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11月3日、「歌舞伎超祭 (かぶきちょうまつり)」シネシティ広場にて開催。街中パフォーマンス&ダンスイベント。 [イベント]


KABUKICHO OFFICIAL ARCHIVE// 2022/11/3 Thu. 【歌舞伎超祭 2nd】Digest 43m45sec


昭和23年に歌舞伎町は誕生しました。先人は、焼け野原になったこの街を「文化」で再興しようとしました。

あれから74年、コロナ禍で傷んだこの街を再び「文化」で再興しよう、そんな志で、歌舞伎町っぽいのに歌舞伎町にない、そんなものをここに集め、昨年よりはじまった歌舞伎町商店街振興組合が主催するイベントです。

今回の試みとしては、お好み焼きの大阪家、とんかつのすずや、安藤ファーム、人間レストラン、モーモーパラダイス、そしてゴールデン街といった歌舞伎町内の飲食店が出店する「歌舞伎町マルシェ」も初登場。


歌舞伎超祭

入場料:無料

日 時:2022年11月3日(木・祝) 16:00~20:00 ※雨天決行

場 所:歌舞伎町シネシティ広場(新宿区歌舞伎町1丁目19)

内 容:特設ステージ上でのダンスやショーなどのパフォーマンスイベント、歌舞伎町の飲食店によるフード販売

主 催:歌舞伎町商店街振興組合

後 援:新宿区

協 力:歌舞伎町タウン・マネージメント、東急㈱、東急レクリエーション㈱

イベントプロデューサー:Oi-chan(OIP)​

オーガナイザー:手塚 マキ(歌舞伎町商店街振興組合常任理事、「Smappa! Group」会長)

きらびやかなパフォーマー陣と初のマルシェ

シネシティ広場は近年、通称「トー横」として馴染んでいる。「トー横キッズ」と呼ばれる若者たちが集まり、ホームレスの人々、ホストクラブやキャバクラの従業員、泥酔客など、時間帯によってさまざまな人々が行き交う場所。現在の歌舞伎町を代表するともいえるこの地で「歌舞伎超祭」は行われる。今年のテーマは、


ポールダンサーが宙を舞い

ドラァグクィーンが華となり

フリースタイルフットボーラーが操り

ダンサーが地を這い 空間を斬り

DJが会場を盛り上げる



パフォーマンス(演目):
山川冬樹
KUMI・高村月 弁財天様(オープニングMC~)
平井蛙
肉襦袢ケブ美
ちびシャクレー
hossy+アオイツキ
ヒロスミ&ヨシユキ+Cerestia Grown
LiLika
レイチェル・だむーる
色即是空
もしもしチューリップ(KUMI 山田ホアニータ ちびもえこ)
アオイツキ ももたろう
スティーブ エトウ
KUMI
Kazane+Kengo
DropShitQaos
リル・グランビッチ
~FINALE

DJ MONDO



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歌舞伎町冬の風物詩〜令和4年度の第17回新宿区役所通りイルミネーションが点灯。11月1日より来年2月末まで、夕方から翌朝の間、 "夜の街"を優しく灯します。 [季節]


令和4年11月1日(火) 17年目となった歌舞伎町区役所通りイルミネーションが点灯。来年2月末まで、午後4時半より翌朝まで街に光を灯します。

今年も、新宿・歌舞伎町、冬の風物詩、区役所通りの約90本のカエデやイチョウの街路樹に、約12万個の発光ダイオードが灯されました。点灯式に先立って、今年は、16時より東京消防庁の音楽隊の演奏が行われ、17時に点灯、点灯式後はデキシーパラダイスの演奏が街を彩りました。


このイルミネーションはNPO法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会、チェックメイトビルのオーナーでもある藤澤薫氏(75・理事長)が主催、平成18年の第1回目のイルミネーション以来、彼女が中心となり、近隣有志の寄付によって費用を捻出、実施されています。街路樹にワイングラズをモチーフにした"夜の街"らしいデザインが、優しく歌舞伎町を灯します。 


第17回新宿区役所通りイルミネーション

がんばろう 日本 〜元気を歌舞伎町から〜


私共「NPO法人新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会」は2006年11月より毎年新宿区役所通りの樹木約90本にイルミネーションを装飾する活動をしてまいりました。

お陰様でこの度第17回目を迎えることとなりました。

2019年暮れに中国武漢から発生しました「新型コロナウイルス」が今や新型のウイルスとなって世界中に猛威を振るい、早3年が過ぎようとしております。 また、ウクライナを初め戦争や紛争、自然災害等で世界中の人々が犠牲になっている現実は本当に痛ましいとしか言いようがございません。

