の週末の観客動員数は、だいたい1万人/日と聞いているので、映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」は、それを一本の映画で動員したってことになる。

◆歌舞伎町スターコンテスト

 

隔週土曜で行われている歌舞伎町からスターを、「歌舞伎町スターコンテスト」(運営:新宿放送局)の第8回予選会は9月1日17時より19時で開催された。こっちの方も、観客動員が約250名程度(最初の頃の約倍)、一般審査員の参加者が72名でこっちもこれまでの約倍。

最高気温が24℃程度というのもあるのかな、涼しかったこと、週末、それも8月最後ということもあってか、普段の週末に比べてもかなり人の多かったように感じた。商店街の人が「昔の歌舞伎町の姿みたいだ」なんて言っていた。人が少ないと目立つ質の悪いホストの徘徊や客引き、スカウトらが、週末はほとんど目に付かない。というか、居るんだろうが目立たない。

結局、街を良くするというのはこういう状態のことを言うんだろう。コンテンツ、ビルの中身や老朽化、店舗内の問題など見た目では見えない問題もまだまだあるが、要するに来街者が溢れる街にすることで、例えば人が溢れればコントロールは難しいが一方で衆人監視も目もあってセキュリティは向上する。逆に言えば、どんなに見かけ綺麗な街を造っても、人が来なければ意味も無いし治安も悪くなるということだろう。歌舞伎町は来街者によって成立している街、だからこそ来街者をもてなし、愛される、求められる街でなければならない。ある人が、こんなことを言っていた。「歌舞伎町は今、『人』が現れるのを待ってるのかもしれないよ」と。


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2008年4月1日、「歌舞伎町」は街誕生60年! [その他]

2008年4月1日、「歌舞伎町」は生まれて60年!

1698年(元禄11年)、「新宿」は誕生した。甲州街道において日本橋と高井戸の距離15kmにそれまでなかった「新しい宿場町」=「新宿」として誕生した。徳川家康の時代に内藤家(高遠藩主=信州の高遠町、新恵那市あたり)が拝領した約21万坪の土地の屋敷として使っていた場所に、当時浅草安部川町の名主の高松喜兵衛らが申請し、民間主導で新しい宿場町をつくったことにより「内藤新宿」と呼ばれていた。高松喜兵衛は新宿の初代名主となり、その後いろいろ紆余曲折(色町としての色合いが濃く、風紀の乱れなどでたびたび廃止など)はあったが、街道筋の物流・旅人なども多く繁栄した。第二次大戦後、空襲で焼け野原になったこの地域で、興行街実現を目指し歌舞伎町を興したときの中心人物が当時の地元角筈北一丁目の町会長だった鈴木喜兵衛氏。新宿を創った高松喜兵衛、そして歌舞伎町を興した鈴木喜兵衛氏とおなじ「喜兵衛」になにかの縁があるかのように思えるところもある。

 ←鈴木喜兵衛氏(明治24年5月25日生まれ、昭和42年1月20日没)

戦後、日本の主要都市は空襲で壊滅、国は特別都市計画法を制定し行政主導で戦災復興事業を推進した。そんなご時勢に東京では地元の民間主導によって計画が進められ行政が追随する形で支援にまわった得意な例がいくつかある。六本木、恵比寿、そして歌舞伎町などである。その中でも、区画整理事業にとどまらず興行街実現という将来ビジョンを掲げてその実現を目指した「歌舞伎町」はその最たるものだ。この民間主導による戦災復興事業のまちづくり(新宿第一復興土地区画整理組合)を推進したのが鈴木喜兵衛(すずき・きへい)である。
歌舞伎町は当時、角筈一丁目といわれていた。もともと、尾張屋銀行頭取の峯島家がこのあたりの大地主で、鈴木喜兵衛氏は借地者としてここにいた。借りていた土地の広さはもともと借地者のなかでは一番広かったよう。敗戦後、疎開先から戻った鈴木喜兵衛氏は「今、心あるものは自分の事など考えている場合じゃない、商店街や住宅は土地使用については再編成すべきである。町会は計画復興をする、私らの町では借地権は私が一番多く持っているが、借地権をたくさん持っているものは納得のいく方法があれば進んで開放して土地利用を再編すべき。」と、また「東向きに芸能施設をなし、道義的繁華街を建設する」という構想も訴えた。当時、新宿という大きな繁華街にあって、おそらくその中でも特徴のある他の地域にないビジョンとして描かれたといわれている。
この鈴木喜兵衛氏の構想に、当時のこの街の最大の地主であった峯島茂兵衛が納得し協力を約束したことで一気に実現性がたかまり、また歌舞伎座の誘致を目指していたことから当時、新興文化地域にふさわしい町名、との声が起こり、都で戦災復興に奔走していた石川栄耀都市計画課長が提案した歌舞伎町に決まった。昭和23年のことで、「語呂もよし感じもよく、この町の建設目的にもピッタリとして居るので」と、鈴木氏はその著「歌舞伎町」(昭和三十年)で回想している。そうして昭和23年4月1日、新宿に歌舞伎町が誕生した。

歌舞伎町一番街通り入り口付近からの区画整理工事現場

歌舞伎町の復興事業について、構想段階では民間主導でありながら国と東京都は行政主導型のものと同等に手厚い支援を行ったようで、9割が国庫補助、残り1割について組合と東京都が負担という形であった。鈴木喜兵衛氏の誘致活動によって、ついに歌舞伎を公演する菊座や映画館、演芸場、ダンスホールの誘致計画は決まり、いよいよ着工・建設という段階になって突然の臨時建築等規制や預金封鎖の金融緊急措置令が発動、一気に計画は不可能となり頓挫。当時、すでに着工されていた地球座(いまのHUMAXの前身)のみが建設を許可され続行されたという。先に完成した地球座は、その入場者の行列が駅まで続いたそうだ。

復興後の歌舞伎町俯瞰図の絵

この状況を突破するための打開策として行われたのが昭和25年4~6月に歌舞伎町・新宿御苑・西口広場特設会場で開催されたのが東京文化産業博覧会である。「民の力を以って都市計画事業の実施に協力することとともに都市計画の建設と建築の結びつきを策し、文化施設、社会施設の整備を図る」というのが目的であったが、これによって会場に建設されたいわゆるパビリオンが今の劇場街の原型となった。産業館は後にスケートリンク(新日本興行=今の東急レクリエーション、ミラノ座)、社会教育館はオデオン座(いまの東亜興行)、婦人館はのちのジョイパックビル(いまのHUMAXパビリオン)へと転用されその後の歌舞伎町の繁栄の基礎となった。この博覧会の際、計画は鈴木喜兵衛氏の意図した方向に結果的に進んだものの、博覧会のイベント自体は大失敗であり、私財をなげうって奔走していた喜兵衛氏は破産状態に追い込まれ急速に力を失った。当時の博覧会失敗による負債を埋めるために、かなり破格の誘致条件でいまの劇場興行各社(四葉会)は土地を得たと思われる。
今では考えられないほどの強引で強力な指導力あっての実現の背景に、地域内に反対勢力も多く、特に博覧会の失敗で復興協力株式会社を倒産状態に追い込み、またエンタメ業主導のまちづくりにやや偏った喜兵衛氏をよく思ってなかった人もいたという。急速に力を失い追い込まれていった喜兵衛氏に代わって、あらたな影響力を発揮しだしたのが藤森氏(当時芙蓉会館のオーナーであった藤森作次郎氏=初代の歌舞伎町商店街振興組合理事長、芙蓉会館は藤森氏の死後、相続の関係で足立興行(現グリーンプラザ)に売却。足立興行はいくつかのプロセスを経て現在外資ファンド傘下に)である。その後、藤森氏を中心とした歌舞伎町商店街振興組合と今の四葉会(興行4社=東宝、東急レクリエーション、ヒューマックス、東亜興行)が上手に折り合って昭和30~40年代の歌舞伎町隆盛期を築いたのは確かでもある。ヒューマックスは華僑、東亜興行は韓僑系企業で、特にこれらに代表される華僑グループや在日韓国・朝鮮人たちとともに、いろいろな町会や企業、地元の実力者との微妙な影響力をそれぞれ発揮したり色々な紆余曲折・台頭を経て今の姿に成っていく。
昭和31年完成の東急文化会館(現在の新宿TOKYU MILANOビル)

東京スケートリンク

昭和27年、西武新宿駅が開業、当時西武新宿線は新宿駅に乗り入れることを予定していたため、西武新宿駅は仮駅だった。昭和31年、東急文化会館が完成、ロードショー館「ミラノ座」とアイススケートリンク「東京スケートリンク」が併設、さらにコマ劇場もこの年に完成し鈴木喜兵衛氏が夢見た「道義的繁華街」の原型がここに完成する。こうして昭和30年代より昭和50年代にかけ劇場街を地域の産業構造の中核として歌舞伎町は日本有数の繁華街として成長する。だが、一方で歌舞伎町およびその周囲には売春街が常に存在したのも事実で、昭和33年の売春防止法が施行されるまで、いわば男女の健全な出会いの場としての映画館やスケート場という文化的存在が性風俗産業と拮抗することで歌舞伎町のポテンシャルを支えてきたという側面はある。劇場街はなおも成長し、昭和50年代から60年代には年間50億以上の興行収益は上げていたと思われる。当時、新宿ミラノ座で劇場支配人だった会田郁夫氏(現東急レクリエーション専務取締役)は「印象に残っている興行としてはETがある。正月の一週間興行で7万名を突破した。ということは、1日1万名がこの映画を観にやってきたということになる。当時は、文化・ファッションなどあらゆる部分で映画が時代を引っ張る先見性のあるものとして、またオールナイトの需要が非常に高かった。特に土曜のオールナイトがすごかった。当時、土曜も会社があった時代ですから、仕事を終えて歌舞伎町に遊びに来て、飲んだからもう電車が無い。そこで、観たかった映画を観るという形があった。当時オールナイト人口はここ歌舞伎町で約6千名といわれていた。すごい光景として今でも頭に焼き付いているのは、歌舞伎町はまったく人が切れないんですね。朝の4時5時、歌舞伎町から駅に向かう人がまさにラッシュでした。ところが帰るだけじゃない、また朝、人がこの街に来てるんです。すさまじいエネルギーがありましたね。もちろん、歌舞伎町の魅力は映画だけじゃない。昔から、この街は危険ぽい街でした。若者って言うのは、不良性感度とでも言うか、ちょっと冒険したいとか、ああいう盛り場で飲んでみたいとか、そういうところにある映画館で観てみたいとか、そういった面も非常にあったなと思います。平々凡々とした生活の場所から非日常を経験したい、歌舞伎町自体が街全体がイベント広場というか365日お祭りのような場所ですからね。僕は、今でも歌舞伎町が持っているこの雰囲気が大好きですよ。」

昭和60年新風営法が施行、これが歌舞伎町の運命を大きく変えることになる。新風営法(以下風適法)施行に伴い深夜の風俗営業店の営業が規制を受け、ゲームセンターやディスコ、ライブハウス等が一斉にネオンを消すこととなる。一方で、新風営法施行に駆け込んで既得権を得た性風俗店(店舗型個室マッサージ店など)が大量に開店、歌舞伎町はそれまでの若者文化の街、健全な出会いの場という姿から性風俗の街という姿が強調されるようになる。深夜の賑わいが冷える中で映画館街は次々とオールナイト営業が出来なくなっていくことで、なおさら深夜の経済構造が破壊され、結果として飲食店等の売上も激減、反対に性風俗等特定の目的を持った来街者の比率が高くなっていく。このとき歌舞伎町は繁華街としての劣化がいよいよ表面化し始めていく。同時期、レンタルビデオの普及から現在のインターネットの普及の流れの中で映画産業は向かい風の中にある。いわば、繁華街の最大の敵は「家」であり、快適で便利な家にあるものはこれからも繁華街から衰退していくだろう。したがって、家では得られないもの、つまり「生」とか「リアル」、そこにしか無いものこそが繁華街の持つべきコンテンツであり、過渡期とはいえ風俗や性風俗というものもそういったコンテンツとして繁華街の中で成長・増殖を続けた。昭和60年代からキャバクラブーム(といっても当時のキャバクラは大箱のショークラブ型が主流だった)、平成に入ると性風俗業界では無店舗型性風俗店(デリバリーヘルスなど)が大増殖、平成10年にはついに風適法改正によって届出制という形になり、結果として市民権を得てしまうこととなる。このことが風俗業界の内需連鎖構造にあいまって、この後の第2期的なキャバクラのブームにつながり、それがホストクラブの大増殖へと繋がっていくことになった。

現在歌舞伎町には約7,300件の飲食店などの店舗・事業所・事務所・空き室も含め存在するが、そのうち約3,500件は風俗店である。一軒の店舗の売上が1日20万円程度と仮定すると年間2,000億超の経済活動がある計算になる。だが、もう一方の産業構造の中核であった映画産業はどうだろう。現在約1万席を有する劇場街であるがこの年間興行収入はざっと26億円といわれている。2008年末を目途に、この劇場街の再構築が大きく動き始める。概ね2010年代の前半を完成目標において劇場街を構成する四社の地権者が共同ですすめる大規模な再開発である。これはあくまで目標であり、現実にはややずれることもあるかもしれないし、数年単位でずれる場合はまた違った目も出てくる可能性もある。再開発の目玉は、現状では劇場街再構築、つまり平たく言えば都心型シネコンということになるのだろうが、前述の通り都心型の映画館経営はむしろ厳しいと考えられる中で、シネコンあるいは劇場を四社が共同で運営していくことは財務的には大きな負荷となることは明白で、従ってもう一つ四社にとって共有できる「利益」となるものを生み出す必要があり、またこれが無ければ四社が共同で再開発を行う意味すら失われかねない。

 

現在、歌舞伎町への投資は主としてアジア系(韓国・朝鮮系)の資本が濃い。これは、10年後の歌舞伎町の姿に強く影響してくることが考えられる。よりアジア的な歓楽街の姿へと変化していくベクトルが強いなかで、歌舞伎町はいかなる「夢」を持つべきなのか?2008年4月、歌舞伎町は誕生60年目を迎える。歌舞伎町の名付け親となった石川栄耀が理想とした都市構造は、中心に広場がありそこに市民が集い、憩い、議論する民主的市民社会に支えられる西欧型の都市構造だった。例えば市民による街の清掃も、都市計画の一部であると考えていたと言う。都市の風格というものは、市民の心や行動によって生まれるものであり、そこに集まる人々の生活や姿がすなわち街の姿であると考えていた。「都市は人なり。」これが石川栄耀の残した言葉である。


平成20年、新宿コマ劇場のあるコマスタジアムとそこに隣接する東宝会館が建替え(再開発)に関する計画の発表を行うことになるだろう。平成23年までの着工を条件に都市再生の交付金を得ることを前提に公共貢献を含めた計画を発表するだろう。「歌舞伎町における公共貢献=歌舞伎町ルネッサンス活動の推進に寄与」という図式による再開発、そして地域再生。それぞれの企業がそれぞれ自由な意志を持って進めていくことについてそれをとやかくいうことは必要ない。しかし、今の「歌舞伎町ルネッサンス」の構造では、補助金なり行政支援を受けることはすなわち企業としてのフリーハンドを失うことに繋がることも危惧すべきではある。行政支援を求めるのであれば、新宿区が、あるいは区長がその権能の範囲でいいたいことを言うのも自由だし、それを民間はある程度従うことになるだろう。もちろん中身において正しい部分もある。だが、一方で区や行政の支援などなくても街づくりはやらなくてはいけない。そもそもまちづくりにおいて歌舞伎町ルネッサンスはパーツに過ぎないが、それでも仮に歌舞伎町ルネッサンスの活動が、その範囲を超えてまで民間の正当な自由を奪おうとするものとなったときは、決してそれを受け入れてはいけない。街の人たちは絶対に沈黙した羊たちのままであってはならない。「自由」こそ民間のポテンシャルを支える最大のものなのだから。

社会において、コンプライアンス遵守が当たり前のように言われて久しいが、法律とはいったい何か?これを社会はもう一度よく考えるべきである。法律とは、社会構造の淵にあるべきものだということを認識すべきである。つまり、社会においてはみだしたものをはじくための機能が警察であり司法であり、その根拠が単に法律である。つまり法律は社会規範でもなければ社会の中心でもない。同様、警察や司法も社会構造の淵にあるべきものであり、行政も同じ。あくまで既得権益(やや誤解を招くといけないが、要は法益を受けるもの)の防波堤に過ぎない。しかし、それがいつの間にか行政なり警察なり司法が社会の中心であるかのごとく振舞う社会になったことが、今の日本である。どれだけ息苦しい社会になったことか。そして政治や警察までコンプライアンス遵守がかえって機能障害を起こしてしまっている。行政の役人が、あるいは警察が考えていることは、常に「裁判で負けないような仕事」をすることだけ。

 

↑12月1日、つまり先週の土曜にシネシティ広場で撮ったものである。ステージが柵で囲われ、コマ側にあるオブジェはブルーシートで包まれている。一見なんかの工事?と思うだろうが、これはその翌日にある早明戦(ラグビー)に備え人が集まり騒いだときにのぼったりして怪我をしないように、そして破損などしないようにと新宿区がしたことである。そして、その翌日、これは明治の生徒の父親から聞いた話だが、大学から学生に一斉に携帯電話にメールが配信されたそうだ。「歌舞伎町に行くな」と。

話は変わるが、新宿三丁目にある旧松竹会館跡の工事が進んでいる。ここにJRAのショールームと入場料制の小規模な馬券売り場が入ることになっている。だが、これを新宿区は地域町会や商店街に先んじて反対行動を起こした。やり方は、各商店街振興組合や町会を区が自ら回り「反対ありき」で説明の上、暗に反対表明を強いるかのような動きを見せた。歌舞伎町商店街振興組合は反対も賛成も表明はせず、あくまで当該町会の意向を尊重する方向になっていた。本心は、歌舞伎町にJRA誘致であるとかカジノ誘致の議論が内在している中で松竹のJRA入居反対はそもそも整合性が取れないということもある。そういった中で当該町会である三丁目町会は最後まで結論を出さなかったが、つい先日「反対表明」を出した。というか、出さざるを得ない状況にさせたと聞いた。さらにこれらの前には区議会で自民党某区議の質問をキッカケにして区議会の反対決議を誘導。当該町会なりが反対でそれを支援して区議会なり行政が支援するならともかく、区議会が先行し(質問はひょっとして誘導か?)区の指針を先に定めて、それに対してやむなく当該町会が反対せざるを得なくなってみたいな、こんなことって、末端行政の区がしていいんだろうか??まして、松竹会館の工事は粛々と進んでいる。区議会決議も新宿区の無理な誘導も無視され結局はJRAは入居の方向に進んでいる。いずれJRAが旧松竹会館を買い取って全館場外馬券売り場になることすらありうるというのに何をやってるんだか。。。

