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2011年9月18日(日)新宿十二社・熊野神社例大祭・角筈連合渡御 [祭]

送信者 2011/9/18 新宿熊野神社例大祭(歌舞伎町睦)

2011年9月18日(日)新宿十二社・熊野神社例大祭・角筈連合渡御

新宿熊野神社例大祭は、3年に一度の本社神輿が出る陽祭と、間に陰祭が2年行われます。陰祭では、本社神輿は出ませんが、熊野神社の氏子町神輿による連合渡御が行われたりします。2011年は、角筈連合渡御(歌舞伎町1丁目もこの熊野神社の氏子であり、角筈の5睦である西口・西一・角一南・角一東・歌舞伎町、今年はさらに淀橋6睦からも1睦が加わって、神輿6基での連合渡御となりました。
ちなみに角筈という名は新宿の西口から東口の3丁目の駅前周辺、歌舞伎町エリアの旧地名。歌舞伎町も町名が命名された60年前の昭和23年4月以前は角筈北一丁目と呼ばれていました。なお、熊野神社の神輿渡御は千鳥担ぎが公式ですが、歌舞伎町睦は宮出しと、連合解散式後の夜から宮入までは江戸前担ぎにて渡御を行っています。

11:00 歌舞伎町弁天堂公園に担ぎ手集合、歌舞伎町睦出発式。

角筈連合各睦は13時アルタ前集合から連合渡御。歌舞伎町睦もモア3番街を抜け、アルタ前を目指します。

アルタ前に各睦集結後、東日本大震災の被災地の岩手県北上市二子町より参加の「二子鬼剣舞」を観賞。

13:45、アルタ前にて一斉に各睦神輿が上がって角筈連合渡御開始。

角筈連合は歌舞伎町へ。ここから歌舞伎町睦が先頭に立ちます。

連合渡御は17時半まで行われ、その後各睦は自分の街に戻って宮入へ。19時半、歌舞伎町睦もスタート地点の弁天堂へ宮入りにて終了。
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“新宿がいちばん暑い日。” 2012新宿エイサーまつり 7月28日(土)開催 [祭]

新宿がいちばん暑い日。
2012新宿エイサーまつり 7月28日(土)開催

「新宿エイサーまつり」とは

毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり” エイサーとは沖縄の伝統行事で魂を揺さぶる勇壮な掛け声ですべての人の血を熱くたぎらせるイベントです!毎年7月最終土曜日開催。
 

オープニングセレモニー(スタジオアルタ前)
13:30~14:00
ゲスト:古謝美佐子/夏川りみ/琉神/佐原一哉 他

この日の新宿は35℃、文字通り”新宿が一番熱い日”となった中で11回目となる新宿エイサーまつりがスタート。沖縄復帰40周年記念オープニングパフォーマンスとして、ダンスユニットSol-T-Shine、富盛青年会のエイサー演舞、そして大会委員会高野会長・中山弘子新宿区長の挨拶、沖縄音楽フェスティバルに出演の古謝美佐子さん、夏川りみさんのステージなど盛りだくさん。

 
【昼の部・新宿通り会場】ダイジェスト
昇龍祭太鼓、しん、心~くくる~、成田エイサー美ら海会、炎舞太鼓&エイサーシンカゆい、用賀小エイサーチーム、上石神井琉球エイサー会、なんくるエイサー、青海波(せい­かいは)、新風(あらかじ)エイサー、明正小☆HAPPYエイサーズ、琉球國祭り太鼓。

◆演舞会場(昼の部) 13:00~16:00
D-1 アルタ前
D-2 新宿高野前
D-3 三越伊勢丹新宿ビル前
D-4 伊勢丹前
D-5 マルイワン前

後半は、17時-21時まで新宿駅東西6会場での模様。 双葉通り会場(和光青年会、町田エイサー 琉)、モア4番街会場(横田西多摩エイサー太鼓)、西口の小田急電鉄本社前会場(舞弦鼓)、そして、フィナーレは歌舞伎町シネシティ広場にて(琉球創作太鼓 零、しん、なんくるエイサー)。最後は昇龍祭太鼓&琉球旗頭會~カチャーシーにて終了。 

◆演舞会場(夜の部)
N-1 新宿三井ビル 17:00~19:00
N-2 双葉通り 17:00~19:00
N-3 モア4番街 17:00~19:00
N-4 小田急電鉄本社前 17:00~19:00
N-5 歌舞伎町シネシティ広場 19:00~21:00
N-6 小田急ハルク前 18:00~20:00
 
主催:新宿エイサーまつり大会委員会
(新宿大通商店街振興組合・新宿東口商店街振興組合・歌舞伎町商店街振興組合・新宿駅前商店街振興組合・新宿文化街商店会・歌舞伎町二丁目商興会・西新宿一丁目商店街振興組合・西新宿商興会・新宿新都心開発協議会
 
