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謹賀新年 2011年元旦 [季節]

2011年元旦(2011/1/1 AM6:56)朝日はたびたび見ますが、そーいう時間に帰宅したり寝ることが多いもので。しかし、元旦の朝日は、何か、沸々と、不思議と力をくれる、そんな感じがします。

イメージとしては、「希望」というものは、人が想像できる未来の、おそらく良いほうの姿。ありうる未来には幅があって、今が「要」だとすれば、未来は最良と最悪の幅の「扇」の間にある。過去を振り返ればひとつしかない道を歩んできたようでもあり、だが、未来を見渡せば、その「扇」の面に無数の道筋をもつ。では、「個」として存在する我々は、その未来に一体何ができるのかを考える。ふと思うのだが、「希望」を感じる人の心は、未来にありうる「最良」に対してではなく、その「扇」の幅にあるのではないか。

2011年、辛卯(かのとう)。一年を表す文字に含まれる「辛」は、殺傷を含む大きな突き上げや変化を意味する。時代は膠着している。なぜ膠着しているかといえば、変化を望まぬもの(世代)と望む者(世代)の、望まぬ側がまだ多数だということを表している。高齢化社会ですからね。否が応でも、この国は大混乱期を前にしている。安定志向がマグマ溜まりにエネルギーを蓄えさせ、つまり、わかりやすく言い換えれば、変化を望まぬ世代とは、その大混乱期からの逃げ切り世代、変化を望む世代とはそこから逃げ切れぬ世代のこと。このことをどれだけ正確に分析できているかはともかく、これは一種の危機予測、誰もが感じるように変化、若い人たちの言葉を借りれば「リセット」的な変化を望む者は日に日に増えていく。そして、その変化を望むものが多数となった時、その瞬間に時代は大きくうねる様に激変するだろう。世界も同じ、大多数の利益が「平和」を求めているうちは起きなかったことが、大多数の利益が、たとえば「戦争」によって実現できるとなった瞬間に時代は大きく変わる。その変化の向こうにある「世界」が、たとえ、ある「個」にとって望まぬものであろうとなかろうと、2011年という年は、あるいはそろそろかな(まるでヘッジファンドみたいな言い方だが)おそらくその端境期となるように感じています。

2011年、この国は事実上まさに破綻前夜。60台上の世代はそこから必死に逃げ切ろうとこの国の闇を隠蔽し続けている。だが、40より下の世代は逃げ切れない。確実に、破綻したこの国を担わなくてはならない。シグナルはもうすでに届けられた。安定の先にある不安定極まる状態。世代間闘争、それはこの国の人たちが最も苦手としてきたこと。年寄りを大事に、年上を敬え、安全・安心、多様性という名の不感症、刷り込まれたすべて正義が、結果としてこの国の変化を拒ませてきた。もう間に合わない、だから、みんな、直観的に身構える。そしてさらに時代が膠着する。だが、それもそろそろ終わりかな、いや、終わりにしたほうがいい。

「生命」が本能的にだたただ生きようとするのと似て、否が応でも、大多数の人々の「利益」を実現する方向に進もうとする「世界」、あるいは「社会」、あるいは「街」。「未来」を「扇」にたとえたが、確かにその「扇」のどこか一点に向かわせようとしても、「個」の力は無力。だが、その「扇」のある部分には向かわない「程度」のバイアスを与えることぐらいなら、たとえ一人の力もそれほど無力ではない。

それを、証明できるかどうか、それこそがボクの使命感。それは、ある種の「失望」でもあるのだが、「失望」の中から見出した自分なりの「希望」の示し方でもあるのです。

2011年1月1日0時00分の新宿駅東口駅前広場。2000年以来、カウントダウンイベントは粛清傾向が強く、当然新宿でも警察はイベントの実施を許さない。しかし、それでも、こういった場所にはどこからともなく人が集まりだす。警察官「道路には出すな!」その目の前で、集まり始めた人たちがカウントダウン「5、4、3、2、1、Happy New Year!!」そう、祝いたいことは誰が止めようが祝いたい!これはここ数年恒例の景色ではあるが、ここでいつか、再び公式にカウントダウンができる日がいつになるか。粛清・解放を繰り返す繁華街対策、その日それは、きっと粛清の10年の反転になると思います。警察監視の中とはいえ、カウントダウンを無事終え、その民衆はどこへと向かうかといえば(下写真)ほとんどが歌舞伎町へ。実際歌舞伎町の正月はわりとひっそりなんですが、この瞬間は人が進む方向には何かあるという期待感、あるいは、この勢いで歌舞伎町を散策したいという感じなのか。つまるところ、散策、カラオケ、あるいは花園神社に初詣が大多数。