今までの常識が覆されて、一体何を信じて生きてゆけば良いのかわからなくなってしまう不透明な時代となってしまいました。このような中で、コロナ禍に於いてイルミネーション装飾事業は続けていかれるのか心配をしておりましたが、皆様の温かい貴重なご寄付を賜り、今回もイルミネーションを点灯する運びとなりました。心より御礼と感謝を申し上げます。

11月1日より来年2月末日まで区役所通りを温かく照らします。ワイングラスを型どったイルミネーションを是非見にいらしてください。


特定非営利活動法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会


理事長  藤澤 薫


【ご寄付に関して】

■郵便振替口座を利用 (所定の払い込み手数料が別途かかります。)

口座番号 00150-9-262182

口座名義 特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会

通信欄:「寄付金」とお書きください。

受領証をご希望の場合は、お名前とご住所を明記の上、通信欄に「受領証希望」とご記入ください。

■銀行振り込みを利用(所定の振込み手数料が別途かかります。)

金融機関名 三井住友銀行

支店名 新宿支店

口座種別 普通

口座番号 3864302

口座名義 特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会

〔お問合せ先〕

特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会

東京都新宿区歌舞伎町2-23-12 チェックメイトビル

TEL 03-3209-2238  FAX 03-3209-2459 

(TEL・FAXともに株式会社チェックメイトとの共有になります。)

メールでのお問い合わせはホームページよりメールフォームから送信をお願いします。




主催:特定非営利活動法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会(新宿区役所通りイルミネーション実行員会)

藤澤 薫 理事長(株式会社チェックメイト代表取締役)


演奏 東京消防庁音楽隊・デキシーパラダイス

歌舞伎町冬の風物詩〜令和4年度の第17回新宿区役所通りイルミネーションが点灯。11月1日より来年2月末まで、夕方から翌朝の間、 "夜の街"を優しく灯します 11月1日(火)点灯式より



主催の藤澤薫さんを囲んで来賓の皆さん。左から、東京商工会議所新宿支部 高野吉太郎会長 (株)新宿高野社長、新宿警察署長・井ノ口徹署長、新宿区・吉住健一区長、藤澤さんを挟んで、新宿消防署・山崎裕一署長、歌舞伎町商店街振興組合・杉山元茂理事長(株)すずや代表取締役。

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歌舞伎町弁財天~「歌舞伎町」の街の興りを刻む弁財天は、歌舞音曲・商売繁盛の神様~ (歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) 9月28日 歌舞伎町弁財天祭典より [祭]


歌舞伎町弁財天~「歌舞伎町」の街の興りを刻む弁財天は、歌舞音曲・商売繁盛の神様~
(歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) 
《弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来について》
歌舞伎町1丁目、ゴジラロードとさくら通りの間、周辺にはドンファンや深海魚、11チャンネルと際立つ性風俗店エリアの真ん中に、歌舞伎町のDNAを記憶する「弁財天」がひっそりと鎮座する。
ここは、歌舞伎町1丁目を氏子とする十二社熊野神社の例大祭では睦の神酒所がたち、また、年に一度、上野寛永寺不忍弁財天より住職を招いての祭礼を行う、歌舞伎町の「聖地」でもある。
かつて、この地は、肥前国(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治〜大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。
「大村の森」の真ん中(現在の新宿東宝ビル付近)に四角い周囲約300mほどの池、それを湿地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だったとか。池から始まる蟹川(かにがわ)という川があり、早稲田方面へ流れ神田川につながっていた。この蟹川を埋めた場所が現在の花道通り。
大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。以来、信者らによりこの場所で年に一度祭禮が行われるようになった。明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその残土で残っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には現在の新宿東宝ビルの辺りに府立第5高等女学校ができ、徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていきました。池を埋め立てた時に大量の蛇が現れ、それらを鎮めるために、という言い伝えはあるようですが、池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で」本堂改築を行いました。
昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、地主であった峯島家に返還、戦後復興期に改めて、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設されました。その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合に所有が移転、現在の公園用地はその一部を新宿区に寄贈したものです。現在の本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。以来、歌舞伎町商店街振興組合は年に一度、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺より僧侶を招き、この弁財天で祭礼を行っています。(令和4年は9月28日に開催)
The fortune of Benzaiten, and the origin of Kabuki Benzaiten - The god of music, dancing, and thriving business.
Kabukicho used to be swampland where lots of gods were enshrined.In April of 1945, the shrine with all of its amulets was burnt down. One devoted believer evacuated Benzaiten from the tragedy.
Kihei Suzuki, leader of restoration association, had built a temporary shrine for Benzaiten before they restored the town itself in 1946.
This is where the shrine still stands. On the monument in the shrine, the following is inscribed "In honour of our everlasting respect for Benzaiten as a neighbourhood guardian".