こうしたことがまさに今の新宿区の区政であり、区政における歌舞伎町のまちづくりを象徴している。

かつて噴水に飛び込んで頭を怪我した早稲田の学生がいたり(これがキッカケで噴水が今の広場になった)、街路灯にのぼって破損させたり、警察官を殴って逮捕された学生もいた。しかし、どうだろう。下の写真を見て、今よりよっぽどエネルギーもあったし学生らしく、また楽しい街だったのではないか。今のようなストレス社会で、歌舞伎町こそはハメをはずせる、そんな愛すべき街だった。

1979年頃のかつての噴水広場(今のシネシティ広場)

1991年頃の早明戦あとの様子(故・渡辺克巳氏撮影)

減災社会も大事だし、老朽化した都市インフラを更新するのもやはり大事だ。中山区長の言う「歩きたくなる街-新宿」もいいことだと思うし、来街者に迷惑となるような客引き行為だってもう少しなんとかしないといけない。だがしかし、それよりなによりこの街が決して失ってはいけないもっと重要なことがある。それは「自由」と「寛容」である。今やかろうじてこの街にしか残っていないのではないか、そしてそれすらが失われかけている気がする。

だからこそ、もう一度ここに書いておきたい言葉がある。

"Anyone who trades liberty for security deserves neither liberty nor security. "
by Benjamin Franklin

「安全のために自由を引き替えにする者は誰も、自由も安全も受けるに値しない。」 ベンジャミン・フランクリン


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謹賀新年 2008年元旦 [その他]

2008年 迎春

2008年、初日の出。二子玉川にて。

2008年、新しい年を迎えることができました。いろいろ微妙なことも沢山ありますが、素直に新年を迎えることが出来たことを喜ぶのも決して悪くはないかと。12月、歌舞伎町に限らずどこの繁華街も人で賑わいながらも歳末警戒ということもあって警察の取り締まりも厳しく、街には独特な緊張感があった。それが、ふっ・・と抜けるこの年末年始、人も若干少ないが時間がいつもよりゆったり流れているように感じるこの数日が自分は好きです。かけがえの無い人たちと出会い、かけがえの無い時間をすごし、そしてかけがえの無い街「歌舞伎町」で新しい年の訪れにおめでとう。

大晦日の23時過ぎの歌舞伎町、劇場通り一番街にて。

明けて元旦0時過ぎの花園神社は初詣客が並んで約1時間待ち。

歌舞伎町2丁目の鬼王神社の様子。こちらは近隣在住の韓国人の人たちの初詣も多い。

2008年、歌舞伎町的にいうと4月8日の吉本興業㈱の東京本部開校式(旧四谷第五小学校)、6月の副都心線(地下鉄13号線)開通、年内一杯で閉館を予定しているコマ劇場に関して阪急グループが再開発計画に関してどのタイミングでどんな報道発表をしてくるのかなど、歌舞伎町としてはある程度おり込み済みとはいえ地域に与えるインパクトは大きい出来事が続く。歌舞伎町ルネッサンスに関して言えば、昨年後半はとくに行政が進めようとする「歌舞伎町ルネッサンス」と街が進めていこうとしている民間のまちづくりの間の大きなズレが表面化し、そのことがルネッサンスをまさに「フリーズ」状態に陥れた感があった。もちろん、間違った流れのまままちづくりを進めていくのであればかえってフリーズしたほうが良いし、そのズレは何なのかをちゃんと認識することが望ましい。が、一方で行政が出来ることは何なのか、そして出来ること以外のことは民間がやるべきであるということも事実であり、したがって行政と民間が可能な範囲で支援しあう程度であればいいのであって、互いに考え方や立ち居地を無理に歩み寄ろうとさせたり、あるいは足の引っ張りあいをすることが最悪であって、昨年後半はややそんな状況に向かいつつあったように思う。そこで、2008年はどうなるかといえば、一旦はリセットした上で行政は行政、民間は民間とやや距離を置いた関係で進みながら、もう一度お互いに何が共有できるのかを検証しながら進めていくということになるんだろう。と、言葉では柔らかくも言えるが、実際は完全に一線を画すこともあるかもしれない。2008年は戊子(つちのえね)、「戊」の意味するところは激しさである。あらゆる抵抗や障害を取り除き刈り取る、そんな意味がある。「子」はねずみ、いわば生命力であり誕生、つまりいかなる障害も跳ね返す強い意志を示す文字である。この両者、相反する意味を持ちながらともに極めて激しい意志を持つものの組み合わせ、単純に干支から見ればだが、2008年はどうなるか想像できないような激しい年になると見ることも出来る。世の中はまさに「官製不況」の只中にある。官製不況とは、行政など官が業界や地域に関わりすぎ返って窮屈な状態をつくり、民間の経済活動を阻害し不況を作ること。一般的には国交省の耐震基準や建築基準法などに使われる場合が多いが、行政自身が生み出す不況であるためになかなかバックギアが入らず経済が取り返しのつかないところまで落ち込むことも考えられる。そんな時代であるからこそ、「官」、つまり「体制」に対抗する拮抗したものが生まれる。あるいはそうしたものが生まれないと世の中は成立しない。「戊子」という文字はそんな予感をさせる干支である。歌舞伎町のまちづくりは、例えば客引き排除や暴力団対策という粛正部分と、民意としては風適法の24時間特区、つまり眠らない街歌舞伎町の実現といういわば「自由」を勝ち取るための戦いという側面も持っている。しかしながらこれまで前者の粛正が色濃く現れてきたことでややバランスを欠いている感は否めない。2008年は、まさに24時間特区を獲りにいく一年にしたいと思う。


◆12月24日(月) Merry X'mas @歌舞伎町グリーンバード

  

12月24日のX'mas eve、歌舞伎町ではグリーンバードがコスプレでゴミ拾い活動。リーダーの砂押悠子さん、手塚真輝くん、そしてイギリスに留学中の杉山文野クンのお姉さんの草子さん、みんなサンタクロースでした。

 この日のベストドレッサーは草子ちゃんかな。真輝と自分の独断ですが^^;MADOKAちゃんはブラックサンタでした。(写真は真輝クンと2shot)

 へんなコスプレもいました。。スイカ?(ウーサイ)

2008年最初のグリーンバード歌舞伎町チームの活動は1月7日(月)19時から。劇場通り一番街アーチ下あたり集合です。

◆12月28日(金) 客引き・スカウト等迷惑行為撲滅パトロール

2007年6月から週3日、1日2時間程度セントラルロードとコマ劇場前、及び靖国通りの各歌舞伎町入り口付近の客引き・スカウト等迷惑行為撲滅パトロール(よくしよう委員会、歌舞伎町商店街振興組合)。12月28日をこの年の最後とし、新年2008年は1月11日(金)から再び開始する。参加しているものがそれぞれボランティアであるために限られた時間と限られた場所についてのみの活動ではあるが、その限られた時間と場所においてはかなり有効に街をコントロールできることが立証できている。もちろん警察(地域、組対、生安)の後方支援もあってのことであるが、ほとんど毎回参加してくれてきた岩崎さん(C'sエステート)、工藤さん(レジャーラス)、杉本さん(シダックス)、そしてホストでありながら毎回人数を出して参加してくれた歌舞伎町ホストクラブ協力会のみなさんに感謝したい。

自分は大抵セントラルロード入り口に立ってきたわけだが、そこはかつてはカラオケや居酒屋の客引きやホスト・メンキャバのナンパと称したキャッチ、スカウトのまさにメッカだった。今でこそ、パトロールをしてないときには多少の客引き・スカウトがちらほらいるにはいるが、そうは言っても歌舞伎町の入り口で大事な来街者の導線ということでかなり秩序を取り戻したと思う。パトロール初期の頃はトラブルも多く、警察沙汰になったことも度々あったが、今ではそれもほとんどなくなった。なにより、お互いに顔の見える関係になってきたことが大きい。確かに、モア2番街や新宿東口駅前広場の状況を考えればまだまだ途上にあることは事実だが、この半年間で歌舞伎町の体感治安は大きく向上したといえる。

年末の歌舞伎町は忘年会などに集まる人たちでごった返していた。まだまだこれだけの人が集まる街であり、これだけの人たちが求める街でもある。人に溢れた歌舞伎町には客引きやスカウトの姿が目立たなくなるとともに、パトロール自体も人が多すぎて機能しにくい。しかし、大衆監視が利いているというか、体感治安は非常に向上している。全てにおいて、景気が問題解決になるという証でもあるといえる。24時間特区という考え方は、何もお店の営業メリットだけを求めているわけではなく、こうして24時間あらゆる店が営業できてシャッターの閉じている店を無くすことで民間の監視力を高められる。24時間特区は治安向上に有効なのである。

2008年、歌舞伎町誕生60年

以前、このブログでも書いたが(関連記事)、2008年4月1日、歌舞伎町は街の名前がついて60年目という節目を迎える。そして、歌舞伎町は言ってみれば戦後レジームの証言者そのものであり、戦後日本の様々な矛盾や問題をそのまま実像として抱えた街でもある。同時に、全国繁華街対策のシンボリックな象徴であり続けた街でもある。歌舞伎町という街は、いわば「街」以上の存在であり、メディアでもあるのだ。その歌舞伎町が60歳を迎えるにあたり、歌舞伎町の本当のDNAとは何か、そして「歌舞伎町」が存在している意味と意義を見つめながら、自分にとってもかけがえの無い人たちのいるこの街の姿を通じて何か大げさに言えば国のあり方と、そして自分の人生においてもそのあり方みたいなものに答えを探したいと想ってます。

2008年、日本の政治はより混沌としそうです。自民・民主の大連立の会談の際に伊吹氏が「マスコミには絶対見せられないものだ。」と言っていた封筒の中身が徐々に明らかになる流れの中で、湾岸戦争以降の防衛利権をめぐりかつてのロッキード事件以上の疑獄になろうとしている。全てが明らかになったときに、国民の政治・行政不信はまさに頂点に達するかもしれない。あるいはそれをかわすための落としどころとして再度大連立という話が出てくるかもしれない。しかし、国民は内在的には自民でも民主でも官僚でもない第4の選択を求めている。その欲求がきちんと国のあり方に反映されない場合、この国に何が起きるのか、それともそれでも何も起きないのか。2008年はいろんな意味で「波乱」を予感する。

先日、石原慎太郎都知事が会見でこんなことを言っていた。「誰かが、『そんな数、地球並みの文明を持っている星があるのに、なんで地球に向かって、もっと進んだ文明の星から、宇宙船なり宇宙人なり飛んでこないんですか』ったら、これはやっぱり、ホーキングは言下に『その程度の文明を持った惑星というのは、非常に循環が狂って、不安定になって、宇宙時間からいうと、瞬間的に消滅します』と。誰かが『宇宙時間にとって瞬間といったらどのくらいですか』ったら、彼は『100年』て言いましたな。それから25年たちましたからね。地球は持たないね、このままで行くと。」そして、こういうことに早く気付くべきだといろんな人が声高に考えを述べ、また心に響かせようと音楽や祈りがそれを訴えている。しかし、人類の文明が誕生して数千年、いつの時代にも祈りや音楽はあり、志のある人たちもいたはずで、その数千年の時間をかけても乗り越えられなかった課題を、今の人類は石原都知事の言葉を受ければ75年以内に克服しないと未来は無いということになる。人は、それならばと、「まず出来ることからはじめましょう」と個のレベルに議論を押し下げて納得してしまう。しかしそれはもはや気休めに過ぎない。自分の出来ること以上のなにかを生み出していかないともはや何もかもが成立しない、そういう時代に自分らは生きている気がする。せめて2008年がそういう第一歩になるような年であって欲しいと思う。

脈絡の無い書き方になってしまいましたが、本年もよろしくお願いします。

てらたにこういち  2008年 元旦


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2008年初グリーンバード、歌舞伎町商店街振興組合新年のつどいなどから。 [その他]

◆1月7日(月)今年最初のグリーンバード歌舞伎町チームによるゴミ拾い活動

2006年の8月に杉山文野クンによって結成されたグリーンバード歌舞伎町チーム。昨年9月にイギリス留学(ケンブリッジに語学留学)した文野クンにかわり、文野の幼馴染の砂押悠子さんがリーダーになった。悠子がリーダーになってから、新宿の文化に触れると銘打っての寄せ見物やエイズ等性感染症などの防止啓発セミナーなど、今までのゴミ拾い以外の活動も積極的に取り入れてみたりしてきた。そして、歌舞伎町チームとしては2008年最初の活動は1月7日からということで今年最初のゴミ拾いが行われた。

いつものように19時に歌舞伎町劇場通り一番街のアーチ下に集合。この日の参加者は27名。

ゴミ拾いがすめばお決まりのみんなで飲み会^^この日前後に誕生日を迎える人が2名いたために、誕生日会も兼ねてみんなで和気あいあい。

イギリス・ケンブリッジに留学中の杉山文野クン、年末年始はぐるりとヨーロッパ巡りをしてた様子。オランダ・アムステルダムから新年の挨拶メールが来てました。「歌舞伎町で繁華街慣れはしていたつもりで、他の国の繁華街に驚いたことはなかったのですが、アムステルダムの雰囲気にはやはり『おぉ!』と思うところがありますよ。話には聞いてたけど、こんなにSEXと葉っぱにまみれているとは(笑)とにかく毎日が刺激的です。」だと。なんだか、そのアムステルダムの有名な赤線地帯でさえ最近規制が厳しくなってきたとかってニュースがあったなぁ。その後彼もケンブリッジに戻り、そろそろ授業再開のころかと思います。春までイギリスにいて、その後陸路で中国まで行き、北京オリンピック(8月8日開催)を見てから日本に戻るとかって噂ですが、さてさて。カレはやがて歌舞伎町を担う人材、世界中を見れるだけ見て学べることを思いっきり学んできてほしいと思います。世の中には学びたくてもその機会を得られない、あるいは得られなかった人たちもたくさんいる。機会を持っている人はそれを生かすとともに、それを社会に役立てる義務があると思うのです。

□グリーンバード歌舞伎町チームの活動は毎月第一・第三月曜日。19時に歌舞伎町劇場通り一番街アーチ付近(杉山ビル入口)に集合。掃除は19時より約1時間。ゴミ袋、トング、軍手はグリーンバードのほうで用意してくれるので、手ぶらで行っても参加できます。掃除が済んだら大抵みんなで飲み会、、、「お掃除合コン」というわけです^^

◆1月9日(水) 歌舞伎町商店街振興組合「新年の集い」より

歌舞伎町商店街振興組合の毎年恒例の新年の集いが1月9日(水)18時より花道通りの車屋にて開催された。6千からの店舗・事業所を抱え日本一といわれる繁華街歌舞伎町を傘下に置く商店街振興組合、といえばすごそうだが、実際は加盟数も200前後とその規模は他の地域の商店街同様構造的な疲弊化はさけられない。「振興組合は歌舞伎町を代表していないじゃないか」という組合に対する厳しい声、批判的な意見も耳にする機会は多いが、さりとて歌舞伎町内唯一の公式な純粋な民間組織であり、今年60年目を迎える歌舞伎町の街をかつて支えてきた人たちの血を受け継ぐ「由緒正しい」組織であることに変わりはない。決してここがすべてではないが、今までも、そしてこれからもこの人たちが歌舞伎町の民意を表す中心にいて、またなくてはならない存在であるとは思う。

新村雅彦理事長が健康不良を理由に欠席となり、筆頭副理事長である片桐基次氏が新村理事長の挨拶を代読。「歌舞伎町は今、繁華街のモデル地区としてその治安対策・活性化対策は、その動向に全国から注目が集まっております。地方の商店街ではシャッター通りと揶揄されるように疲弊化しており都会の繁華街では治安問題に解決の糸口が見いだせない状況の中、歌舞伎町は先駆的な取組事例として評価されております。
街に身を置くものとして、日々自分の商売のことで精一杯でありますが、街としての繁栄なしでは成り立ちません。どうしたらもっと大勢のお客様に歌舞伎町に足を運んでもらえるか、来られたお客様に満足していただけるにはどうしたらよいか、皆様方と交流を深めながら考えていかなければならないと思います。『安心・安全なまちづくり』と一言で言ってしまえばそれまでですが、実際には小さな個々の問題の積み重ねですし、街は生き物ですから明確な回答が出せませんが、歌舞伎町に遊びに呑みに食べに来られるお客様におもてなしをするのが街です。このところのルールは守ってくださいということが唯一言えることではないでしょうか。今年は、まちづくり、ルールづくりの土台となるTMO(タウンマネージメント組織)の立ち上げを予定しております。そのTMOを受け皿として全国初の繁華街自治モデルを構築してまいります。歌舞伎町は、日本一の、アジアの、世界一の繁華街を目指していきますので、何卒皆様方のご理解・ご協力をよろしくお願い申し上げて新年のご挨拶とさせていただきます。」

来賓には中山弘子新宿区長をはじめ、与謝野馨衆議院議員、桑原公平新宿区議会議長、そのほか新宿区職員なども多く参加した。

与謝野馨衆議院議員「私、地方にひとの応援にまいりまして、私の選挙区を知ってますか?どこですか?と聞かれますと、私が出ている選挙区は新宿・歌舞伎町があるところですというと、全国どこに行っても通用します。そのぐらい新宿・歌舞伎町は全国にその名が轟いているわけでございますから、どうか皆様、この街をさらにいい街に、いい商店街に、そして誰でも来られるような明るい街にしていただきたいと思っております。」

中山弘子新宿区長「この歌舞伎町というのは、本当に日本全国、世界でもというようなことでポテンシャルの高い街です。この街を、皆さん方とともに、新宿を代表する歌舞伎町、新宿のイメージを決めているのは歌舞伎町だと言えるようなところがあるわけですので、歌舞伎町が良くなれば新宿が良くなる、そんな想いで取り組んでいきたいと思います。
与謝野先生には本当にいろいろお世話になってるんです。ハイジアの中に多文化共生プラザというのがありますけれど、これは新宿区の多文化共生プラザであるんですが、それと併せ法務省の入国管理事務所のサービス部門としての役割も果たしていまして、あそこの家賃は与謝野先生にお世話になり法務省のほうにつないでいただいて法務省に一部もっていただいている。いろんな意味で、地域の中にみんなの総合力というか、そういった形でお力を貸していただいていることはうれしいことだと思っております。そういった意味で、歌舞伎町は多くの人たちの力をいただける場所です。今年は、歌舞伎町で、みんなで担っていくまちづくりの組織を立ち上げるというような大切な年にもなりますので、皆さん、私も力一杯取り組んでまいりますのでよろしくお願いします。」

