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10月18日(水)歌舞伎町"ゴジラロード"にて『ゴジラ-1.0』ワールドプレミアレッドカーペットイベント実施 [イベント]

歌舞伎町セントラルロード、ここで、2016年7月、シン・ゴジラ(庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督)公開にあわせてレッドカーペットイベントを実施した際、愛称として"ゴジラロード"と呼ぶことにしたわけだが、あれから7年ぶりに、"ゴジラ"が帰ってきた。
新作『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE)の舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現、主演の神木曰く「これが絶望っていうんですかね。」と、ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とすというストーリー。
戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。主演敷島浩一役は神木隆之介、ヒロインの大石典子役を浜辺美波、そのほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、 佐々木蔵之介と豪華キャストが共演。11月3日より公開。
ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている本作のプレミアイベントが10月18日、シン・ゴジラと同じここ歌舞伎町"ゴジラロード"で行われた。本作ゴジラと身長と同じサイズだという50.1mのレッドカーペットが敷かれ、主演の神木隆之介、ヒロインの浜辺美波、ほか山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介、監督・脚本・VFXを担った山崎貴が出席。
「絶望って目には見えない感情だったり、気持ちだと思うんですが、“見える絶望”、それが(今作の)ゴジラでした。」と神木。「私は、絶叫してました。劇場でも、皆さん、躊躇せず叫びながら見ていただけたらすごいタノシイ時間になるのではないかと思ってます。」(安藤サクラ)「このゴジラは体感するゴジラ、音もそうだし映像もそうだし、本当にそこに存在するのではないかと思わされる、そんなゴジラだと思います。」(山田裕貴)と音響・VFXもすごいらしい。ScreenX(3面マルチプロジェクション映画上映システム、正面+両側面にも映像が投影され視界270度で映画を鑑賞できる)での上映も決まったということなので、どうせ見るならScreenXのある劇場がいいかもしれない。
10月17日(このイベントの前日)に『ザ・クリエイター/創造者 The Creator』のプレミアで来日していた監督のギャレス・エドワーズ(2014年のハリウッド版ゴジラ1作目の監督でもある)も試写を観たとのことで、新作ゴジラを絶賛していたそうだ。
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『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE)
生きて、抗え。
焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。
残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。
ゴジラ70周年記念作品となる本作『ゴジラ-1.0』で監督・脚本・VFXを務めるのは、山崎貴。
絶望の象徴が、いま令和に蘇る。
11月3日(金・祝)全国にて公開。

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10月1日、歌舞伎町に大衆演劇場・歌舞伎町劇場が誕生。「歌舞伎町劇場の誕生をもちまして、はじめてこの歌舞伎町は、その本来の姿を取り戻すきっかけをつくった。」(山根大/山根演芸社・社長) [映画・演劇・ライブ]

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場所は東通り、区役所裏の正面。この秋完成したHANAMICHI TOKYO KABUKICHO(ハナミチ東京 歌舞伎町:新宿区歌舞伎町1-6-12、新宿メトログループ/代表取締役 方山 成朱)は約120坪の敷地に建てられた地下1F地上4F、その建物のB1(1Fエントランス・カフェ併設)。153席、長い花道と3基のせり、豊富な幕と各種照明や音響設備、7×3mの大型LEDビジョン等、大衆演劇場という以上の設備を備えた印象を受ける。劇場代表(館長)は自身もシナリオライターだという水野多恵子さんが務める。

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囲みの1カット。「質問があればどうぞ」って言っても、メディアからなかなかでてこない・・で苦笑い。そりゃ、メディアは"ラスボス"小林さん行っちゃうよね。とはいえ、歌舞伎町ではトピックです。左:吉住健一新宿区長と、右:方山成朱氏。


新宿メトログループと言っても、地下鉄とは関係ない。区役所通りにある新宿バッティングセッターほか、新宿や歌舞伎町にメトロビルなど数棟のビルを持つ新宿企業株式会社、三信商事株式会社、新宿メトロ会館のグループ。

歌舞伎町でいうと、一番街で戦後、スマートボールの遊技場あたりからが第一歩目か、この街の誕生期から関わる方元俊が初代、現社長の成朱は三代目。方元俊の足跡は、先だっての記事でもある弁財天横の王城ビルを持つ大星商事も含まれる(一応元俊氏の弟が社長だったが)。