【歌舞伎町弁財天由来】
弁天様は佛教以前に賢者聖人の信仰厚き 宇賀神と稱する天地創造乃神のお一方で 佛教能始祖は天部の神登し佛教の守護神として崇がめられた尊神である
宇賀神はもと淨流水源等水を司る神で妙音天と云われ又美音天とも稱せられた文化神で 信仰すれば知恵が授かり芸術に長ずると古ろから 弁才天登云われ更に戝寶が授かる霊験のある処から 才乃字が戝能字に替り弁財天と云われるようになった
而して天部の神が垂れ賜う博愛を 美麗なる弁天のお姿で表現せられ信者は 弁天様乃愛稱で合掌する福の神様である
歌舞伎町は昔大村乃森と云われ広大な沼があって沼の邉りに 弁天様が祀られてあった
淀橋淨水場の建設に当り其の残土で沼は埋められ 峯島家で現在の場所に 弁天様は祀られ 大正二年堂宇の改築再建に当り不忍弁財天より現在安置乃 御本尊を勧請して九月巳の日に盛大な祭典が行われ爾来九月の巳の日を 歌舞伎弁天の祭日とせられた
大正十二年に至り町内有志の発議により 峯島家 尾張屋銀行 町内篤志家乃淨財で大改装がせられたものであったが昭和二十年四月の大空襲で本堂及びお守家も罹災した
其の時熱心な信者の一人岡安たか子氏は苛烈な空襲下に於て 弁天様の厨子を脊に奉戴し堂守の梅原氏が付添ひ笹塚に避難しアパートの一室に安置をした
間もなく岡安氏は 弁天様が峯嶋家に移り度いとの御告げがあったので梅原氏夫妻に挓して峯嶋家にお移し申した
混乱した戦災時に於けるこの記録は信者乃田中次郎吉氏に依って明らかにせられたものである
而して昭和二十一年復興協力會では全町戦災した歌舞伎町の計画建設に当り区画を整備せられた際 弁天様の敷地は寸尺も変更せず以前のま〃を保存し復興協力会々長鈴木喜兵衛氏は街建設に魁がけて仮殿を建設し峯嶋家に安置せられてあった 御本尊をお移し申し現在に至ったものである
此の度 有志相寄り 弁天堂再建奉賛會を結成し大方の淨財を以て 永久不変の耐火構造に依り 御本堂を再建し 境内の改装を行ひ面目を一新して この霊験あらたかなる 歌舞伎弁財天を当町及び近隣の 守護神として永遠に崇め奉らんとする次第である
鈴木喜兵衛謹書
昭和三十八年四月 歌舞伎町弁天堂再建奉賛會建之          
奉賛會々長 藤森作次郎
建設委員長 小松太良八

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令和四年度 新宿熊野神社祭禮・神輿渡御より [祭]


9月18日(日)、歌舞伎町を含む新宿駅周辺東西13の睦を氏子とする十二社・熊野神社の例大祭と神輿渡御が執り行われました。未だコロナ禍ということで担ぎ手の人数制限、飲酒飲食なし、担ぎ手のマスク着用などの制約、台風の接近にともなう悪天候の中ではありましたが、商売繁盛と街の活性化を祈念する神輿渡御、令和の最初の年の2019年以来3年ぶりの巡行となりました。