後援:東京都・沖縄県・(財)沖縄コンベンションビューロー・新宿区観光協会・公益財団法人東京都観光財団・東京商工会議所新宿支部・公益財団法人新宿未来創造財団
 
新宿エイサーまつり大会委員会
http://www.shinjuku-eisa.com/


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新宿エイサーまつり公式twitter https://twitter.com/ShinjukuEisa

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送信者 2012 新宿エイサーまつり 2012/7/28 sat.
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9月16日(日)新宿総鎮守・十二社熊野神社大祭 [祭]

9月16日 新宿総鎮守・十二社熊野神社大祭
 
新宿駅周辺、ならびに西新宿と歌舞伎町を含む地域の総鎮​守が十二社・熊野神社です。祭礼は毎年秋に開催されます​。本年は、9月16日(日)に大祭が執り行われました。​3年ごとに陰・陰・陽祭を繰り返し、本年2012年は陽​祭で、大祭の行われた16日の日曜日には、2基の本社神​輿が新宿駅東口西口及び歌舞伎町の地域を練り歩きました​。

13時 熊野神社より宮出~十二社~甲州街道~明治安田生命ビル前に14:40着14:50発

新宿駅西口~靖国通りを経て歌舞伎町には15時頃入ります。

セントラルロード~一番街を経て歌舞伎町を出て、モア4~16:15 新宿駅東口

紫色の半纏は協力員と言って、言ってみれば「祭礼」の実行委員のようなもの。各睦から代表者が選ばれ、この祭りの企画から準備に奔走された方々。彼らを“立てる”という意味で、一番目立つアルタ前では協力員が花棒を担ぐ、上の写真はそういう場面。歌舞伎町睦からは中井光春氏(歌舞伎町商店街振興組合理事、坂内オーナー)と杉山元茂氏(歌舞伎町商店街振興組合専務理事、すずや社長)が協力員として、この場面で花棒を担いでます。

17:30頃に新宿通り~アルタ前を経て靖国通り
青梅街道~新宿警察署前を左~そのまま20:40過ぎの宮入へ。

歌舞伎町睦は、歌舞伎町~アルタ前までの本社神輿渡御後、夜は町神輿を担い​で町内を練り歩き。賛否はあろうかと思いますが、歌舞伎町睦の“夜”は江戸前担ぎで盛り上がります。本来、熊野神社は“千鳥担ぎ”ですが、この担ぎ方は若干馴れも必要でちょっと難しい。

伝統美、文化の継承の大切さ、難しさ―「千鳥担ぎ」この担ぎ方は熊野神社の他に新宿区須賀町の須賀神社の「四谷担ぎ」と並んでとても希少な担ぎ方。リズムとりに鉦(チャンチキ)を使っているのも特徴があります。千鳥足…というと酔っ払い歩きがその代表でふらふら…というイメージですが この千鳥担ぎは、小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じ。お神輿の先棒・花棒(はなぼう・担ぎ棒の先端)を肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ(現在の主流の担ぎ方)、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところもこのお神輿の珍しい特徴です。但し昔から千鳥担ぎをよく知っている方は、やはり肩で担ぎ、担いだ肩の方の腕はしっかり棒を押さえ空いている腕は頭の後ろから回し上から棒を押さえます。掛け声も、江戸前担ぎの「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」「こりゃさぁ こりゃこりゃ」等、この珍しいが故に難しい担ぎ方をしたくて、お神輿好きが各地から集まってきたりもするとか。

↓そして江戸前担ぎで夜の歌舞伎町を渡御する歌舞伎町睦。


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2013年5月14日 歌舞伎町弁財天祭礼―歌舞伎町弁財天の由来話など。 [祭]

2013年5月14日、歌舞伎町弁財天祭礼が執り行われた。ここは秋に行われる熊野神社例大祭(今年は9月14日15日)で歌舞伎町睦の御酒所が設置される場所でもある。

歌舞伎町はかつて、この地が、肥前国(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治~大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。真ん中に池とそれを湿地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だった。大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。
明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には旧コマ劇場の辺りには東京府立第5高等女学校ができ、徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていった。池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で」本堂改築を行う。昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、その後、峯島家に返還され、改めて、戦後復興期、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設、その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合所有に、現在の公園用地は新宿区に寄贈され、現本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。
以来、歌舞伎町商店街振興組合は毎年5月、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺から僧侶を招き、この弁財天で祭礼を行っている。