新宿における歌舞伎町のイメージというのは非常に強く大きいものがある。歌舞伎町のいい意味でのインパクトが新宿全体のポテンシャルにもなっている反面、歌舞伎町の悪い部分が新宿全体のイメージダウンにもなっている。しかし、現実的には歌舞伎町にとっては、そのいい部分悪い部分あってこそこの街のポテンシャルを支えている部分もあり、魅力でもあったりする。そのズレが、どうしても歌舞伎町のまちづくりを地域エゴ的なものに変質させてしまうベクトルがあるということを我々は常に意識しなくてはいけない。地域エゴが決して悪いというわけではないが、新宿の中の歌舞伎町、日本の中の歌舞伎町であり、また歌舞伎町で起きることは常に全国の繁華街対策に影響を及ぼしてきたし、これからもそうであるということを念頭に置いておくべきである。中山区長の新年の賀詞交歓会における年頭の挨拶で、「地域主権」「多様性の尊重」という言葉と、一方行動基準として言っている「地球規模で考え、地域・現場で行動する」というのとは一見矛盾しているように見える。しかし、そうではなくて、前者の許容性はいわば他者に対するものであるのに対し、一方後者は自らへの戒め、覚悟のような意味と捉えるべきだと思う。

というのは、たとえば情報化社会になり体感的に国土はさらに小さくなっていく。職場は都心に集中する必要性は本当は無くなってきているはずだし、同時に家庭は快適になり、いよいよ繁華街の需要というのはさらに下がっていくはずである。数十年後にはもはや繁華街なんてものは必要ない社会になっていくのかもしれない。また、そのほうが環境的に言ってもむしろ好ましいことなのかもしれない。こんな時代の流れにおいて、特にサービス業を核とする繁華街はそのマーケットをどんどん縮小させていくのは確かであるが、一方でむしろ地方の繁華街でやっていけなくなった事業者が唯一の残された生きる街として再び都心に集中してしまうことだって考えられる。繁華街、歓楽街が全体としてその必要性を失っていく時代において、歌舞伎町はその中でその使命を終えて失われていくのか、あるいはむしろスーパー繁華街として生き残っていくのかはまだ予想できないし、地球的な見地に立った場合にどちらが正解なのかはわからない面もある。ただ、必ずどちらかの道をたどるであろう中で、歌舞伎町という街に身を置き、この街の多くの人たちとかかわるなかで目指すべき道は後者であるのは間違いないが。前者と後者の道を決めるのが、おそらく24時間特区の実現の可否であると感じている。

◆2008年の迷惑行為等撲滅活動のパトロールは1月11日より開始。これより毎週3日程度継続的に実施予定。

昨年6月より、主にホストらのキャッチや風俗店等のスカウト行為、あるいはそれらに準ずるナンパと称した迷惑行為等を排除するためによくしよう委員会(片桐基次委員長)と歌舞伎町商店街振興組合らによって週3日、一日2時間程度にセントラルロードとコマ前で行ってきた自警パトロールは今年も1月11日からスタートした。昨年28日以来二週間ぶりのパトロールとあって、いつもの客引きやキャッチに出ているホスト連中に「久し振りじゃないですか~!」なんて逆に言われたりして・・・まぁ、我々もボランティアなもんで正月ぐらいゆっくり休ませて下さい。。。

ま、それはさておき、パトロールの緑のベストを着た者たちが街にでれば、自然とキャッチや客引きらが姿を消すという状態は維持できるようになってきた。パトロールを始めたころのような激しいやり取りも減り、また目に見えた効果を生みにくくなってきてはいるが、一方でパトロールが出てないときにはセントラルロード・コマ前だけでもまだまだ30~40名からのキャッチ・客引きが出ている。また、ここが一番重要なんだが、新宿駅東口駅前の改札から広場、アルタ前はかつての歌舞伎町よりももっと酷い状態になっている。ホストのキャッチ、AVのスカウト、居酒屋の客引きが100人を超えて駅前広場なんかを占拠し続けている。これをどうするか。。歌舞伎町を守りながら駅前に出るとなると、やはりもう10人程度は自警パトロールにマンパワーがほしい。新宿警察署がいくらアナウンス効果があるからと言って歌舞伎町対策にばかりモチベーションをあげるのではなく、もう少し駅前の状況を認識して対策を打ってくれたらなぁと思う。まだまだ課題は多いこのパトロールであるが、こういった状態をなんとか改善し、本来の目的である「来街者に対するおもてなし」、つまり歌舞伎町コンシェルジュともいうような街案内的なもう少しソフトな路線に迎えるような状況を作り出せたらと思っている。

◆1月12日(土)新宿消防団始式より 於:損保ジャパン2F

野原英司新宿消防署長と木村順一新宿消防団長

1月12日(土)は損保ジャパン2F大ホールにて朝10時より新宿消防団始式。現在、新宿消防団は歌舞伎町商店街振興組合の副理事長でもある木村順一氏が団長を務めている。消防団というと、消防が駆け付ける前に初期消火にあたるなど民間地域防災の核というイメージではあるが、実際のところ、都内の火災現場においては消防団よりも消防のほうが圧倒的に到着が早い。地方・過疎地などにおいては消防が現場に到着できない様々な状況に対して民間の消防団が日常的に必要とされるに対し、都心における民間の消防団に求められる役割はむしろ日常的なそういったことではなく、おもに震災等緊急の大規模な災害対応にあるといってもいいかもしれない。つまり、消防が建物や道路崩壊によって現場にたどりつけない状況、火災が同時多発的に起きた場合の消化活動のオペレーションの一部として機能という側面が強いように思われる。とくに、東海地震や南関東直下型の地震が徐々に切迫した状況に向かっている中で、減災社会をうたう現代の防災施策にあってはよく訓練された民間消防団の重要度はさらに高まってきている。だが、にも関わらず、東京都内における消防団は現在2,000名の欠員という状況にある。原因は消防団のPR不足(都議会決議で平成20年度は広告予算が増額になったようではある)、そして地域ごとに古くからその町にいる人達とニューカマーなものたちとの間のコミュニケーション不足、それに付随して一部町会などとの連続性による政治活動や集票構造的な部分への嫌気みたいなものもあるような気がする。それでも、まぁ新宿消防団あたりは今年も20余名の新入団員がいたりと善戦している気はするが。1月25日(金)には、「駅周辺者対策訓練」として新宿駅周辺で大規模な避難訓練が行われる。主として、世界一の滞留人口をもつターミナル駅である新宿駅とその周辺における滞留者対策を実践で訓練するということになっている。(記事最下部に記載)

野原英司新宿消防署長
「新宿消防団は、消防団令により昭和22年12月に新宿区条例によって設置され、以来、地域防災の担い手として、輝かしい伝統を継承しながら60年の記念すべき一年を迎えたわけです。新宿消防署管内における昨年の火災状況でございますが、火災件数は162件で、一昨年と比較しまして17件減少したものの、特筆すべき災害として大型物販店の火災をはじめとして新宿歌舞伎町雑居ビル火災などが発生しています。未だ、新宿消防署管内は火災などのさまざまな災害・危険が内在しており、加えて東京直下地震の発生も大変憂慮されるところです。こうしたなかにありまして、区民の皆様から消防団の活動に寄せる期待は益々高まってきています。申し上げるまでもなく、都民の安全、地域の安全は私たちにとって最も基本的な生活の基盤であります。各種災害から区民の生命・財産を守る出動組織として消防署と消防団がその役割の中心を担い、強い絆のもと、一層連携を深め区民生活の安全確保に全力で取り組んでいくことが新宿区民の信頼に付託されるものと考えます。新宿消防署といたしましても、震災対策、火災予防対策などを強力に推進することはもとより、消防団等との強固な連携により災害に強いまちづくりに最大の努力を傑出してまいります。」

以下、来賓等挨拶

中山弘子新宿区長(写真は、新宿消防団始式にて新宿区長賞を表彰する中山区長)
「皆様には、昼夜を分かたずの消防活動や、各種警戒・防火・防災思想の普及啓発活動など街の安全・安心と地域の皆様がたの生命・財産を守るため、献身的にご尽力いただいております。ここに、区民を代表いたしまして深く感謝を申しますとともに敬意を表する次第であります。
さて、昨年は3月には能登半島地震、7月には新潟県中越沖地震と最大震度6強を記録する地震が相次いで発生し、大きな被害が発生しました。また、東海地震、南関東地域直下型地震等の大規模な地震の切迫性が指摘されています。この東京・新宿にもいつ大地震が来てもおかしくないと言われております。かけがえのない命を地震から守るために、建物の耐震化や家具の転倒防止を図るなどして地震に備えるとともに、区民一人一人の防災行動力を高めていくための普及啓発活動が大変重要です。新宿区では、災害に強い、逃げないですむ安心・安全なまちづくり、災害に強い体制づくりを区政の最重要課題と位置づけて、防災対策に全力で取り組んでおります。消防署等関係機関との緊密な連携のもと、災害が人々に与える損害を可能な限り小さくできるように減災社会を築き、安心して生活できる安全なまちづくりの実現を目指して、引き続き皆様のご協力を心からお願い申し上げます。」(中山区長)

安井潤一郎衆議院議員
「先の総選挙で衆議院議員にさせていただき、一番最初に入れていただいた議員連盟が消防議員連盟です。昨年末、御覧のようなハッピができまして、今日実は私にとりましてはこれが着始め式であります。是非ご地元の皆様には見ていただきたいと思って、似合うか似合わないかは別にしまして着てまいりました。このハッピに込められた思い、地域の安全・安心、そして皆さん方のご意向を形にすべく、与謝野先生のご指導を受けながら今年も一生懸命議員活動を続けさせていただきますことを御誓い申し上げ、新年の挨拶とさせていただきます。」

新宿消防団員募集!!
火災のみでなく、阪神淡路大震災のような広域災害で、消防団はその能力が発揮されてきました。新宿消防団では、地域の防災リーダーとして、その役割を期待しています。消防団の入団資格などについては、次に示すとおりです。

1 入団資格
 (1) 年齢が18歳以上の男女
 (2) 心身とも健康な方
 (3) 新宿消防団の区域(新宿消防署の区域)に住むか、仕事をしている方、学生も可。

2 入団後について
 (1) 入団後は研修ののち、訓練、防火啓発活動などに参加していただきます。
   また災害発生時には消防隊とともに災害活動に従事することになります。
 (2) 被服の貸与
   消防団活動に必要な制服などは貸与されます。
 (3) 公務災害補償
   消防団活動中、ケガをした場合には保障制度があります。
 (4) 報酬支給
   年間一定額が報酬として支給され、災害や訓練に出場した場合にも手当てが支給されます。

その他、詳細については下記までお問い合わせください。
随時募集中です!!!!!

新宿消防団本部 (新宿消防署内)
電話 03(3371)0119 内線320


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◆1月25日、全国初となる駅周辺滞留者対策訓練を新宿駅周辺で実施【告知】

東京都の重点事業である駅周辺滞留者対策として、全国で初めてとなるターミナル駅(新宿駅)周辺の事業者からなる協議会が中心となった駅周辺の混乱防止訓練を実施します。

1 実施目的
大地震が発生した場合、交通機関の停止により、主要ターミナル駅周辺は多くの滞留者で混乱するおそれがあるが、発災直後の行政機関の支援活動は、被災者の救命救助に重点を置かざるを得ない。
このため、地域が連携した共助に基づく駅周辺の混乱防止対策を考えておく必要があり、その具体化に資することを目的として、新宿駅周辺の事業者からなる協議会を中心に、地域特性に応じた駅周辺滞留者対策訓練を実施する。

2 訓練の内容
◆実施日時:1月25日(金)午前9時~12時30分
◆会場:新宿駅周辺(西口広場~新宿中央公園、東口広場~新宿御苑までの区域)
◆参加者数:約1,000名(予定)
◆想定地震:実施日の午前9時30分に、都内で震度6弱以上の地震が発生
        規模:M7.3、 震源地:東京湾北部、 深さ:30~50㎞、 風速:6m/秒
◆主な訓練:避難誘導訓練、災害情報受発信訓練
◆特徴:
 (1)駅周辺の事業者からなる協議会を中心として訓練を実施
  ⇒駅周辺の地域防災力が向上
 (2)地域特性を踏まえた混乱防止対策を構築
  ⇒例:災害時要援護者等の超高層ビル等への受入れ及び滞留者の広域避難場所への避難誘導
 (3)災害情報の受発信に多様な手段を活用
  ⇒都の防災ホームページ、大型ビジョン、防災無線、携帯電話等の有効性を検証
◆実施主体:新宿駅周辺滞留者対策訓練協議会

問合せ:新宿区危機管理課 電話03(5273)4119

「1月25日(金)午前9時30分、震源を東京湾北部深さ30~50kmとしたM7.3の南関東直下型の地震が発生」

当日の風速は6m/s、新宿区内の約90%が震度6弱という設定からこの避難訓練は実施される。アルタの大型ビジョンでは安否情報の呼びかけや交通機関の情報提供が行われる。新宿駅周辺は、広域避難場所(仮設トイレ、飲料水の提供、災害情報提供などが行われる)として東口側が新宿御苑(151,200人収容)と西口側に新宿中央公園(25,700人収容)がある。今回の訓練も、新宿駅東西の各要所から被災者をそれぞれの広域避難場所に誘導する。実際のケースで考えられる新宿駅周辺の被災滞留者は10万人に及ぶ可能性があるが、それをそのまま訓練に結びつけることはできないので、被災者として動員されたのは新宿区内の学生等約1,000人。歌舞伎町では新宿TOKYU MILANOに約100名、サブナード地下街に約100名がキャストされ、ここからそれぞれ避難誘導ルート確認・被害状況の確認・従業員安否確認などをしながら滞留者をステーションスクエア前を経て新宿御苑まで誘導する。なお、現地対策本部はモア4番街に仮設置され、ここを拠点に情報収集や発信が行われることになっている。

国・東京都等の指針としては、首都直下型の南関東地震の切迫度については30年以内に70%の確率という想定がある(これについては諸所の学説があるが)。公表されている数字として、新宿駅周辺の被災時における滞留者は夕刻に約167,000人、うち帰宅困難者は約9万人という想定があり、数値上はこれを最大としている。ターミナル駅を中心とした被災時滞留者を対象とした広域訓練は日本で初めてのことであり、行政的にも大きなチャレンジである。訓練を無事成功させることよりも、新宿駅という世界最大のターミナルを持つこのエリアで、実際の状況とは相当規模が異なるものの、一つの被災シナリオを想定して広域避難訓練を実施することによって現実の被災・避難プロセスに当事者として対応する駅周辺事業者・振興組合・町会および行政がどう機能できるのかを検証し、机上ではつかめない問題点を洗い出し、これを地域当事者が共有し対策を行い「その時」に備えられるようにするというのが今回の訓練の本来的な目的と言える。


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歌舞伎町につぎ込まれる道路特定財源~ガソリン税が消えている~について [その他]

“歌舞伎町の呼び込みにガソリン税が消えている”-余っているなら国民に返せ-

そんなタイトル記事が2月6日付の日刊ゲンダイに載っていたもので、つい手に取ってしまった・・記事によると、「現在、新宿区が中心となって『歌舞伎町ルネッサンス』なる街のクリーン化事業を進めているが、この予算にも、実はガソリン税が一部紛れ込んでいる。言うまでもないが、ガソリン税は道路整備を目的として、全国のドライバーからかき集めた血税だ。何故歌舞伎町に消えるのか?こんな奇怪な構図を許しているのが『まちづくり交付金』、2004年度に国交省が三位一体改革のドサクサで創設したバラマキ制度だ。~(中略)~「市区町村が都市再生計画をまとめれば、全事業費の40%の交付金が降ってくるオイシイ仕組みで、06年度から歌舞伎町ルネッサンスにも計1億円が与えられています」(国交省事情通)~(中略)~「新宿区は元フーゾクビルへのテナント誘致(総額500万円)、まちづくりガイドラインの作成(1,000万)などにジャブジャブ交付金をつぎ込んでいます。09年度には歌舞伎町内の5箇所に案内板(計500万円)を設置する予定です」(関係者)・・・とある。

歌舞伎町のまちづくりにおいて、行政関与の物件に関してはたしかによく耳にするこのまちづくり交付金という言葉、その財源はこの記事によるとガソリン税の一部が紛れ込んでいるということのようだ。まぁ、それはさておき、確かにまちづくりの主たる目的は「公共空間の再生」にある。そもそも公共空間(道路や広場、公園など)の維持管理はこれまで行政が行ってきた。これに対し、国家の財政基盤が脆弱になってきた今日、国(行政)はイニシャルコストは出せたとしても維持管理費はもはや面倒見切れない。そこで、その部分をいわゆる官民協働という名目によって民間に委託、そしてその財源を行政ではなく自主的に確保できるようにということで公共空間利用に対する規制緩和を進める。たとえばオープンカフェ事業、あるいは屋外広告物や公共空間(建物)そのもののネーミングライツといった規制緩和を与え、これを民間による公共空間維持のための財源とするという考え方にある。したがって、所管官庁は国交省、そして内閣官房地域活性化事務局なども国交省からの出向職員が多いのは自然かな。そして、ここで広義の“まちづくり”という意味で、まちづくりという言葉が冠するあらゆる事業に対して国交省が所管するまちづくり交付金が充てられてきた。

さて、新宿区における歌舞伎町対策費の中で最近のまちづくり交付金が対象としてきた事業は以下の通り。

  • 2006年度まちづくり事業コンサルタント費用525万円→随意契約でアフタヌーンソサエティ
  • 2006年度、誘導方針案策定525万円→随意契約で都市環境研究所
  • 2007年度、TMO設立準備、誘導方針策定約1,000万→随意契約で都市環境研究所→孫請け日本政策投資銀行系コンサル、アフタヌーンソサエティ
  • 2007年度花道通り歩道拡幅車道狭隘化事業約1億2,000万円(国庫補助は1,300万)

これ以外に、ほぼ毎年歌舞伎町対策費としてかかってきたのが放置自転車対策費(約3,700万)と路上清掃・不法看板撤去等費用(約4,000万)。合わせて約7,700万からこちらは入札によって事業者が決定しているが、現実は孫請けは毎年同じ事業者になっている。ちなみに、孫請け会社は歌舞伎町だけではなく新宿駅周辺全域を請け負っている。額は約6,300万程度。

