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新宿夏の風物詩“新宿エイサーまつり” エイサーとは沖縄の伝統芸能。魂を揺さぶる勇壮な掛け声でがすべての人の血を熱くたぎらせます。2023年7月29日(土)開催!


新宿夏の風物詩“新宿エイサーまつり” エイサーとは沖縄の伝統芸能。魂を揺さぶる勇壮な掛け声でがすべての人の血を熱くたぎらせます。2023年7月29日(土)開催!


新宿エイサーまつり2023 PR動画 第1弾 ダイジェスト編(2min)

各サイネージ等で放映中。※ユニカビジョンは3面バージョンにて7/15より(7/15,16は毎時11分15秒~、17日以降は毎時50分15秒放映予定)、なお7/22からは第2弾(ダイナミック琉球編)放映予定です。


第20回新宿エイサーまつり開催記念特別対談企画 中山弘子(前新宿区長)×高野吉太郎(新宿エイサーまつり大会委員会会長)

四代目高野吉太郎氏(新宿エイサーまつり大会委員会会長)と中山弘子氏(前新宿区長)、2003年から2014年の新宿エイサーまつりを新宿区長として支援していただきました。今回久しぶりの対面となったお二人の対談の記録です。

禍転じて、記念すべき第20回開催を迎えて。

高野「だからやっぱりコロナ禍で行けば、相当 世間様には叩かれました。2020年7月の歩行者天国で、一人もいない。異次元ですよね。明るいのに明治通りの向こうまで見えました。人一人もいない。あれだけ、コロナで人のいなくなった。今年になって、歌舞伎町に東急のタワーがオープンした。今回、何か新宿の街の、コロナ禍からの復興の象徴になったような気がしました。中山さんが区長時代にあれだけの歌舞伎町を、浄化っていうかな、ああいう街にしていただいた。それを何か象徴みたいな形で、それが結果としてちょうどこのタイミングにそのタワーが建ったわけじゃないですか。あれって、本当に凄いいい。もう新宿の街としては絶妙なタイミングでしたね。」

中山「ビジュアルとして見えるっていいですよね。今まで街の人達が、わが街新宿、わが街歌舞伎町っていうことでね、本当にいわゆる単なる環境浄化でなくて、産業構造も変えたいくらいの勢いで街づくりをしてきた、その成果だと思います。新宿の街に、こういう多くの方々においでいただけて、そこで生活もある、こういう賑わいも一番、暮らしやすさも一番の街「新宿」っていう、新宿の多様性は、今でも大好きですし、その当時もとてもこの街の大きな魅力だなと思ってましたね。」


高野「はじめて、新宿東口が歌舞伎町も含めて一体化し、第1回の方のこのエイサーまつりを始めた。」

中山「最初の頃に先代(三代目高野吉太郎氏)からも話を聞いて、これは絶対、沖縄のエイサーは新宿の街に似合う、それでと思って 、応援したいと、私を心から思ったんですね。

その時に見て、ああ、この勢いはすごいなと思っていましたし、沖縄の人たちの思いも伝わってきましたしね。私はよく話したのはその後の仲井眞さん(仲井眞弘多沖縄県知事)ですが、仲井眞さんがね本当に感慨深そうに、こんな新宿のど真ん中で沖縄のエイサーがこれだけ多くの人達に集まってもらってやれるなんて、本当に感慨深いっておっしゃられたのを今でも忘れることできませんね。」

高野「当時、観光のことで仲井眞さん、随分力を入れてらっしゃって、それがこのエイサーまつりと相乗効果があったっておっしゃってましたよ。」

中山「新宿の地場産業っていうと、染色と印刷で、これも大事。それと同時に、やっぱりここの町が経済活動として何で食べているかっていったら多くの人達に来ていただく来街者産業なんです。だからそれは今で言えば観光とか、それから日常の来街者、そういうのがあってこそ、人々の生活も支えられるっていう思いがあったので、町の人達が、新宿の町って町の人達の活動がやっぱり大きく支えている。こういう町もなかなかそう多くはない。ここはやっぱり行政は行政として応援できるっていうことが力としてあるんだから精いっぱい支えたいなという思いはあった。」

高野「観光って我々もそんなに考えたことはなかったのですが、新宿っていうのは本当に来街者の方々に支えられてるんだなというのがわかったしそれこそ中山さんが言ってる、“歩きたくなる街、新宿”、これは本当に観光の町として、立国として、一番不可欠なことですね。もう一つが安心安全っていうことで、それをまた歌舞伎町で実現をしていただいて、そしてエイサー(まつり)も含めて色んな種を撒いていっていただいた。」

