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7月6日(金) 吉本興業㈱東京本部の新宿移転記者発表-旧四谷第五小に平成20年4月より入居- [まちづくり]

7月6日(金)、新宿区の旧四谷第五小学校にて、吉本興業株式会社(吉野伊佐男代表取締役社長)の東京本部の新宿区への移転についての記者発表が行われた。

記者発表には、中山弘子新宿区長、吉野伊佐男吉本興業㈱社長、吉本興業の誘致について地域として協議・推進してきた喜兵衛プロジェクト座長の新村雅彦歌舞伎町商店街振興組合理事長が出席。

旧四谷第五小学校は、新宿区新宿5-18-21、現在の新宿ゴールデン街裏手、花園神社の北側にある、いわば歌舞伎町に隣接している。昭和9年、当時は最先端のデザインと仕様による昭和初期のモダニズム建築として建設・開校、平成7年3月に学校統廃合によって65年の歴史を閉じた。以降、区民らによる校舎保存の運動などがあり、建物はそのまま現在まで保存され、区の埋蔵文化財等の保管などに使用されてきた。以前はNPOや区の委託事業者(清掃等)などにも事務所として貸し出してきたようだが、耐震偽造事件などの経緯で表面化・調査が進み、この歴史的建造物の耐震強度が0.3ということが事実として明確になったことからその存続や使用についての課題が表面化。新宿区としては、実際に保存運動等のある建物を壊すに壊せない、一方で耐震補強工事をしない限り使うにも使いにくい、しかしその工事費は莫大で区の財政上これも困難、と言う状況にあった。

新宿区旧四谷第五小学校

  

同時期的に、隣接する歌舞伎町では、地域再生・活性化に向け、地域主導による歌舞伎町ルネッサンス活動が動き始め、これを新宿区が全面的にサポートするという官民協働のまちづくりが推進されていた。新宿ルミネにルミネ・ザ・よしもとが進出、これを機に当時一期目だった中山区長と吉本興業の吉野伊佐男社長も面識をもつようになり、歌舞伎町ルネッサンスの目指す大衆文化・娯楽の創造・発信の街としての街づくりに吉本興業も力を貸してくれないかといった旨の話もその頃からあった。当時、吉本興業は、すでに東京進出の拠点化や1,000人規模の劇場等の物件や用地を求めていた。実はもう6年ほど前になるかと思うが、当時自分の仕事に関連していた渋谷の東急文化会館の屋上にあった五島プラネタリウムが閉まった頃にも、当時の東急側と吉本興業側とがその場所の使用について協議をしていたのを聞いていた。吉本興業としては、とにかく主要な繁華街の中心地に確固たる拠点を設けようと動いていたわけだが、その候補地がいろいろあるなかで、すでに、とりわけ『歌舞伎町』という街への特別な関心を持っていたようである。大衆芸能における関西興行界の雄として大阪・難波を中心に大きくなってきた吉本興業のDNAは、表・裏も含めどこか歌舞伎町のそれと相通ずるものもあったとも思えるし、またこの企業の持つマイナスのイメージの払拭という意味では、ここも今の歌舞伎町に通じる部分があるのだろう。

こうした経緯を踏まえ、当初1,000坪程度の用地または施設を喜兵衛プロジェクトを通じ歌舞伎町に探し、東亜興行の建物や風林会館などを視察したが、要求に応える物件は見つからずにいたところで、前述の新宿区の施設である旧四谷第五小学校が条件付(耐震補強費を借主が負担)で使用が出来る可能性が見え始めてきた。地域にとっても所謂地域活性化の起爆剤になり得、新宿区にしても渡りに船、そして吉本興業自身にとってはコスト等の面や念願の歌舞伎町進出への足がかりになるとの思惑が一致し、吉本興業㈱東京本部の誘致プロジェクトがスタート、そして約2年近くを経てこの度やっと実現に達したというわけだ。