以下、弁天堂公園(歌舞伎町公園)に設置された弁財天像に記載されている由来碑文。


弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来

弁天様は佛教以前に賢者聖人の信仰厚き 宇賀神と稱する天地創造乃神のお一方で 佛教能始祖は天部の神登し佛教の守護神として崇がめられた尊神である
宇賀神はもと淨流水源等水を司る神で妙音天と云われ又美音天とも稱せられた文化神で 信仰すれば知恵が授かり芸術に長ずると古ろから 弁才天登云われ更に戝寶が授かる霊験のある処から 才乃字が戝能字に替り弁財天と云われるようになった
而して天部の神が垂れ賜う博愛を 美麗なる弁天のお姿で表現せられ信者は 弁天様乃愛稱で合掌する福の神様である

歌舞伎町は昔大村乃森と云われ広大な沼があって沼の邉りに 弁天様が祀られてあった
淀橋淨水場の建設に当り其の残土で沼は埋められ 峯島家で現在の場所に 弁天様は祀られ 大正二年堂宇の改築再建に当り不忍弁財天より現在安置乃 御本尊を勧請して九月巳の日に盛大な祭典が行われ爾来九月の巳の日を 歌舞伎弁天の祭日とせられた
大正十二年に至り町内有志の発議により 峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で大改装がせられたものであったが昭和二十年四月の大空襲で本堂及びお守家も罹災した
其の時熱心な信者の一人岡安たか子氏は苛烈な空襲下に於て 弁天様の厨子を脊に奉戴し堂守の梅原氏が付添ひ笹塚に避難しアパートの一室に安置をした
間もなく岡安氏は 弁天様が峯嶋家に移り度いとの御告げがあったので梅原氏夫妻に挓して峯嶋家にお移し申した
混乱した戦災時に於けるこの記録は信者乃田中次郎吉氏に依って明らかにせられたものである
而して昭和二十一年復興協力會では全町戦災した歌舞伎町の計画建設に当り区画を整備せられた際 弁天様の敷地は寸尺も変更せず以前のま〃を保存し復興協力会々長鈴木喜兵衛氏は街建設に魁がけて仮殿を建設し峯嶋家に安置せられてあった 御本尊をお移し申し現在に至ったものである
此の度 有志相寄り 弁天堂再建奉賛會を結成し大方の淨財を以て 永久不変の耐火構造に依り 御本堂を再建し 境内の改装を行ひ面目を一新して この霊験あらたかなる 歌舞伎弁財天を当町及び近隣の 守護神として永遠に崇め奉らんとする次第である

鈴木喜兵衛謹書

昭和三十八年四月 歌舞伎町弁天堂再建奉賛會建之          
奉賛會々長 藤森作次郎
建設委員長 小松太良八


歴代の商店街理事長・副理事長らとともに、かつてここらの土地大半を所有し、“歌舞伎町”建設の楚となった旧尾張屋銀行・峯島家の当代当主峯島茂兵衛氏は左から二人目。皆さん、碑文に彫られた歌舞伎町を築いた方々のご子息、ということになります。

太平洋戦争末期、昭和20年4月13日の米軍の空襲によって新宿駅周辺は焼け野原になってしまう。終戦を迎え、当時淀橋区角筈一丁目北町の町会長だったのが鈴木喜兵衛氏。疎開先からこの地に戻った鈴木は、家や家族を失いつつも散りじりになっていた当時の住民たちを訪ね、「復興協力会」を結成。戦後復興の鍵は観光にあるとして、地主・借地人・居住者をまとめ、区画整理をし、道義的繁華街をつくるというまちづくりの計画を立てた。
劇場を中心に、映画館、演芸場、ダンスホール、ホテルなどを建設するという計画。占領下にあって存続が危ぶまれた伝統芸能を守ろうと、演劇関係者らが発起人になり菊座という名前の歌舞伎劇場建設も計画された。折から、新興文化地域にふさわしい町名を、との声が起こり、都の石川栄耀都市計画課長が提案した歌舞伎町に決まった。昭和二十三年のことで、「語呂もよし感じもよく、この町の建設目的にもピッタリとして居るので」と、鈴木氏はその著「歌舞伎町」(昭和三十年)で回想している。

昭和23年4月1日、新宿に歌舞伎町が誕生する。しかし、GHQによる大規模施設の建築禁止令が出て、歌舞伎の劇場計画は中止になってこの計画はいまだに実現していないし今後もないだろう。
昭和24年都電の終点が新宿駅東口から歌舞伎町の入り口に移転。さらに昭和25年産業文化文化博覧会の会場に歌舞伎町が名乗りをあげ、これが成功。そして、昭和29年大規模施設の建築禁止令が解除され、産業文化博覧会用に建てられた施設を改築して映画館やスケートリンクが誕生、いまの歌舞伎町の原型が出来上る。昭和31年には、歌舞伎町の中心に新宿コマ劇場が誕生、当時の住民達の歌舞伎劇場誘致への想いが歌舞伎劇場ではなかったにせよ一つの目標達成だったかもしれない。映画館、劇場、スケートリンクを中心に多くの人たちがあつまった歌舞伎町には飲食店も増え、「大衆娯楽の街」として繁栄の時期を迎える。

