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2001年9月1日未明、44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災―遺族が献花 あれから23年 2024年9月1日記 [まちづくり]

8月31日の深夜、日付は9月1日未明。第一報は午前0時50分でした。2001年のこの日この時刻、歌舞伎町で44名の犠牲者を出す雑居ビル(明星56ビル)火災があった日です。あの日から23年。今年も、この日がやってきました。歌舞伎町の景色は一変し、大勢の外国人観光客らで賑わっていました。今年の夏はあまりにも酷暑だったせいか、台風10号の雨でやや冷やされた街に人が大勢出ていたように感じます。

コロナ禍で年配の人たちが去った今の歌舞伎町、来街者は多くの若者と外国人観光客です。23年も経って、なぜここにこうして書き置くのかというと、一つは、歌舞伎町から薄れゆく記憶を風化させないために、もう一つは、この事件が起きた2001年におそらくまだ幼く、あるいは生まれてもいなかったであろう今の歌舞伎町の多くの来街者たちへ、今いる場所は安全か、何か起きた時の避難経路はあるのか、例えば出口が火で塞がれたときどう生存を確保するのか、を考えるきっかけになれば、という思いがあっての書き置きのつもりです。


◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

20010901歌舞伎町ビル火災現場.jpg

2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 

4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。


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民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定、しかし仮に放火だったとすればその放火犯は未だ捕まっていません。「放火と断定しにくい」(当時の警察関係者)ということで「疑い」のまま23年の月日が経ちました。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターはおそらくガス窃盗目的で外されおり、では外されてた状態を管理者は放置していた、という話を聞いたことがあります。個人的には、そこで何かしらの理由にで引火、加えてバックドラフトなど複合的な要因で大きな火災になったのではないか、と考えたりもしましたが、諸々不明確なまま年月は過ぎてしまいました。また当時、警視庁捜査一課は、"犯人は中国人"というやや偏りのある情報に頼り、当時歌舞伎町にいた中国人を片っ端から逮捕、相当きつい尋問を行ったようですが、そのことが却って、最も情報を持っていたであろう"側"の捜査協力が得られなかったなど初期の捜査の在り方にはやや問題があったようにも感じます。


いろいろ特定できない中で、結果的には、ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であるとして、当時、このビルのオーナーだった瀬川重雄氏は加害者側の中心人物として裁かれました。管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失ってまでも、彼は被害者ではなく加害者として裁かれたわけです。
この事件をきっかけに、ビルの管理責任が重くなり、条例も施行、それは、現実の歌舞伎町"浄化"作戦では有用な施策の一つとなってきました。しかしながら、私自身その"浄化"作戦側の渦中にいながらも、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのは、どこか、ある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感はずうっと晴れぬまま、月日が経ってしまったというか、闇の濃い事件(事故)だなと思います。




歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、当時23歳でした。


さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。


スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズ
です。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。


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歌舞伎町雑居ビル火災は、すでに遺族会は解散し、今は殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(https://www.jikou74.com/ )の土田猛氏が実質的に事務局的な機能を担っています。土田さんは歌舞伎町ビル火災の発災時、警視庁捜査一課の管理官だった方です。この日も宙の会から警視庁捜査一課を通じて警視庁記者クラブへリリースされ、一課担の記者たちが取材に来ていました。
クラブ記者もこの時期移動が多く、担当になったばかりの若い記者ばかり。歌舞伎町ビル火災で亡くなったコたちの年齢にも近く、また、昨今の"トー横"や大久保公園のたちんぼ問題と同世代でもあり、思うところはいろいろあるのではないかと。
献花に訪れる遺族も年々減り、今となっては72歳となった植田安子さんだけ。植田さんは当時、娘の長女(当時26)と次女(当時22)をここで失った。蒸す暑さの中、しんどいしんどいと言いながらも植田さんは毎年献花に来ています。私は、4階のスーパールーズで働いていて亡くなったさゆりさん(当時23歳)の母・中村すい子さんの話を聞くところから当時取材に入ったのだが、その中村さんも数年前に体調をくずし、以来くることは出来なくなった。
いくら法律が改正され(宙の会のロビー活動で2010年刑事訴訟法が改正)時効が撤廃になったとはいえ、このままいけば遺族の寿命がこの事件を実質的に時効化してしまうんだろうなあ、そんな思いがよぎります。個人的には、歌舞伎町のローカルメディアみたいなものなので、遺族がこうして歌舞伎町に来て献花しなくても書けます。が、マスコミはニュースにできるか、、だからこうして誰か一人でも遺族が献花する『絵』をつくることでなんとか記憶を繋ぐ、という作業。おそらくまあまあ年配で事件の記憶もある各社社会部のデスクに指示され、ひょっとするとはじめて歌舞伎町に足を踏み入れるような若い記者たちがやってきて取材し記事をつくる。だが、23年も経って、歌舞伎町ビル火災"事件"は未だ可決できていないという現実をどう考えるか。