◆記者会見の発言より

中山弘子新宿区長

「新宿駅南口のルミネ・ザ・よしもと劇場も6年目を迎え、ますます盛況と聞いています。吉本興業とは、ルミネ・ザ・よしもとが新宿に立地しているということから、4年前、まだ私が区長の就任して日が浅い頃からですが、2周年記念のイベントで声をかけていただいたご縁で、是非懐の深い街・新宿によしもとは似合いますねということで、是非もっと何かやっていただけたら嬉しいとお話もしておりました。今年は新宿区が成立して60週年を迎えています。新宿は多くの人たちが集い、様々なものが集まる多様性と懐の深さというのがこの街の強みであると思っております。そうした幅の広い文化がこの街で培われてきたということ、そしてそのことによってこの街が支えられているということを、私はしみじみと感じているところです。
今回、歌舞伎町に隣接する旧四谷第五小学校施設に吉本興業の東京本部が移転するということで、この新宿が大衆文化・娯楽の一大拠点としてさらにあらたな文化を創造し、発信力を増していくことができるのではないかとワクワクしています。街の持続的発展には楽しさや文化あってのことと私は考えています。新宿区は、新しい文化と創造の街づくりに取り組んでいる中で、幅の広いエンターテインメント企業である吉本興業に大きな期待を寄せているところであります。
さて、この旧四谷第五小学校についてお話したいと思います。この小学校は、皆さんはいられて、随分古い感じがするなと思われたかもしれませんが、今は閉校となっていますけれど、昭和9年に、関東大震災後の震災復興小学校として建てられたものです。ですから、もの70年以上前に建てられております。竣工時は、最新のデザインで、白い階段や全面ガラス貼りの階段など、モダンな校舎として紹介されました。また、水洗式のトイレでありますとかスチーム暖房など当時としては最新式の設備を備えていたものです。そして、有名人も訪れております。例えば、旧ソ連の初の有人宇宙飛行士で「地球は青かった」との言葉で有名なガガーリンもこの小学校を訪れたと聞いています。しかし、少子化が進行するなかで12年前の平成7年3月に、学校統合により閉校し、耐震上の問題などもあって、書庫や埋蔵文化財の保管場所として使用してきました。
吉本興業は、この学校という雰囲気を気に入っていただいて、是非使用したいという意向で、耐震工事などもやってもらえるということなので、ここに来ていただくことになりました。この建物の外観は、そのまま生かして使いたいと聞いております。現在、耐震工事や設備工事に向けた準備を行っていますが、この建物は由緒ある建物ですので、使っていただけることを大変嬉しく思っております。
そして、今、新宿区では歌舞伎町ルネッサンスという大きなプロジェクトを推進しています。歌舞伎町が、誰でも安心して楽しめる街へ再生したいという取り組みです。歌舞伎町は、戦後、鈴木喜兵衛という町会長をはじめ多くの街の方々、所謂民の力でつくられた街です。鈴木喜兵衛氏は、戦災で焼け野原となったこの街を、劇場や映画館など健全な娯楽施設中心の街として再興するための壮大な復興計画を作り上げました。そして、街の人たちに呼びかけ、民間主導の土地区画整理事業を行いました。歌舞伎町という町名も、実は昔この街は角筈一丁目北町という町名だったんですけど、当時歌舞伎劇場の誘致が決まっていたものですから、歌舞伎劇場が来るのであれば歌舞伎町という名前がいいだろうということでつけられたものです。復興計画そのものは、戦後の社会情勢から完成半ばで挫折をしてしまいましたが、その民の力で築きあげられてきた大衆文化というこの街の持つ遺伝子は活き続けています。そして、現在歌舞伎町が本来目指していた街の姿、新たな文化とともに大衆娯楽、大衆文化の発信の街と言う姿を蘇らせようということで、歌舞伎町ルネッサンスのうねりはこの街を突き動かしています。怖い街、フーゾクの街といわれる歌舞伎町からの脱却を、私たちはこれまで街の方々と共に取り組んでいます。この歌舞伎町ルネッサンス推進協議会というのを17年1月に立ち上げましたが、これは街の方々をまん中に据え、国・東京都・新宿区、そして発信力をもった有識者にも関わっていただき、様々なプロジェクトを展開してきました。クリーン作戦という、環境浄化・美化への取り組みによりまして、みなさんどうでしょうか?歌舞伎町は綺麗になり、歩いていても安心感が持てるようになりました。また、コマ劇場前のシネシティ広場では映画フォーラムや音楽祭、演劇、ファッションショーなど多彩なイベントが今開催されております。また、つい先日の6月にはコマ劇場からすぐ近くの区立の大久保公園では特設テント劇場による演劇公演という試みも行われまして、10日間行われたのですが連日大盛況でした。このような取り組みにより、歌舞伎町に来たことの無かった人たちも訪れるようになり、賑わいの輪が拡がっています。また、違法風俗店の取り締まりによって生じた空き店舗の多くは飲食店となっておりまして、歌舞伎町は食の街としての活気も帯びてきています。