昭和30年代は戦後生まれの若い世代がこの街に集まった。ツイストで踊り明かし、歌声喫茶で歌い、酒を酌み交わす当時の最先端の文化・流行発信の街として栄えた。ビジネスチャンスも多く、戦勝国として利権を与えられていた台湾華僑・韓僑を筆頭に、露骨な資本力は歌舞伎町の一等地を手に入れ盛んに商売した。今の歌舞伎町の、許容性の高い多文化的な賑わいはこういった経緯がもたらした。

“歌舞伎町”建設時に鈴木氏らがこの街に与えた「大衆娯楽の街」というDNAと、もう一つの、許容性の高さ、言ってみれば、“懐の深さ”ともいうDNAは、同時に、“無関心”や、時に“対立”も生む。誰でもウェルカムな敷居の低さ、そして人生の再チャレンジができる場という“懐の深さ”は、この街の欠かせない魅力の原点である。同時に、良いも悪いも呑み込む、言わば、歌舞伎町の“邪”や“影”の部分をも許容する。歌舞伎町の魅力的なこの、“裏と表の半身浴事情”はそんなところに由来するのだろう。


東京都新宿区食品衛生協会 平成25年度通常総会 関矢会長「食材食品に消費税をかけぬよう」自民党に強く要望 2013.5.13


社団法人東京都食品衛生協会の新宿区支部、という位置づけが本年より変わり、新たに社団法人東京都新宿区食品衛生協会(関矢多嘉夫会長)として発足した新宿食協の平成25年度通常総会。新宿区の「安全で安心な質の高い暮らしを実感できる町」の方針に則り、新宿区民や新宿を訪れる方々に“食”を介して、楽しい至福の時を提供すると共に、食の「安心・安全」を維持するために、ダイナミックに事業を展開する、とある。食品衛生協会は、飲食業を中心に、食に係る16業種、保健所行政所管にあたる事業を行う企業・店舗が加盟し、衛生講習会やフ食品衛生フェア等イベントを通じ、食の「安全安心」の啓発や指導、PR等を行う。会員収入により、年間約1,000万円程度の事業予算で運営されている。

会長は関矢多嘉夫氏、元々は居酒屋やかつてはキャバレーなども経営していた根本観光グループの役員から、現在は歌舞伎町のパブクラブ・ロータリー等を経営、新宿社交料理飲食業連合会(SRI)の組合長も兼務する。食品衛生(保健所)行政所管の団体ということもあり、都・区議会とも密接な関係にある。先だっての総選挙で、新宿が含まれる東京1区にて自民党から初当選した山田みき氏、さらに今年は東京都議会議員選挙(6月23日)参議院議員選挙(7月28日)があるということもあって、現新宿食協が支持する自民党からの現職・候補予定者らも参加(写真は吉住健一都議会議員、秋田一郎元都議会議員)、関矢会長から推薦状が手渡される場面もあった。
無論、食品衛生行政の補完組織であるだけでなく、政治への注文も忘れない。関矢多嘉夫会長「(円安やアベノミクスによって)景気が良くなるというアナウンスはたくさんあるが、これが輸出関連の企業だけにとどまらないようにしてほしい。飲食業界というのは、なんかやらないとだんだん悪くなる。食材とか食品に、是非消費税をかけないように頑張っていただきたい。」と、挨拶の中ではあるが、来年度より予定されている消費税アップから食品を除外するよう強く要望。


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9月22日(日)新宿総鎮守、十二社熊野神社例大祭【歌舞伎町睦】 [祭]

送信者 Shinjuku,Kabukicho 2013

9月22日(日)新宿総鎮守、十二社熊野神社例大祭【歌舞伎町睦】

新宿最大の祭り、新宿十二社 熊野神社例大祭が9月22日に執り行われました。新宿駅周辺から歌舞伎町、西新宿を氏子町の範囲とする新宿総鎮守が新宿十二社・熊野神社です。例大祭(本年は9月22日)では氏子各睦の神輿が神社周辺並びに新宿駅周辺、歌舞伎町などを練り歩きました。

◇歌舞伎町睦(かぶきちょうむつみ)
新宿十二社・熊野神社13睦の一つ。歌舞伎町睦は神酒所(みきしょ)を歌舞伎町公園(弁天堂公園)に設置。21日に御霊入れを執り行い、22日はここが街神輿渡御の宮となって、宮出、宮入の拠点とします。
永らく、30年近く歌舞伎町睦の渡御長を務めてきた佐藤清氏(65)から今年は片桐真介氏(38)が任を引き継ぎ、歌舞伎町睦はさながら世代交代の様相も。睦には睦の、それぞれの伝統を引き継ぎつつも、新渡御長の意向もあって、歌舞伎町の若い世代も今年は多く集まりました。