"警視庁は何者かが火をつけた疑いがあるとみて今も捜査を続けています"― と報道ではそう書かれるでしょう。だが、記者たちの本音はたぶんちょっと違う。失火だったのではという疑念も残っているが、警察発表は放火の疑い。放火の疑いだというのであれば、捜査機関は『放火』として、しかも44人も死なせた重大な犯罪としての捜査をすべきでは?しかし、聞こえてくるのは「あまり触れないでほしい」という声・・・実際、警察は何も新しい情報をつかんでいないし、おそらく現実に動いてもいない。報道にのることのない本音、遺族や記者たちも含めて、もやっとしたこのままで、遺族の寿命を迎え、こうした重大な事件が実質的に迷宮入りしてしまうことを、果たして良しとしていいのだろうか。
毎年担当が入れ替わるごとに接する若い記者たちと話すと、共通するのは、この国の覆い隠された闇というか"民度"の低さというか、実際まあまあの大学を出て志をもってジャーナリストになった彼ら彼女たち、2年とか4年の経験を経、警察や行政のアリバイのような施策をクラブ記者ゆえに片棒を担ぎながらも、その目で見てきて、現実はこうなのになぜこうも表層的なのかといった衝撃を受けてくる。歌舞伎町ビル火災の取材もその一つだろう。もやっとしたまま、やがて記者歴を重ねるうちにこの国の在りように慣れてしまっていく。報道にのる記事には当たり障りのない文字が並ぶ。だが、それと記者たちの心が感じていることは言語化できていないだけで、実は相当違っていることを私は知っている。かつて、各社社会部記者が被害者遺族への声掛けを行い宙の会ができたことを想うと、マスコミ自身もよくよくこのことを考えるべきではないか。まだまだやり残している役割があるように思えてならない。
今の歌舞伎町の街並みを見渡せば、多くの外国人観光客、家族連れで子供、働く側も若い外国人が多い。もしあの時と同じことが今起きたらどういう景色になるのだろうか。あの時と良い意味で変わったこともあるが、一方で変わってないことだってたくさんある。インバウンドで浮かれた繁華街を見てて、まだまだあのような悲惨な出来事が再び起きる土壌は残っている気がしてならないのだ。


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2024年8月17日(土)歌舞伎町BON ODORI 開催! [イベント]

歌舞伎町のど真ん中「シネシティ広場」で盆踊り!

今年のお盆は、南海トラフ地震の注意警報があったり、連日35℃を超えるとんでもない酷暑だったりでしたが、お盆最後の土曜日を歌舞伎町で発散すべく、老若男女、海外からの観光客も大勢入り混じっての、日本の夏の風物詩"盆踊り"を歌舞伎町で楽しんだ1日でした。



盆踊りナビゲーターは2019年以来毎回参加してくれてる鳳蝶美成(あげはびじょう)さん。そして和太鼓アイドルユニット、東京おとめ太鼓が軽快で迫力ある和太鼓パフォーマンスを披露してくれました。


1部と2部の間に、歌舞伎町の劇場でパフォーマーをしてるというアンチックラバーズとドラゴンボールのキャラクター芸人バードフミヤが出演、歌舞伎町をテーマにしたという「アンチック音頭」をお披露目。