さて、この旧四谷第五小学校を吉本興業に貸し付けるに至った経緯ですが、この歌舞伎町ルネッサンスの事業の一環として喜兵衛プロジェクトがありますが、プロジェクトの名前は先ほど述べた鈴木喜兵衛さんにちなんでいます。このプロジェクトは、区と地元との協働により歌舞伎町の将来ビジョンである大衆文化や娯楽の街づくりを担う、新たな事業者を誘致するとともに、地域との相互交流をプロデュースし、地域全体を活性化する活動を行うものです。今回、この喜兵衛プロジェクトからの提案を受け、区として吉本興業に旧四谷第五小学校を貸し付けることを決定いたしました。吉本興業は、以前から喜兵衛プロジェクトの不動産物件ツアーに参加していただいてまして、歌舞伎町で劇場として活用できる物件が無いか探していました。一方、旧四谷第五小学校は歌舞伎町の隣接地でありまして、歌舞伎町の地元の方々から地域活性化のための活用や、歌舞伎町ルネッサンス事業に協力する事業者を誘致できないかという要望が出されておりました。喜兵衛プロジェクトでも演劇学校としての活用やSOHO・オフィスとして使えないかという話もありました。しかし、いずれも建物の消防法や耐震上の問題から実現に至らなかった。今回、吉本興業から喜兵衛プロジェクトに活用したいという話があって、そして喜兵衛プロジェクトとしても是非歌舞伎町ルネッサンスと地域活性化に資するということで区に提案が出されたものです。それを受け、区として審査した結果、耐震工事等吉本興業側が行うことや大衆文化の振興に資すること、そして区が貸し付ける際の条件に適合しましたことから喜兵衛プロジェクトからの提案を受け入れることが妥当と判断してこのような結果となりました。
歌舞伎町の再生や街の持続的な発展を実現するためには、犯罪インフラにつながる従来の違法な性風俗の街から歌舞伎町が本来目指していた健全な大衆文化・娯楽を基盤とする街へと、街の産業構造を転換させていくことが必要です。この街の再生の推進力向上を図るため、本施設を大衆文化・振興の旗手である吉本興業に貸し付けることが歌舞伎町ルネッサンス実現に向けての大きな原動力になると考えております。
契約に先立ち、新宿区と吉本興業は『新宿区における大衆文化の振興に関する協定』を締結しております。吉本興業は歌舞伎町を『笑い』という大衆文化の企画・コンテンツの発信・消費の街として最適であると考えてくださり、1000人規模の劇場を歌舞伎町に作ることが大きな夢であると聞いております。また、歌舞伎町ルネッサンスの取り組みに共感して、地域と共に歌舞伎町再生にむけて働いていきたいとの意向であります。今後は、大衆文化を民の力で築き上げてきた、歌舞伎町の持つ遺伝子を生かし、大衆文化・娯楽の拠点としての街づくりに協働し、力いっぱい取り組んでいきたいと思います。今年度は、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会のメンバーになっていただき、その他のプロジェクトにも参加してもらいます。すでに、喜兵衛プロジェクトに参加していただき、いろいろとアドバイスもしていただいております。また、歌舞伎町でのイベントや地域活動への参加、さらにこの小学校施設の一部をルネッサンス事業活動の場として提供いただくことも決まっております。また、地域への貢献として、現在ここに区の災害用備蓄倉庫もありますが、災害時の一時集合場所などとしての使用もさせていただきます。歌舞伎町のイメージアップを図っていくためにも、来年度に設立する歌舞伎町版タウンマネジメント組織にも積極的に参加をしてもらいます。新宿の大衆文化の振興と歌舞伎町からの新たな文化の創造と発信に大きく貢献をしていただけるものと期待をしております。旧小学校施設に吉本興業の東京本部が移転するということで、世界のエンターテインメント・シティを目指す歌舞伎町とともに広く新宿の街が大衆文化・娯楽の一大拠点として世界へ羽ばたいていくことが出来るのではないかと大きく期待をしているところです。」