簡単に言うと、2004年以降ソフト面でいえば毎年歌舞伎町対策費の中で概ね約1,000万は区が指定したコンサルタント業者に流れてきた。ここでひとつ断わっておくが、歌舞伎町まちづくりの広報誌として発行してきた「フリーペーパー歌舞伎町るねっさんす」は区からの支援は一切一円も受けていない。「民間が自らやっている事業」として区長もあちらこちらで歌舞伎町の話をするときに自慢げにはなしてきたが、で、この事業を自分がやってたわけだ。なお、この「歌舞伎町るねっさんすBlog」はあくまで個人としての街づくりに関する発信、情報共有の場としてのボランティアである。

つぎに、これまでのコンサルタントの対する行政予算の委託発注先は、すべて随意契約。なおかつ、どこに発注するかは地域への相談は一切なかった。

さて、では2008年以降についてはどうなるか。

2008年(以降含めて)の歌舞伎町対策費予算額(推定)~2008年以降2011年までに約5億円が歌舞伎町に投入~

予算に関しては、ここ数日が区議会における委員会説明の最中かと思われるので、正確な情報は後日新宿区のホームページにアップされると思うが、漏れ聞いていることを書いておく。

  • 2008年度歌舞伎町タウンマネジメント組織支援が約7,000万(うち事務局費用が3,500万、人件費含む)
  • 2008年度大久保公園活用事例研究が約500万
  • 2009年から2011年まで歌舞伎町タウンマネジメント組織支援は毎年約7,000万
  • 2009年、大久保公園改修予算が約5,000万

歌舞伎町タウンマネジメント組織の支援予算に対し、人件費とは事務局長およびアルバイトの2名、うち事務局長は元東京都職員を行政が決定済み(天下り?)。コンサルタント費用はタウンマネジメント組織支援予算に含まれていると思われる。そのほか、歌舞伎町タウンマネジメント組織の事業としては新宿区が決定した事項として以下の事業がある。

平成20年度歌舞伎町タウン・マネージメント事業計画案一覧

◆情報発信事業

  1. 目的:まちの安全・安心、歌舞伎町の魅力であるエンターティメント(映画・演劇、ファション、音楽、観光、芸術、多文化共生、飲食)を情報として発信することによって、歌舞伎町のイメージアップを図り、来街のきっかけづくりを目的とする。
  2. 発信のメインターゲット:①エンターティメントに関心が高いといわれている30歳前後の女性②エンターティメント性が高かった時代の歌舞伎町を知っている団塊の世代③新たな顧客層となるファミリー層
  3. 発信する媒体:ホームページによる電子媒体、インフォメーションセンターによる人的媒体、タウン誌による活字媒体を連動し効果的な情報発信を行う。①ホームページ(7月開設予定)②インフォメーションセンター(フラット新宿2F)③タウン誌(A4版4Pフルカラー年3回発行)
  4. 発信する内容の事例としては①イベントガイド・・・公共空間・集客施設・TMO企画などのイベントを紹介。前宣伝のためにスケジュールやイベント内容のあらましを発表する。視聴者の感想や批評を紹介する。特にインフォメーションセンターでは前売り券販売を行う。②まちの紹介・・・歌舞伎町のイメージアップに寄与する店舗・企画・人物を紹介。グルメ・アミューズメント・ショッピング・バリアフリーなど目的別のイラストマップを提示する。年代別、性別、グループ別等の「まちの歩き方」を例示する。歌舞伎町のイメージアップに特に寄与する業種や店舗の歌舞伎町への参入を特集で紹介する。歌舞伎町内の文化・芸術活動者・飲食店舗従業員の中で次世代のホープを特集で紹介する。歌舞伎町内のボランティア活動を特集で紹介する。③まちのデータ・・・映画館、劇場、ホテル、②の店舗の詳細データ及び雑誌等に掲載された記事を提供。喫煙の可否など目的別に検索できるようにし、新たな来街者を開拓できるデータを提供する。特にインフォメーションセンターでは歌舞伎町関連の雑誌、小説などを設置する。④そのほか ホームページの作成は専門業者に委託する。ホームページ、タウン誌の編集者(ボランティア)を募集している。媒体及びデータの管理運営は事務局が行う。

◆安全・安心事業:歌舞伎町地区内一斉路上清掃の実施、歌舞伎町地区内一斉パトロールの実施

◆地域活性化事業:シネシティ広場の運営(歌舞伎町内の公共空間活用事業、オープンカフェ事業など)

◆まちづくり事業:事業者誘致活動、まちづくり研究活動

上記各事業についてであるが、情報発信事業(ホームページ作成、タウン誌制作)はすでに随意契約にて区からの発注先は決定済みとか。ふらっと新宿(障害者就労福祉センター)出入り関連とか。まちづくり事業というのは、いわばこれまでの誘導方針やTMO設立準備の際のコンサルタントと同様、つまりコンサル費。

-歌舞伎町タウンマネジメント組織構成-

□商店街・町会等

歌舞伎町商店街振興組合(4名以内)
歌舞伎町二丁目町会(4名以内)
歌舞伎町二丁目商興会(1名以内)
西武新宿北口商和会(1名以内)
新宿マンモス通り商栄会(1名以内)
新宿三光商店街振興組合(1名以内)
新宿ゴールデン街商業組合(1名以内)
花園街商業協同組合(1名以内)

□事業者等

株式会社東急レクリエーション(1名以内)
東宝株式会社(1名以内)
株式会社ヒューマックス(1名以内)
東亜興業株式会社(1名以内)
株式会社ハイジア(1名以内)
新宿地下駐車場株式会社(1名以内)
株式会社コマ・スタジアム(1名以内)

□喜兵衛プロジェクト誘致企業から推薦された者(3名以内)
吉本興業株式会社
株式会社新宿放送局(喜兵衛第1号)
新宿区障害者就労福祉センター(喜兵衛第3号)

□関係機関

新宿警察署(交通課・生活安全課・組織犯罪対策課)、四谷警察署(交通課・生活安全課)、新宿消防署(予防課)、四谷消防署(予防課)、新宿区(歌舞伎町対策関係各課)

□そのほか、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会から推薦された者(若干名)、新宿区長が推薦する有識者

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これら、すべてまちづくり交付金の対象事業と考えれば、2008年から11年にかけて約5億、国庫からの補助は約2億ということになる。ここに駐輪対策費や清掃事業費などは含まれていないが、それでもゲンダイ風に書くと「国民の血税(ガソリン税)がまだあと2億も歌舞伎町につぎこまれる!」ってことになるわけだ。

さて、これら歌舞伎町まちづくりに関する予算決定に関する決定までの経緯はどうなのか。

2004年から2007年にかけ、歌舞伎町ルネッサンスの活動の中で、特にコンサル費の部分(年間1,000万)についてはこのブログでも何度もたたいてきたが、まったく機能していない上に、そもそも地域民間からは一切要求もしてないし、行政が勝手につけた予算だった。ただ、それに並行して行われている道路等の整備事業費(2007年度花道通り歩道拡幅1億2,000万)以外の2008年以降の大久保公園に関する活用事例研究(500万)と2009年度の回収費用5,000万はそもそも2006年の時点ですでに新宿区歌舞伎町対策の中で決定済み、且つ国にも申請・決定済みということで現在の歌舞伎町対策平井課長の前の時代のことなので現在の担当に責任を問う話というわけにはいかないところがあるが、前任者時代に実はかなりもめた案件でもある。簡単に言うと、前任課長が地域への説明なく地元建設系区議(自民党)と決定し、地域の合意があるものとして申請・認可、その後、後任の現課長になってから後始末に奔走していたという経緯はある。

さて、2008年以降の5億の決定経緯なのだが。。。。。

地元商店街振興組合の事務局長である城克氏にこの話を聞いた。「タウン・マネジメント組織に関する7,000万の予算の話は聞いている。しかし、その組織の事務局長がまったく街から見て誰も知らない東京都からの職員になったなんてのは相談もなかった。また、この予算の使い道に関しては、区のほうから相談は一切ない。すべて決定済みということで聞いている。こちらから議論を持ちかけても区はまったく聞く耳を持たない。」という。

歌舞伎町商店街振興組合の片桐基次氏(副理事長)は、「金額のことも一切聞かされてないし、第一相談もない。それ以前に、このお金、なにか意味があるのか?街にとってのメリットはまったく無いんじゃないか。」という。

これらの決定経緯について、喜兵衛プロジェクト(新村雅彦氏座長、現在入院中)がタウン・マネジメント組織準備会としてやってきたのだが、実は自分はこの半年ほど前から完全に区(歌舞伎町対策担当)からスポイルされている関係で直接的な情報はほとんどない。まぁ、「てらたにはうるさいからはずそう。」ってことでヤられた感じだが^^;まぁ、それはともかく、出席者からの情報は集まるのでいいとして。出席者らからの話によると、このタウン・マネジメント組織の準備会議は月に1・2回ペースで1時間程度行われているようだ。会議は、歌舞伎町対策の平井課長が資料説明を約30~40分かけて行い、その後発言者はだいたいしぼられていて、歌舞伎町2丁目町会に席を置く下村治夫区議が行政の後押し的な発言、そしてその後に歌舞伎町商店街振興組合副理事長の片桐氏が発言、城氏が出席していれば発言、その程度だという。他に発言者はほとんどいない。そして、その中で、常に片桐氏、城氏が一環して言ってきたことは「歌舞伎町のみんな(業種を問わず、風俗業者、ホスト、カラオケ、あるいはそのほかの人たちで積極的に今のまちづくりにかかわっているものたち)でまちづくりをやっていける構造にならない限り、行政と街は一緒にまちづくりはできない。」というもの。片桐氏は、これまで歌舞伎町地域活性化プロジェクトの座長であったが、この地域活性化プロジェクトは現実的にはよくしよう委員会と実質同体であった。これまで歌舞伎町のまちづくりを引っ張ってきたよくしよう委員会を街づくりの中で容認されない限り、行政が進めるタウン・マネージメント組織に対し、歌舞伎町商店街はそれに参加できない、という意思を示してきた。また、これについての理論説明は、これまで自分がこのブログ上で何度も書いてきたとおり。

さて、その中で、結局まったくコンセンサスがない、はっきり言えば地元が全く要求もしてないし、必要ともしてない5億円を2008年以降新宿区は予算計上しているということになる。これはいったいどういうことなのか。。。。

「歌舞伎町(民間)は、そもそも歌舞伎町対策費の5億円なんて求めていない」

いったい、何のための5億なのか。誰がこれで肥え太るのか。そして、そもそも予算付けするメリットはどこにあるのか?先日ある区議会議員(自民ではないが)とこの話をした時に、「私たちがこれに質問をなげることはできる。でも、決まったことは(口を濁して)・・区議には変えられない。」つまり、区議会のチェック機能が果たせず、行政は民意を無視して好き勝手に予算を決められるということらしい。じゃぁ、区議会なんて最初からいらないじゃん・・^^;

実は、この話、そしてその予算を使って行政が歌舞伎町でやろうとしていることについて、新宿区に出入りする業者からこんなことを言われた。「だって、何のメリットがないとしても、邪魔にもならないでしょ?だったら区が勝手にやるって言ってるんだからほっとけばいいんじゃん。」と。実は、町場の議論でもたびたびこんな話は出てくる。新宿区が歌舞伎町でやろうとしていることは、今までの民間主導のまちづくりから見ても、あるいは地域のPRという視点から見ても特にディメリットは無い。ただ、「5億なのかどうかは別として、意味のないお金の使い方だ。」(片桐氏)

問題はそこだと思う。表題にあるとおり、歌舞伎町につぎ込まれる道路特定財源~ガソリン税が消えている~」、まさに国民の血税がめぐりめぐって行政が私物化し、これを好き勝手に予算を決めて地域の邪魔にならない程度に自由に無駄遣いをしている。それも何億という金をだ。歌舞伎町という地域の利益にプライオリティを置く中で、そもそも行政がやることが無駄であろうとなかろうと、少なくとも邪魔になるもんじゃないからいいや、でそのままスルーしていくことはちょっと正義とは言えない。

実は、新宿区は最近非常に財政状態がいいという。一昨年だったか、区の貯金が440億、区債も同じくらい(400億程度)と聞いていたが、その後人口も増え税収もアップし、さらに新宿区の財政状況は良好だという。今年度の予算編成で、つまり区の財政に余裕がある分、各部各課がそれを食い物のように群がって予算を奪い合っているとか。財政課長も大変です~とか言いながら毎日ニコニコしているとか。

だが、そもそも国の財政が借金だらけで、だからこそ行政の無駄遣いをなんとかしようと国が必至になっているのに、新宿区はどういうことなんだろうか。もし、そんなに無駄遣いをしているんであれば、それこそ減税でもなんでもしろよと。歌舞伎町対策ひとつとったって、5億円分減税したら、それこそどれだけ地域活性化に結びつくか。。。

中山弘子新宿区長は、いつも「街のひとたちを真ん中において」と事あるごとに言ってくれる。街の人たちは、区長の笑顔に「ああ、自分たちを真ん中において頑張ってくれてるんだ。」とつい信じてしまう。仮に、新宿区でもいいし、東京とか日本という視点からでもいい、歌舞伎町を歌舞伎町じゃなくしたいとかって言うのなら、仮にそれが筋の通るコンセンサスのある施策であるというのならそれだって正義ではあるかもしれない。だが、少なくとも「街の人たちを真ん中において」と言うんならちゃんとそうするべきだし、もし仮にそうじゃないんなら「街の人たちを真ん中には置けません。あくまで新宿のためにやってる。」とはっきり言えばいい。もっともそうしたら歌舞伎町は戦うだろうし、自分にしたって歌舞伎町に愛する友人や仲間たち、そしてこれまで自分を支えてくれてきた人たちがいる以上たとえ信頼してくれてきた区長が相手であろうと、やっぱり真っ向から戦うしかない。

中山区長と接してきたなかで、しかし実は区長は本気で街の人たちを中心にと思っていると自分は思える。言ってみれば、中山弘子を信じられる一方で行政構造そのものに対する不信が強まってきているのが実態だ。そして、行政が現場でやっていることは、少なくともこんな状況なのだ。自分としても、ルネッサンス推進協議会や今回のタウン・マネジメント組織の形そのものは素晴らしいものだし、仮に機能すればいいまちづくりができる土壌はある。だが、それは形だけの話、やはり「人」なんだよね。。このまま歌舞伎町対策を新宿区が主導でやったとしても、区の関わっている部分はどれもうまくはいかないだろう。その時、悪者は誰ですか?たぶん中山区長ってことになる。区長一人が悪者になって、職員はみな誰も責任取らず。でも、職員(担当と言ったほうがいいか)はそれでもいいと思ってるんじゃないですか?

会議に参加されている民間の人達にも問題はある。さんざん文句は言うにしても何の証拠も残していない。議事録もない。そんな状態で文句言ったって伏魔殿の行政と戦うのは難しい。会議に参加することで、すなわち同意したものとしてアリバイに利用されているってことに民間も気づくべきだし、区長も、そろそろこの状況を気づいてもいいんじゃないかな。


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歌舞伎町、区役所通りに面してベストウェスタン新宿アスティナホテル東京が完成 3月23日(日)より開業 [その他]

平成18年6月より歌舞伎町・区役所通りに面した300坪の土地で工事が行われてきた「ベストウェスタン新宿アスティナホテル東京」が完成、3月23日(日)より開業する。

DSC01231.JPG ベストウェスタンマップ.jpg

ベストウェスタンロゴ.jpg

区役所通りに面したこの約300坪は権利関係が複雑で長く開発が遅れていたが、これを新生銀行がとりまとめ後に株式会社みかげ都市開発(影山勉社長、本社大阪市)が取得、土地取得費を除く総工費は約30億(推定、施工は福田組)でこの3月に完成、3月23日(日)より「ベストウェスタン新宿アスティナホテル東京」として開業する。ベストウェスタンホテルチェーンは世界約80カ国に4100のホテルを展開する世界最大級のホテルチェーンで、今回の新宿アスティナホテル東京はベストウェスタンチェーンとして都心部初の出店となる。株式会社みかげ都市開発とベストウェスタンホテルチェーンとはマスターライセンス契約を結んでおり、いわばみかげ側からベストウェスタン側にフランチャイズ料を支払う契約になっている。

DSC01178.JPG DSC01153.JPGホテルは3Fをフロントロビーとし、客室は4Fより14Fの最上階まで計206室。4~10Fまでをスタンダードフロアーとしてシングル(17㎡)からツインA/B/C(21㎡~32㎡)一泊20,000円~28,000円、ビジネスフロアーが11・12F(シングル・ダブル、ツインA/B)で一泊21,000円から27,000円、13・14Fはエグゼクティブフロアー(ダブルA/B、ツインA/B/C/D/E 21㎡~46㎡)で27,000円から45,000円(宿泊料金に朝食代含む)。ホテル施設としては3Fにレストラン「ステラ」(65席、営業時間7:00~26:00)ほかカフェコーナーを併設したコンビニエンスストアLOWSONを1Fにテナントとして入れている。なお、B1と2Fにも飲食店などをテナントとして入居させていく予定。

DSC01155.JPG14Fのエイグゼクティブツイン(Dタイプ)38㎡、一泊38,000円

DSC01109.JPG DSC01162.JPG←左:ビジネスダブル一泊25,000円、右:ビジネスシングル一泊21,000円。広さは同じ17㎡、▼ダブルタイプにはバス設備にシャワースペースが付いていてその分部屋部分の広さが若干異なる(シングルのほうが若干広い。ベッドサイズはほとんど同じなのでシングルの方が使いやすい感じはした)

DSC01105.JPG DSC01148.JPG←左、ダブルタイプのバス設備はシャワースペース付き。←右、室内にある液晶テレビはBS・地デジほかVODを見れる。CNNは無料視聴、モニターの説明やホテル内の案内は日本語・英語のほか中国語・韓国語による画面も。そのほか全室内に無線LAN、セーフティボックス完備。客室については禁煙・喫煙フロアが分かれており、奇数階が禁煙、偶数階は喫煙可能フロアとなっている。

DSC01216.JPG3Fレストラン「ステラ」65席、全面と天井がガラス張りで非常に明るい雰囲気。歌舞伎町の景色を楽しみながら食事ができる。▼朝食は和洋バイキングスタイル(1,500円)、ほかにランチ、ディナータイムあり。