1部・古典盆踊りから2部・POP楽曲で踊る「盆DANCE」へ、そして最後はサプライズゲストとして9月1日まで東急歌舞伎町タワーのTHEATER MILANO-ZaでJAPANツアー中のBLUE MANが登場。なんとBLUE MAN GROUP+東京おとめ太鼓コラボによる即興"東京音頭"が実現、大盛り上がりでした。


元々秋10月開催・大新宿区まつり協賛の歌舞伎町まつりで新宿民謡連盟による盆踊りはあったのですが、どうせならちゃんとお盆にやりたいよね、という声を受けて企画、2019年から始まった歌舞伎町BON ODORI。途中コロナ禍で3年間中止をしましたが、2023年に復活、今年で3回目。この盛り上がり、いよいよ歌舞伎町の風物詩と育っていく予感(願望)。


歌舞伎町BON ODORI
場所:シネシティ広場 開場:16:00 演舞開始:18:00
◆1部 古典踊り 18:00〜
(ゲストパフォーマー)
・アンチックラバー&バードフミヤ「アンチック音頭」
・東京おとめ太鼓 ソロパフォーマンス
◆2部 盆DANCE 19:15〜
◆盆踊りナビケーター 鳳蝶美成 (あげは びじょう)
◆和太鼓 東京おとめ太鼓
◆サプライズゲスト BLUE MAN
主催:歌舞伎町商店街振興組合

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2024年7月27日(土)第21回新宿エイサーまつり開催 "新宿が沖縄一色に染まる一日"~今年で21回目となる新宿エイサーまつり開催

"新宿が沖縄一色に染まる一日"~今年で21回目となる新宿エイサーまつり、無事開催できました。

毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり”。

エイサーとは沖縄の伝統行事の事で、魂を揺さぶる勇壮な掛け声ですべての人の血を熱くたぎらせるイベントです。新宿大通りの会場を中心に、歌舞伎町、西口など新宿駅東西各所の通りでエイサーを披露します。オープニングセレモニーやステージイベントも開催。新宿が熱い日を作りだします。今回は22の団体が演舞をエイサーの繰り広げました。

エイサーとは沖縄の盆踊りです。沖縄民謡を踊る伝統的なものや、近年では創作エイサーとよばれる沖縄ポップスにあわせたものなど多彩なパフォーマンスも人気があります。

昼の部は新宿通り4会場で、夜の部は新宿駅東西6会場、歌舞伎町ゴジラロード会場が最も遅くまで演舞が行われ、今回は沖縄県より派遣されたうるま市天願区の天願エイサーがフィナーレを盛り上げてくれました。

2024.7.27 Sat 第21回 新宿エイサーまつりより FINALEは沖縄・うるま市、天願区青年会~そしてカチャーシー
【歌舞伎町ゴジラロード会場】
第21回新宿エイサーまつり

日時:2024年7月27日(土) 12:00~20:00(小雨決行)

会場:新宿駅東口/西口一帯

(昼の部:新宿通り4会場/夜の部新宿駅東西6会場)


A day when Shinjuku is dyed in the colors of Okinawa! The 21st Shinjuku Eisa Festival will be held on Saturday, July 27th. Every year! “Shinjuku Eisa Festival” is a midsummer Shinjuku tradition.Eisa is a traditional Okinawan event that stirs everyone's blood with brave chants that stir the soul. Eisa will be performed on the streets of Shinjuku Station, including Kabukicho and the West Exit, with a focus on the Shinjuku Main Street venue. Opening ceremonies and stage events will also be held. Shinjuku will create a hot day.
21st Shinjuku Eisa Festival

Date and time: Saturday, July 27, 2024, 12:00-20:00 (light rain)
Venue: Shinjuku Station East/West Exit area
(Daytime: 4 venues on Shinjuku Street / Night: 6 venues east and west of Shinjuku Station)



2024.7.27 Sat 第21回 新宿エイサーまつりより

【オープニグアクト】イクマあきらさん「Kajimaai ~虹色の夢」「ダイナミック琉球」

 コラボチーム 創作演武団SUZAKU/創作太鼓童衆 希宝


この酷暑の中、勇壮な演舞を繰り広げてくれた団体の皆様、開催にご理解ご協力いただいた沖縄県と新宿の皆様、ありがとうございました。

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新宿が沖縄一色に染まる一日! 第21回 新宿エイサーまつり 7月27日(土)開催【PR動画・4Kバージョン】 [イベント]


