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歌舞伎町・王城ビルにてChim↑Pom from Smappa!Groupがアート展「ナラッキー」開催中(10月1日まで) [まちづくり]

歌舞伎町にひっそり佇む弁財天の隣に、中世ヨーロッパの城をモチーフした建物がある。王城ビルだ。昭和39年竣工、歌舞伎町が歓楽街然としはじめたころに建った建物で、コロナ禍に入り営業店舗は閉鎖され、廃墟化していた場所である。今、ここにこれまで歌舞伎町に来たことがないような若者たちが押し寄せて賑わっている。現代アーティスト集団のChim↑Pom(=2022年4月、Chim↑Pom from Smappa! Groupに改名)のアート展「ナラッキー」が開催中だからだ。
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テーマは「奈落」、例によってビルに穴をあけて閉鎖空間を外へと拡張してのかわら乞食的な何かがもぞもぞと、いや、むずむずとさせる。11月にシネシティ広場で開催される"歌舞伎超祭"のコンセプトもここに盛り込まれ、歌舞伎町の地霊のざわつきがここに集約されているような感じだ。

仕掛けたのは、Chim↑Pom from Smappa!Groupの名前の通り、Smappa!Groupの会長・手塚マキ氏。彼を歌舞伎町の"ナイトメイヤー(夜の市長)"と言い始めたのは私だが、歌舞伎町を中心にホストクラブを軸に飲食店や美容系、アパレルや果ては介護ビジネスまで手掛ける、若いけど大した実業家。

以前、閉鎖された王城ビルをわき目にここもったいないな~なんて言いながら一緒にゴミを拾ってた(グリーンバード歌舞伎町)のはかれこれ2~3年前か。「ここ、貸さないと思うよ。」と私は言ったっけ。

王城ビルを所有するのは大星商事という会社で、歌舞伎町ではゴジラロード入口西側のピックペックビルとここを所有する。王城ビルは、昭和期、最初は純喫茶王城やバー王城からはじまり、自分の記憶では昭和最後のころのキャバクラ"ミントハウス"が印象深い。歌舞伎町には最初にキャバクラを称したキャッツ(株式会社レジャラース)が一世を風靡し、その後続々と旧キャバレー業者がキャバクラと称する店をオープンする中、それらを一気にまくり上げるように突然ここ王城地下に現れ歌舞伎町を席巻したミントハウス。オープン前はこの弁財天付近に行列ができていたものだ。Beeちゃんとか懐かしい。そのミントハウス、テナントではなく、大星商事の直営(とはいってもノウハウをもった従業員がかき集められ、またキャストたちも日本中からスカウトされてきた売れっ子たちも多く、そりゃ賑わって当然、だが、一方で引き抜きやらでトラブルも多かったようだった)というところにミソがある。ミントハウスはおそらく内部的な理由で消滅したが、以降、流行にのってテレクラドン・キホーテとかカラオケブームの時は東京カラオケ本舗、そしてビル火災もあった。コロナ禍前までは居酒屋虎の子とか、正直あまりうまくいってはいなかったように思う。わりと堂々と客引きを出す会社で(防衛的客引きではあったが)、そのあたりも、ん?どうなの?という見え方もあった。そんなイケイケな大星商事、だったが、やはりコロナ禍は響いていたようだ。王城ビルは居酒屋虎の子を最後に閉館、ここ数年、ひっそりとたたずむ廃ビルだった。
おそらくこの数年で、何かが変わったのかもしれないと思ってる。で、昨年の多分夏ごろか、手塚はこの王城ビル所有者の大星商事の三代目となる方山堯君と出会うことになる。人を介してだったようだが、当時手塚は44歳、方山は当時29歳か。これが必然だったかどうか、今はまだ言い切れないが、やがてそう言えるような”挑戦"が動き始めた。

