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10月18日(水)歌舞伎町"ゴジラロード"にて『ゴジラ-1.0』ワールドプレミアレッドカーペットイベント実施 [イベント]

歌舞伎町セントラルロード、ここで、2016年7月、シン・ゴジラ(庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督)公開にあわせてレッドカーペットイベントを実施した際、愛称として"ゴジラロード"と呼ぶことにしたわけだが、あれから7年ぶりに、"ゴジラ"が帰ってきた。
新作『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE)の舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現、主演の神木曰く「これが絶望っていうんですかね。」と、ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とすというストーリー。
戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。主演敷島浩一役は神木隆之介、ヒロインの大石典子役を浜辺美波、そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と豪華キャストが共演。11月3日より公開。
ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている本作のプレミアイベントが10月18日、シン・ゴジラと同じここ歌舞伎町"ゴジラロード"で行われた。本作ゴジラと身長と同じサイズだという50.1mのレッドカーペットが敷かれ、主演の神木隆之介、ヒロインの浜辺美波、ほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介、監督・脚本・VFXを担った山崎貴が出席。
「絶望って目には見えない感情だったり、気持ちだと思うんですが、“見える絶望”、それが(今作の)ゴジラでした。」と神木。「私は、絶叫してました。劇場でも、皆さん、躊躇せず叫びながら見ていただけたらすごいタノシイ時間になるのではないかと思ってます。」(安藤サクラ)「このゴジラは体感するゴジラ、音もそうだし映像もそうだし、本当にそこに存在するのではないかと思わされる、そんなゴジラだと思います。」(山田裕貴)と音響・VFXもすごいらしい。ScreenX(3面マルチプロジェクション映画上映システム、正面+両側面にも映像が投影され視界270度で映画を鑑賞できる)での上映も決まったということなので、どうせ見るならScreenXのある劇場がいいかもしれない。
10月17日(このイベントの前日)に『ザ・クリエイター/創造者 The Creator』のプレミアで来日していた監督のギャレス・エドワーズ(2014年のハリウッド版ゴジラ1作目の監督でもある)も試写を観たとのことで、新作ゴジラを絶賛していたそうだ。
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『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE)
生きて、抗え。
焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。
残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。
ゴジラ70周年記念作品となる本作『ゴジラ-1.0』で監督・脚本・VFXを務めるのは、山崎貴。
絶望の象徴が、いま令和に蘇る。
11月3日(金・祝)全国にて公開。

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10月1日、歌舞伎町に大衆演劇場・歌舞伎町劇場が誕生。「歌舞伎町劇場の誕生をもちまして、はじめてこの歌舞伎町は、その本来の姿を取り戻すきっかけをつくった。」(山根大/山根演芸社・社長) [映画・演劇・ライブ]

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場所は東通り、区役所裏の正面。この秋完成したHANAMICHI TOKYO KABUKICHO(ハナミチ東京 歌舞伎町:新宿区歌舞伎町1-6-12、新宿メトログループ/代表取締役 方山 成朱)は約120坪の敷地に建てられた地下1F地上4F、その建物のB1(1Fエントランス・カフェ併設)。153席、長い花道と3基のせり、豊富な幕と各種照明や音響設備、7×3mの大型LEDビジョン等、大衆演劇場という以上の設備を備えた印象を受ける。劇場代表(館長)は自身もシナリオライターだという水野多恵子さんが務める。

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囲みの1カット。「質問があればどうぞ」って言っても、メディアからなかなかでてこない・・で苦笑い。そりゃ、メディアは"ラスボス"小林さん行っちゃうよね。とはいえ、歌舞伎町ではトピックです。左:吉住健一新宿区長と、右:方山成朱氏。


新宿メトログループと言っても、地下鉄とは関係ない。区役所通りにある新宿バッティングセッターほか、新宿や歌舞伎町にメトロビルなど数棟のビルを持つ新宿企業株式会社、三信商事株式会社、新宿メトロ会館のグループ。