という、いわば昭和の歌舞伎町のエンターティメントをつくって賑やかしてきたという一面を持つ。"方"の名前の通り在日の一族ですが、成朱は帰化し、日本国籍。昭和の記憶も薄れ、いろいろ賑やかしつつもやらかしもあった初代・元俊の足跡はもはや伝説の一篇となりつつあるが、三代目の成朱は会うたびに「歌舞伎町に貢献したいです。」と。そして、彼が思う"道義的繁華街"の理想の姿と、その「歌舞伎町に貢献したい。」という思いを形にしたのが、三代目を継いでの最初のプロジェクトとなった『ハナミチ東京 歌舞伎町』、それだけに相当思い入れは強い。


9月28日に内覧会があり、10月1日より開業するB1の歌舞伎町劇場と、惜しまれて閉店した新宿東口にあった昭和な感じの純喫茶と言ったほうがいいか、「珈琲 西武」がこの新しいハナミチ東京の2Fに移転オープンしたのでそこと、2Fテナント【 和レンタル衣装 きぬも 】を見せてもらった。

3F 【 食のHANAMICHI内藤新宿 】 4F【 食のHANAMICHIはなれ 】【 BBQてらす御来光 】は11月にオープンとのこと。

そして、10月1日、いよいよ大衆演劇場・歌舞伎町劇場が開業、こけら落とし公演には「たつみ演劇BOX」、なんと初日、"ラスボス"こと歌手の小林幸子さんが出演ということで、ビル開業のテープカットにも、「ハナミチ東京 歌舞伎町」スペシャルアンバサダーとして登壇した。

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「たつみ演劇BOX」こけら落とし公演は、満席、ほかに補助席もだしての観覧となった。アタマで鏡割り、小林幸子さんや「たつみ演劇BOX」の小泉兄弟、館長の水野さんに加え、山根演芸社の山根大(はじめ)氏も登場、鏡割りと乾杯の音頭まで仕切っていた。

その中で、「歌舞伎町は大衆の娯楽の場として、この街を栄えさせようという思いから歌舞伎町という名前がついたと聞いている。戦後80年近くたち、歌舞伎町劇場の誕生をもちまして、はじめてこの歌舞伎町はその本来の姿を取り戻すきっかけをつくった。」と山根さんが述べた口上が、オーナーである成朱の思いと重なり、印象深かった。

館長の水野さんから聞いたのだが、大衆演劇は、売り上げや経費は小屋と劇団、折版するというのが当たり前だそうだ。そういう意味では、単なる貸し小屋ではなく、お互いに思い入れと財布を考えつつ、どうお客を楽しませるか、癒すか、そしてその中にどう我を写すのか、共同作業がシステムになっているのが素晴らしいと感じた。

また、観劇に際し、珈琲西武の弁当が持参出来たり、和服レンタルができて街歩きができたり、またこけら落とし当日に開催されていた『第40回 歌舞伎町まつり』(主催:歌舞伎町商店街振興組合)の飛び入り企画として、人力車に乗った小泉兄弟と「たつみ演劇BOX」の演者らが歌舞伎町をお練りを敢行、さらに東急歌舞伎町タワーのスタバ前のステージでデモンストレーションを繰り広げるなど、外にも繰り出すことで街全体にシナジーをつくりだそうという試みもあった。採算面ではなかなか簡単ではないとは思うが、そこは体力のある新宿メトログループ、ド派手な影響力を歌舞伎町で発揮してもらえたらなと思う。

大衆演劇場・歌舞伎町劇場、11月には「宝海劇団」公演、12月から来年1月末にかけては「劇団花吹雪」出演、ほか、まだまだゲストを迎えた開業記念イベントやクリスマスイベントなどが実施される予定だそうです。


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F1 TOKYO FESTIVAL 2023 , SHINJUKU KABUKICHO 20 SEPTEMBER [イベント]