新宿が沖縄一色に染まる一日! 第21回 新宿エイサーまつり 7月27日(土)開催

毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり”。 エイサーとは沖縄の伝統行事の事で、魂を揺さぶる勇壮な掛け声ですべての人の血を熱くたぎらせるイベントです。新宿大通りの会場を中心に、歌舞伎町、西口など新宿駅東西各所の通りでエイサーを披露します。オープニングセレモニーやステージイベントも開催。新宿が熱い日を作りだします。 


第21回新宿エイサーまつり



日時:2024年7月27日(土) 12:00~20:00(小雨決行)

会場:新宿駅東口/西口一帯 (昼の部:新宿通り4会場/夜の部新宿駅東西6会場)


 A day when Shinjuku is dyed in the colors of Okinawa! The 21st Shinjuku Eisa Festival will be held on Saturday, July 27th. Every year! “Shinjuku Eisa Festival” is a midsummer Shinjuku tradition. Eisa is a traditional Okinawan event that stirs everyone's blood with brave chants that stir the soul. Eisa will be performed on the streets of Shinjuku Station, including Kabukicho and the West Exit, with a focus on the Shinjuku Main Street venue. Opening ceremonies and stage events will also be held. Shinjuku will create a hot day. 21st Shinjuku Eisa Festival Date and time: Saturday, July 27, 2024, 12:00-20:00 (light rain) Venue: Shinjuku Station East/West Exit area (Daytime: 4 venues on Shinjuku Street / Night: 6 venues east and west of Shinjuku Station)

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映画『キングダム』シリーズ最終章、歌舞伎町で世界初のお披露目。6月13日(木)ワールドプレミアレッドカーペットイベント@歌舞伎町ゴジラロード開催 [イベント]

【登壇者】山﨑賢人 吉沢亮 大沢たかお 清野菜名 新木優子 岡山天音 三浦貴大 要潤 髙嶋政宏 山田裕貴 佐藤浩市 玉木宏 佐藤監督 ※計13名



時は紀元前、中国春秋戦国時代を舞台に、天下の大将軍になるという夢を抱く戦災孤児の少年・信と、中華統一を目指す若き王・嬴政を壮大なスケールで描く漫画「キングダム」(原泰久/集英社)は、2006年1月より「週刊ヤングジャンプ」にて連載を開始し、現在までに単行本は72巻まで刊行され累計発行部数が集英社青年マンガ史上初となる1億部(2023年11月時点)を突破。2019年『キングダム』、2022年『キングダム2 遥かなる大地へ』、2023年『キングダム 運命の炎』は3作連続で興収50億超え、累計動員数1,000万人を超える大ヒットシリーズ。そしてその待望の最新作『キングダム 大将軍の帰還』が7月12日(金)に公開ということで、それに先駆けてのワールドプレミアレッドカーペットイベント@歌舞伎町ゴジラロードが実施されました。

天下の大将軍を目指す主人公・信(しん)役の山﨑賢人、中華統一に挑む若き秦国王・嬴政(えいせい)役の吉沢亮、秦国・総大将として戦地に舞い戻った大将軍・王騎(おうき)役の大沢たかおに加え、飛信隊副長・羌瘣(きょうかい)役の清野菜名、今作の新キャストであり王騎の過去に深く関わる謎多き武将・摎(きょう)役の新木優子、飛信隊の尾平(びへい)役・岡山天音、尾到(びとう)役・三浦貴大、王騎の副官・騰(とう)役の要潤、昌文君(しょうぶんくん)役・髙嶋政宏、隣国・趙軍副長・万極(まんごく)役の山田裕貴が登壇。さらに、王宮で政略を巡らす呂不韋(りょふい)役・佐藤浩市、知略で秦国を守る昌平君(しょうへいくん)役・玉木宏、シリーズ4作のメガホンを取った佐藤信介監督も登場。キャスト陣&監督ら計13名がブラックコーデに身を包み、レッドカーペットを歩きました。