歌舞伎町でいうと、一番街で戦後、スマートボールの遊技場あたりからが第一歩目か、この街の誕生期から関わる方元俊が初代、現社長の成朱は三代目。方元俊の足跡は、先だっての記事でもある弁財天横の王城ビルを持つ大星商事も含まれる(一応元俊氏の弟が社長だったが)。

という、いわば昭和の歌舞伎町のエンターティメントをつくって賑やかしてきたという一面を持つ。"方"の名前の通り在日の一族ですが、成朱は帰化し、日本国籍。昭和の記憶も薄れ、いろいろ賑やかしつつもやらかしもあった初代・元俊の足跡はもはや伝説の一篇となりつつあるが、三代目の成朱は会うたびに「歌舞伎町に貢献したいです。」と。そして、彼が思う"道義的繁華街"の理想の姿と、その「歌舞伎町に貢献したい。」という思いを形にしたのが、三代目を継いでの最初のプロジェクトとなった『ハナミチ東京 歌舞伎町』、それだけに相当思い入れは強い。


9月28日に内覧会があり、10月1日より開業するB1の歌舞伎町劇場と、惜しまれて閉店した新宿東口にあった昭和な感じの純喫茶と言ったほうがいいか、「珈琲 西武」がこの新しいハナミチ東京の2Fに移転オープンしたのでそこと、2Fテナント【 和レンタル衣装 きぬも 】を見せてもらった。

3F 【 食のHANAMICHI内藤新宿 】 4F【 食のHANAMICHIはなれ 】【 BBQてらす御来光 】は11月にオープンとのこと。

そして、10月1日、いよいよ大衆演劇場・歌舞伎町劇場が開業、こけら落とし公演には「たつみ演劇BOX」、なんと初日、"ラスボス"こと歌手の小林幸子さんが出演ということで、ビル開業のテープカットにも、「ハナミチ東京 歌舞伎町」スペシャルアンバサダーとして登壇した。

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「たつみ演劇BOX」こけら落とし公演は、満席、ほかに補助席もだしての観覧となった。アタマで鏡割り、小林幸子さんや「たつみ演劇BOX」の小泉兄弟、館長の水野さんに加え、山根演芸社の山根大(はじめ)氏も登場、鏡割りと乾杯の音頭まで仕切っていた。

その中で、「歌舞伎町は大衆の娯楽の場として、この街を栄えさせようという思いから歌舞伎町という名前がついたと聞いている。戦後80年近くたち、歌舞伎町劇場の誕生をもちまして、はじめてこの歌舞伎町はその本来の姿を取り戻すきっかけをつくった。」と山根さんが述べた口上が、オーナーである成朱の思いと重なり、印象深かった。

館長の水野さんから聞いたのだが、大衆演劇は、売り上げや経費は小屋と劇団、折版するというのが当たり前だそうだ。そういう意味では、単なる貸し小屋ではなく、お互いに思い入れと財布を考えつつ、どうお客を楽しませるか、癒すか、そしてその中にどう我を写すのか、共同作業がシステムになっているのが素晴らしいと感じた。

また、観劇に際し、珈琲西武の弁当が持参出来たり、和服レンタルができて街歩きができたり、またこけら落とし当日に開催されていた『第40回 歌舞伎町まつり』(主催:歌舞伎町商店街振興組合)の飛び入り企画として、人力車に乗った小泉兄弟と「たつみ演劇BOX」の演者らが歌舞伎町をお練りを敢行、さらに東急歌舞伎町タワーのスタバ前のステージでデモンストレーションを繰り広げるなど、外にも繰り出すことで街全体にシナジーをつくりだそうという試みもあった。採算面ではなかなか簡単ではないとは思うが、そこは体力のある新宿メトログループ、ド派手な影響力を歌舞伎町で発揮してもらえたらなと思う。

大衆演劇場・歌舞伎町劇場、11月には「宝海劇団」公演、12月から来年1月末にかけては「劇団花吹雪」出演、ほか、まだまだゲストを迎えた開業記念イベントやクリスマスイベントなどが実施される予定だそうです。


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