◇十二社熊野神社の神輿の担ぎ方は、伝統の千鳥担ぎ
伝統美、文化の継承の大切さ、難しさ―「千鳥担ぎ」
この担ぎ方は熊野神社の他に新宿区須賀町の須賀神社の「四谷担ぎ」と並んでとても希少な担ぎ方。リズムとりに鉦(チャンチキ)を使っているのも特徴があります。千鳥足…というと酔っ払い歩きがその代表でふらふら…というイメージですが この千鳥担ぎは、それとは違い、小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じ。
お神輿の先棒・花棒(はなぼう・担ぎ棒の先端)を肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ(現在の主流の担ぎ方)、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところもこのお神輿の珍しい特徴です。
但し昔から千鳥担ぎをよく知っている方は、やはり肩で担ぎ、担いだ肩の方の腕はしっかり棒を押さえ空いている腕は頭の後ろから回し上から棒を押さえます。掛け声も、江戸前担ぎの「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」「こりゃさぁ こりゃこりゃ」等、この珍しいが故に難しい担ぎ方をしたくて、お神輿好きが各地から集まってきます。

◇三年に一度の陽祭、間の2年は陰祭
十二社熊野神社の例大祭は3年周期(陽・陰・陰)で、前回の陽祭は平成24年に執り行われました。(参照: https://www.facebook.com/media/set/?set=a.548145141865833.85487066.202981616382189&type=1&l=4b32ce5aab )
陽の開催では1.5tの大きな本社神輿2基が新宿駅周辺を練り歩き、各睦ごとに町内渡しを行いますが、陰祭の年は、各睦の街神輿がそれぞれの街を渡御するほか、新宿駅前などでは一部睦が連合を組み、数基の神輿が新宿通りを練り歩く壮観な風景が見られます。


歌舞伎町睦・神輿渡御(渡御長:片桐真介)
12:00 出発式典・宮出し
13:00 藪花軒前到着・休憩
13:45 アルタ前へ
14:30 東部淀橋連合渡御~歌舞伎町へ
14:45 シネシティ広場到着~休憩
15:00 連合解散式~シネシティ出発
15:30 東部連合終了~村神輿へ
15:40 区役所前~休憩
17:00 シネシティ広場到着
18:15 JAビル到着
19:00 宮入り

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平成26年9月21日(日)新宿十二社・熊野神社祭禮より《歌舞伎町睦》 [祭]

平成26年9月21日(日)新宿十二社・熊野神社祭礼が行われました。

送信者 Shinjuku,Kabukicho 2014

新宿駅周辺から歌舞伎町、西新宿を氏子町の範囲とする新宿総鎮守が新宿十二社・熊野神社です。例大祭では氏子町各睦の神輿が新宿駅周辺、歌舞伎町などを練り歩きました。

熊野神社の祭礼は陰陰陽が3年ごとで、今年は陰祭となります。陽の年は本社神輿の渡御が厳かに執り行われるのに対し、陰祭の年は、街神輿による連合渡御など、氏子の企画によって様々な工夫が見られます。
本年は、陰祭でありながら3年ごとの“角筈連合”開催年。
午後1時からの連合渡御には「角一東部」「西口」「歌舞伎町」「西新一」「角一南部」の旧角筈地域5睦が参加、各睦より神輿担ぎ手約2,000人が新宿アルタ前に集結、
連合を組んでの新宿駅周辺東西を練り歩く姿は圧巻でした。また、連合渡御のスタートで、角一南部の神輿に各睦の女性陣が集まっての“女神輿”の企画も。
21日は昼から夜19時ごろまで、新宿駅周辺は熊野神社特有のお神輿の担ぎ方“千鳥担ぎ”の、鉦(チャンチキ)のリズムと「おいさぁ ちょいさぁ」の掛け声で賑わいました。


以下、《歌舞伎町睦・日程》※写真は歌舞伎町睦付き撮影チームのものです。

■神輿渡御日程:9月21日(日)11:30~20:00頃まで
■担ぎ手集合時間:9月21日(日)11:00
■担ぎ手集合場所:歌舞伎町弁天堂公園(歌舞伎町公園)

《歌舞伎町睦・渡御スケジュール》

◎9月21日(日)連合神輿渡御ならびに町内神輿渡御
10:30 役員集合
11:00 担ぎ手集合(歌舞伎町弁天堂公園)

11:30 出発式典・宮出し(歌舞伎町弁天堂公園)
12:15~12:30 藪花軒前 到着(休憩)
12:45 アルタ前へ~連合渡御
15:00 連合 歌舞伎町へ
15:15 東宝ビル前到着(休憩)
15:30 東宝ビル前出発
17:55 連合終了~町内渡御、歌舞伎町へ移動
18:30 歌舞伎町入り
18:45~19:00 JA ビル前到着(休憩)
19:00 宮入りへ





平成26年9月21日(日)新宿十二社・熊野神社祭禮より《歌舞伎町睦》
2014.9.21 Shinjuku-Juniso,Kumano Shrine Festival(Matsuri) Tsunohazu-alliance Digest/Kabukicho Mutsumi 15'25"
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5月24日(日)新宿・花園神社大祭より。Hanazono Shrine Reitai Festival on 5/24 Sun. [祭]

5月24日(日)新宿・花園神社大祭より。Hanazono Shrine Reitai Festival on 5/24 Sun.