DSC01203.JPG DSC01208.JPG

なお、3月23日より4月30日までの間、ベストウェスタン新宿アスティナホテル東京では開業記念特別プランとして宿泊料金半額(50%オフ)キャンペーンを実施中。▼12Fの室内から見下ろす新宿ゴールデン街の夜景。

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▲4月1日より旧四谷第五小学校跡に吉本興業東京本部、よしもとクリエイティブカレッジが開業予定。

DSC01308.JPG DSC01334.JPG改装工事は概ね終了している。校庭には芝がひかれた。夏ごろになれば緑が眩しい生き生きした空間になるだろう。吉本興業としては1F部分を地域とのコミュニケーションの場としての共有スペースとして活用することを目指しているようだ。2Fには吉本興業東京本部ほかファンダンゴ・アール・アンド・シー、及びアドミニストレーション、3Fはクリエイティブ・エージェンシーが入居予定。

DSC01321.JPG旧四五小の東側には隣接して新宿区の第二分庁舎があるが、明治通りに面するその正面には副都心線の新宿3丁目駅の一番北の出口ができる(▲写真左端、現在工事中)。また、この地下鉄駅入口部より吉本の東京本部、ゴールデン街までダイレクトに通り抜けのできる歩行者用通路現在工事中。

区役所通りにベストウェスタン新宿アスティナホテル東京が3月23日オープン、間もなく4月1日には旧四谷第五小学校跡に吉本興業東京本部が神保町より移転、およびよしもとクリエイティブカレッジが開校を予定している。この旧四谷第五小の明治通りがわに地下鉄副都心線(今年6月14日開通予定)の新宿3丁目駅への入口ができるということもあって、にわかに歌舞伎町の区役所通りから東側の活性化が期待されている。平成20年末ころには歌舞伎町の中心だった新宿コマ劇場が閉館を予定している(再開発のため、建て替え計画詳細は未定。2013~16年あたりまでに完成と推測)関係で、歌舞伎町の中心部への来街者数が減っていくことが予想され、その分区役所通り周辺への来街者導入促進が期待されている。

新宿コマ劇場(東宝会館を含む)を皮切りに、新宿TOKYU MILANOや西武新宿駅側の再整備なども動き始める可能性を考え、歌舞伎町は一体的に不動産所有が流動的になってきている。若干バブルな見方もされているが、建物の収益性が伸び悩んでいるにもかかわらず不動産売買は高値で取引されており、今後こういった傾向はビル経営圧迫を招きかねない。今が高値と見る地権者も多く、多数のビルを所有する企業の不採算物件の処理からはじまって一部国内系ファンドの回収などが進んでいる。一方で、相変わらず外資系ファンドの歌舞伎町への流入は少ない。このブログでも過去にグリーンプラザ(足立興業)や旧明星56ビル跡地などへの外資獲得・関与の記事を書いたことがあるが、いわゆる更地や空きビルには興味は示すものの、「風俗テナントの入る建物に対して外資系ファンドが手を出すことはまずほとんどありえない。」(国内ファンド系関係者)。いずれにせよ、まちづくりにかかわる側にはこういった資本の流入に目を配りつつ、もうひとつはどういった資本が入ってきているのかは見定めていく必要がある。と言っても、資本に白も黒もなく、基本的にどんな資本も突き詰めれば所詮グレーな日本、資本の出所を見極めるのもある程度必要ではあるが、同時に地域の監視能力を増していくということに重点をおいていきたいと考えている。


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4月1日(火)東京都・改正迷惑防止条例施行-警視庁生活安全特捜隊、都内で5件5人を逮捕- [その他]

平成19年12月19日(水)第四回東京都議会定例会において可決・成立した、「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」(いわゆる「迷惑防止条例」)の一部を改正する条例、「性風俗営業等に係る不当な勧誘、料金の取立て等及び性関連禁止営業への場所の提供の規制に関する条例」(いわゆる「ぼったくり防止条例」)の一部を改正する条例が、4月1日(火)より施行された。

・「迷惑防止条例」の一部改正
(1)  「立ちふさがり」、「つきまとい」の方法による執ような客引き行為の規制(現行規定に追加)
(2)  公共の場所におけるキャバクラ等に係るスカウト行為の規制(新設)
(3)  公共の場所における執ようなスカウト行為の規制(新設)
  ※(1)~(3) 罰則~8条4項5号(50万円以下の罰金又は拘留若しくは科料)

・「ぼったくり防止条例」の一部改正
(1)  勧誘行為(上記1の(2)及び(3)のスカウト行為を含む。)を委託する場合の性風俗営業等を営む者の指導義務
(2)  公安委員会による、性風俗営業等を営む者に対するスカウト行為に係る指示
(3)  公安委員会による、性風俗営業等を営む者に対するスカウト行為に係る営業停止処分
  ※ 行政処分~2条の4(6月を超えない範囲内での停止)
  ※ 罰則~11条2項(2条の4の規定による公安委員会の命令に違反した者は6月以下の懲役又は50万円以下の罰金)
(4)  不当なスカウト行為により勧誘された者の性風俗営業等における稼動の規制
  ※ 罰則~11条3項(50万円以下の罰金)

今回の改正は、一言でいえば公共空間におけるキャバクラ等風俗営業の仕事を斡旋するスカウト行為に関する規制が新たに加わった点があげられる。これまでも、衣服に触れたり前に立ちふさがる等執拗な勧誘行為は迷惑行為として違法とされていたが、今回はそもそも公共空間におけるキャバクラ等風俗営業に従事される目的でのスカウト行為が迷惑防止条例上における違法となり、またこれを委託した店舗や事業者については「ぼったくり条例」によって営業停止等を含む罰則となる。

さて、客引き・スカウト行為について、これまでは概ね被害者の告発がなくてはなかなか事件化されてはこなかった。したがって、非番の私服警察官をおとり的に使った(おとり捜査は違法ではあるが)摘発がほとんどであった。しかし、警視庁生活安全課の関係者曰く「今回は現認で逮捕する。」と言っていたこともあって、警視庁としてもかなり厳しく取り締まりを行うのではないか、という予想があった。

DSC01869.JPG3月31日夜、改正条例施行前。すでに私服の警官もまぎれていたようで、写真のセントラルロードに客引き・スカウトの姿はほぼ見つけられない状態だった。このあと歌舞伎町を一周し、道すがらたたずむスカウトや客引きらを見かけては「逮捕されないようにね。条例改正だよ。」と声をかけて回った。前にも書いたが、これまでこうして歌舞伎町で迷惑行為の排除活動を続けてきた自分らとしては、出来れば歌舞伎町から逮捕者の出ないようにしたいという思いもあった。

DSC01878.JPG改正都条例施行の瞬間、4月1日午前0時

DSC01876.JPGまず新宿駅東口駅前広場付近。ここにはいつもホストクラブやAV等のスカウトらが常に40~50名は溜まっていた場所。新宿で最もスカウト・ホストのキャッチが濃い場所だった。▲写真は改正条例施行の瞬間。まったくスカウトもキャッチも見かけない。▼直後の歌舞伎町、コマ前とタテハナビル前。ここも全くキャッチらがいない。

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DSC01891.JPG風林会館前の花道通り付近。ここは普段だと、やはりキャバクラなどのキャッチが多いが、そのほか中国・韓国クラブや違法エステなども引いている。ここの客引き連中は、たぶん歌舞伎町内では最も稼いでいる連中で、且つウマい。自分らからすれば敵側ではあるが、とにかく違法とはいえおとり捜査が検挙の多くを占めているということで私服警察官を見分ける目が凄い。まず、怪しいなと思うものには一切声をかけていない。また、まずいと思えば即座に風林会館の敷地内に入ってしまう。実際私有地内であれば警察もなかなか手は出しにくい。私服の警官もここはやりにくいのか素通りする姿をよく目にする。しかし、この日4月1日は、客引き連中もほとんど姿もなく、数人はいたが声をかけている様子はなかった。様子見といったところか。もっとも桜通り出口の花道のところにいつもいる違法エステの中国人女性キャッチ連中は懲りずに出てたので、「逮捕されるよ、店に戻れ。」と声をかけた。

朝の4時ごろまで歌舞伎町の深夜を巡回していたのだが、とくに際立った事件や摘発はなし。110番絡みで裏DVD屋に地域課の警察官が駆けつけていたくらいかな。新宿駅の方は私服、歌舞伎町内は制服の警察官が目立った夜ではあった。結局、この日の警視庁生活安全特捜隊は池袋でキャバクラのスカウトをしていた大学生(22)を深夜0時10分に逮捕というのが改正条例後の1号となったほか、新橋(愛宕署管内)で4名の風俗店客引きを逮捕ということで、都内で5件5名の逮捕となった。つまり、歌舞伎町からは逮捕者なしという情報。自分らにとっては、ある意味成果かなと、少し胸をなでおろす思いだった。

DSC01929.JPGさて、夜が明けて、4月1日の夜、再びいつもの迷惑行為等撲滅パトロールを行った。パトロールにはよくしよう委員会のメンバーが自分を含め6人、ホストクラブ協力会から約7人くらいが参加、いつものようにセントラルロードからコマ前、そのほか2班編成で西武駅前側と区役所通り側の巡回を行った。確かに昨夜未明とはいくらか空気も緩んだのか、キャッチやスカウトらの顔はけっこう見かけた。「今日はオフっす^^。」なんて言って立ち去っていく彼ら、私服(黒服ではない普段着)の者も多かった。改正条例施行後の警察の動きはまだよくわからないということもあって、多くの者が様子見といった感じ。エージェントやハーツといったスカウト大手、あとキャッチを出すホストクラブも多くが「あくまで個人のナンパだと通す」という方針と聞いてはいるが、とりあえずエイプリルフールというわけではないが、歌舞伎町から概ねキャッチ・スカウトの姿が消えた一日ではあった。

とは言っても、彼らはキャッチやスカウトをほとんどがただやっていないというだけで、現実にはそこにいて、我々や警察の目を潜っては勧誘行為を行おうと虎視眈眈としているのは明らかで、そういったことを考えると我々のパトロールもまだまだ継続的に続けていかなくてはいけないということなんだろう。

4月5日追記:都・改正迷惑防止条例施行後の初逮捕実名報道について

4月1日、0時10分、都・改正迷惑防止条例施行後の初逮捕は池袋のスカウトで、22歳の大学生だった。これについて一部報道では実名報道されていたことについて憤りを感じずにはいられない。そもそもそれほどの犯罪なのか?いかにも見せしめ感が強い。池袋のスカウトと言ったって、個人ではなくあくまでその上に雇い主がいてさらにそのケツがいるわけで、仮にその雇い主なりケツなりを捕えてこれを確信犯として実名報道するならともかく、アルバイトの学生、まだ22歳といえば子供じゃないか。。。それを、実名で報道し、ゆえにネット上にそれが残るわけで、彼の人生に対するリスクの大きさを考えれば、さてこのスカウト行為がどれほどの犯罪行為と言えるのか・・・。

確かにそれによる迷惑度、被害者の不快感はある程度はあるにせよ、まだ年端もいかない学生の身分。悪い大人に引き込まれたある意味被害者であるかもしれないじゃないかと。それを実名報道するマスコミ、そしてそうさせた警視庁のいかにもの「やった」的なPR。現実に凶悪犯罪や性犯罪などで社会監視上実名報道すべき事件がされないケースもあるのに、「たかが」スカウト行為程度で実名はないだろう。仮に自分が学生なら、ある意味仲間を血祭りにあげてさも小さな成果を大げさに発表するための生贄に使う「大人社会」に憎悪を抱く。犯罪以上にそれを取り締まる側のほうがもっと犯罪行為を犯していると感じる。そんなくだらない大人社会を見ては呆れ憎悪を持つ若い世代がこれから世に出ていく、そんな社会がそれ自身健全ともいえないし、腐っている。

だからこそ、歌舞伎町にも年端もいかない若者たちがホストなりスカウトなり多少はやっているにせよ、これを注意するなりお灸をすえるのはよしとしても、大人社会の実績アリバイづくり的な腐ったところの犠牲にはなってほしくない。歌舞伎町のスカウトやキャッチ諸君にはよく聞いてほしい。とにかく捕まるなと。そして捕まらないすべを身につけてほしい。軽微とは言え犯罪である以上、堂々とやるな。可能な限り、それこそ自分にも気付かれないようこそこそとやれと。そして、客を引くなりスカウトをするなり、そこにはそこの正義があるはず。その正義を貫いてほしい。立ちふさがり、後追いは持ってのほか。でも来街者に不快感を与えずニーズにかみ合うのならそれは来街者に対する要望に答えてという正義がある。歌舞伎町には歌舞伎町のルールとモラルを持ってほしい。


4月1日(火)吉本興業東京本部の入学式-旧四谷第五小学校

DSC01916.JPGこの4月1日、旧四谷第五小学校跡に吉本興業東京本部が入居、学校ということで入学式的な催し物があった。▲写真は吉本のお笑い芸人を囲んでのマスコミ各社の取材風景。改めて吉本興業のマスコミ動員力はすごいなと思った。

2008年4月1日、「歌舞伎町」は街誕生60年!

そうそう、そしてこの4月1日は歌舞伎町誕生60周年。(関連記事)前に書いたんでここでは省略しますが、近く商店街フラッグがこの60周年を含めてのデザインに刷新されます。近くお知らせします^^

バタバタとした一日で、あ・・そうだ、エイプリルフールじゃん。。。と思いだす。皆さんは今日、何か人を幸せにするような嘘をつきましたか?


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8月31日(日)グリーンバード歌舞伎町、おかげさまでチーム2周年! [その他]

2006年8月6日より杉山文野クンによって立ち上がったゴミ拾いのボランティア活動、グリーンバード歌舞伎町チーム(グリーンバード歌舞伎町チーム)が今年の8月に、チーム結成2周年を迎えた。8月31日の日曜日には、15時からここ最近まで継続してきたよしもととのコラボ清掃を行ったあと、グリーンバード歌舞伎町チームのキャプテン、手塚真輝クンの経営するホストクラブAPiTSを貸し切っての2周年パーティを開いた。

DSC00697.JPG歌舞伎町・大久保公園でこの8月31日までの間、よしもと興業はテレビ東京とコラボして「新宿7キャンプシアター」という屋外テント劇場による公演を行っていた。いかんせん諸事情により突貫的で始まった企画ということもあって、やや内容・クオリティ・マーケティングにも反省点や物足りないものもあったようだが、それ以上に宣伝ができていなかったために8月に入ってからはさすがにポテンシャルの高いよしもと、入場数は伸びてきたようだが前半はとにかく動員に苦労していた。「今回は急に決まったのでやむを得ない。授業料ですかね。」なんてよしもと関係者は言っていたが、歌舞伎町にしてみればとにかくよしもとがやってくれているのだがら応援しなくては、「じゃぁ、グリーンバードに参加してもらって、そこでその都度イベントの宣伝をしてもらったら?」というアイディアから始まったよしもと×グリーンバード歌舞伎町コラボ清掃。グリーンバードの参加者にとっても楽しみが増えるし、よしもとにとっても芸人さんにとっても多少なりともプロモーションになる、ということでキャプテンの手塚真輝クンとよしもとアドミニストレーションの林尚恒さんとの話し合い(というか勢いでじゃ、7月から毎週!って話になってしまった^^;)で7月よりスタート、手塚真輝クン曰く「誰だよ~!毎週なんて言ったのはっ・・・汗;」とブツブツ、決めたのはオマエだろ~と言われつつ、それでも2回ほど雨天で中止になったとはいえ、ほぼ毎週8月末までこのコラボ清掃は行われた。2周年記念のイベント清掃のこの日も「もっこすファイヤー」のりお・たく、「キャベツ確認中」しまぞう・キャプテン☆ざこ、「アホマイルド」の坂本・高橋の6名のお笑い芸人たちが参加。(写真は掃除前にシネシティ広場の舞台で芸を披露する芸人さんたち)

清掃のコースは定例の時は歌舞伎町一番街からセントラルロード、靖国通りを回ってさくら通り、区役所通り~歌舞伎町二丁目からコマ前まで戻ってゴミ分別というコースを通るのだが、日曜の昼にやる時は、集合場所の一番街から新宿駅方面に向かい、駅前広場から歩行者天国を行っている新宿通りを清掃し、マリオンがクレープ・アイス店舗を出しているモア4番街を経て歌舞伎町に戻るコースをとる。

DSC00746.JPG駅前広場にて、チームリーダーの杉山文野クン。昨年10月にイギリス・ケンブリッジに留学以来、おなべ一人旅で世界中を駆け回っている彼であるが、8月28日にこの2周年のために帰国。(写真は、グリーンバードの特製携帯灰皿を配っている様子)。もっとも彼の日本滞在は約1週間ほどで、今度はアジア(ネパール・インドなど)の旅に出るとか。

DSC00768.JPGよしもとの芸人をひきつれての林さん(よしもとアドミニストレーション)。

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昼の開催だと、また違った面々の参加も多い。この日は子供たちがイッパイ。

DSC00778.JPGモア4番街のマリオンのアイスクリームショップに引っかかった3人組み。まぁ、ただゴミを拾うだけではなく、こうしたことも楽しみの一つ。

DSC00783.JPGグリーンバードの代表ハセベケン氏、意外とマジメにゴミを拾ってたり。「現在グリーンバードは全国各地に16チームとなったけど、今年中には20チームを目指してます。

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真面目にゴミを拾うコもいれば、あれ?また引っかかってる・・今度はホストクラブの看板ですかww

DSC00805.JPGちょこちょこ顔を出してくれている杉山文野クンのお母様。杉山家あげてグリーンバード歌舞伎町チームを支えてくれています。ちなみに、杉山家は、一番街入口の杉山ビル、そしてとんかつ茶漬けで有名な「すずや」などを経営されてます。

DSC00807.JPGこの日、林さんらよしもとチームは新宿7キャンプシアターの後夜祭(公演最終日)のために途中ではけることに。文野クンと握手。

DSC00824.JPG今回の2周年記念掃除に参加してくれた61バード集合写真

DSC00835.JPG DSC00837.JPG写真は左からチームリーダーの砂押悠子、昨年文野クンが留学して以来歌舞伎町チームを引っ張ってきた。そして杉山姉弟、文野クンと草子ちゃん。手にしているのは、2周年記念として制作した歌舞伎町チームオリジナル扇子。この日参加した全員に配られました。

さて、そのあと17時からは2周年記念パーティ、場所はホストクラブAPiTS。

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ルカくんと冷えたシャンパンがお出迎え。

DSC00863.JPGGB歌舞伎町チームでは一番ゴミを拾うのがメイくん。普段はゴールデン街のブライアン・バーでバーテンをしている彼であるが、この日はAPiTSへ出張バーテンダーに。

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ホストクラブといえばシャンパンコール、乾杯~!