中山「一般的に基礎的自治体の基本構想なんか作ると、生活都市っていう言い方をする。生活ってやっぱり経済活動もあって支えられている。そしてその街の特色がある、この新宿の、これだけ多くの人達においで頂ける街ってそうあるわけでない、だとしたら、やっぱりそういった経済活動を応援することが、生活都市としての新宿の力の源になる。私はやっぱり街の人達のその活動、商店街の活動と、やっぱりものすごく大事だと思うんです、商業環境を作り出してるんですから。その時に補助金も入るんだけれども、自分たちのお金を少なくとも3分の1は出している。だからこの力を本当にリスペクトしながらしっかり応援しなくて何だろうと、そういう思いもあった。そして沖縄っていうのは日本が、平和のことを考えるときに象徴的な場所でもありますよね。それから沖縄も、ある意味で言えば、多くの人においでいただいて食べていくっていう、そういう場所でもある。だから新宿から沖縄を発信することによって、沖縄の元気に少しでも役に立てばっていうのか、そういう思いもあった。お互いに繋がる、とても大事かなと。沖縄の方においでいただいた時に、この新宿の多くの人達にこの大きな町でこういうことができるのを本当にっていう風に言ってくださった時には、何か嬉しかったですね。」

高野「自分たちもそれにお役立ちできているっていうね。何かこう気持ちってのはすごくいいですよね。」

新宿の役割の一つは、発信の場の提供

中山「心に訴えるものがあって、1日でもそういった発信の場にできてるのは、新宿としても役割を果たせていて、誇らしいなって思うようなところがあると思います。それを提供できる新宿は。意外と新宿の街の中にいる人はこの街が持っている力みたいなものを、そんなに大きく評価してなかった。でも、外から見たらとてもこの街が貢献できること、力を持ってるっていうことがあるなとやっぱり私はそう思いますね。」

高野「今、西口会場は三井ビルのとこまであります。これから西口は、今、小田急さんが(開発が)始まりましたけど 開発でどんどん変わってそういうところで、エイサーの一体感というか、今度2040年に向けて新宿のターミナル構想も出てきて、そういう場面の中で、エイサーまつりってまた、重要になっていくんじゃないかと考えている。もしかしたら今の大通りから駅の上の広場とか、中央公園とか、あるいは御苑までとかね。」

今だからこそ、平和への祈念

中山「結果として、それをみんなが感じてもらえるように、私は沖縄っていうのはそういう平和への願いっていう意味では、象徴的なところだと思うんです。今、ウクライナがありますけれども、地上戦を第2次世界大戦の時に行ったのがまさに沖縄だけなんですよね。それで沖縄がある意味防波堤になって、っていうところもあります。」

高野「町のこういう歩みと、沖縄県民の皆さんと我々との歩調だとか、やっぱり重要になってくるんじゃないですか。それこそ平和の願いって言うか、それが輪として広がっていけばいい。」

中山「新宿っていうところは多くの外国籍の方達も観客にもいるし、踊り手にも今でもいませんか?やっぱりそうやって多くの人が集まるところで、人と人とがこうすれば、いろんな理解が進む。それは非常に周り道かもしれないけれども、確実な、平和とか、そういったことを考えていける象徴的な、それも楽しさを感じながら繋がれるっていう場は貴重だと思います。」

コロナ禍があって、故にリアルな繋がりの場が必要

高野「今年入ってから痛切に感じます、肌で。これだけリアルな皆さんの、期待って言うか。今回エイサーまつりが20回目をやれる、いや、やりなさいという何かこうエイサーに携わってた今までの先人の人たちが、何か後押ししてるような感じがします。新宿っていうのはそういう場があり、そして人がいるし、それからそういう企画力だとかそれこそ行政の力もあって、ちちろん、消防、警察とか、そういう全部協力していただいて、それが何か良かったのかなと今でも思います。」

中山「新宿の街は、この宿場は高松喜兵衛、後に喜六って名前を変えちゃうんですけれども、その人が、浅草の方の人で、お金持ってきて、それで普通は官製で宿場を開くのを、ここは民でお金を幕府に出して宿場を開かしてくださいって言って、それに内藤家の敷地をある程度割譲してもらってそれで新しい宿場町、内藤新宿で新宿と。だからそうやって、ここは元々生い立ちから言ったって、記憶からいったって民の力の町なんです。」

新宿のまつりとしてだけでなく、沖縄からみても沖縄のまつりになれるよう

高野「かえってコロナのおかげで使命を与えられているというか、再認識できたんじゃないかと思う。それがやがてこれからの新宿エイサーまつりの形にもなっていくと思う。この1日は沖縄一色に染まる。沖縄にとっては、ここから沖縄が発信されてると、新宿のおまつりだっていうだけじゃなくて、沖縄から見ても沖縄のお祭りだって、思ってもらえればいいですよね。」


Profile-

高野吉太郎氏(たかのきちたろう 1952年(昭和27年)5月7日 - )東京都出身。1978年 株式会社新宿高野 取締役就任。2000年 株式会社新宿高野 代表取締役社長 就任。東京商工会議所新宿支部会長。新宿エイサーまつり 大会委員会会長。


中山 弘子氏(なかやま ひろこ、1945年(昭和20年)2月6日 - )1967年4月 東京都入都 1999年6月 同人事委員会事務局長 2001年7月  同監査事務局長 2002年11月 新宿区長(2014年11月まで3期12年)

2016年4月 特別区人事委員会委員長(現)

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