花園神社例大祭は、例年5月の28日に一番近い土・日・月曜日に行われます。表の年には、獅子頭や島田囃子を乗せた山車を先頭に、本社神輿と雷電神輿の二基が神社から靖国通り、新宿通り、明治通りを練り歩きますが、今年は陰の年のため、8基の町神輿が集合し、連合渡行が行われました。

《新宿・花園神社 27年度例大祭日程》
5月23日(土)宵宮祭 18時(露店 夕方頃~22時頃まで) 
5月24日(日)大祭・町会神輿連合渡御
◎5/24スケジュール
大祭9時~
11:00 花園神社各御輿集合
11:20 神社式典
11:30 連合神社宮出~
12:00 世界堂付近~
12:45 伊勢丹付近~観光振興協会合同式典(外国人留学生神輿体験)
13:45 連合渡御解散
15:00~19:00 各町神輿渡御。各睦神酒所を基点に15時~19時ごろまで。
 (露店・昼頃~22時頃)

5月25日(月)後宴祭 18時
週末の金土日の三日間は名物となっている境内の露店は100軒近くがたちならび、賑わいます。

The sacred place of Shinjuku Hanazono shrine(5-17-3 Shinjuku)
The Birth of Naitoh Shinjuku
Shinjuku used to be called “Naitoh Shinjuku”, or “Tsuibun Shinjuku” which means “the new accommodation area built in front of the property of Naitoh mansion”.
The time when Naitoh bestowed Shinjuku,the area was quiet, and despite being right on the main street, had no hotels. At the time, the area with hotels was Takaido, about 10 miles away from Shinjuku.
This was inconvenient for people, so Kihei Takamatsu (headman of Abekawa town, Asakusa) applied to establish hotels on Naitoh family’s property in exchange for government payments in 1698. That is why it used to be called “Naitoh Shinjuku”.

Hanazono shrine,the land of blooming culture.
Back in the day Hanazono shrine was supposed to be a big village shrine, and many people would visit for the sake of their religious faith. When it needed a restoration due to the big fires in 1780 and 1811, they added a stage for plays and dance shows. This was the beginning of the performing arts culture of Hanazono shrine.
After World WarⅡ, the town where Koshu Kaido and Oume Kaido cross became a place of energetic spirits.
In Japan, the origin of the entertainment business is said to have come from the shrines. Hanazono shrine is not an exception.

大祭の行われる24日(日)は、11時に境内に、花園神社氏子の町神輿8期が集合、式典後11時30分連合宮出し、明治通り~世界堂前(12時頃)から伊勢丹新宿本店付近(12時半すぎ)、新宿通りなどで連合渡御が行われました。

今年は、新宿観光振興協会からの声かけで、新宿の各国留学生30人が神輿体験というかたちで参加。はじめての試みということもあってか、留学生たちも受け入れる各睦側も若干戸惑いが。とはいえ、こういうことは今後積極的にすすめていくのはいいかと思います。

 

連合解散後、午後3時からは第二部として、睦ごとの神酒所を基点としての渡御、午後7時頃まで新宿は祭りで賑わいました。

送信者 新宿・花園神社例大祭
歌舞伎町には、3つの神社の氏子が存在します。旧角筈地域にあたる歌舞伎町1丁目の大部分は十二社・熊野神社の氏子、旧西大久保にあたる歌舞伎町2丁目は鬼王神社、そして、旧三光町にあたる歌舞伎町1丁目の一部(新宿ゴールデン街など)は花園神社の氏子になります。
それぞれの神社でお祭りがあって、花園神社は5月ですが、十二社・熊野神社と鬼王神社は9月に例大祭が行われます。
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平成二十七年 新宿・熊野神社例大祭—9月20日本社神輿渡御 [祭]

平成二十七年 新宿・熊野神社例大祭より
2015年9月20日 例大祭・神輿渡御

送信者 平成二十七年 新宿十二社 熊野神社例大祭【歌舞伎町睦公式】
撮影:寺谷公一 恩蔵歩実 【歌舞伎町睦】

十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。


新宿十二社・熊野神社の氏子町の範囲は、西新宿(旧淀橋)ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域(旧角筈)で、新宿の総鎮守となっています。 礼は3年に一度の陽祭と、間の陰の年は、淀橋や角筈の各村神輿による連合渡御が行われます。本年、平成二十七年は3年に一度の陽祭の年まわりで、本社神輿が街を練り歩きます。



