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新宿熊野神社祭礼-9月21日(日)角筈連合睦神輿渡御- [祭]

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9月21日(日)は新宿熊野神社例大祭ということで、熊野神社の氏子になる各睦による神輿渡御が行われた。歌舞伎町1丁目もこの熊野神社の氏子であり、角筈の5睦(西口・西一・角一南・角一東・歌舞伎町)は新宿駅周辺から歌舞伎町を連合で神輿渡御を行った。この日は朝から雨が降ったりやんだり、時折叩きつけるような激しい雨のあいにくの天候ではあったが、歌舞伎町睦には午後1時の宮出しから7時過ぎの宮入りまで約350名の担ぎ手が参加。ちなみに角筈という名は新宿の西口から東口の3丁目の駅前周辺、歌舞伎町エリアの旧地名。歌舞伎町も町名が命名された60年前の昭和23年4月以前は角筈北一丁目と呼ばれていた。

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丁度この日9月21日より30日までは秋の全国交通安全運動。連合睦の総代や役員らが交通安全の横断幕を持って記念撮影。街も警察に協力をし、またイベントなどでは逆に警察に協力を要請する、そういった構図の一つかな。例年恒例になった集合写真。

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5睦は各町内神輿を経て東口のアルタ前に集合、新宿通りを練り歩いた後に歌舞伎町睦の神輿を先頭に歌舞伎町へ向かい、コマ劇場前のシネシティ広場にて解散式を執り行うまで連合渡御を行った。▼途中新宿区役所前にて神輿をさす。中山区長も連合睦の神輿渡御を観におとづれていた。

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DSC02171.JPGシネシティ広場に集合した5睦、下の写真は連合睦解散式の様子。檀上は各睦の総代、役員、そして渡御を取り仕切る渡御長の面々。

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DSC02268.JPG歌舞伎町睦の神輿宮入の様子、上の写真もそうだが連合解散の後は激しい雨の中の神輿渡御となった。熊野神社の例大祭は3年周期で2年の陰祭の後に本社(ほんじゃ)神輿渡御を行う。昨年は東口3睦が連合を行ったが、今年も陰祭で東口西口の5睦連合渡御、来年2009年はいよいよ本社神輿渡御となる。


「街」を語る上で、民間のコミュニティとしては商店街や町会以上に祭りを執り行う「氏子」という存在は大きい。行政区の区分けももともとこうした氏子の区分けに由来する場合が多く、そもそも日本人の伝統的な宗教観に起因していると思われる。しかし、むしろ「歌舞伎町」の場合は600m四方の小さな街に実は三つも氏子が存在するという特殊さがある。一見一つの町であるようで、歌舞伎町1丁目のほとんどが熊野神社の氏子である以外に、歌舞伎町2丁目は鬼王神社、ゴールデン街(歌舞伎町1丁目1番地)は花園神社を氏子とする。60年前に命名された「歌舞伎町」の町名自体は現在の歌舞伎町1丁目だけであり、もともとゴールデン街は三光町、歌舞伎町2丁目は西大久保であった。60年しか歴史が無いとはいえ、歌舞伎町という街はそもそも歴史も由来も違う3つの街の集合体なのである。折につけお互いに相馴染めない議論が表出する時があるのはこうしたところにも理由があるのだろう。

日本人の文化・宗教観に起因するこの氏子という存在は、街づくりにおいても重要な部分といえる。本来、氏子も商店街も旧市民新市民を併せて一体であるべきなのだが、実際はそう簡単なことではない。大抵どこの街にも似たようなケースが見受けられるが、氏子や商店街というものはどちらかと言えば旧市民のやや閉鎖的保守的なコミュニティであり、一方で、その閉鎖的非民主的なコミュニティを新市民は入りたくても入れないか、もしくはそもそも敬遠しがちという場合が多いように思う。歌舞伎町の場合は、この氏子と商店街はほぼ同体であるように思えるが、やはり新市民に対してはやはりなかなか解放されていない。

歌舞伎町睦の今回の神輿の担ぎ手は約350名、商店街にある半纏が足りなくなるような事態になったことは、一見睦の広がりがあるように見え、また若い人たちもかなり多く参加しているなどあって、これはこれでいいことだと思う。しかし、その多くは今までの地域の保守的・閉鎖的なコミュニティが次世代に引き継がれつつあるだけで、あるいはその仲間たちであり、一方で歌舞伎町本来の新市民がではどれほど参加しているのかと言えばまだまだまったくと言っていいほど広がりは足りない。戦後以降かつてはこの街にも多くの住民がいて、職住一体であった。それがやがて昭和40年以降大きく崩れ、それでも当時の社会構造を引き継ぐ形で形成されてきたコミュニティの延長に今の商店街や睦の構造がある。一方、この街に住むことなく、単に商売を行い、あるいは働く場所・活動する場として入ってきたのが新市民であるとすれば、旧市民は徐々に街を離れ思い入れは脆弱になっていく一方で新市民は入れ替わ立ち替わり常に新陳代謝はあるもののどんどん拡大してきた。本来「祭り」は最も基本的な街づくりであるわけで、たとえば世代間を埋める一助になるだけでなく、出来るだけ旧市民と新市民の間を埋め、あるいは繋げるものであるべきだし、その機会を双方が積極的にもっと活用出来たらと思う。丁度、こういった議論は商店街の中でも常にある。商店街はどちらかと言えば旧市民型コミュニティで、一方で商店街内組織でありながら既存コミュニティの外にいる新市民が中心に構成している「よくしよう委員会」というのがあり、双方の方向性はまだまだ乖離している部分が多いが、そのどちらも歌舞伎町の貴重な民意である。商店街の中でもこれを許容しようとするベクトルとそうはさせじというベクトルと両方あるが、これがこの日の祭りを見ながら今、まさにその岐路に立っていると感じた。だが、課題は旧市民にではなく、むしろ新市民側のほうが大きい。新市民は旧市民が築いてきた街の歴史を知り、礎を築いたことに感謝を、そうすればこの街に数々ある課題のおそらく半分はその心だけで解決してしまうように思えたりもする。


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