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一日約10万人、内労働者2万人、概ねこれくらいの人が常に滞留する街「歌舞伎町」。最盛期は1980年、映画「E.T.」が新宿ミラノで上映されたその年、正確なデータは無いが、映画館の来場者数などから推測するに一日約30万人はこの狭い600m四方のエリアに滞留していたと考えられている。実に現在の3倍を超えていた。その80年に起きたぼったくりに驚いた大学生がビルから転落し死亡するという事故が発生、これを機に、当初はぼったくり対策を重点課題とした繁華街対策が政策の重要課題となるようになった。そして、85年の風適法改正を超え、加えて90年から90年代後半年にかけては繁華街対策は一度解放期を迎えている。そのことで、歌舞伎町は風俗色を強めながらもバブルな時期を過ごしている。一方で蛇頭の台頭などもあって治安が悪化、2001年には一番街で44名の死者を出した明星56ビル火災事件、ここがさらなる転機をこの街に与えている。

ここは異論があるかもしれないが、歌舞伎町は、いわゆる「地面が低い」。故に、この街には、常にその時代ごとの底辺が集まる。この国のマジョリティは中流あたりにあるとしても、中流は時代の変化には鈍感なもので、変化の表出は常に上層と下層の端に強く現れる。そういう意味では、歌舞伎町は、これまでも、おそらくこれからも時代の写し鏡であろう。その表出に対し、解放と粛清を繰り返してきた歌舞伎町、そのうねりと、その都度都度の時代の勢いと相まって、盛る時は栄え、だが、この10年単位の変化の波に加えて、やってきた50年の波、それが2008年のコマ劇場閉館、および中心劇場街の相次ぐ閉館という事態である。「歌舞伎町はコマ劇場の城下町、いつまでもこのままじゃ、死んじゃうよ。心臓を止められているようなもの。」(一番街ビルオーナー)という一方、閉館となったコマ劇場の先行きはまだまだ不透明(公式な決定は何一つない)、現在中央通りと一番街のは約40の空き室があるが、「コマの計画が決まった段階で、その日のうちに半分は契約が決まるだろう。」(歌舞伎町の店舗不動産業者)という声も聞かれる。今のこの街のもがきは10年20年に一度のことではない。50年に一度のものであり、だが、だからこそ反転の勢いも50年に一度のものとなる。そういった意味で、新年冒頭の記事としては、やはりこのコマの件について、その行方について書くことが、この街の「希望」になるのではと考え書いている。

DSC_4055.JPG現在、アスベスト除去工事を行っているコマ劇場。工事は11年2月あたりを目途に終了、東宝会館のテナント訴訟との兼ね合いもあって具体的な日程は決まっていないが、その後に解体工事となる。解体期間は概ね16~17か月(竹中工務店)。

※追記:新宿コマ劇場・新宿東宝会館解体工事の工期:平成23年3月10日~平成24年3月末日(予定)ということです。後日詳細アップします。今回の解体工事は、地上部のみということで、予定より若干短くなりましたが、言ってみれば第一期解体工事とでも言ったほうがわかりやすいかもしれません。地下部をどうするのか(更地、あるいは計画が決まり次第基礎うち)は未定。

解体にあたっても、地元や近隣者との協議を経て、まぁ言い方は悪いが、ハイジアが建設の際にそうしたように地元対策費としてお金がばらまかれる。もちろん地権者である東宝やゼネコンの竹中工務店にしてみればそこをいかに低コストに切り抜けるかというのは大事だろうし、そういうこともあってとくに地元議員などとの接触も多くなってきているようだ。だが、重要なのはそこではない。その先のことである。ここに何が建つのか、あるいは四葉会(劇場興業四社)による共同開発は無くなったにしても、場合によっては1ではなく2、あるいは段階的3またはプラスアルファはあるのか。
東宝(旧コマ劇場と東宝会館)としては、2009年の株主総会での発表通り、この約1700坪の再開発は行うにしても、その計画はまだ何も決まっていない。ベースのプランとしては、1700坪に空地を50%近くとり、離して2本の高層ビル(ホテル棟、オフィス棟)というものがあるようだが、テナントとなるホテル側から車両同線とホテル客の歩行主要同線となるセントラルロードの客引き問題で難色。よって、それ以外の選択肢についても、たとえば自主運営の劇場建設を含むあらゆる方向で検討中の様子。