十二社熊野神社の神輿の担ぎ方は、伝統の千鳥担ぎ
伝統美、文化の継承の大切さ、難しさ―「千鳥担ぎ」


この担ぎ方は熊野神社の他に新宿区須賀町の須賀神社の「四谷担ぎ」と並んでとても希少な担ぎ方。リズムとりに鉦(チャンチキ)を使っているのも特徴があります。千鳥足…というと酔っ払い歩きがその代表でふらふら…というイメージですが この千鳥担ぎは、それとは違い、小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じ。 お神輿の先棒・花棒(はなぼう・担ぎ棒の先端)を肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ(現在の主流の担ぎ方)、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところもこのお神輿の珍しい特徴です。 但し昔から千鳥担ぎをよく知っている方は、やはり肩で担ぎ、担いだ肩の方の腕はしっかり棒を押さえ空いている腕は頭の後ろから回し上から棒を押さえます。掛け声も、江戸前担ぎの「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」「こりゃさぁ こりゃこりゃ」等、この珍しいが故に難しい担ぎ方をしたくて、お神輿好きが各地から集まってきます。

Shinjuku Juniso - Kumano Shrine’s Annual Festival [September]
The district previously known as Tsunohazu spans from Shinjuku Station’s west to east exits (and even as far as Kabukicho).Shinjuku Juniso: Kumano Shrine is in this area. e Kumano Shrine’s very dicult, and traditional way of carrying their portable shrine is called “Chidori Katsugi”, which has an important culture heritage. Both “Chidori Katsugi” and “Yotsuya Katsugi” (of Suga Shrine, Shinjuku Suga) are very unique styles. The word “chidori” means a drunkard’s walk. “Chidori Katsugi” however, is a bit dierent, in that they walk with sliding feet.

Yan festival, once every 3 years.Yin festival, twice every 3 years.
Juniso Kumano shrine’s annual festival has a 3-year-cycle. In the Yan festival, 2 big portable shrines (1.5t each) parade around Shinjuku station. In the Yin festival, each area’s portable shrine parade around Shinjuku and other towns, the shrine associations unite, and a handful of portable shrines parade around Shinjuku station. The parade’s dynamic views are a pleasure to see.

送信者 平成二十七年 新宿十二社 熊野神社例大祭【歌舞伎町睦】
撮影:中村義昭 中島大渡 杉山草子

今年の熊野神社例大祭は3年に一度の陽祭になります。陽の年は本社神輿が、陰の年は、村神輿の連合渡御を行うのが通例。というわけで、この日、9月20日、歌舞伎町睦の村神輿は13時、弁天堂を宮出し、同じく13時に熊野神社より本社神輿が宮出しと、時間が重なっていた関係で、恩蔵・寺谷は本社へ、村神輿は、義昭、ダイ、草子の三人が撮影。お、本社神輿が歌舞伎町入りした15時すぎからは、村神輿を一旦休憩し、歌舞伎町睦みんなで本社神輿を歌舞伎町内~新宿東口に渡御。神輿を渡したあとは再び歌舞伎町に戻って、村神輿を宮入(弁天堂)してこの日の祭礼は終了しました。シルバーウィークということもあって、担ぎ手が集まるのかとやや不安だったのですが、心配無用・・例年よりも多くの人たちが集まってくれました。今年から若手コアメンバーを持ち半纏にしたのですが、それでも貸し出し用半纏が足りなくなる始末・・・わったところでは、「歌舞伎町案内人」こと李さんが声をかけて外国人留学生のコたちが15名くらいかな、”ニホンの祭”に初めて触れてもらいました。タノシンでくれたかな~?


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9月18日(日)新宿・熊野神社例大祭 ― 歌舞伎町睦・村神輿渡御より [祭]

旧角筈(昭和23年までの呼称、現在の西新宿から新宿駅周辺、歌舞伎町1丁目)13睦は、十二社の熊野神社の氏子で、毎年、秋のこの時季に例大祭を執り行います。例大祭には表の年と裏の年が2回、3年の周期で繰り返されており、表の年は熊野神社本社神輿渡御が行われます。本年は裏、というわけで、氏子衆13睦は各村ごとに村神輿渡御を執り行います。表の年の本社神輿は大きく荘厳な雰囲気で執り行われるのに対し、裏年にはある程度村ごとに自由度も高く、盛り上げのためのある種の企画が工夫され、今年の開催では、歌舞伎町と角筈東部、南部各睦の女神輿連合渡御といった"イベント"も行われました。