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手塚は手始めに、王城ビルを舞台にしてのカウントダウンパーティイベントを企画した。アート、音楽、フード、パフォーマンスが入り乱れるカオスな空間をここに演出した。そして、その成功を今回の「ナラッキー」につなげた。今度は約1か月という長期にわたって開催されるアート展。手塚のプレゼンテーションは方山に何か響いていたのだろうか。
手塚は「元々歌舞伎町には歌舞伎町としての地の力がある。ここ王城で地下に音楽、自分としては上には外国人向けにホストクラブやキャバレーとかもりたい。」とはっきりとビジョンを持っている。だが「もちろん私企業としてやることなんだけど、ここなら歌舞伎町の、というより世界中の人が日本に来るきっかけになる場所にできる。隣に弁財天がある、ここの価値も大きく変わる。結果、街のためにもなるし、日本のためにもなる。」

しかし当のビルオーナーはハコを貸さない大星商事、だが若き三代目の方山堯はこう言っていた。「ビルオーナーがちゃんと、そこで何をするのかってことにコミットすることが、結果的に面白いものができるという、自分の中のある意味仮説でもあって、それを今実行している状態なんです。美術館を例にとると、よくあるホワイトキューブ的な、白いスペースにどうぞ作品を置いてください、会期が終わったらはい、かたずけてください的な、っていうのって、本当にその地その場で事業やったり展示会をしたり、それって意味があるの?というのは常に問いかけなくてはいけないのであって、自分たちがちゃんと商売にコミットすることで、そこに来てくれるお客さんが、この地だからこれをやるんだなとか、この人たちだからこれをやるんだなっていうところまで、すーっと通ってくると思うんです。本当は、今回のイベントって、自分は主催に入らないはずなんですよね。ハコを貸している、というはずなのに主催に名前をいれちゃってるところがミソであって、イベントにビルオーナーがちゃんとコミットして、入り込んで一緒に同じ船に乗って共同事業をしてるってことが、結果的に世の中に響くものができあがるっていう、自分の中での答え?仮設があるっていう感じですかね。」
確か、大星商事は、テナント貸をしてこなかっただけでなく、これまで法的にちゃんと契約された業務委託や共同事業というのすらやってきていない。(無論、都度ノウハウのあるスタッフを引き入れ雇用しはあったにせよ)だが、彼はここでは同じ船に乗って共同事業をすることで生み出される何かに期待しているのがわかる。

ほう、面白い。
ここを使いたい、"使い倒したい"手塚との間の落としどころをすでに模索している感じは受けた。
「正直、スタバにとかコンビニにとかいろいろ話はあったが、なんでそうしなかったのかというと、絶対街がつまらなくなると思うんですよね。歌舞伎町はさておき、どこの街に言っても、どこの新しい開発を見ても、コンビニのない、スタバのないところってないじゃないですか。そういう街にしていっちゃいけないという自負は、ビルオーナーの端くれながら思ってます。」彼は続けて、「それはウチが自分でやってきたというマインドセットがあるので、そっちのほうがそもそも楽しい、難しそうだけど、ボク、好きな言葉で『ロマンとソロバン』(※リクルート・江副浩正氏の言葉)というのがあるんです。商売には思いとか理念と、商業的な、BS/PLのほうをちゃんとバランスをとっていくことと両立しなきゃいけないというのは、まさにその通りだと思うんですね。それの、これからが大いなる実験であってチャレンジになっていくんだと思うんです。ソロバンだけだと街は絶対つまらなくなっていくと思うんで、それがボクの生きる指標なんです。歌舞伎町界隈で、こういう風なことをしてったほうがいいよねとか、自分が経営者として、こういうのが得意分野なんだなみたいな、そういうのがだんだん見えてきているんですね。そういうのを掛け合わせていって、今回はイベントっていう形ですけど、常設、常時開けられるような形にチャレンジしていきたいなって思いはあります。」