吉野伊佐男吉本興業㈱代表取締役社長

「新宿ルミネは450席ほどの劇場ですが、かねがね東京で1,000人規模の劇場をやりたいという我々の願いは継続して持っておりました。ルミネ・ザ・よしもとの新宿への進出も6年目に入っておりますが、東京の本部をこちらの方にというお話も頂戴しまして、まずこの学校を最初に見せていただいた時点で、是非ともこちらに移転をさせていただきたいなと気持ちはすぐに固まった状態でした。喜兵衛プロジェクトと協議を重ね、例えばここにある中庭ですが、出来れば一面芝にして花壇にしようかなという風にも思っております。出来れば地域の方々にも、花壇を一緒に作っていただけたら、といいうますか、そういうこともこれからいろいろ協議しながら考えていきたいと思ってます。こういうスペースも、出来るだけ地域の方に開放できるよう構想を練っているところです。暖かくお迎えをいただくことでございますし、我々も非常に責任を感じながら、また、この新宿・歌舞伎町というところからまた吉本の新しい情報発信、情報発信基地としての機能を存分に発揮していきたいと思っております。この場所に移ってきて、また新たに新しい夢が沸々と沸いてくるという感じです。」

新村雅彦喜兵衛プロジェクト座長・歌舞伎町商店街振興組合理事長

「さて、このたび吉本興業さんの東京本部が喜兵衛プロジェクトの第二号として歌舞伎町の隣接地であります旧四谷第五小学校に移転することになりました。大変喜ばしく思っております。喜兵衛プロジェクトでは、歌舞伎町の将来ビジョンである大衆・娯楽の発信拠点の実現にむけて担い手を誘致することを試みております。また空き室物件ツアーや風林会館でのイベントなど情報発信など街を挙げて積極的に行っております。昨年には、地元インターネット放送局のサテライトスタジオも、喜兵衛プロジェクトを通じて開局しております。そして、今回、一大エンターテインメント企業である吉本興業の東京本部移転が決まり、歌舞伎町の代表としても大きな期待を寄せている。」

 

入り口部分にあるところは、1Fが地域への開放スペース、3Fには社長室や役員会議室などを予定。基本的に、建物3階建の1階部分はなるべく開放スペースとして地域や出入りする人たちとの交流の出来る場所にという想定がされている。上右の写真は図画工作室だった場所。かなり天井が高く窓も広く開放的な場所で社食・カフェなどになる予定。

「こちらの学校は歴史のある貴重な建物であるということは我々も認識している。教室等はオフィスとして使わせていただくことにしてますし、出来るだけ現存の姿を大きく変化させないでということを設計のものにお願いをしている。この変化の激しい時代、吉本興業は笑いというもを基本に音楽やいろいろなものをやっておりますが、本当に人と人のふれあいといいますか、そういうことが基本でありますので、我々がややもすると、こういう学校で小さいときに夢を育んだことであるとか、そういう純真な気持ちが流されてしまいがちな世の中の状況で、もう一度小さいときに学んだ学校、集団生活をしたという気持ちみたいなものを、このような学校として残っている施設でやってみたなというのが、使い勝手の問題であるとかそういうのもあるが、それを超越したところでここから生まれてくるんじゃないかという期待もしています。」と吉野社長。↓旧四谷第五小学校の改修後のイメージ