映画のシリーズとしてはいよいよこれが最終章とのこと。タイトルにもある「準備を入れると8年、"大将軍の帰還"を見てもらうことを目指して頑張ってきた」と王騎(おうき)役の大沢たかおさん。3作連続で興収50億超えの大ヒットシリーズだが「それとは、また違う世界まで行こうと、スタッフ、キャストが一丸になって、心と魂を込めて撮影してきた」。シリーズ全作でメガホンをとった佐藤監督も「実に8年という長い時間、気の遠くなる作業で汗水たらし、何万カットを撮った。そういう積み重ねでしか到達できない作品になった」とコメント。

見どころ満載の映画『キングダム 大将軍の帰還』は7月12日より公開です。



キングダム 大将軍の帰還

2024年製作/145分/G/日本

配給:東宝、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

劇場公開日:2024年7月12日


2024年7月12日(金)ついに、歴史が動き出す―

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新宿・花園神社例大祭 令和6年5月26日(日)神幸祭渡御より~コロナ禍を挟み6年ぶりの本社・雷電神輿巡行敢行! [祭]


歌舞伎町は、かつての、淀橋区、旧角筈北1丁目の一部が現在の歌舞伎町1丁目(1948年)、旧西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目(1978年)、四谷区旧三光町の一部が歌舞伎町1丁目1番地(1978年、現在のゴールデン街付近)からなっています。そうした旧町名ごとに、それぞれの神社の氏子となっています。旧角筈地区は新宿・十二社熊野神社、旧西大久保が鬼王神社、そして旧三光町が花園神社の氏子です。結果的に、歌舞伎町界隈では、これら3つの神社の祭りがあり、例大祭は、熊野神社・鬼王神社は9月、花園神社は5月に執り行われます。
花園神社の例大祭は、例年、5月の28日に一番近い土・日・月曜日に行われます。本年は「表の年」(※1年おき)、獅子頭や島田囃子を乗せた山車を先頭に、本社神輿と雷電神輿の二基が神社から靖国通り、新宿通り、明治通りを練り歩きます。
新宿の神輿で、ひときわ美しい花園神社本社神輿は、一度戦災で失われ、後に氏子のみなさんの尽力により昭和55年、35年ぶりに復活したもの。台座幅は110センチ、高さ3メートル、重量1500キロのかなり大きなものです。二基ある本社神輿のもう一基、雷電神輿。
コロナ禍の令和4年度の神幸祭では、軒並み中止となっていた「お祭り」の中で花園神社が先陣を切るかたちで例大祭を敢行したものの、本社神輿は台車に載せての巡行となり、また雷電神輿は宝物殿に眠ったままでした。したがって、今年度は、コロナ禍で中止になった令和2年度を挟んで、令和元年以来、6年ぶりの本社・雷電神輿渡御となりました。
本年は24日(金)宵宮祭 25日(土)大祭、26日(日)神幸祭、宮神輿巡幸及び氏子町内神輿渡御、27日(月)後宴祭という日程でした。また、境内に100軒からの露店がでるというのも花園神社のお祭りの特徴です。今時、的屋のいる祭りも少なくなってきましたが、花園神社では秋の酉の市とともにこの賑わいもどこか懐かしく来街者に人気のようです。
The sacred place of Shinjuku Hanazono shrine(5-17-3 Shinjuku)
The Birth of Naitoh Shinjuku
Shinjuku used to be called “Naitoh Shinjuku”, or “Tsuibun Shinjuku” which means “the new accommodation area built in front of the property of Naitoh mansion”.
The time when Naitoh bestowed Shinjuku,the area was quiet, and despite being right on the main street, had no hotels. At the time, the area with hotels was Takaido, about 10 miles away from Shinjuku.
This was inconvenient for people, so Kihei Takamatsu (headman of Abekawa town, Asakusa) applied to establish hotels on Naitoh family’s property in exchange for government payments in 1698. That is why it used to be called “Naitoh Shinjuku”.
Hanazono shrine,the land of blooming culture.
Back in the day Hanazono shrine was supposed to be a big village shrine, and many people would visit for the sake of their religious faith. When it needed a restoration due to the big fires in 1780 and 1811, they added a stage for plays and dance shows. This was the beginning of the performing arts culture of Hanazono shrine.
After World WarⅡ, the town where Koshu Kaido and Oume Kaido cross became a place of energetic spirits.
In Japan, the origin of the entertainment business is said to have come from the shrines. Hanazono shrine is not an exception.
2024/5/26
本社・雷電宮出し・巡行~三光町神輿宮出し・渡御随行~本社・雷電神輿巡幸随行~宮入まで
※動画は後日改めてアップします。
撮・記: 寺谷 公一 (Kouichi Teratani)