F1 TOKYO FESTIVAL 2023 , SHINJUKU KABUKICHO 20 SEPTEMBER /  Digest Kabukicho OFFICIAL ARCHIVE
イベントはシネシティ広場から東急歌舞伎町タワー1Fステージにかけてを使用し、9月20日に開催された。
9月22日より鈴鹿サーキットで開催される(決勝9月24日)F1日本グランプリを迎えてのPRイベント。
歌舞伎町に企画を持ち込んだのは東急エージェンシー、主催はホンダモビリティランド株式会社 鈴鹿サーキットで実施された。
『F1公式イベントが街中で行われるのは日本初』とのことで、無論歌舞伎町でのF1のイベントははじめて。
9月19日にはすでに設営がはじまっていて、F1マシンがシネシティ広場に運び込まれていた。
一般入場はすでに11時にははじまっていたが、イベントスタートは午後の2時40分から、広場は法的には道路であり、南北の一般歩行者の動線を確保する関係で、縦に長く横幅のないわりと狭いスペースに観客が大勢詰めかけていた。多分前のほうしか見えないのではとは思ったが、東急歌舞伎町タワーの大型モニターにも映像がライブで流れるように運用されていた。
会場には、今期最速のRed Bull RB19 と、同じくレッドブルファミリーのアルファタウリ AT02(2021)2台のF1マシンが展示、また、数々のチャンピョンドライバーが手にしてきたチャンピョントロフィーが飾られていた。ゲストは、メディア向けに事前に配布されていた資料にあったようにStefano Domenicali ステファノ・ドメニカリ氏(Formula 1 社長兼最高経営責任者)、・Frédéric Vasseur フレデリック・バスール氏(Ferrari F1チーム代表)、角田裕毅選手(アルファタウリ) Yuki Tsunoda 、マックス・フェルスタッペン選手/セルジオ・ペレス選手
Max Verstappen / Sergio Perez (Oracle Red Bull Racing)、エステバン・オコン選手 Esteban Ocon (BWT Alpine F1 Team)
ほか登壇。なお、事前資料になかったリアム・ローソン選手 Liam Lawson(Scuderia AlphaTauri)も角田選手らと一緒に壇上に上がっていた。
各ドライバーを中心に数百億のお金が動くF1の世界、「昨日何しましたっけ?(角田選手)」と言うほど連日あちこちにひっぱりだこなんだろうなと、その忙しい中でよくこのメンバーが歌舞伎町に揃ったものだなと。まあ次はもっと大きな会場でとステファノも言ってたので、ここでやるのは最初で最後な気はするが。

主催にホンダモビリティランド株式会社があるように、レッドブルのチームにはホンダがPUを提供しているということもあるだろうし、ホンダにしてみても、いよいよ2026年にはアストンマーティン・アラムコ・ホンダとしてワークス参戦(レッドブルへのPU提供は2025まで)ということを見据えて、ということもあるのかもしれない。また、来年のF1 日本グランプリ開催が秋から春(第4戦 4月5~7日、鈴鹿サーキット)に変わり、早くも12月10日からチケットが販売開始ということもあるのかもしれない、と考察。まあ、できればF1マシンのエンジン音を歌舞伎町に轟かせてほしかった・・
□F1 Car Display
Oracle Red Bull Racing RB19 (2023), Scuderia AlphaTauri AT02 (2021)
□F1 Trophy
F1 チャンピオントロフィー、数々のチャンピオンドライバーが手にしたトロフィー。
■Kabukicho Cine City Square F1 TOKYO FESTIVAL STAGE(14:40~)
登壇ゲスト
・Stefano Domenicali (Formula 1 President and CEO)ステファノ・ドメニカリ氏(Formula 1 社長兼最高経営責任者)
・Frédéric Vasseur (Ferrari F1 Team Representative)フレデリック・バスール氏(Ferrari F1チーム代表)
・角田裕毅選手/リアム・ローソン(アルファタウリ)
 Yuki Tsunoda / Liam Lawson(Scuderia AlphaTauri)
・マックス・フェルスタッペン選手/セルジオ・ペレス選手
Max Verstappen / Sergio Perez (Oracle Red Bull Racing)
・エステバン・オコン選手 Esteban Ocon (BWT Alpine F1 Team)
ほか
■日時:2023年9月20日(水) 11:00~19:30
 (都合により終了時間が変更となりました 9/15時点)
■会場:東急歌舞伎町タワーおよび歌舞伎町シネシティ広場(東京都新宿区)
■主催:ホンダモビリティランド株式会社 鈴鹿サーキット
■共催:一般社団法人歌舞伎町タウン・マネージメント
■後援:新宿区

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9月16日(土)17日(日)令和五年度 歌舞伎町 熊野神社祭禮より [祭]


令和五年度 歌舞伎町 熊野神社祭禮9月16日(土) 歌舞伎町睦神酒所にて御霊入れ式より(新宿区歌舞伎町1丁目13−1 弁天堂公園)より/伊藤綾野宮司 9月17日(日)町内神輿渡御ダイジェスト

9月16日(土)歌舞伎町睦神酒所にて
【御霊入れ式】
9月17日(日)歌舞伎町睦 町内神輿渡御
【大人神輿】
13時50分 出発式(弁天堂神酒所)
14時    宮出し
19時10分~19時20分 女神輿 
19時30分 宮入り
【子供神輿】
14時30分 宮出し
15時30分 宮入り