あれは必然だった、そう言える日が来るなら、歌舞伎町はますます面白くなる気がする。


いずれ王城のこの建物はどうするのかな、とか思ってはいたが、いやいや、となるとこのフォルムは絶対生かしたほうがいい。「中も大きな工事をするよりも、歴史を感じられるほうが恰好いいし、これから公共性ってものを考えないといけないって思うし、(ナラッキーに賑わう来館者を見ながら)こんな風に今まで歌舞伎町に来たことがないような人たちがぞろぞろ入っていくような場所をつくって、歌舞伎町のフックになるような場所をつくるのはめちゃくちゃ楽しいし、それには一役かわないと気が済まない。」と手塚。そして「これからの王城にご注目ください!」と方山。

歌舞伎町の王の城、か。ここから、目が離せない。というか、これからどうなっていくのか見届けたいと思う。


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ナラッキー
Chim↑Pom from Smappa! Group
2023/9/2/Sat  -  2023/10/1/Sun 火曜日休館日
​王城ビル 東京都新宿区歌舞伎町​1-13-2
https://www.hellonaraku.com/


以下HPより転載

プロジェクトについて:

王城ビルには約 30年間ざされてきた4フロア分の吹き抜けがあります。
建物のデザインからして城の 裏側といったその空間に、Chim↑Pom from Smappa!Group(以下 Chim↑Pom)が新作インスタレーショ ンを制作、常設設置を試みます。そのお披露目を兼ねた展覧会を、パフォーマンスや音楽などと絡めて開催。レストランや各種イべント、ショップも Chim↑Pom が手がけ、1カ月限定の「Chim↑Pom from Smappa!Group による美術館」のような 施設を仮設します。

テーマは「奈落」
歌舞伎町という名称は歌舞伎座を誘致しようとした戦後の都市計画に由来します。大建築禁止令などに よってその目論見は頓挫しましたが、戦前新宿にあった「新歌舞伎座」(松竹)が3年ほどで大衆演劇の場に移ったことなども相まって、歌舞伎座という伝統と歌舞伎町という歓楽街のミスマッチは都市論や文化論で語られてきました。都市論的にいえば、水辺という低地で発展した歓楽街と、高台で保守化する文化のコントラストを考察する『アースダイバー』(中沢新一)は、その冒頭でまさに王城ビルの隣の「歌舞伎町公園(歌舞伎町弁財天)」を取り上げることで論旨を明らかにしています。沼地を埋め立てたことを標すこの公園には、水の因縁として弁財天が祀られ、変わりゆく街の中で唯一変わらない場所として、街の精神性をいまに伝えてきました。Chim↑Pom はそれらの文脈に閉ざされてきた吹き抜けを重ね、今回、その空間を「奈落」として読み取る ことを試みます。

翻訳サイト「DeepL」では「The End」と訳され、落下事故やかつての暗い雰囲気などから、仏教用語で地獄を意味する言葉で名付けられた「奈落」。「奈落に落ちる」の慣用句に代表されるように、江戸時代には 舞台の地下は忌まわしい場所として遠ざけられていたようです。実際、奈落で働く人々はかつて「穴番」と 呼ばれ、その閉鎖性は底無しの穴や沼のように捉えられてきました。Chim↑Pom は、歌舞伎への敬意と歌舞伎町の歴史への接続から、吹き抜け空間に実際の奈落で録音された歌舞伎公演の音を流します。録音は、歌舞伎界の新鋭として次世代を担い、現代アートに関する著 作もある尾上右近の自主公演第七回『研の會』「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」公演中の奈落。 そこから何が聴こえているのか......。歌舞伎町に転送された環境音から、奈落のリアリティに迫ります。また、吹き抜け空間にはセリも登場。カッティングしたトラスが上下するサイトスぺシフィックなビルの彫刻作品となります。さらに、吹き抜け空間の上部階である屋上にも穴を開け、「奈落の底」である最下層部の床も解体。閉鎖空間を外へと接続し、奈落の概念を街と天へと上下左右に拡張します。

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