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DSC00978.JPGVIPルームは、なぜか(嘘です^^;仕込みですが)オナベバー状態に。これも歌舞伎町チームの特徴の一つ。文野クン自身がFTM(Famale to Male、体は女性であるが性自任は男性という性同一性障害)でそれをカミングアウトした本を出版(講談社刊「ダブルハッピネス」)していることもあって、同じようなFTMのコたちが集まってくる。この日は約10名ほど参加。セクシャル・マイノリティとは言うが、ここでは時に男1:女1:ハーフ1なんてこともあったり。ましてコミュニティがFTMだけというだけでなく、何がマイノリティで何がマジョリティなのかわけわからないくらい自然な形で形成されているというところにも大きな意味はあるようだ。

DSC00966.JPG歌舞伎町チーム2周年記念ケーキも^^

▼最後に、文野の留守にチームリーダーとして歌舞伎町チームを支えた悠子と、キャプテン手塚真輝クンに文野クンから感謝状を贈呈。

DSC00989.JPGチームリーダーの杉山文野クンと砂押悠子

感謝状
砂押ゆーこりん殿

あなたは歌舞伎町GBにおいて その麗しのナイスバディで人々を魅了し このGBきっての大所帯をまとめ上げてきました その功績はまさに歌舞伎町の女王と呼ぶのにふさわしいものです よって その功績に対し感謝の意を表します

平成二十年八月三十一日
歌舞伎町GBチームリーダー 杉山文野

DSC00905.JPGチーム・キャプテンの手塚真輝クン

感謝状
手塚真輝殿

あなたは歌舞伎町GBキャプテンとして道行くバードたちを危険から守り続けただけでなく 自ら率先してデキルカギリ以上にGBのピンクバード化に勤めました よってその功労に対しここに感謝の意を表します

平成二十年八月三十一日
歌舞伎町GB一同

▼歌舞伎町グリーンバードのここ1年の参加者数

歌舞伎町グリーンバード参加数20070819_20080831.jpg

データーは昨年の8月19日以降のもの。一昨年から1周年までの参加者数は905名(関連記事)、若干回数やイベントなどの関係で数字の動きはあるが、概ね年間延べ1,000人が参加していることになる。上記表彰状にもあるように、グリーンバードきっての大所帯。ちなみに、ボランティア参加数でいえばグリーンバードは全国最大規模の組織であることを考えれば、またメディア露出も多い発信力の強い歌舞伎町チームの存在意義はなかなか大きいかと。しかし、年間1,000人かぁ・・。街側の人間としては、ホントみんなに感謝しないと。

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◆green birdとは、「きれいな街は、人の心もきれいにする」をコンセプトに誕生した原宿表参道発信のプロジェクト。

「ゴミやタバコをポイ捨てしない。」と【宣言】すれば、誰もがgreen birdのメンバーです。
主な活動は、「街のそうじ」。でもこれは強制じゃありません。
「街を汚すことはカッコ悪いことだ。」という気持ちを持つだけでいいのです。

合言葉は“KEEP CLEAN. KEEP GREEN”

って言ってますが、実態は「お掃除合コン」wwいやいや、だからこそみんなが楽しんで参加できるわけで。チームリーダーは、言ってみれば毎回30-40名の合コンを仕切ってる幹事みたいなところも。リーダーはホントに大変だと思う。また来年も、3周年を無事迎えられるよう、自分もデキルカギリで支えていきたいと思います。

※9月のグリーンバード歌舞伎町チームの活動は、定例を第二・第四月曜日(19時より劇場通り一番街アーチ横、杉山ビル前集合)とします。9月8日(月)22日(月)が開催日です。

◆9月9日追記、杉山文野クン情報!

本来はグリーンバード歌舞伎町チーム2周年の時に杉山文野クンのインタビューを取ろうと言っていたのだが、結局インドへ出発する直前ギリギリになってしまった。文野クン、8月28日に帰国するも、またも9月9日にはインドへ出発、ネパール、チベットなどを回り10月に講演の関係で一時帰国、その後年内は南米を回る予定。ひとまずグリーンバード歌舞伎町チームも2周年を迎え、さて、文野クン、世界を回りつづけ、また来年どういう活躍をしてくれるのかな。インド・ネパール・チベット、そして年末の南米、次代の歌舞伎町の一番星の「おなべ一人旅」はまだまだ続く。気をつけて行ってらっしゃい~^^▼以下、9月8日(インド出発前日収録インタビュー)


8月31日(日)17時より新宿花園・ゴールデン街にて納涼感謝祭開催

DSC01010.JPG 新宿花園・ゴールデン街納涼感謝祭 ロゴ.jpg

8月31日(日)、“日頃のご愛顧に感謝し、まだまだ続くこの暑気を思いきり吹き飛ばしていただきたい”と言うことで、新宿ゴールデン街のお店が102店集まり納涼祭を開催した。店内でのそれぞれのお店のイベントをはじめ、遊歩道の一角でミニライブなどが開催。

主催:新宿ゴールデン街商業組合納涼感謝祭実行委員会
協賛:新宿三光商店街振興組合 サントリー株式会社
後援:新宿区歌舞伎町タウンマネージメント
協力:吉本興業株式会社 キリンビール株式会社

ワンドリンク500円の感謝プライス!当日はどこの参加店でもチャージなし、ワンドリンク500円。各店舗でもイベント盛りだくさん!店内ライブ、写真展、利き酒大会、よしもとお笑いライブ(出演:くまだまさし、コンマニセンチ)などが開催。

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遊歩道ミニライブ:区役所側ゴールデン街入り口に仮設ステージを設置。
 6:00~6:30 辻本浩之(大吉)吹雪ユキエ(GARDEN)のアコースティックライブ
 6:30~7:00 サルサバンド、ロス・ボラーチョスのライブ演奏
 7:00~7:30 よしもとお笑いライブ 出演●くまだまさし●コンマニセンチ

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DSC00885.JPG今回の企画の主催者である新宿ゴールデン街商業組合の外場山文明理事長。外場山さんはG1通りでクラクラを経営する傍ら劇団椿組を主宰し、花園神社境内での屋外テント劇などを行っている。「ゴールデン街はまだまだ元気です。”活性化”なんて言葉は使いたくない。にぎやかで、皆さんに楽しんでくれたらそれでいいんです。」と。

ゴールデン街に渦巻く噂話(再開発など、関連記事◆ゴールデン街再開発話は他人にはあまり知られたくない過去を消し去りたい地権者らの思惑か。)などで揺れ動くこの街であるが、まだまだこれだけ元気ならそう簡単にはむやみに資本力に押し切られてなくなるなんてことはないように思う。個人的にも、この街にはプライベートな憩いの空間もあるし、だからこそ、街の人たちの心を応援したいと思う。だが、一方で、外場山さんの言葉にはプライドも感じる。「まだまだ元気」とは言うものの、多くのゴールデン街の店舗の経営ポテンシャルは小さい。月の売上でも100万に届かない店がほとんどである。事業効率は低い。街づくりがどうのというよりは、本音の部分でそれこそ活性化というのが街の人たちのやっぱり本音ではないか、そう感じる部分もある。今回のイベントでも102軒のお店が参加、若い経営者らも増え、来街者も多かった。この街が抱えてきた問題、特に世代間の摩擦が徐々に薄れ、若い経営者が増えた分上の世代が押し込まれ、その若い世代の人たちの元気がそのまま街の元気につながっていく、そんなプロセスにはあると見える。いずれにせよ、街から新陳代謝を奪えば、それは死しかない。どういうプロセスであれ、世代交代が行われ若く元気な経営者たちで街がちゃんと成立するようになったときに、やっと街が未来を腰を据えて考えるときがくるのかもしれない。


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歌舞伎町が決して忘れてはいけない記憶~44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災、あの日から7年~ [その他]

9月1日、7年前のこの日に歌舞伎町で44名の方々が亡くなるという雑居ビル火災が起きた。歌舞伎町では、この火災事件をきっかけにしてその後の歌舞伎町繁華街対策が行われるようになった。今の繁華街対策の原点であり、決して記憶から消してはならない事柄である。

20010901未明 歌舞伎町ビル火災.jpg DSC07741.JPG

◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが未確定。

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要

3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 


4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 
44人(男性32人、女性12人)

(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

 
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、出火地点はビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)らと思われる。中村さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。

中村さゆり.jpg当時23歳で亡くなった中村さゆりさん。亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したもの。彼女の携帯電話の履歴から、ほぼさゆりさんが第一通報者とみられている。

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、
被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄(66)ら6被告の判決公判が行われたのは今年2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫(56)、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司(48)▽元同店店長、松元輝二41)、4階飲食店元経営者、後藤雅之(34)各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告(44)は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。

とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。

その後、現在にまで続く歌舞伎町等繁華街対策が、この歌舞伎町ビル火災がきっかけになって始まったと言っても過言ではない。従って、繁華街対策の最大プライオリティは減災社会の実現にあることは言うまでもない。歌舞伎町対策でいうところの「文化・芸能の街」なんたらかんたらと言う口当たりのいい言葉は実はあまり意味をなしているものではなく、実質的にこの減災社会実現のために何をどうすればいいかというところがこの街づくりの根幹にある。そのために、たとえば老巧化した建物(歌舞伎町では築40年を超える建物が全体の6割を占める)の更新、建替誘導、及びインフラ整備を第一義とし、その足かせとなるもの(様々な要因はあるが、例えば風俗を寛容しにくいのは建替資金の融資を受ける銀行がこれを暗黙に拒否的であることから、一面的な見方ではあるがこういった業態に依存する街構造を足かせと言える。当然暴力団関与や違法店舗があればなおさらである。)の排除という意味で暴力団対策、違法風俗対策が存在する。

一方で、歌舞伎町ビル火災などを象徴として、街の危険なイメージからの脱却という意味で、各イベントなどが実施されるようになった。このブログでもたびたび登場する「よくしよう委員会」や歌舞伎町ルネッサンス活動といったものなどもこれをきっかけとして設立された。ただ、それらがよく行うイベント実施は、当初「歌舞伎町ではこんなこともできるようになった」的なイメージ回復というだけのもので、やってマイナスにはならないかもしれないが、少なくとも抜本的な街の改革とは言い難い。そういった側面からの指摘から、例えばよくしよう委員会の活動などもパトロールを恒久的に、また日常的に行うなど実質的な活動にプライオリティを置くように大きく変化をしてきている。

DSC04308.JPG城克(じょうまさる)歌舞伎町商店街振興組合事務局長も「一番最初のきっかけが、この歌舞伎町ビル火災でした。それによって、たとえば歌舞伎町よくしよう委員会が設立されたり、イベントをやるようになったのもそう。今やっているすべての活動の“根本”にある出来事です。」と話す。とはいえ、3000を超える事業所・店舗の2割が一年で入れ替わる街、歌舞伎町ビル火災の記憶が薄れるとか以上に、それを知らない人たちもどんどん増えて言っている。「実際に火災予防条例などが改正され、逃げ道が塞がれるような建物は今は無いし、消防的な火災事故対策はかなりできているでしょ?これは大きいよね。それは、テナントが入れ替わり、その歌舞伎町ビル火災を知らない人が入ったとしても、ビルは管理しているから。だから防火管理意識は絶対高まっている。安全になったと言い切れる。
確かに記憶と言う意味では、人やテナントの入れ替わりもあり風化して来てしまってはいるが、こういった防火管理意識が当たり前になっているからね。
当時と今を比較してそれを知っている人間にとって見れば、その違いは歴然だと感じるはず。ボヤは常に起こりうるし、仮にあの程度のボヤが起きたとしても、44名も犠牲になることは今の歌舞伎町ではありえない。あそこでやっていた違法な営業店舗、カジノ、エステというのは営業自体が違法だからその後の警察の手入れでほとんどなくなっているのも現実。」そう考えれば、歌舞伎町ビル火災の記憶は薄れていったとしても、システムの中にこれに起因するつながりがどんどん形成されている今の街づくりの中にその魂は生き続け、そしてそれが拡がりを持って前に進んでいると城さんは言いたいようだ。

城さん(オフィシャルブログ:歌舞伎町のジョーで~す!)はこの歌舞伎町ビル火災に彼自身運命的なつながりを感じているという。「実は、火災事故の日、前職(朝日生命)の人事課に希望退職の書類を持っていった。その前の日に同級生で歌舞伎町の振興組合で事務局にいた下村治夫(現新宿区議)のところに来年の三月に朝日生命を辞めるよと言いにいった。そして今のこの職(歌舞伎町商店街振興組合事務局長)に繋がっている。そんな翌日、なんだかヘリコプターが飛んでるなと思ったら歌舞伎町のビル火災事件が起きていた。今では街の真ん中に立って、自分でも天命と思える仕事をしている今、だからこそ、運命的というか、本当に自分の今の職というのはそこにもある。」と城さん。

DSC01048.JPG今年も、8月31日深夜から0時またぎで歌舞伎町ビル火災の遺族の方々が現場に訪れ花を供えた。

DSC01055.JPG第一通報者で被害者となった中村さゆりさんの母、すい子さん。すい子さんの手と首には、さゆりさんが当時身につけていた時計と指輪、それにネックレスが今でも光る。

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この日は、遺族の方々が数名で「放火犯はまだ捕まっていません!」と呼びかけるチラシが現場でまかれた。

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道行く人たちが現場で亡くなった人たちに手を合わせる姿もあった。上の右の写真で手を合わせていたホストのコはまだ23歳だと言う。「7年前のことは知らないのでは?」と聞くと、「いえ、でも歌舞伎町で働くものとして忘れてはいけない、こうして手を合わせるのは当然のことです。」と話してくれた。

DSC01105.JPG丁度グリーンバード歌舞伎町チームの2周年でパーティの合間であったが、杉山文野クン(グリーンバード歌舞伎町チームリーダー)も手を合わせに訪れてくれた。彼は当時この現場から離れていたが、ニュースを見た友人から「お前のうちのほうじゃないか?」と言われてあわててこの現場に駆け付けた。文野クンの家は、同じ歌舞伎町一番街でビルや飲食店を経営している。また消防にも記憶を消さないためにという意味での寄稿をしたことがある。

民事・刑事とも裁判は終結し、近くこの歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散する。現実には、遺族会と言っても、中には一等親ではない人たちも多く混ざり、またそれぞれの考え方も決して一枚岩ではなかった。事件から7年かかった裁判もようやく終結し、一つ肩の荷を下ろすかのように遺族会は解散に向かっている。しかし、放火犯は未だ捕まっていない。遺族会のコンセンサスが一つになれなかったことや、裁判の特殊性(ビルオーナーや管理権限者に対する訴訟という部分)から放火犯に対する捜査要求や活動がいま一つ及び腰になったという側面は否めない。しかし、実際放火犯にはどう見ても刑事的にはおろか民事的にも責任があるのは当然である。捜査は警視庁が続行してはいると言うが、実際のところすべての情報をすでに裏付けから調べ上げた上でつぶしてしまっている関係で、新たな情報がないとなかなか進展は期待できないのが現実。裁判終結を機にとは言え、すでに捜査本部もなく、情報提供の受け皿(一応警視庁と言って差し支えは無いとは思うが。捜査一課担当案件)すら迷走する中で、それでも遺族の方々の数名は「放火犯を探してほしい」と訴え今回のチラシまきという行動に繋がっている。民事で一つの節目を、そして先の刑事裁判で更なる節目を迎え、しかしまだまだ心には決して平穏は訪れない。いや、むしろこれまでの裁判や遺族会という中で抑えてきたわだかまり感がむしろ今になって強くなってきているのかもしれない。そう、失った命は決して戻らないから。

放火殺人の時効は15年、2016年8月31日に迎えることになる。せめてそれまでに捕まるか、あるいはもし言葉が、心が届くなら自首してほしい。遺族の方々全部に会ったわけではないが、少なくとも自分が会ったこの人たちの時間はあの日から止まったままなのです。

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9月1日、=明星56ビル火災の教訓を風化させないために=新宿消防署が歌舞伎町地域の夜間立入検査を実施

平成20年9月1日(月)、17時30分から20時までの間、新宿消防署が歌舞伎町地域にある雑居ビル50棟の一斉立入検査を実施した。平成13年9月1日に44名という未曽有の犠牲者を出した「明星56ビル火災」(歌舞伎町ビル火災)から7年、今年の7月2日には東京地裁でビル所有者やテナントの管理権限者等に対する有罪判決が下った。この火災の惨事を契機に消防法等が大きく改正され、ビル所有者やテナントとして利用者に対し階段や通路に避難の障害となるものを置くことを禁じている。

しかしながら、約600棟に及ぶ小規模雑居ビル等が密集し、3,000件ある歌舞伎町地域のテナントは年間に約2割が入れ替わり、新規テナントや従業員の防火意識が薄れやすいという現実がある。そこで、新宿消防署としては、この歌舞伎町ビル火災の発生した日にビル所有者やテナント関係者に明星56ビル火災の教訓を風化させず、同様の火災を二度と繰り返さないために、避難施設や防火設備(防火戸)等の維持管理状況に主眼を置いた立入検査を実施。

  1. 実施日時 平成20年9月1日(月)17:30-20:00
  2. 実施地域 歌舞伎町一丁目・二丁目の地域の50防火対象物(ビル)
  3. 立入検査員 延べ25名

DSC01156.JPG立入検査を前に、歌舞伎町ビル火災(明星56ビル火災)現場跡前にて検査員らが黙祷。▼取材随行した班にて、セントラルロードの物件にて。ここでは、公共部分(避難経路にあたる)に可燃性(木製)の棚がくくりつけられていた。災害時等に倒れて避難経路を塞いだり、また可燃性であることから延焼にもつながる危険性があるということもあり、こういった場合改善命令対象になるケースもある。

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この日の検査対象物件は50棟。そのうち9棟にて違反指摘があった。違反件数は9件、内改修件数は8件、命令件数は1件。避難経路にあたる階段などにロッカーやダンボールなどの荷物が積み上げられていたなどの違反指摘だったようだ。違反指摘率は18%と一斉検査(下記データ参照)などの時に比較すると高い。もっとも母数が違うので単純に比較はできないが。

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20071115歌舞伎町消防一斉査察資料03.jpg

平成16年以来年に1回2回程度実施される歌舞伎町一斉立入検査の推移である。数値で見る限りでは、違反発生率も30%から10%程度まで大きく改善傾向にあるとはいうものの、逆にいえば600棟のうちまだその10%の60棟において歌舞伎町ビル火災のようなことが起こりうるということにもなる。