この時季にしては異例の暑さの中、無事、令和5年度の歌舞伎町睦町内神輿巡行を執り行うことができました。担ぎ手に集まっていただいた皆様をはじめ、裏方でお手伝いいただいた多くの方々、そして見守っていただいた多くの街の人たち、来街者の皆様に感謝申し上げます。
本年度は町内神輿渡御でしたが、来年は新宿村の睦大集結の角筈連合渡御、そして再来年は厳かに本社神輿渡御となります。
今年のトピックは何と言っても子供神輿だろうと思い、まずは子供渡御中はそちらに随行しました。60人?70人くらい?明くんまどか(ひょっとこ)奮闘の結果ですね、素晴らしい!良かった。出張託児所も事務局で開催しました。その後は大人神輿へ~宮入まで。
思い起こせば、昨年のコロナ明け渡御は本社神輿だったし、コロナ前の2019年も本社でした。自分が村神輿の渡御に随行して撮るのは2018年以来、まだ平成だったころ。5年ぶり。
商売繁盛と街の活性化を祈念する神輿渡御です。今後とも、ご理解とご協賛を心よりお願い申し上げます。ありがとうございました。

撮: 寺谷公一 中村 義昭

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歌舞伎町・王城ビルにてChim↑Pom from Smappa!Groupがアート展「ナラッキー」開催中(10月1日まで) [まちづくり]

歌舞伎町にひっそり佇む弁財天の隣に、中世ヨーロッパの城をモチーフした建物がある。王城ビルだ。昭和39年竣工、歌舞伎町が歓楽街然としはじめたころに建った建物で、コロナ禍に入り営業店舗は閉鎖され、廃墟化していた場所である。今、ここにこれまで歌舞伎町に来たことがないような若者たちが押し寄せて賑わっている。現代アーティスト集団のChim↑Pom(=2022年4月、Chim↑Pom from Smappa! Groupに改名)のアート展「ナラッキー」が開催中だからだ。
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テーマは「奈落」、例によってビルに穴をあけて閉鎖空間を外へと拡張してのかわら乞食的な何かがもぞもぞと、いや、むずむずとさせる。11月にシネシティ広場で開催される"歌舞伎超祭"のコンセプトもここに盛り込まれ、歌舞伎町の地霊のざわつきがここに集約されているような感じだ。

仕掛けたのは、Chim↑Pom from Smappa!Groupの名前の通り、Smappa!Groupの会長・手塚マキ氏。彼を歌舞伎町の"ナイトメイヤー(夜の市長)"と言い始めたのは私だが、歌舞伎町を中心にホストクラブを軸に飲食店や美容系、アパレルや果ては介護ビジネスまで手掛ける、若いけど大した実業家。

以前、閉鎖された王城ビルをわき目にここもったいないな~なんて言いながら一緒にゴミを拾ってた(グリーンバード歌舞伎町)のはかれこれ2~3年前か。「ここ、貸さないと思うよ。」と私は言ったっけ。

王城ビルを所有するのは大星商事という会社で、歌舞伎町ではゴジラロード入口西側のピックペックビルとここを所有する。王城ビルは、昭和期、最初は純喫茶王城やバー王城からはじまり、自分の記憶では昭和最後のころのキャバクラ"ミントハウス"が印象深い。歌舞伎町には最初にキャバクラを称したキャッツ(株式会社レジャラース)が一世を風靡し、その後続々と旧キャバレー業者がキャバクラと称する店をオープンする中、それらを一気にまくり上げるように突然ここ王城地下に現れ歌舞伎町を席巻したミントハウス。オープン前はこの弁財天付近に行列ができていたものだ。Beeちゃんとか懐かしい。そのミントハウス、テナントではなく、大星商事の直営(とはいってもノウハウをもった従業員がかき集められ、またキャストたちも日本中からスカウトされてきた売れっ子たちも多く、そりゃ賑わって当然、だが、一方で引き抜きやらでトラブルも多かったようだった)というところにミソがある。ミントハウスはおそらく内部的な理由で消滅したが、以降、流行にのってテレクラドン・キホーテとかカラオケブームの時は東京カラオケ本舗、そしてビル火災もあった。コロナ禍前までは居酒屋虎の子とか、正直あまりうまくいってはいなかったように思う。わりと堂々と客引きを出す会社で(防衛的客引きではあったが)、そのあたりも、ん?どうなの?という見え方もあった。そんなイケイケな大星商事、だったが、やはりコロナ禍は響いていたようだ。王城ビルは居酒屋虎の子を最後に閉館、ここ数年、ひっそりとたたずむ廃ビルだった。
おそらくこの数年で、何かが変わったのかもしれないと思ってる。で、昨年の多分夏ごろか、手塚はこの王城ビル所有者の大星商事の三代目となる方山堯君と出会うことになる。人を介してだったようだが、当時手塚は44歳、方山は当時29歳か。これが必然だったかどうか、今はまだ言い切れないが、やがてそう言えるような”挑戦"が動き始めた。

