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9月19日(日)新宿・熊野神社祭禮-十二社通りに熊野十三睦が集結、13基の神輿が練り歩く- [祭]

平成二十二年・新宿十二社熊野神社祭禮

9月19日(日)、新宿地区最大の「祭」である新宿・熊野神社祭禮、今年は陰祭(三年に一度は「陽祭」の年は本社神輿が出る)のため、各氏子の街神輿がそれぞれの地域を練り歩くということが通例ではあるが、それ以外に、今回は初めて、熊野神社の十三睦が熊野神社に集まり、十二社通りをそれぞれの街神輿13基による連合渡御が行われた。

新宿・総鎮守として知られる十二社の熊野神社、その歴史は14世紀まで遡る。紀州・熊野神社の神官であった鈴木家の末裔である鈴木九郎はこの地で自身の故郷である紀州・熊野神社の十二所権現の一つである若一王子を祀り、その後商売で成功したことを契機に十二所権現を祀る社を建てた。江戸時代は熊野十二所権現社と呼ばれ、この辺りは茶屋や料亭など100軒以上に及ぶ花街として栄えた。明治以降、熊野神社と名称を変えたが、このあたりの花町は戦前まで栄えていたそうだ。十二社・熊野神社のあたりはもともと滝や池がある景勝地だったが、明治の時代に玉川上水を引きこんでの浄水場である淀橋浄水場が造成されて景観は失われた。その淀橋浄水場も昭和40年には廃止、ここが再開発されて今の新宿新都心の高層ビル街へと変貌している。こういった歴史の中で、今でも新宿周辺の総鎮守として信仰を得ている。新宿駅の東口と西口一帯に熊野神社の氏子がおり、これが各地域の睦となって、この睦の連合によってこの熊野神社例大祭は執り行われる。▼熊野神社、大祭後にここより宮出し。

現在の歌舞伎町1・2丁目は、実は三つの神社の氏子が存在する。歌舞伎町が出来た昭和23年以来「歌舞伎町」とは現在の1丁目を指し、このエリアは、新宿区発足前は淀橋区という地域で、ここが熊野神社の氏子であったことから、歌舞伎町睦は熊野神社の氏子となる。
歌舞伎町2丁目は昭和53年の名称変更までは西大久保という町名で鬼王神社の氏子であり、また現在歌舞伎町1丁目1番地にあたる新宿ゴールデン街もかつては四谷区三光町であったことから、花園神社の氏子である。だが現在は、ここからここまではどこの氏子だからとかそういうことは薄れ、熊野神社の例大祭では神輿の担ぎ手も一応は熊野神社の氏子らを中心に周辺の祭好きが集まって新宿全域が盛り上がるという傾向は強い。▼熊野神社氏子である歌舞伎町睦と担ぎ手さんに集まってもらって集合写真、熊野神社にて。

十二社通りでの十三睦連合渡御の後は、各睦それぞれ自分の「村」に戻っての、街神輿による渡御。


「祭」は本来神事であり、イベントでは無い。そして、イベントは外向きの発信であるのに対し、「祭」は内向き、つまり街の内側に向けてのものである。だが、一方で、祭りは観光資源でもあるし、「街」の一種の「見栄」でもあるから、外向きの部分もある。そのあたりの微妙さから、熊野神社の祭禮は、3年に一度の陽祭は神事色が濃く、陽祭の翌年は各睦はそれぞれの地域で「村」の中だけで自由に仕切り、その翌年は連合渡御として各睦の競い合い、見栄の張り合いを新宿通りを舞台にイベント的に執り行い、そして翌年に再び本社神輿の出る陽祭を迎える、というようなバランスがあった。だが、昨年の陽祭に続く今年の陰祭は、これまでとは趣の違う「十三睦連合渡御」という形を試みた。これには各睦の「祭」に対する考え方、予算、財政事情などの違いから異論もあったが、最後は上手くまとまり、なんとか無事執り行うことが出来たようだ。もしかしたら、こういった十三睦連合渡御はこれが最初で最後になる可能性はある。今日はそういう意味で貴重な一日だったかもしれない。


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