DSC01191.JPG澁谷博子新宿消防署予防担当課長

「今日は7年前に歌舞伎町・明星56ビル、こちらで火災があった日です。今日、立ち入り検査を歌舞伎町全般で行うことによって、防火対象物(ビル)を利用する皆さんの安全性を高める、さらには自分の建物、またテナントからは火災を出さない、そういった意識を改めて皆さんにお持ちいただく、それを目的としまして立ち入り検査を行いました。本日の立ち入り検査の対象は、階段・通路などの避難施設です。避難障害、また延焼拡大の要因となるものが置かれてないか、階段・入口の防火戸の開閉の障害となるものが置かれてないか、こういった避難施設の管理状況に着目した立ち入り検査を行いました。建物を利用される方、また従業員の方を火災から守るためには、そういった避難施設の完備、あるいは法令に決められていることを遵守することが必要不可欠です。ビルのオーナー、またはテナントの経営者の方にはそういった重要性、これをしっかり認識したうえで実践をしていただきたいと思います。」

しかし、現実には歌舞伎町ビル火災の記憶は薄れ、また街の人たちはむしろ忘れたいと思っているということも耳にするが、という投げかけに対し「ここは狭い地域に、建物の数も多く、またテナントの数も非常に多いです。その中でテナントの約2割が一年間で入れ替わり、また入れ替わりの激しいところです。実際、明星56ビルの火災のあったことを認識されていない方も多いと思います。新宿消防署としましては、この新宿歌舞伎町の街を昼間、夜間を問わず折にふれ、こういった立ち入り検査を行って、皆さんの自主管理の重要性の意識に呼びかけをしていきたいと思ってます。
歌舞伎町は雑居ビルで44人の方が亡くなった、こういった貴重な経験を持っている街ですので、皆さんにはそういった意識をきちっと持ち続けていただく、火災予防を徹底しなくてはいけない、また消防署としましては56ビル火災の後にいろいろ法令の改正が行われています。消防署が持っている権限をしっかり行使していく、これらの両面性から街の安全性を高めていければなと思っております。」と澁谷予防担当課長。


 

「街も被害者」という本音が最大の問題

明星56ビル火災について、あるいは遺族の話をすると、それをあまり耳にしくない的な気持ちを見せる街の人たちが多いという現実がある。全部ではない。あくまで一部、いや一部とは言えないかもしれない。ビルオーナーのサイレントマジョリティはむしろそこにあると感じる。

あの火災のせいで街のイメージが悪くなった、店の売上が落ちた・・・云々。上記にもあるが、たとえばイベントを行う根底にある歌舞伎町のイメージアップ、確かに必要なことかもしれないが、イベントをいくら繰り返しても本質的な問題解決には繋がらない。いくら活性化を謳っても、44名の死者を出した火災を起こした「街」という事実は永遠に覆らない。むしろ、そういった建物をなぜ「街」は放置したのか、さらにそれに近い状態の建物も数多く存在しながらそれを容認してきてしまったのか、それは刑事的にとか民事的にという法律上のことではなくともマインドの部分で加害者である事のほうが濃いにも関わらず、意識は今でも被害者のままであるということが、悲しい現実なのかもしれない。

例えば暴力団、違法風俗、歌舞伎町にはまだまだ存在するし、それと知ってて知らぬふり、家賃さえもらえればそれでいい的なビルオーナーの多いこと。「警察に指摘されても知らなかったと言い切れば、ヤツらは裁判になるのを嫌がるからそれで来なくなる。」と嘯くビルオーナーすらいる。不動産屋は飲食店やバーの名前で物件の契約書をつくり、開いてみれば違法カジノや裏DVDショップ、そんな物件がさくら通りなどにいくつも存在してきた。一部のかもしれないが、不動産業者とビルオーナーは確信犯で、またそんな隣人を知ってて容認している「街」。それが常識化しているからこそ歌舞伎町ビル火災にしても「街も被害者」という意識に傾いてしまう。上に書いたが、城さん(歌舞伎町商店街振興組合事務局長)のコメントは一理あるし前に進んでいる部分も確かにあるが、でもまだまだ甘すぎる。城さんの立ち位置による限界というのは理解できるけれども。

抽象的な言い方になってしまうが、テナント関係はむしろ「いいビジネスをすることがいい街づくりにつながる。」と意識は徐々に高まっていると感じる。確かに経営努力の形に問題はいろいろあるが、とはいえたとえば客引きが人を殺すわけではないし、時間外営業で誰かが迷惑するわけでもない。暴力団とかかわらなくても、または関わりを単純に拒否してもマトモな商売なら出来る、そういう状態を警察と志のある一部「街」の人たちでの努力で実現した。さらに、なんにせよ経営努力を怠っては成り立たない競争も激しいそういう街だからなおさらではあるが、一方ビルオーナーの立場は違う。防災という観点からいえば、まさに歌舞伎町ビル火災で44名も死者を出したという経験を持つ街であり、にも関わらずそこを怠っては人を殺すという意識がいつまでたっても薄いまま。確かに歌舞伎町には確信犯的に違法・脱法を繰り返すこともこの街で儲けるコツではある。そこに未だに味をしめ、高い家賃に胡坐をかく、歌舞伎町のビルオーナーの多くは防災・防犯意識はまだまだ極めて低い。あるいは無知すぎる。

この街の街づくりは、だからこそまだまだマインド、心の部分に訴えられるそういうことが求められる。これまでの在り方でしか生きていけない、相続の時には売ってサヨナラ、そんなあきらめの意識を覆すために必要なのは希望、今までと同じじゃなくてもやっていける、生きていける、そして世代を越えて引き継いでいきたいと思える希望、そういうことに繋がる施策こそが求められている。必要な規制強化、運用強化するべき課題はビルオーナー条例や暴力団対策などまだまだいくつかある。そこにさらにコンプライアンス遵守が善意の事業者までもがんじがらめにし、それらだけでは未来が見えてこないし、どんどんビジネスの可能性を失わせていく。投資の誘導だって出来やしない。合法的に営業時間規制の撤廃を目指す「24時間特区」であれ、あるいは公共のカジノの議論であれ、それは希望の光に繋がる。「街」が元気を取り戻す可能性を生む、そういう希望が生まれるはず。人の心が変われば、人も変わる。街は人が創るもの。だから自分はそれを訴えて続けている。


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民意を封殺する新宿警察署-「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望書」の顛末- [その他]

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昨年6月から歌舞伎町商店街振興組合・歌舞伎町よくしよう委員会有志らで継続的に行ってきている客引き等迷惑行為撲滅パトロール。だいたい週三日、一日2時間程度ではあるが、限られた時間・限られた場所においてではあるが一定の成果をあげてきている。一昨年の秋頃、それまで黙認してきた深夜のホストクラブの営業時間に関する規制を警察が急きょ徹底的に取り締まり始めた頃から、歌舞伎町・新宿東口駅前周辺には大量にホストの客引きが出るようになった。歌舞伎町では、これが来街者の体感治安を著しく低下させているとして、主に来街者の主要な導線にあたるセントラルロードからコマ前までを中心に客引きやスカウト行為などの排除をするためのボランティア組織を歌舞伎町よくしよう委員会・新宿歌舞伎町ホストクラブ協力会・歌舞伎町商店街振興組合などによって設置、パトロール活動を継続的に行ってきた。この活動の中で、元来違法な客引き行為を行っているものの以外に問題になってきたのが、警察からチラシ配布の道路使用許可をもらって外に出て、チラシをほとんど持たずに客引きの類似行為を行っているメンキャバに対する対応をどうするかということがあった。道路使用許可をお札のように持って、チラシを配りながら客引きを行うことに対し、パトロール隊としては“事件化も辞さず”の強硬姿勢で挑み、セントラルロードからコマ前にかけてパトロール中の間だけでも排除することには成功してきた。しかし、一方でなぜ警察は客引きに道路使用許可というお墨付きを出すのか?ということで、特によくしよう委員会などでは何度も議論になり、商店街から警察に道路使用許可を出さないよう要請することを求めてきた。パトロールを行っている自分も含めてであるが、歌舞伎町の客引き連中とはある意味パトロールを通じ、立ち位置や利害では正反対ではあるが顔見知りにもなってきて、その中でのコミュニケーション、我々がどういう街づくりをしようとしているかを理解してもらう努力を重ね、こういった中で、徐々にであるが客引きを繰り返す者たちの違法性の認識や、そもそも堂々とやるものじゃないという意識の植え付けなどでは成果があったのだろう。だが、一方、そうは行っても警察からチラシ配布の道路使用許可をとって街に出て、客引きあるいはナンパ的な類似行為による迷惑行為を繰り返すホストの姿はなかなか減らない。一概に警察の道路使用許可だけが問題ではないが、そもそも違法な客引き行為に警察が許可を出し、おかげで取締しにくくなっているなんていうことがあってはならない。ということもあって、今年の9月のことだが、歌舞伎町商店街振興組合から「道路使用許可を出さないよう警察に要望書を出したいので作ってほしい。」という依頼が自分にきた。以下時系列を追って経緯を書く。
 
8月、新宿駅東口四商店街振興組合(新宿大通、新宿東口、新宿駅前、歌舞伎町)の理事長会において、四商店街連名で「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」を出そうという話になる。歌舞伎町商店街振興組合からの提案だったが、各商店街はこのことを快諾。
9月、歌舞伎町商店街振興組合より自分が依頼を受け、要望書を作成。歌舞伎町商店街振興組合からは「より具体的且つ詳細に、
」という依頼。そして以下要望書(※作成原文)を作成。


新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望


新宿駅東口は、世界最大のターミナル駅である新宿のまさに玄関口である。しかしながら、この周辺には多数の来街者がいる故の客引き・勧誘あるいはその類似行為が極めて多数存在し、来街者が駅から街へ入ろうとする大きな障害となっている。また、風俗店、居酒屋などの客引き、スカウト行為は新宿駅周辺から歌舞伎町周辺にまで広い範囲で多数存在し、また暴力団の資金源にもなっている。
歌舞伎町では民間有志のボランティアによる迷惑行為排除活動が継続的に行われ、特定時間帯と一定のエリアにおいてはこれらを排除することができている。しかし、ボランティア活動であるがゆえにその活動範囲は限られた時間・場所においてのみとなっており、そのほかの時間・場所においては現実的には無法状態にある。
そこで、これらの徹底的な取り締まり・排除を求め、これを以下要望書として提出するものである。

① 新宿駅東口駅周辺、および歌舞伎町などを客引き・勧誘・迷惑行為またその類似行為等の特定規制繁華街と位置づけ、このエリアにおいては何業たりとも公共空間・路上における客引き・勧誘・迷惑行為を一切禁止し取り締まりを強化する。
② 風俗営業店、メガネ・コンタクトレンズ店、その他いくつかの業種ではチラシ配布の道路使用許可を警察から得て、堂々と公共空間・路上において客引き・勧誘行為を行っている。しかし、どの業態も来街者からみれば歩行を妨げる立ちふさがり、付きまとい行為となっている。そこで、新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘の類似行為であるチラシ配布については何業たりとも一切これを禁止し、当然ながら警察はこれらに対し道路使用許可を与えない。
③ かき氷・アクセサリー・雑誌などの露天について、これらを徹底的に排除する。


以上、格別のご配慮を賜りたく要望する次第である。


平成20年9月23日
新宿大通商店街振興組合
新宿駅前商店街振興組合
新宿東口商店街振興組合
歌舞伎町商店街振興組合

新宿警察署長 殿


◆補足◆
① 新宿駅東口駅周辺、および歌舞伎町などを客引き・勧誘・迷惑行為またその類似行為等の特定規制繁華街と位置づけ、このエリアにおいては何業たりとも公共空間・路上における客引き・勧誘・迷惑行為を一切禁止し取り締まりを強化する。
新宿駅周辺繁華街は世界最大のターミナル駅である新宿駅の玄関口となる東口駅前広場を中心に新宿3丁目、歌舞伎町などに広がり、この経済圏はまさに来街者によって成立している。しかし、その玄関口には来街者の街への導入の障害となる客引き・勧誘・迷惑行為またはその類似行為等が多数存在し、地域のイメージや体感治安を著しく低下させている大きな要因になっている。

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▲新宿駅東口駅前交番のまさに直前にあたるエリアでは、居酒屋・スカウト・風俗店などの客引き行為が昼夜問わず繰り返されている。居酒屋の客引きは、特定の店舗の従業員ではなく、客引きを専門とする業者に居酒屋が委託したものが目立つ。彼らは数店舗からの委託を受けてその数店舗分のメニューを持って新宿駅から階段をが上がりまさに新宿の町に入ろうとしたその瞬間の来街者を捉え交渉する。なかには「飲み放題2,000円ぽっきり」といってここで料金を受け取るものもいる。客は指定された店舗に向かい、2,000円飲み放題を信じてオーダーを待つが一向に料理や飲み物は出てこない。こういったことでいわゆる少額の料金トラブルが後を絶たないのであるが、その元凶となっているのがこれら駅前にたむろする居酒屋の客引きである。

▲新宿駅東口駅前広場は、これまで歌舞伎町などの民間パトロールに追い出されてスカウトやメンキャバなどのキャッチも押し寄せ、ピーク時には100名を超えるホストやスカウトがたむろする。おもにホスト・メンキャバのキャッチは手ぶらで黒っぽい服が多く、手には店舗のチラシを数枚持っている。一方、アダルトビデオや風俗店の従業員スカウトらは私服が多く、手には大抵ブランド物のポーチやウエストバッグ、あるいはZEROなどのアタッシュケーシュを持っている。スカウトは行為そのものの違法性の認識があるため、個人特定の出来るものを携帯しないものが多い。また警察に検挙された場合は徹底してナンパを装うよう上層部から指示を受けている。

実際のところ、歌舞伎町で通年続けているパトロールを行ってきたものから見ると、どのスカウトも客引きも大抵は顔を知っていて一度は歌舞伎町で注意したことのあるものがほとんどである。したがって、民間である歌舞伎町のパトロールのものがエリアを越えて新宿駅前に行ったとしても、これらの客引きやスカウトらを抑えることは可能ではあるが、ボランティアである故一時的なものにしかならない。
よって、これらを徹底的に排除するには、まさに目の前に駅前交番が存在するのだから、これをもっと街と協力体制をつくるなり取締りに関するなどコンセンサスは必須である。

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▲モア2番街は通称スカウト通りと呼ばれている。街路樹一本ごとに暴力団の縄張りがあり、ここでのスカウトらはそれぞれのシマの範囲で声掛けを行う。中心は縄張りの広いA、Hなど風俗嬢のスカウトであるが、新宿駅前や改札前はN、M、A、T、Rなど、アダルトビデオの出演を斡旋するスカウトもいる。(※本文は特定会社名を明記しているが、公開する関係上頭文字表記にしてあります。以下同)
▲歌舞伎町に入って一番多く目立つのがSグループの客引きら。おもに小規模のキャバクラ、ガールズバー、カラオケ店など20数店舗を歌舞伎町内に展開している(上右の写真、セントラルロードの真ん中にたむろする連中)。広域暴力団の傘下にあり、店舗は暴力団から派遣された客引き専門を雇い入れキャッチや当該店舗のスカウトも行う。各店舗の売上の半分はこれら客引きらによって賄われ、その一部が暴力団に上納されていると考えられる。彼らの行動範囲は広く、歌舞伎町セントラルロード、コマ前、さくら通りの入口から中央まで。歌舞伎町で迷惑行為の排除パトロールを行っているときは静かにしているが、数名は駅前に行ってスカウトを行っているケースもある。

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▲上左は区役所通り入り口付近で風俗嬢をスカウトする店舗従業員。▲右は、居酒屋やキャバクラ、スカウト、セクキャバの客引きを行う外国人キャッチなどが入り乱れるさくら通り入り口付近。
区役所通り側は、キャバクラ等の従業員勧誘が主である。またカラオケの客引きも数名いる。暴力団の影響力が強く一見秩序があるようにも見えるが、個別に見ればすべて違法行為であることには変わらない。

そのほか、新宿大通りにはメガネ・コンタクトレンズの勧誘、南口側には居酒屋の客引きなど駅を中心に構内から各出口付近、そして周辺繁華街全域にわたって「歩きたくなる新宿」を歩きにくくする客引き・勧誘・迷惑行為が大量に横行している。よって、新宿駅周辺繁華街を特定規制地域と位置づけ、このエリアにおいては何業たりとも公共空間・路上における客引き・勧誘・迷惑行為を一切禁止し取り締まりを強化することを要望する。

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② 風俗営業店、メガネ・コンタクトレンズ店、その他いくつかの業種ではチラシ配布の道路使用許可を警察から得て、堂々と公共空間・路上において客引き・勧誘行為を行っている。しかし、どの業態も来街者からみれば歩行を妨げる立ちふさがり、付きまとい行為となっている。そこで、新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘の類似行為であるチラシ配布については何業たりとも一切これを禁止し、当然ながら警察はこれらに対し道路使用許可を与えない。
  
主に、歌舞伎町や新宿駅東口みずほ銀行周辺でチラシを配って客を引いているホストクラブ(メンキャバ)は新宿警察署に対して道路使用許可を届けており、新宿警察署はこれを許可している。
道路使用許可の詳細では、配布人数や配布場所、また歩行者の多い場所で通行の妨げになることを禁止してはいるものの、現実には個別要件に関する取り締まりは全く行われていないのが現実である。▲上の写真は、歌舞伎町コマ劇場前にて、迷惑行為排除パトロールを始める直前の時間帯に撮影したもの。店舗はA、P、Lなどいわゆる旧R・P系のメンキャバの新店舗が目立つ。パトロールによって、あるいは直接交渉によって徐々にであるがマナーの向上などが見られる。しかし、今でも一部にはパトロールに反発して好き放題ナンパ的な客引き行為を繰り返すものもいる。
パトロールを実施する側としては各店舗に対し従業員教育の徹底などを呼びかける一方で、やはりこれらの行為は法令によって禁止されている客引き類似行為に当たる上、禁止区域内における宣伝行為にもあたるものとして違法性を訴えたい。よって、そもそも警察がこれらに対し道路使用許可を出すこと自体違法性があると考える。
しかし、新宿駅周辺全体を見回せば、これらのホスト・メンキャバの客引き・勧誘行為に限らず、メガネ・コンタクトレンズの勧誘、その他道路使用許可を得たうえでの来街者の通行を妨げる公共空間・路上を使用した宣伝・勧誘行為が大量に存在している。
よって、新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘の類似行為であるチラシ配布については何業たりとも一切これを禁止し、当然ながら警察はこれらに対し道路使用許可を与えないことを求める。