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手塚は手始めに、王城ビルを舞台にしてのカウントダウンパーティイベントを企画した。アート、音楽、フード、パフォーマンスが入り乱れるカオスな空間をここに演出した。そして、その成功を今回の「ナラッキー」につなげた。今度は約1か月という長期にわたって開催されるアート展。手塚のプレゼンテーションは方山に何か響いていたのだろうか。
手塚は「元々歌舞伎町には歌舞伎町としての地の力がある。ここ王城で地下に音楽、自分としては上には外国人向けにホストクラブやキャバレーとかもりたい。」とはっきりとビジョンを持っている。だが「もちろん私企業としてやることなんだけど、ここなら歌舞伎町の、というより世界中の人が日本に来るきっかけになる場所にできる。隣に弁財天がある、ここの価値も大きく変わる。結果、街のためにもなるし、日本のためにもなる。」

しかし当のビルオーナーはハコを貸さない大星商事、だが若き三代目の方山堯はこう言っていた。「ビルオーナーがちゃんと、そこで何をするのかってことにコミットすることが、結果的に面白いものができるという、自分の中のある意味仮説でもあって、それを今実行している状態なんです。美術館を例にとると、よくあるホワイトキューブ的な、白いスペースにどうぞ作品を置いてください、会期が終わったらはい、かたずけてください的な、っていうのって、本当にその地その場で事業やったり展示会をしたり、それって意味があるの?というのは常に問いかけなくてはいけないのであって、自分たちがちゃんと商売にコミットすることで、そこに来てくれるお客さんが、この地だからこれをやるんだなとか、この人たちだからこれをやるんだなっていうところまで、すーっと通ってくると思うんです。本当は、今回のイベントって、自分は主催に入らないはずなんですよね。ハコを貸している、というはずなのに主催に名前をいれちゃってるところがミソであって、イベントにビルオーナーがちゃんとコミットして、入り込んで一緒に同じ船に乗って共同事業をしてるってことが、結果的に世の中に響くものができあがるっていう、自分の中での答え?仮設があるっていう感じですかね。」
確か、大星商事は、テナント貸をしてこなかっただけでなく、これまで法的にちゃんと契約された業務委託や共同事業というのすらやってきていない。(無論、都度ノウハウのあるスタッフを引き入れ雇用しはあったにせよ)だが、彼はここでは同じ船に乗って共同事業をすることで生み出される何かに期待しているのがわかる。

ほう、面白い。
ここを使いたい、"使い倒したい"手塚との間の落としどころをすでに模索している感じは受けた。
「正直、スタバにとかコンビニにとかいろいろ話はあったが、なんでそうしなかったのかというと、絶対街がつまらなくなると思うんですよね。歌舞伎町はさておき、どこの街に言っても、どこの新しい開発を見ても、コンビニのない、スタバのないところってないじゃないですか。そういう街にしていっちゃいけないという自負は、ビルオーナーの端くれながら思ってます。」彼は続けて、「それはウチが自分でやってきたというマインドセットがあるので、そっちのほうがそもそも楽しい、難しそうだけど、ボク、好きな言葉で『ロマンとソロバン』(※リクルート・江副浩正氏の言葉)というのがあるんです。商売には思いとか理念と、商業的な、BS/PLのほうをちゃんとバランスをとっていくことと両立しなきゃいけないというのは、まさにその通りだと思うんですね。それの、これからが大いなる実験であってチャレンジになっていくんだと思うんです。ソロバンだけだと街は絶対つまらなくなっていくと思うんで、それがボクの生きる指標なんです。歌舞伎町界隈で、こういう風なことをしてったほうがいいよねとか、自分が経営者として、こういうのが得意分野なんだなみたいな、そういうのがだんだん見えてきているんですね。そういうのを掛け合わせていって、今回はイベントっていう形ですけど、常設、常時開けられるような形にチャレンジしていきたいなって思いはあります。」