DSC_4066.JPG写真はコマ劇場を背に、シネシティ広場を挟んで新宿TOKYU MILANOビル側。こちらから見て、右手が第一東亜ビル(東亜興業、売却予定)、左手がヒューマックスの地球会館(正式名はヒューマックスパビリオン新宿アネックス)

中心劇場街に2つの建物を持つヒューマックス。うち、上の写真にもある地球会館は子会社ワンダーテーブル管理だった。ワンダーテーブルは2部上場会社であったが、昨年TOBによって上場廃止、現在は完全子会社化。ヒューマックスのハンドリングは自由度を増したが、一方そのTOBによって30億といわれる資金を要した。このことで、ヒューマックスが仮に共同開発に「ノれる」としてもあと数年の時間差は必要とみられる。中央の新宿TOKYU MILANOを持つ東急レクリエーションは、四葉会共同による再開発には積極的であったが、2009年、親会社東急電鉄からの資金支援を取り付けられなかったことことから一度再開発計画を白紙に戻した。しかし、昨今の3D映画ブームの後押しや109シネマズIMAXの業績好調により資金計画は良化、概ね2年以内を目途に、具体的に再開発着手、となる可能性は高い。そして、第一と第二東亜ビルを持つ東亜興業。ここは事実上銀行管理状態のため、高収益ビルの第二東亜ビルは現状のまま。しかし、上写真右の旧本社ビルだった第一東亜ビルについては約50億程度で売却を目指しているようであるが、手付金の権利譲渡?や会社自体もみずほ→三井住友→りそなとメインバンクもころころ入れ替わるなどあって若干トラブっている様子。いずれにせよ、第一東亜ビルは第3者に売却されることは変わらないだろうが。最終的には30億台か。重要なのは、この第一東亜ビルを購入するのは誰なのか。20億台まで行けば、三社のうちの1社となる可能性もあるか。

DSC_4074.JPG早ければ2011年中には、この開かずの交番となってきたセントラルロード入口ドンキホーテ前にある「歌舞伎町臨時交番」が「青灯交番」として稼働する可能性が高まっている。

実際、コマ劇場の再開発が進行するかどうかの最大の障害は、すでに書いたように「車両導線」をどうつけるのか、そしてもう一つは少なくともセントラルロードの客引き問題を解決しないかぎりテナントは入らないという二点。もちろんこれについて、商店街が何もしてないわけではない。歌舞伎町商店街振興組合は開かずの交番となっているセントラルロードの臨時交番(上写真)の再開を東京都公安委員会と警察に対し求めている。そして、この議論の落とし所は、この臨時交番を官民共同の「青灯交番」。
「青灯交番」となると、民間負担も大きくなるが、耐えうる負担がどこまでかはまだまだ議論が必要であるにしても、これは商店街が一本化しつつあるだけにわりと早期に方向性が決まってくるだろう。毎日とは行かなくても、早ければ2011年中にも稼働するかもしれない。このことによって、これまで週一回2時間程度をボランティアでやってきた客引き排除がバージョンアップして、セントラルロードの体感治安対策は前進する。だが、もう一方の課題、東宝用地への車両導線問題、これの解決はなかなか難しい。かつて、職安通りから地下道路を作って大久保公園地下に駐車場をつくり、ハイジア駐車場と連結してというアイディアがあったが、200億を超える予算とその割に効果が低いことで消滅した。

歌舞伎町補完計画02-4.jpgこの導線の課題を解決するアイディアとして、提案されている、ある「案」(すでに非公開の歌舞伎町ルネッサンス推進協議会スタッフ会議では提案されている)上図は、コマ側から東急側を見たときの図案。