③ かき氷・アクセサリー・雑誌などの露天について、これらを徹底的に排除する。

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▲コマ劇場前に出ていた露天のかき氷店。注意すればどくことはどくが、移動を繰り返すだけで、そのあとはコマのセントラルロード側に出没。

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▲雑誌露店は上の写真のモア2番街ほか、西武駅前通りにも夜ごと出店される。仕切りは極東会と思われる。路上生活者などが集めてきた捨てられた雑誌などを50円で仕入れ100円で売るという細かいシノギではあるが、暴力団の資金源になっているだけでなく、新宿の都市問題でもある路上生活者の生活源にもなっている。
これら路上生活者の問題解決は別としても、彼らの生活の糧がこういった暴力団の資金源とつながっているケースは多い。ほかに、歌舞伎町2丁目ハイジア界隈に出没する売春婦のショバ代集金係も路上生活者の仕事であり、こういった仕事によって生活の糧と暴力団らによる保護を得ている。
街として、暴力団の存在は許容できないし、その資金源となっているこういった露天の存在を認めることはできない。よって、これの徹底的な排除を要望する。

平成20年9月23日
新宿大通商店街振興組合
新宿駅前商店街振興組合
新宿東口商店街振興組合
歌舞伎町商店街振興組合

新宿警察署長 殿



同9月、四商店街振興組合の理事長会において概ね内容について了解を得る。この際に、新宿交通安全協会には新宿駅前商店街から、新宿防犯協会には歌舞伎町商店街振興組合から話をし、四商店街プラス両協会との連名で要望書を出すという話に。
9月24日、歌舞伎町商店街振興組合からは「新宿警察署宛に10月6日に提出となった。」と聞く。その際、新宿東口の居酒屋関係の客引きがひどいのでこれも若干追記があるかもしれないという話はあった。

9月28日付の自分のブログ記事で、この要望書について触れる。内容:「さて、新宿東口の四商店街振興組合は近く防犯協会などと連名で新宿警察署に対し「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」を提出することになっている。趣旨としては、風俗店のみならず居酒屋やコンタクトレンズやメガネ店などの路上勧誘・客引き行為に対しての取り締まり強化とチラシ配布などでの道路使用許可を出さないようにというものである。(原文は依頼を受けて自分が作成)これについて、各商店街が要望を出す上で、単に違法だからダメだ、取締りを強化せよというよりは、むしろ現実的な落とし所はどこに行くのかというところが重要だと自分は考えている。・・・」など

10月6日の要望書提出に際しての打ち合わせということで、9月30日歌舞伎町商店街振興組合事務局長(城克氏)が新宿警察署副署長を訪ねる。このとき、副署長から「要望書は受け取れない、出されては困る。」(城さん談)という話に。城さん「では、協議だけでも。」副署長「協議はできない。」この話は10月3日15時から四商店街振興組合理事長会に持ち帰ることに。
 
10月3日午前中、高松新宿警察署長が自分のブログのこの件の記事を見たらしく、新宿防犯会長を呼びだす。午後1時半、高松新宿警察署長と伊藤新宿防犯会長会談。その時の話は、まず要望書の件は防犯会長は知っているのか?という問いに対し、会長「知らない。」どうやら歌舞伎町商店街振興組合から防犯会長に話ができていなかったことがこの時点で発覚。それにも関わらず寺谷のブログに「新宿東口の四商店街振興組合は近く防犯協会などと連名で・・」とあるが一体どういうことか?という話に・・
 
で、本題の要望書提出については、「こんなのを出されたら過去の歴代新宿署長方に泥を塗るよなもの、出されては困る。」(伊藤防犯会長談)などという話に。防犯会長はこれに同意されたようで、その話を持って15時からの四商店街振興組合理事長会に出席。
 
10月3日、四理事長会での話し合いで、要望書提出は提出を一時諦めることになったのと、防犯会長のメンツの関係で、ブログ管理者である自分が訂正記事および防犯協会・四理事長あてに顛末書(一種のわび状)を出せという話に。以下同記事部分加筆内容

「※上記「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」提出に関する記事について、一部誤りがあったので訂正をさせていただきます。「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」に関して、新宿防犯協会はその内容と提出について承認をしていないにも関わらず、あたかも同意をし要望書が提出されると断定的とも思われる表現を用いたことは誤りであり、ここに訂正をさせていただきます。なお、新宿東口四商店街振興組合等連名による「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」は、現段階(10月3日時点)では提出未定。
新宿防犯協会、ならびに新宿東口各商店街振興組合関係者に対しご迷惑をおかけいたしたことに関しここにお詫びを申し上げます。」

後日、四商店街理事長と伊藤防犯協会会長とで高松新宿警察署長を訪れ、要望書の顛末についてお詫びに伺った模様。なお、四商店街においては要望書に関して内容は了解済みであるが提出については現時点までペンディング状態。

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個人的な考えとしては、今回の要望書作成から提出という件について、やや要望書という手法は強硬すぎて所轄の態度を硬化させやしないかという危惧、もうひとつは客引き類似行為とはいえ道路使用許可を規制するということは、現実的に考えて所轄レベルの話ではないだろうということもあって、本当にいいのか?という思いはあったが、とはいえ、「いや、かつてのH署長とかだったらこんな話にはならなかっただろう。今の署長だからこそこういう手法になる。」(商店街関係者談)という話に加え、問題を表に出し、みんなでアイディアを絞ろうという機会をつくれればという意味でこの要望書作成を受けた。

道路使用許可を規制する権限は警察には与えられているが、一方で法律に書かれていない範囲で恣意的にあれはダメ、これはいいということができるようになってしまうと、たとえば政治活動でいえば自民党はいいけど共産党はダメみたいなことが可能になってしまう。したがって、原則的に警察は申請があれば道路使用許可は出さざるを得ない。また、一所轄だけの問題ではないというのは、東京都内であればどこの署でもたとえば新宿も含め一括で申請を出せてしまうという実態もある。また何業たりともという規制をかければ、そこの部分で憲法との整合性の取れない部分、たとえば政治活動、表現、報道などの自由に抵触してくる可能性もあり、もはや区行政やそれこそ所轄レベルでの話ではなく国の問題になってくる。もちろん、歌舞伎町の街づくりのロジックを組み立てている裏方ではあるがまさに当事者である自分として見れば、こういった問題提示を国政や警察庁に対し投げかけてはきているが。

さらに、道路使用許可を出してグレーな範囲で客引き的行為を行うもの以上に、元来違法な性風俗やキャバクラ等の客引き、風俗・AVなどのスカウト行為を取り締まることすらままならない新宿駅前の状況を放置していることの方が重要な問題であり、誰が考えてもプライオリティの順番が違う。新宿東口駅前では、迷惑防止条例以前に風適法、職業安定法などの違反行為がザラにまかり通ったまま放置されている。

だが、今回の記事を書くにあたって、もっと重要だと感じたことは何か?

それは民意はどこに?ということである。

要望書の提出が幻になったのはこれが初めてではない。過去、と言っても昨年10月に「歌舞伎町「客引き・スカウトなど路上における勧誘・迷惑行為を一切禁止する条例」の制定を求める要望、および、付随する法律や条令の規制強化と一部緩和、歌舞伎町セントラルロード入り口臨時派出所の官民協働による稼動再開を求める要望」という要望書を作成し歌舞伎町ルネッサンス推進協議会会長である中山弘子新宿区長宛てに提出しようとしたことがある。タイトルは長いが、内容は簡単にいえば歌舞伎町24時間特区の要望とそれに付随する規制強化部分の提案であった。というか、この要望書は非公式に預かりという形になっており、このときも公式には要望書を受け取れないという旨の話し合いとなった。作成原文は当時も自分が担当し、非公式とはいえ中山区長、永木福区長、自分、歌舞伎町商店街振興組合の片桐副理事長の4者で会談を設けた。その際に、「私を信じて、必ずこの問題はやっていくから。」という区長の言葉に、やむなく矛を収めた経緯がある。自分はその際にこんなことを言った。「時間の期限はありますよ。おそらく半年、それぐらいで前に動かないようであれば僕は僕のやり方で動きますから。」

それから半年以上の月日を経て、年内に内閣官房宛に24時間特区の要望書を作成しようとしている前段階として、今回の「新宿駅東口周辺、および歌舞伎町における客引き・勧誘・迷惑行為の徹底撲滅に関する要望」提出ということになったのであるが、またしても警察圧力で封殺されようとしている。

自分が矛を収める理由は単純だ。地域の利益を第一に考えるのか、事実を表出させて歌舞伎町や新宿に内在する課題を全国の繁華街対策、あるいは警察・行政の在り方、国づくりに対しアンチテーゼを投げかかるか、どちらも重要だとは思っているが、両方を立てられない時には優先順位を考える。その時に、書くべきことを書かないこともあった。今回の要望書については、新宿東口四商店街振興組合までのコンセンサスを形成するまでは成功したものの、新宿防犯協会の理解は当然えられるものと考えていたことにミスがあった。防犯協会は言うなれば御用組織、今思えばどう考えても警察よりにならざるを得ない。その観測を誤ったところに新宿警察署のつけ込む余地を作ってしまったことにあるのが反省点ではある。

だが、とはいえ、形式的とは言え、マジョリティ側である各商店街のコンセンサスが形成されていたことは事実、つまり100%ではないにせよそこに確かに民意はあったはず。ならば、書式・署名の部分で若干の修正はあっても新宿警察署は要望書を受け取るべきのはずであり、それこそ民主主義の根幹にかかわる。こういったことが当然のようにまかり通るようであれば、警察行政における民意の反映などありえない。今回のことで、新宿警察署は明らかにまちがいを犯している。

そうは言っても、このトラブルが何か良い落とし所を生んでくれたらなぁ、商店街の人たちからも「むしろ雨降って地固まるになればそれでいいじゃないか。」とか「署長も問題だとは思ってくれている。10月になったら対処すると言ってくれてる。」などと聞いて淡い期待をしていたのだが、先日こんなことがあった。

10月22日、新宿警察署関係者から「今夜50人態勢で新宿東口駅前中心に迷惑防止条例違反の対策をやるから。」との連絡。おぉ!やっと新宿署はやる気になってくれたのか!と期待を込め、18時ごろの新宿東口駅前広場に向かった。

DSC01502.JPG DSC01507.JPG10月22日18時ごろの新宿東口駅前の様子

あれ?・・・^^;いつもと変わらない景色。歌舞伎町から追い出した関係で散々顔見知りになっているスカウトやら居酒屋のキャッチ、ホストらが元気に道行く人たちに声をかけている。「あのさ・・・^^?」とやや怪訝な顔で自分は彼らに声をかける。「あ~。。警察?さっき来たよ。50人態勢なんでしょ。」(某スカウト)自分「あれ?なんで知ってるの?」彼ら「警察が自分で言ってたもん。いや~・・やれって言うからしょうがないから来てるんだって。」自分「何にも言わず?」彼ら「だって、すぐ帰っちゃったよ。30分くらいだったかな。これからモアとか歌舞伎町に行くとかって言ってたよ。」

新宿警察署は一体何をしてるの????

DSC01508.JPGその数分後、早速モア2番街(通称スカウト通り)へ。その時の様子。

う~ん・・・ここにも警察はいない。ここに立ってるまた顔なじみのスカウトがまん中らへんに溜まっていたので声をかける。「警察は?」彼ら「ああ、さっきまでいたよ。30分くらい。で、すぐ帰っちゃった。」自分「お前ら平気でここでやってるのか?」彼ら「だって立ってるだけですぐいなくなっちゃったし。警察はなんもしないっスヨ。」自分「あっそう・・・^^;」

ますます良く分からない警察の動き、50人態勢で一体何をやってるのか?まぁ、良く考えて一応取り締まりをやってるという抑止活動なのかなと。その後、しばらくして記者クラブから連絡が入る。「明日、歌舞伎町に国家公安委員長が視察に来ることになっているんで、その前のポーズじゃない?って警察の人から聞きましたよ。」・・・・あ~・・・そう言うことか。なるほどね。期待して損した。。

DSC01514.JPG DSC01515.JPG10月23日17時半ごろ、佐藤勉国家公安委員長が歌舞伎町交番を訪れた。あいにくの雨ということもあってか、歌舞伎町内の視察は行われていない。自分も取材しようと駆け付けたわけだが、高松新宿警察署長に「あ~おまえはダメ、警察庁記者クラブだけだから。」と遮られて取材できず。。そうくるか~^^;とは思ったが、記者クラブの連中からコメントに関しては自分宛てに何を話したのか届けてくれた記者も、ありがたい。

記者クラブ内の報道発表は“警視庁による振り込め詐欺撲滅対策や取り調べ適正化への取り組みを視察するため、佐藤勉国家公安委員長は24日、同庁新宿署などを巡視した。佐藤委員長は、同署管内の現金自動預払機(ATM)での警察官による警戒状況と、同署取調室での透視鏡などの整備状況を視察した。同委員長は視察後、振り込め詐欺対策について、「(対策が)功を奏しているのは間違いない。強化月間で終わりではなく、今後も生かしてほしい」と話した。一方、透視鏡については「(取調室の中が)外から非常に良く見えた」と感想を述べた。”とほぼ同内容にて各報道機関が書いているが、実際には、新宿という街を面前におき、700人態勢でこれだけの繁華街の治安を維持するのは大変、警察官一人一人の仕事の加重は重い、というような旨のコメントを出していたようだ。要は人員が足りない、警察はもっと増員すべきという議論に対する担保的な発言とも取れる。

警察増員については、かつて東京都治安対策本部長だった舟本さん(現警視庁刑事部長)なんかともよく議論したものだ。自分の意見は警察増員は賛成できるが、繁華街の治安をスケープゴート的に使ってそれを主張されるのは良くないと。繁華街の治安は、警察力ではなく、むしろ民間の衆人監視によって成立している度合が大きい。人が溢れる繁華街となれば当然治安は良くなる。したがって、客引きなど軽微な犯罪は多いが、少なくとも衆人監視によって重大な犯罪は起こりにくくなっている。人口当たりの犯罪発生率からいえば歌舞伎町は最も安全な街である。一方、イメージとして危険な街という一種の虚像を警察も行政もうまく使って、たとえば治安対策をやっていることを見せかけるステージとして歌舞伎町などの繁華街は利用されがちであり、歌舞伎町は安全な街であるにもかかわらず危険なイメージを持っていた方が警察的に利用しやすい思惑が感じられると。実際には、衆人監視の効きにくい地方の方が重大な犯罪が発生、あるいは被害に遭う確率は上がっているのではないか。面的に一人当たりの警察官が守るべき地域の面積が大きい地方にこそ増員を図るべきであり、やりようによっては繁華街の治安維持は民間でもかなりの部分可能であると。したがって、繁華街への警察官増員は不要、今くらいで十分というのが自分の考えであった。まぁ、異論もあろうが、そう言うことに歌舞伎町は利用されているのだなぁと思うと、なにか間違っていると感じざるを得ない。


先日歌舞伎町の仲間といろいろ話ながら、突然彼の電話が鳴った。誰かと思えば警視庁のあるマル暴刑事、「ちょっといいオカマバーを紹介してほしい。やれるとこね、ヨゴレじゃなくて綺麗どころで。」話は、彼の友人に紹介するためだと言ってたが、電話が切れた後、二人で「紹介って言ってたけど、○○さんじゃないといいけどね。。」別に構わないけどさ、個人の性癖のことだから、だけど、なにか間違ってる気がする^^;

例えば24時間特区の話で、なぜなかなか突き抜けて動こうとするとあちらこちらから横槍が入るのか。「それは警察と業者がくっついているからでしょ。」(民主党参議院議員秘書)つまり、お目こぼしってヤツ。歌舞伎町の中にも、深夜2時までならとか黙認されて営業している風俗店グループがある。例えば、既存組織の中には警察官の遊ぶ店、利用する店としてそれが大事な売上の一部になっている某料亭、あるいは某クラブがある。「それって何?」と言われれば、分かりやすい。彼らは、たとえばいろんなしがらみを警察と築いてきた。それはそれなりのリスクを背負って、長い時間をかけて。そのおかげで、今、様々なメリットやらお目こぼしを得て営業を続けている。それも言わば、営業努力なのであって、あるいは投資であって、つまり「24時間特区」など実現してしまったらみんなが営業時間を延ばせて、彼らにしてみればこれまでの投資が無駄になる、したがって阻止する方向に暗躍する、というのも想像に難くないし、理解もできる。自分にしてみれば、おかみの顔色をうかがってコソコソとお目こぼしでやっていくなんてのはもう限界点に来てて先細りは間違いない、ちゃんと合法的に正攻法で地域の活性化なりを考えるべきと思うのだが、なかなかそうはいかないのが現実。民意というものがいかにいい加減なものか。人間は元来、思っているよりよっぽど低俗で利己的な生き物。だからこそ、ここが一番難しい。

「これだけの国家なのだから、当然腐敗はつきもの。その中で徐々に変えていくしかないんじゃないですか?」(民主党参議院議員秘書)と言われれれば、確かにその通りかとは思う。その腐敗が微妙なバランスを作り、またそのおかげで裏金だとかなんだとか言われても国家の体系がかつては程よく維持されている。治安、特に警察行政にだって深い膿がまだまだ溜まっている。食糧問題、エネルギー、環境、考えてみればやったほうがいいことは山ほど残されている日本。それでも尚、この国がこの程度でなんとか維持できているということは、むしろポテンシャルの証明なのかもしれない。それは歌舞伎町も同じだろう。だが、本来見えにくいところにあるはずのこういう腐敗の構造が、歌舞伎町の場合はまさに表出する街であって、だからこそ自分も摩擦を覚悟でここに書く意味があるのだろうとも思う。

時々話を聞いてもらって国政側の立ち位置でサポートもしてくれている代議士の仲間がいる。「難しいところですね。ガツンと一発、という部分はよくわかりますが、実態やしがらみの関係でトーンダウンせざるを得ない。。。今の若手政治家のフラストレーションと同じような感じを持ちます。」(自民党衆議院議員)いやいや、元気付けられてるね。やっぱり、ガンガンこれからも書いていくしかないかな。空気を読まない、時にはこれも大事だと思っている。

【追記】2008年12月23日、NHKのニュースでもこの歌舞伎町の客引き・道路使用許可問題を取り上げた。新宿警察署としては、これを機に道路使用許可に関する制限を設け、2009年1月5日より一店舗につき3箇所、1箇所につき2人までという運用にした。一歩前進、とはいえ現実はまだまだ放置状態であることに変わりはない。


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