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2024年4月28日 新宿歌舞伎町大歌舞伎祭開催~歌舞伎町発の大お練りも実施。中村勘九郎さん「一生に一度できるかできないかの体験!」 [イベント]

5月3日(金・祝)より(~26日 THEATER MILANO-Zaにて公演)行われる「歌舞伎町大歌舞伎」を前に、街をあげて歌舞伎公演を盛り上げようという「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」(4月28・29日)。

この日、4月28日は大歌舞伎祭のメインイベントとして「歌舞伎町大歌舞伎」に出演する中村勘九郎さん、中村七之助さんをはじめ、中村虎之介さん、中村勘太郎さん、中村長三郎さん、中村鶴松さん、6人の歌舞伎俳優が参加しての新宿の街で大お練りが実施されました。



歌舞伎町が誕生したのは昭和23年4月。命名したのは当時の東京都で戦後復興を手掛けた石川栄耀(いしかわ ひであき)氏。当時の歌舞伎町(旧称:新宿角筈一丁目)にて復興協力会を結成した鈴木喜兵衛氏らから被災地を繁華街にする計画案がだされて、、「東向きに芸能施設をなし、道義的繁華街を建設する」(鈴木喜兵衛氏)と歌舞伎劇場(菊座)誘致による大衆芸能を主軸とした"道義的"繁華街の建設を目指していたと言います。そして新興文化地域にふさわしい町名を、との声が起こり、都で戦災復興に奔走していた石川栄耀が提案した「歌舞伎町」に決まりました。

しかし、歌舞伎を公演する菊座(東宝)や映画館、演芸場、ダンスホールの建設計画が立てられ、いよいよ着工・建設という段階に突然の臨時建築等規制と預金封鎖の金融緊急措置令が発動。計画は不可能となり頓挫。歌舞伎劇場を誘致することなく「歌舞伎町」の名前が残り、今に至ってます。

あれから76年経ち、当時の復興協力会で主導的立場にあった方々の子孫は今や3代目となります。先人たちの思いを実現すべく、いつか歌舞伎町で"歌舞伎"公演を、という念願を、歌舞伎劇場の建設、とはいかないまでも、こうして本格的な歌舞伎公演を東急歌舞伎町タワーを有する東急が形にした、ということで、では、街をあげて(歌舞伎町睦の神輿渡御、大お練りはモア4番街からのスタートとするなど))それを応援しましょう、ということでの本イベント実施となったわけです。

かねてより渋谷文化村シアターコクーンでの歌舞伎公演の実績のある東急だからこその誘致成功という部分もあったように聞いています。東急歌舞伎町タワー建設時より練られ、実現できたことは関係者にとっては感慨深かったのではないでしょうか。