歌舞伎町補完計画02-5.jpg

72号(西武駅前道路)を1階路面で新宿TOKYU MILANO用地から車両を進入させ、シネシティ広場に車両プールをつくる。シネシティ広場には人工地盤が設置され、車両プールの上は広場であり、また同時に西武新宿駅-東宝用地への歩行者空中導線とする。アイディア(△パース)では、東急側用地に東宝側の容積を移譲、東急側には約160mの高層ビルが建つ一方で東宝側用地を広場状のものとし、空中をJRから西武新宿駅や主たる街区にはペデストリアンデッキ、セントラルロード地下をサブナードと連結して地下の歩行者導線とするものとなっている。

さて「答」は、もちろんまだ出ていない。しかし、確実に再開発を行う「東宝」と「東急レクリエーション」は、計画が遅れている東宝と、財政状況が良化しつつある東急レクリエーション、計画実施時期は実は徐々に重なりつつあり、時間軸の中で段階的にせよ、各企業の消極策がむしろ当初の四社による共同再開発へと、結果再び限りなく近づきつつある、と考えている。
閉じかけた可能性は、むしろ開かれつつあるのだ。最終的に完成までは、まだあと5年、いや、もう少しかかるか。これを遅いと考えるか、いや、そんなもんだろうと考えるかはそれぞれだと思うが、自分の思うところのこの街の「希望」は、事実上この辺りにあると考えているからこそ、今、書けるところまで書かせてもらった。

大同に立ち、小異を捨てよ

歌舞伎町商店街振興組合が「青灯交番」設置について、まとまりつつある経緯の中で、実際は議論をしている人たちの多くがセントラルロードでの迷惑行為撲滅パトロールに参加したことがないこと(つまり実務としてのパトロールを実感していない)、青灯交番設置となった時の財源問題(人材面も含め)について深い議論がなされていないことなどを危惧する声も聞かれたが、それでもまとまろうとしているのは、それが耐えうる負担であるのかどうかはともかく、「必要」なことであるという認識で一致しているからである。
商店街振興組合の実質加盟者は200人にも満たない。実際には商店街は歌舞伎町においてマイノリティである。しかし、その経緯、歴史からいって、「民意」を担う場とし代わりがないのも事実。そこには少数とはいえ「街をつくる」上での正当性が存在している。その商店街は民主主義(多数主義)ではなく、全会一致によってしか意思・行動を決定できないという組織で、故に、いろいろな意見を集約できず、なかなか具体的なアクションやアウトプットができずにこれまであった。だが、これが今、「やっと」変わってきた。
小異を捨て、大道に立つ、いろいろ思うことはあっても、前に進むためには意見をひとつにする、と、どうなるか?集約された(仮に、ように見えるだけでも)民意を担保に、やっと行政が、「それならば」と動き始めることができる。すると、企業が「街と行政がそういうのであれば」と、やっと意思を決定できるようになる。場合によっては、「街」や「行政」から「企業」への「過度」とも思われる要求があったとしても、そのことを言い訳に企業ははじめて「自己表現」の機会を得る。良しにつけ悪しきにつけ、物事には順番というのがあって、
そういう土壌がはじめて「本当」の道筋を見つける作業を行う上で必要な「議論」につながっていく。議論(自己主張?)は盛んだが何も決定できなかった商店街は、これまでずーっとボトムネックでもあった。話は元に戻るが、歌舞伎町をつくるのは「商店街」でも「行政」でもない。あくまで主役は「来街者」であり、その趣向に合わせて街は変化しながらつくられていく。また、そうしないものは去っていくことになるだろう。ここに「商店街」や「行政」の影響力は実際あまり大きくはない。だが、中心劇場街の再開発、これについては、短期的に言えば、「商店街」と「行政」の影響力は、その権能と構造から言って、決して弱くはない。しかし、これを決めていくのも実はトータル1,000億規模のもなるであろう投資者である。だから、決して間違えるわけにもいかない。だからこそ、多くの人たちの「智慧」を活かす場であるからこそ、「希望」となる。

まさに、「大道」はそこにある。

謹賀新年

今年もよろしくお願いします。

寺谷公一(てらたにこういち)

歌舞伎町2丁目が氏子となる、区役所通りの稲荷鬼王神社。小さい御宮ではあるが、全国唯一の鬼の福授けの社でもあり、また境内の恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つと由緒もあり、またボクの好きな風情のある神社。来街者はだいたい花園神社なのでしょうが、街で働く人や住んでいる人の多くはわりとここで初詣をされている姿を見かけます。今年の初詣はここでしました。


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