パースを手に中山区長と吉野社長

「芝生をひいて、花壇などを地域の方々と一緒に作りたい」という中庭に出て中山区長・吉野社長・新村座長の3SHOT。

記者会見にも多くのマスコミが集まった。

吉本興業が新宿に本部移転をすることによる歌舞伎町ルネッサンスにおける期待についての記者からの質問で、「今までの歌舞伎町の取り組みというのは、所謂犯罪インフラを除去していく、環境浄化・環境美化とかそうした取り締まりが中心だった。そうすると、歌舞伎町のような繁華街・歓楽街というのは経済活動あっての街です。そういった経済活動と犯罪インフラが結びついていたときというのは、取り締まることによって街が元気でなくなって悲鳴が上がり、もういいんじゃないですか?ということで街が変われない、そういう状況を何度も繰り返してきたと思います。現在の歌舞伎町ルネッサンスのみそは何かと言うと、所謂繁華街・歓楽街としての経済活動を維持できる街づくりというのは何なのか?ということなんですね。そうなってくると、やっぱりそれは、その街の持っている遺伝子に磨きをかけていくということであると私は考えています。歌舞伎町と言う街は戦後に、この街を大衆文化・娯楽の中心、映画や演劇やいろんなものを人々が楽しめる拠点を作ろうという壮大な計画があったわけですので、そういった場所にもどしたい、そう意味では、どうしても新たな担い手が必要なんです。今までの、やや不健全で排除されるような経済活動を補完し、且つこの街の産業構造を変えるというような、そういう担い手が必要です。ですから、吉本興業さんと言うのは、歌舞伎町の街の人たちにとっても、また街づくりを一体となって進めている新宿区と言う行政にとっても、まさに大衆文化・娯楽を担ってもらう最大の担い手であると考えておりまして、したがって今後この担い手方による色々なコラボレーションが期待できると思っています。」と中山区長。


7月7日(土) 歌舞伎町スターコンテスト(第3回予選・運営:新宿放送局)がシネシティ広場で開催

賞金総額300万円をめぐり、歌舞伎町からスターを誕生させようという芸能バトルが11月の決勝大会にむけ概ね隔週で歌舞伎町シネシティ広場で行われている「歌舞伎町スターコンテスト」の第3回予選が7月7日(土)に開催された。

双子のデュオ、岸田姉妹は歌舞伎町にさわやかな風を吹かせた。この日の予選会では決勝大会進出へ2組が選ばれたが、岸田姉妹もその中に。

歌舞伎町でちゃんこ居酒屋カンちゃんを営業しているキラー・カーンさんも出演。素敵な歌声で演歌を聞かせてくれた。

歌舞伎町スターコンテストのメインスポンサーであるSKY PerfevTV!から「お天気キッス」(スカパー唯一のお天気チャンネルe-天気.net)のお天気キャスターの上妻香織さんと菅由彩子さんが、番組PRを兼ねてステージで歌舞伎町のお天気予報。