あれは必然だった、そう言える日が来るなら、歌舞伎町はますます面白くなる気がする。


いずれ王城のこの建物はどうするのかな、とか思ってはいたが、いやいや、となるとこのフォルムは絶対生かしたほうがいい。「中も大きな工事をするよりも、歴史を感じられるほうが恰好いいし、これから公共性ってものを考えないといけないって思うし、(ナラッキーに賑わう来館者を見ながら)こんな風に今まで歌舞伎町に来たことがないような人たちがぞろぞろ入っていくような場所をつくって、歌舞伎町のフックになるような場所をつくるのはめちゃくちゃ楽しいし、それには一役かわないと気が済まない。」と手塚。そして「これからの王城にご注目ください!」と方山。

歌舞伎町の王の城、か。ここから、目が離せない。というか、これからどうなっていくのか見届けたいと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ナラッキー
Chim↑Pom from Smappa! Group
2023/9/2/Sat  -  2023/10/1/Sun 火曜日休館日
​王城ビル 東京都新宿区歌舞伎町​1-13-2
https://www.hellonaraku.com/


以下HPより転載

プロジェクトについて:

王城ビルには約 30年間ざされてきた4フロア分の吹き抜けがあります。
建物のデザインからして城の 裏側といったその空間に、Chim↑Pom from Smappa!Group(以下 Chim↑Pom)が新作インスタレーショ ンを制作、常設設置を試みます。そのお披露目を兼ねた展覧会を、パフォーマンスや音楽などと絡めて開催。レストランや各種イべント、ショップも Chim↑Pom が手がけ、1カ月限定の「Chim↑Pom from Smappa!Group による美術館」のような 施設を仮設します。

テーマは「奈落」
歌舞伎町という名称は歌舞伎座を誘致しようとした戦後の都市計画に由来します。大建築禁止令などに よってその目論見は頓挫しましたが、戦前新宿にあった「新歌舞伎座」(松竹)が3年ほどで大衆演劇の場に移ったことなども相まって、歌舞伎座という伝統と歌舞伎町という歓楽街のミスマッチは都市論や文化論で語られてきました。都市論的にいえば、水辺という低地で発展した歓楽街と、高台で保守化する文化のコントラストを考察する『アースダイバー』(中沢新一)は、その冒頭でまさに王城ビルの隣の「歌舞伎町公園(歌舞伎町弁財天)」を取り上げることで論旨を明らかにしています。沼地を埋め立てたことを標すこの公園には、水の因縁として弁財天が祀られ、変わりゆく街の中で唯一変わらない場所として、街の精神性をいまに伝えてきました。Chim↑Pom はそれらの文脈に閉ざされてきた吹き抜けを重ね、今回、その空間を「奈落」として読み取る ことを試みます。

翻訳サイト「DeepL」では「The End」と訳され、落下事故やかつての暗い雰囲気などから、仏教用語で地獄を意味する言葉で名付けられた「奈落」。「奈落に落ちる」の慣用句に代表されるように、江戸時代には 舞台の地下は忌まわしい場所として遠ざけられていたようです。実際、奈落で働く人々はかつて「穴番」と 呼ばれ、その閉鎖性は底無しの穴や沼のように捉えられてきました。Chim↑Pom は、歌舞伎への敬意と歌舞伎町の歴史への接続から、吹き抜け空間に実際の奈落で録音された歌舞伎公演の音を流します。録音は、歌舞伎界の新鋭として次世代を担い、現代アートに関する著 作もある尾上右近の自主公演第七回『研の會』「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」公演中の奈落。 そこから何が聴こえているのか......。歌舞伎町に転送された環境音から、奈落のリアリティに迫ります。また、吹き抜け空間にはセリも登場。カッティングしたトラスが上下するサイトスぺシフィックなビルの彫刻作品となります。さらに、吹き抜け空間の上部階である屋上にも穴を開け、「奈落の底」である最下層部の床も解体。閉鎖空間を外へと接続し、奈落の概念を街と天へと上下左右に拡張します。

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2001年9月1日未明、44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災―遺族が献花 あれから22年 2023.9.1 [季節]

8月31日の深夜、日付は9月1日未明。第一報は午前0時50分でした。2001年のこの日この時間、歌舞伎町で44名の犠牲者を出す雑居ビル(明星56ビル)火災があった日です。あの日から22年。今年も、この日がやってきました。歌舞伎町の景色は一変して、大勢の外国人観光客らで賑わっている。コロナ禍で年配の人たちが来なくなった歌舞伎町、一気に若者の比率が高まった。道行く人たちからは「ここで何かあったんですか?」的な声が聞こえてくる。すでに来街者の記憶からは消えてしまっているあの日の出来事。