公演自体は5月3日よりはじまります。1等席はまだまだ余裕があるようですので、よかったらこの歴史的公演に足を運んではいかがでしょうか。



【開催概要】新宿歌舞伎町大歌舞伎祭「大お練り&舞台挨拶」
■日時 : 2024年4月28日(日)13:00~14:40
■場所 : 新宿歌舞伎町エリア(新宿歌舞伎町広域エリア・東急歌舞伎町タワー・シネシティ広場・モア4番街)
■参加者 :
・『歌舞伎町大歌舞伎』公演出演者
中村勘九郎、中村七之助、中村虎之介、中村勘太郎、中村長三郎、中村鶴松
・東京神楽坂組合芸妓 10名
・江戸消防記念会(木遣り)14名
・実行委員会関係者
新宿歌舞伎町大歌舞伎祭実行委員長(歌舞伎町商店街振興組合名誉会長) 片桐 基次
歌舞伎町商店街振興組合理事長 一般社団法人歌舞伎町タウン・マネージメント理事長 杉山元茂
新宿区議会議員 下村治生
東京商工会議所新宿支部会長 髙野 吉太郎
新宿大通商店街振興組合理事長 竹之内 勉
新宿東口商店街振興組合理事長 志村久弥
新宿駅前商店街振興組合理事長 和田 総一郎
一般社団法人新宿観光振興協会理事長 杉江 俊彦
東急株式会社執行役員 文化・エンターテインメント事業部長 木村知郎
・来賓 新宿区長 吉住健一

■進行概要 :
12:10 歌舞伎町睦・神輿渡御
13:00 大お練りスタート@モア4番街~ゴジラロード通過~シネシティ広場特設ステージへ
13:45 舞台挨拶スタート
登壇者紹介 / 主催挨拶 / 来賓挨拶 / 歌舞伎公演出演者挨拶
東京神楽坂組合芸妓より花束贈呈 / 記念撮影(フォトセッション)
舞台挨拶終了

舞台挨拶では中村勘九郎さんが「全国色々な所でお練りをしてきましたが、生まれも育ちも東京の中、東京でのお練りは少し恥ずかしかったです(笑)。人力車で新宿の駅前を通って、靖国通りを横断なんて一生に一度できるかできないかという体験をさせていただきました。今度は私たちが舞台から皆さまにパワーをお返しする番だと思っております。」と新宿・歌舞伎町という街で初めてのお練りを終えた興奮と、公演に向けて意気込みをコメントしました。
また、中村七之助さんは「学生時代に新宿でよく遊んでいたのですが、40歳になり久しぶりに新宿に来たら(街が変化しており)衝撃を受けました。学生時代に遊んでいたボーリング場がそこにあり、人生で最高スコアを出した場所です。新しいものと古いものが混在している街の、新しい「THEATER MILANO-Za」で初めて歌舞伎をやらせていただくことを、本当に嬉しく思います。」と歌舞伎町の思い出を交えながら、歌舞伎公演を行う喜びを語りました。
続いて、中村虎之介さんは「歌舞伎を新宿で観るのは初めての方もいらっしゃると思いますので、この一ヶ月間、歌舞伎町を歌舞伎色に染めることができればなと思っております!」と公演に向けた意気込みを語るとともに、見どころについて聞かれると「お練り中に若い女性がチラシを見て”マジやべ〜!わかりやすそう!”と言っていたので(笑)、たくさんの方に身近に感じてもらえる舞台なのではないかと思います。」とお練り中のエピソードや今回の公演の魅力をコメントしました。
中村勘太郎さんは「新宿はあまり来たことがないですが、色んなビルが建っていて、新しい光景を見ることができました。今回、僕は『流星』の彦星(牽牛)というお役を踊らせていただきます。一生懸命勤めますので、どうぞ皆様お足を運んでいただけると幸いです。」とお練りの中で感じた新宿の街並みの感想や公演に向けた意気込みを伝えました。
中村長三郎さんは「歌舞伎町でお芝居をするのは初めてですし、初めての『流星』での織姫(織女)役なので、一生懸命勤めていきたいです。」と語り、役への意気込みについては「久しぶりの女方で、今年に入ってからは初めての人間(のお役)なんです!(今までは)獣から虫になって、人型の神様になって、まだ人間の役をやっていないので。女方も2年ぶりなので、男にならないように気をつけたいです!」と笑顔で話しました。
中村鶴松さんは「最先端の新宿・歌舞伎町で、400年前から続く歌舞伎を上演できることを楽しみに思います。お練りをしていても、今までのお客様の層とは異なり、若い方も多かったので、僕らの歌舞伎をその方々にも観てもらいたいです。(演目の)ストーリーも分かりやすいので、外国の方が観ても面白く、楽しめると思います。」と『歌舞伎町大歌舞伎』への意気込みをコメントしました。

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