七夕ということで、二人とも浴衣で出演、短冊にそれぞれ願い事を。上妻香織さんは「中日ドラゴンズ日本一」、菅由彩子さんは「テニスが上手になりますように」

この模様は、インターネット放送局「新宿放送局」で近日動画配信されるそうです。

ところで、喜兵衛プロジェクトにおける担い手誘致の第一号がこのインターネット放送局「新宿放送局」(関連記事:2006年7月15日(土) 喜兵衛プロジェクト1号物件「新宿放送局 歌舞伎町サテライトスタジオ」開局記念公開収録)、そしてそれから丁度1年を経て、吉本興業㈱東京本部の旧四谷第五小への移転が喜兵衛プロジェクト誘致第二号ということになる。歌舞伎町に進出して1年を経た新宿放送局は、当初新宿TOKYU MILANOビル1F正面南側の一角を月額10万円で賃貸、その後、歌舞伎町でスター誕生をというエンタメ路線での拡がりを重視したイベントを度々開催、今年度はSKY PerfecTV!という新たなスポンサーを得、シネシティ広場のイベント事業を核にさらなる地域発信の要になろうと試行錯誤をしている。一方、地域との当初メディアとして出発した企業性がむしろ制作会社としての事業にプライオリティをおかざるを得ない状況になっている面、地域や行政との関係性などまだまだ課題はあるように思える。とくに、「喜兵衛プロジェクト」という行政が絡んだ形での誘致に応じたことは、取材可能範囲や公共の場での信頼性という面でポテンシャルにはなっている反面、それゆえに「コンプライアンス遵守」とか「ルネッサンス」の傘の中にいる所謂限界(ある程度まちづくりに即した発信に歩調を合わせざる得ない部分、スポンサー獲得の範囲など)、また地域の限られたマンパワーの中で進める街づくりにはプライオリティがあり、その部分で企業としての方向性とかみ合わない場合の調整能力に足りない部分があることなど、課題も多い。

吉本興業は、今回旧四谷第五小学校(使用可能面積は4600㎡)を、耐震補強や改装工事等に約8億、賃料として月350万円で10年の契約を結んだ。単純に10年のコストで坪単価をはじくと7,300円/坪。つまり、新宿駅から約5分、2008年6月には目の前に地下鉄副都心線の駅も出来る1,000坪を越える用地を坪単価7,300円で借りることが出来たということになる。近隣の賃貸相場から見れば、吉本興業はコスト的にもこの新宿進出でメリットを得たともいえよう。実際、来年の4月を迎えての入居ということで、吉本興業㈱東京本部が歌舞伎町ルネッサンスの中で機能しはじめるのはやや時間が必要ではあろうが、新宿放送局の歌舞伎町進出でみるように企業として公共と絡むことのメリット・ディメリットはこの吉本興業にもあてはまることだろう。地域というものは、そうは言ってもやはり排他的な面もあるし、理屈ではない許容しにくい場面もある。また、行政は、割と無責任でアフターフォローは下手だし、担当はころころ変わり理念が無く一枚岩でもない。まして経済観念に疎い。

ただ、自分が思うのは、そこは吉本興業、ある意味百戦錬磨、表も裏も知る企業ならではのしたたかさ、強力な発進力を持っているという最大の武器を有効活用し、歌舞伎町のもつ潜在的なポテンシャルと共振し、今自分らが予想だにしない「何か」を引き起こす可能性を秘めているように感じる。これはひょっとしたら地域や行政と議論や摩擦を醸し出すものになるかもしれない。しかし、それでいいのだと思う。常に議論や摩擦がある、それはある程度の緊張を生み、そして同時にエネルギーにもなる。街づくりに必要なものは、常に対極、いわば現場の問題や課題と、それに拮抗する存在があることだと思っている。そして、拮抗するものがない場合はそれを作る、これがいわば街づくりの極意であると確信している。歌舞伎町のかつての10年はそれが失われていた。そして、「歌舞伎町るねっさんす」は、言ってみればそういう存在を生み出す環境を作り、そして意識してその存在自身になってきた。そんな意味で、多分、吉本興業の進出を、もしかしたら自分は他の人たちよりもっと大きな期待をしている一人かもしれない。

 

↑喜兵衛プロジェクト第三号の「地方物産アンテナショップ」(運営:新宿区障害者就労福祉センター)は7月15日オープン、写真は現在入居準備中の歌舞伎町商店街振興組合ビル(新宿区歌舞伎町1-19-3)1F・2Fの一部。宮崎県山形県群馬県、そして新宿にゆかりのある伊那市(内藤新宿の内藤家は信州・高遠藩主の譜代大名、高遠は伊那市)の地方物産ショップとして、また心身にハンデキャップを持つ人たちの就労支援の場となる。7月15日にはオープニングイベント「青空フェスタ」がシネシティ広場で開催されることになっている。(※雨天のため中止となりました

 


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