各位におかれましては、この行事が無事に実施できたことを心より感謝申し上げます。



9月18日(日)御神輿巡行【宮出し】午後1時 於:十二社熊野神社~【宮入り】午後7時半

September 18th 2022

Shinjuku Juniso Kumano Shrine Grand Festival

[>]The old Tsunohazu district is quite large, covering Shinjuku Station's west side to east side and Kabukicho.It is a parish of Shinjuku Juniso Kumano Shrine. Kabukicho also belongs to this shrine.
[>]Juniso Kumano Shrine's portable shrines carried in the traditional zigzag style.
The handheld bell used for the rhythm is one feature of the festival. “ Chidori-Katsugi”it is zig-zag style of carrying the portable shrine makes them look drunk while walking. However, they use small steps to shuffle along. The people carrying the front of the portable shrine carry the poles on the backs of their heads, instead of on their shoulders. They stick out their hips and keep their legs stretched out as they walk zigzag. This is an unusual and difficult way of carrying a portable shrine. They also shout, "Oisa, choisa!" Such unusual things about the festival attract many people from all over to help carry the portable shrines.
[>]Yang year every three years, and Yin years in-between
Every three years, when Juniso Kumano Shrine's Grand Festival falls on a Yang year (next one will be in 2018), two large, 1.5-ton Honja Mikoshi( portable shrine) are carried near Shinjuku Station. They are carried in all of the neighborhoods. In Yin years, each neighborhood carries their own Mikoshi in their neighborhood. A few Mikoshi are also carried in front of Shinjuku Station jointly by some of the neighborhoods and a few are carried along Shinjuku-dori road.

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歌舞伎町が忘れてはならない記憶-2001年9月1日未明、44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災、あれから21年が経ちました。 [季節]

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2022年8月31日夜。一番街のかつて明星56ビルのあったあたりにて。ご遺族の一人がここで亡くなった44人の方たちに手を合わせていた。


8月31日の深夜、日付は9月1日未明。第一報は午前0時50分でした。2001年のこの日この時間、歌舞伎町で44名の犠牲者を出す雑居ビル(明星56ビル)火災があった日です。あの日から21年。

現場は歌舞伎町劇場通り一番街(新宿区歌舞伎町1-18-4)、明星56ビルは今はもうなく、地権者も変わって、現在はここには低層の飲食店が営業をしています。例年、ご遺族の方たちが数名この場所を訪れ、献花をされる姿があるのですが、今年は引き続くコロナ禍と、ご遺族の皆さんも高齢化されたということもあってか、現場には一人来られたご遺族が花を手向けていました。ご遺族以外にもどなたか花を置いて行かれる姿が見受けられました。一人の方は、亡くなったお店の従業員の知り合いだったそうです。

コロナ禍はこの街から年配の来街者を奪い、若いコたちばかりが目に付く現在の歌舞伎町です。そしてまた、今もこの街を居場所とし、生き、働く人たちがたくさんいます。21年前のこと、最早その若者たちの幼かったころの出来事です。記憶にすらない人たちもいるでしょう。ただ、44名の尊い命を失った21年前と今、比較しても街の環境はどれほど変わったのか。もしあの時のように火が出て、その時いるお店から逃げるルートは確保できているのだろうか、エレベーターが使えないとしたら非常階段への出口はどこにあるのか、非常階段は何かの荷物等でふさがってないだろうか、そもそもその出口は開くのだろうか。時々でもそうしたことを意識することで、ひょっとしたら次の悲劇を未然に防ぐことになるかもしれない。繁華街で生きる人たちには知っておいてもらいたい、壮絶な出来事の記憶を記しておきたいと思います。


◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

20010901歌舞伎町ビル火災現場.jpg

2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 

4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。


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民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定、しかし仮に放火だったとすればその放火犯は未だ捕まっていません。「放火と断定しにくい」(当時の警察関係者)ということで「疑い」のまま18年の月日が経ちました。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターはおそらくガス窃盗目的で外されおり、では外されてた状態を管理者は放置していた、という話を聞いたことがあります。個人的には、そこで何かしらの理由にで引火、加えてバックドラフトなど複合的な要因で大きな火災になったのではないか、と考えたりもしましたが、諸々不明確なまま年月は過ぎてしまいました。また当時、警視庁捜査一課は、"犯人は中国人"というやや偏りのある情報に頼り、当時歌舞伎町にいた中国人を片っ端から逮捕、相当きつい尋問を行ったようですが、そのことが却って、最も情報を持っていたであろう"側"の捜査協力が得られなかったなど初期の捜査の在り方にはやや問題があったようにも感じます。


いろいろ特定できない中で、結果的には、ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であるとして、当時、このビルのオーナーだった瀬川重雄氏は加害者側の中心人物として裁かれました。管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失ってまでも、彼は被害者ではなく加害者として裁かれたわけです。
この事件をきっかけに、ビルの管理責任が重くなり、条例も施行、それは、現実の歌舞伎町"浄化"作戦では有用な施策の一つとなってきました。しかしながら、私自身その"浄化"作戦側の渦中にいながらも、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのは、どこか、ある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感はずうっと晴れぬまま、月日が経ってしまったというか、闇の濃い事件(事故)だなと思います。




歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、当時23歳でした。


さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。


スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズ
です。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。