近年、歌舞伎町睦では、佐藤清氏から片桐真介氏へと渡御長交代をきっかけに世代の刷新や、とくに担ぎ手に若い人たち、はじめて"祭"に参加する人たちが増えてきたことで、例えば神輿の担ぎ方ひとつをとっても、やや心もとない面はあったりもするわけですが、それでも徐々にまとまりがでてきたかな・・というここ1~2年です。熊野神社の担ぎ方は『千鳥』、千鳥足と言ってもふらふら酔っ払い歩きをするというわけではなく、鉦(チャンチキ)のリズムにあわせて小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じなのですが、なかなかこれが、慣れないと難しい。また、神輿の先棒・花棒は肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところも特徴でしょう。江戸前の「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」がこの担ぎ方の掛け声です。


さて、今年はじめて行った女神輿渡御、新宿東口ビックロ裏(双葉通り)に東部・南部・歌舞伎町の3睦が集結、神輿を各睦の女だけで上げてアルタ前まで連合渡御を行いました。歌舞伎町の女神輿渡御長は柴本亜理砂、セントラルロードのお好み焼き店「大阪屋」の女将が女神輿を仕切りました。

歌舞伎町睦は、弁財天の鎮座する歌舞伎町公園(弁天堂公園)に神酒所を設置、連合渡御を終えると歌舞伎町に戻り、町内を巡った後、弁天堂に19時ごろ宮入を行い、祭りを締めくくりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今、新宿の祭りは、ある種のイベント的要素を含む開催に傾いてきています。これも観光地化が進む中、例えば今回でいえばホテル宿泊客(ホテルグレイスリー)の神輿体験なども加わり、雰囲気もより開かれた雰囲気になってきているので、今後ともより一層、とくに街場で働く人たちにはどんどん声かけをしていければと思います。一方で、祭りならではの伝統というのもあって、それは、本来『祭』は、五穀豊穣であったり繁栄を願う街の内向きな神事として行うものである、だから、神輿はそこに人がいようといまいと、町内のすべてを練り歩くわけです。また、日ごろ接点の少ない若い世代と年寄りが交流しやすい場でもある。とても"日本的"かもしれませんが、こういう場があって、若い世代が年寄りに頭を下げ、挨拶をする、そういうことがはじまりにあってこそ、世代は引き継がれ、まあまあうまく世の中は回っていくのかなと思います。

写真には写っていない、多くの方々の下支えあってこその祭りでもあります。そうした皆さまを筆頭に、また、神輿を担ぎに来てくれた方々、そしてそれを見守ってくれた町内の皆様、来街者の皆様に深く深く感謝を込めて。ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

記・撮: 寺谷 公一 (Kouichi Teratani)
撮: 中村 義昭 (Yoshiaki Nakamura) Daito Paulo Nakajima


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《告知》 ☆2017年7月29日(土)開催☆ 毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり” [祭]

16th Shinjuku Eisa Festival_バナー.JPG
☆2017年7月29日(土)開催☆
毎年恒例!真夏の新宿の風物詩の“新宿エイサーまつり”


エイサーとは沖縄の伝統行事で魂を揺さぶる勇壮な掛け声で、すべての人の血を熱くたぎらせるイベントです!
毎年7月最終土曜日開催。2017年で16回目を迎えます。


【2017新宿エイサーまつり 開催概要】
●主 催
新宿エイサーまつり大会委員会
(新宿大通商店街振興組合、新宿東口商店街振興組合、歌舞伎町商店街振興組合、新宿駅前商店街振興組合、新宿文化街商店会、歌舞伎町二丁目商興会、西新宿一丁目商店街振興組合、西新宿商興会)

●後 援
新宿区、沖縄県、那覇市、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、一般社団法人新宿観光振興協会、 公益財団法人東京観光財団、東京商工会議所新宿支部、公益財団法人新宿未来創造財団

●開催日時
2017年7月29日(土) 12:00~20:00 (小雨決行)

●場所
新宿駅東口/西口一帯

●お問い合わせ
新宿エイサーまつり運営事務局 03−6681-4858
※電話での受付は、月~金曜 午前10時~午後18時(平日のみ)

●新宿エイサーまつり公式HP
 http://www.shinjuku-eisa.com/

●新宿エイサーまつり公式facebook
 http://www.facebook.com/shinjuku.eisa

●新宿エイサーまつり公式twitter
 https://twitter.com/ShinjukuEisa

第16回新宿エイサーまつり公式パンフレット(Web Edition PDF)
参加団体、会場マップおよびスケジュールはこちらを参照ください。

16th Shinjuku Eisa Festival_460縦バナー.jpg

2016 Shinjuku Eisa Festival digest 39m19s ver.- Shinjuku's Hottest Day 2016.7.30


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