遺族会はすでに解散し、今は殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(https://www.jikou74.com/ )が実質的に事務局的な機能を担っている。

この日も宙の会から警視庁捜査一課を通じて警視庁記者クラブの記者たちが取材に訪れている。歌舞伎町に献花に訪れる遺族も年々減り、71歳となった植田安子さんだけ。植田さんは当時、娘の長女(当時26)と次女(当時22)をここで失った。蒸す暑さの中、しんどいしんどいと言いながらも植田さんは毎年献花に来ている。「初孫が生まれたの、息子に」と嬉しそうに話してくれた。本当だったらもっと大勢の孫たちに囲まれていたかもしれないのに。

私は、4階のスーパールーズで働いていて亡くなったさゆりさん(当時23歳)の母・中村すい子さんの話を聞くところから当時取材に入ったのだが、その中村さんも数年前に体調をくずし、おそらくここにくることは出来なくなった。いくら法律が改正され(2010年刑事訴訟法改正)時効が撤廃になったとはいえ、このままいけば遺族の寿命がこの事件を実質的に時効化してしまうんだろう、そんな思いがしている。

個人的には、遺族がこうして歌舞伎町に来て献花しなくても書ける。が、マスコミは?ニュースにできるか?風化を恐れ、だからこうして誰か一人でも遺族が献花する『絵』をつくることでなんとか記憶を繋ぐ、という作業。

記者クラブの記者たちもそれは理解しているからこうして集まるわけだ。だが、中村さんもそうだったし、植田さんもだが、この歌舞伎町ビル火災、本当はどうだったのか、事実を知りたい。

"警視庁は何者かが火をつけた疑いがあるとみて今も捜査を続けていますが、未解決のままです。"とクラブ記者たちの報道にはそう書かれるのは無理もない。"警視庁"記者クラブだし。だが、本音はどうなんだろう。おそらく違う。失火だったという疑念も残っている、だが、警察発表は放火の疑い。放火の疑いだというのであれば、捜査機関は『放火』として、しかも44人も死なせた重大な犯罪としての捜査をすべきだろう。だが、聞こえてくるのは「あまり触れないでほしい」という声・・・記者たちも含め、みんなそれは気づいている。実際、警察は何も新しい情報をつかんでいないし、おそらく動いてもいない。報道にのることのない本音、遺族や記者たちも含めてもやっとしたこのままで、遺族の寿命を迎え重大な事件が実質的に時効化してしまうことを良しとしていいのだろうか。

もしあの時と同じことが今起きたら、被害者の中にはおそらく多くの外国人や家族連れまでも含まれるかもしれない。歌舞伎町の今の雑居ビルの中の景色はそれを想像させる。あの時と変わったことも多いが、変わってないことだってたくさんある。あのような悲惨な出来事が再び起きないとも言えない。時間は、あまりないような気がする。



◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

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2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 

4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定、しかし仮に放火だったとすればその放火犯は未だ捕まっていません。「放火と断定しにくい」(当時の警察関係者)ということで「疑い」のまま18年の月日が経ちました。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターはおそらくガス窃盗目的で外されおり、では外されてた状態を管理者は放置していた、という話を聞いたことがあります。個人的には、そこで何かしらの理由にで引火、加えてバックドラフトなど複合的な要因で大きな火災になったのではないか、と考えたりもしましたが、諸々不明確なまま年月は過ぎてしまいました。また当時、警視庁捜査一課は、"犯人は中国人"というやや偏りのある情報に頼り、当時歌舞伎町にいた中国人を片っ端から逮捕、相当きつい尋問を行ったようですが、そのことが却って、最も情報を持っていたであろう"側"の捜査協力が得られなかったなど初期の捜査の在り方にはやや問題があったようにも感じます。


いろいろ特定できない中で、結果的には、ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であるとして、当時、このビルのオーナーだった瀬川重雄氏は加害者側の中心人物として裁かれました。管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失ってまでも、彼は被害者ではなく加害者として裁かれたわけです。
この事件をきっかけに、ビルの管理責任が重くなり、条例も施行、それは、現実の歌舞伎町"浄化"作戦では有用な施策の一つとなってきました。しかしながら、私自身その"浄化"作戦側の渦中にいながらも、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのは、どこか、ある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感はずうっと晴れぬまま、月日が経ってしまったというか、闇の濃い事件(事故)だなと思います。




歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、当時23歳でした。


さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。


スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズ
です。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2001年9月1日、警察の発表では放火の疑いということですが、未だ答えは出ていません。44名の方が亡くなった日本で戦後5番目の大惨事が歌舞伎町で起きたという事実、今も多くの雑居ビルでは変わらず危うさも残る「歌舞伎町」です。亡くなった方々への弔いだけではなく、来街者と、今もこの街で生き、働く人たち自身の安全の礎になればという思い、毎年同じ中身ですが記憶を振り返るべく、こうして記し亡くなった方たちの冥福を祈りたいと思います。44名の尊い犠牲があって、以来、ルールとして防火防災施策は強化されてはいきました。このことを重く受け止め、記憶のあるものはその記憶をつなぎ、二度とこのような悲惨な出来事が起きない、起こさないようにと襟を正す、歌舞伎町にとって9月1日とはそんな日であってほしいと願います。


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2023.8.19 SAT 歌舞伎町 BON ODORI 開催 [祭]

日本の夏の風物詩、盆踊りを歌舞伎町のど真ん中でDance!!
歌舞伎町では毎年10月に盆踊りを行ってきましたが、どうせなら盆踊りをお盆の時期にやりたいよね、インバウンドも増えていいんじゃないか、ってことで2019年、8月に第1回目の歌舞伎町BON ODORIを開催しました。あれから4年、コロナ禍を経て今年、満を持して復活開催、となったわけです。
ナビゲーターは2019年の時もお手伝いいただいた、全国各地の盆踊りをプロデュースしている鳳蝶美成さん。古典盆踊りからPOP楽曲で踊る「盆DANCE」まで、プロデュースは歌舞伎町商店街振興組合専務理事で自身もDJとして活躍するDr.Shingoこと柴本新悟で歌舞伎町のお盆を盛り上げました。

ダイジェストは↓

//KABUKICHO HOT TOPIC// 2023.8.19 sat. 歌舞伎町 BON ODORI digest 20m08s




「外国人観光客の方々に、日本の文化である盆踊りを、是非体験していただきたい。」と杉山元茂氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長)の言葉通り大勢の外国人観光客が盆踊りを体験してました。ただまあ、シネシティ広場っていうのは案外狭くて、もう一つ輪が増やせたらなあとか思いました。太鼓とBGMの音量の違いで映像の音声が結構厳しい・・BGMのほう、もう少し爆音で、そしてスピーカーももう二つぐらいおけたらだいぶ違うんだろうけど。

「この盆踊り、来年もパワーアップして、皆さんがお越しいただけるよう準備をしてまいりたいと思いますので、ぜひご期待ください。」(閉会の挨拶にて、大塚隆氏:歌舞伎町商店街振興組合副理事長)とのこと、期待してます!

さてと。次は週末の新宿ゴールデン街納涼祭(8/27)、そして歌舞伎町1丁目が氏子でもある新宿十二社熊野神社例大祭(9/16日御霊入れ式 17日神輿渡御)に続きます。

歌舞伎町 BON ODORI
ー開催日ー
2023年 8月 19日 土曜日
ー時間ー
開場 16時 演舞開始 18時 終了 20時
◆18時 1部 古典盆踊り with 民踊連盟
◆東京おとめ太鼓 ソロパフォーマンス
◆19時 2部 盆DANCE with 鳳蝶美成(あげはびじょう)

ー場所ー
歌舞伎町 シネシティ広場
ー主催ー
歌舞伎町商店街振興組合
ー後援ー
新宿区
◆盆踊りナビゲーター
鳳蝶美成 (アゲハビジョウ)
日本民踊鳳蝶流 家元師範、公益財団法人 日本民謡協会 教授・民謡アンバサダー
◆和太鼓パフォーマンス
東京おとめ太鼓

[>]日本民踊鳳蝶流 家元師範 鳳蝶美成 (あげは びじょう)
初心者でも気軽にご参加頂けるよう、日本民踊鳳蝶流 家元師範 鳳蝶美成 (あげは びじょう)が盆踊りナビゲーターを担当。全国各地の盆踊り大会で活躍する鳳蝶さんが、踊り方をレクチャー。
[>]東京おとめ太鼓
和太鼓アイドルユニット「東京おとめ太鼓」。和太鼓コンテストで優勝したメンバーが在籍する実力派揃いでキュートなアイドルユニット。
#盆踊り
#BONDANCE
#bonodori

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