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2022年8月31日。歌舞伎町。人は徐々に戻り、賑わいを取り戻してきた歌舞伎町。


2001年9月1日、警察の発表では放火の疑いということですが、未だ答えは出ていません。44名の方が亡くなった日本で戦後5番目の大惨事が歌舞伎町で起きたという事実、今も多くの雑居ビルでは変わらず危うさも残る「歌舞伎町」です。亡くなった方々への弔いだけではなく、来街者と、今もこの街で生き、働く人たち自身の安全の礎になればという思い、毎年同じ中身ですが記憶を振り返るべく、こうして記し亡くなった方たちの冥福を祈りたいと思います。44名の尊い犠牲があって、以来、ルールとして防火防災施策は強化されてはいきました。このことを重く受け止め、記憶のあるものはその記憶をつなぎ、二度とこのような悲惨な出来事が起きない、起こさないようにと襟を正す、歌舞伎町にとって9月1日とはそんな日であってほしいと願います。



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8月28日(日) 新宿ゴールデン街納涼感謝祭 3年ぶりの開催でした。 [イベント]

2019年以来、3年ぶりの納涼祭でした。
この日に限って、チャージなし、ワンドリンク500円。
約290軒あるお店のうち、162軒が参加。久々の賑わい、笑顔がたくさん、皆さん元気で何より。

【新宿ゴールデン街 納涼感謝祭2022】
日時:2022年8月28日(日)15:00~22:00 雨天決行
主催:新宿ゴールデン街商店街振興組合 2022年度納涼感謝祭実行委員会
協賛:新宿三光商店街振興組合/サントリー(株)/サッポロビール(株)/キリンビール(株)/アサヒビール(株)
・チャージなし1杯500円
・はしご酒でスタンプラリー
・名物料理を堪能!軒先屋台村
・何かが起こる?!店内イベント
納涼感謝祭2022 特設サイト:http://golden-gai.tokyo/nouryousai2022/
新宿ゴールデン街商店街振興組合ホームページ:http://golden-gai.tokyo/

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第19回 新宿エイサーまつり ダイジェスト/1h07m50s Shinjuku Eisa Festival 2022 digest [イベント]

第19回 新宿エイサーまつり ダイジェスト/1h07m50s
Shinjuku Eisa Festival 2022 digest
【オープニングアクト】
00:18 琉球舞踊/関 りえ子
02:53 オリジナル沖縄風舞踊/天空しなと屋かじぬさんぐ
【オープニングセレモニー】
09:36 主催挨拶/高野 吉太郎 新宿エイサーまつり大会委員会 会長
来賓挨拶/
11:32 吉住 健一 新宿区長
13:11 宮城 嗣吉 沖縄県文化観光スポーツ部 部長
15:58 下地 芳郎 沖縄観光コンベンションビューロー 会長
16:59 翁長 愛音(おながえでぃっと) 沖縄観光親善大使 ミス沖縄スカイブルー
【特別ゲスト】 
19:15 ガレッジセール・ゴリ 宮川 たま子/吉本興業
25:13 古謝 美佐子・ルーシー(長嶺 ルーシー)・琉神/佐原 一哉
【開会宣言】
29:43 小林 力 西新宿商興会
【団体演舞】
30:09 具志川青年会(沖縄県派遣)
32:49 創作演武団SUZAKU 創作童衆 希宝
35:47 明正小 HAPPY☆エイサーズ
37:10 町田遊星
38:50 上石神井琉球エイサー会
41:50 東京中野区新風エイサー
45:50 なんくるエイサー
50:38 美ら星エイサー・美ら童
52:34 心~くくる~with B.M
55:38 園田エイサー・美ら桐朋
58:25 琉球國祭り太鼓 東京支部
01:03:08 琉球舞団 昇龍祭太鼓
【2022新宿エイサーまつり 開催概要】
●主 催
新宿エイサーまつり大会委員会
(新宿大通商店街振興組合、新宿東口商店街振興組合、歌舞伎町商店街振興組合、新宿駅前商店街振興組合、新宿文化街商店会、歌舞伎町二丁目商興会、西新宿一丁目商店街振興組合、西新宿商興会)
●後 援
新宿区、沖縄県、那覇市、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、一般社団法人新宿観光振興協会、 公益財団法人東京観光財団、東京商工会議所新宿支部、公益財団法人新宿未来創造財団
●開催日時
2022年7月30日(土) 12:00~17:00 (小雨決行)
●場所
新宿駅東口

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