11月3日、「歌舞伎超祭 (かぶきちょうまつり)」シネシティ広場にて開催。街中パフォーマンス&ダンスイベント。 [イベント]
きらびやかなパフォーマー陣と初のマルシェ
ポールダンサーが宙を舞い
山川冬樹
KUMI・高村月 弁財天様(オープニングMC~)
平井蛙
肉襦袢ケブ美
ちびシャクレー
hossy+アオイツキ
ヒロスミ&ヨシユキ+Cerestia Grown
LiLika
レイチェル・だむーる
色即是空
もしもしチューリップ(KUMI 山田ホアニータ ちびもえこ)
アオイツキ ももたろう
スティーブ エトウ
KUMI
Kazane+Kengo
DropShitQaos
リル・グランビッチ
~FINALE
DJ MONDO
歌舞伎町冬の風物詩〜令和4年度の第17回新宿区役所通りイルミネーションが点灯。11月1日より来年2月末まで、夕方から翌朝の間、 "夜の街"を優しく灯します。 [季節]
主催の藤澤薫さんを囲んで来賓の皆さん。左から、東京商工会議所新宿支部 高野吉太郎会長 (株)新宿高野社長、新宿警察署長・井ノ口徹署長、新宿区・吉住健一区長、藤澤さんを挟んで、新宿消防署・山崎裕一署長、歌舞伎町商店街振興組合・杉山元茂理事長(株)すずや代表取締役。
歌舞伎町弁財天~「歌舞伎町」の街の興りを刻む弁財天は、歌舞音曲・商売繁盛の神様~ (歌舞伎町1-13-3 歌舞伎町公園) 9月28日 歌舞伎町弁財天祭典より [祭]
【歌舞伎町弁財天由来】
令和四年度 新宿熊野神社祭禮・神輿渡御より [祭]
9月18日(日)、歌舞伎町を含む新宿駅周辺東西13の睦を氏子とする十二社・熊野神社の例大祭と神輿渡御が執り行われました。未だコロナ禍ということで担ぎ手の人数制限、飲酒飲食なし、担ぎ手のマスク着用などの制約、台風の接近にともなう悪天候の中ではありましたが、商売繁盛と街の活性化を祈念する神輿渡御、令和の最初の年の2019年以来3年ぶりの巡行となりました。
September 18th 2022
[>]The old Tsunohazu district is quite large, covering Shinjuku Station's west side to east side and Kabukicho.It is a parish of Shinjuku Juniso Kumano Shrine. Kabukicho also belongs to this shrine.
[>]Juniso Kumano Shrine's portable shrines carried in the traditional zigzag style.
The handheld bell used for the rhythm is one feature of the festival. “ Chidori-Katsugi”it is zig-zag style of carrying the portable shrine makes them look drunk while walking. However, they use small steps to shuffle along. The people carrying the front of the portable shrine carry the poles on the backs of their heads, instead of on their shoulders. They stick out their hips and keep their legs stretched out as they walk zigzag. This is an unusual and difficult way of carrying a portable shrine. They also shout, "Oisa, choisa!" Such unusual things about the festival attract many people from all over to help carry the portable shrines.
[>]Yang year every three years, and Yin years in-between
Every three years, when Juniso Kumano Shrine's Grand Festival falls on a Yang year (next one will be in 2018), two large, 1.5-ton Honja Mikoshi( portable shrine) are carried near Shinjuku Station. They are carried in all of the neighborhoods. In Yin years, each neighborhood carries their own Mikoshi in their neighborhood. A few Mikoshi are also carried in front of Shinjuku Station jointly by some of the neighborhoods and a few are carried along Shinjuku-dori road.
歌舞伎町が忘れてはならない記憶-2001年9月1日未明、44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災、あれから21年が経ちました。 [季節]
2022年8月31日夜。一番街のかつて明星56ビルのあったあたりにて。ご遺族の一人がここで亡くなった44人の方たちに手を合わせていた。
8月31日の深夜、日付は9月1日未明。第一報は午前0時50分でした。2001年のこの日この時間、歌舞伎町で44名の犠牲者を出す雑居ビル(明星56ビル)火災があった日です。あの日から21年。
◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆
2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)
◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)
1 発生日時等
発 生:平成13年9月1日(土) 調査中
覚 知: 〃 01時01分(119番による)
延焼防止: 〃 02時14分
鎮 圧: 〃 05時36分
鎮 火: 〃 06時44分2 出火場所
東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工 S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日B2 76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1 74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階 〃 ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階 〃 ゲーム麻雀一休
4階 〃 キャバクラ(スーパールーズ)3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
(内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
9月1日(土)
01時40分 覚知、情報収集開始
02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
07時20分 現地に予防課職員を派遣
09時00分 消防庁長官が現地を確認
17時15分 第1次応急体制に変更
9月6日(木)
16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
火災原因については調査中当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。
◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇
■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。
2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。
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民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定、しかし仮に放火だったとすればその放火犯は未だ捕まっていません。「放火と断定しにくい」(当時の警察関係者)ということで「疑い」のまま18年の月日が経ちました。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターはおそらくガス窃盗目的で外されおり、では外されてた状態を管理者は放置していた、という話を聞いたことがあります。個人的には、そこで何かしらの理由にで引火、加えてバックドラフトなど複合的な要因で大きな火災になったのではないか、と考えたりもしましたが、諸々不明確なまま年月は過ぎてしまいました。また当時、警視庁捜査一課は、"犯人は中国人"というやや偏りのある情報に頼り、当時歌舞伎町にいた中国人を片っ端から逮捕、相当きつい尋問を行ったようですが、そのことが却って、最も情報を持っていたであろう"側"の捜査協力が得られなかったなど初期の捜査の在り方にはやや問題があったようにも感じます。
いろいろ特定できない中で、結果的には、ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であるとして、当時、このビルのオーナーだった瀬川重雄氏は加害者側の中心人物として裁かれました。管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失ってまでも、彼は被害者ではなく加害者として裁かれたわけです。
この事件をきっかけに、ビルの管理責任が重くなり、条例も施行、それは、現実の歌舞伎町"浄化"作戦では有用な施策の一つとなってきました。しかしながら、私自身その"浄化"作戦側の渦中にいながらも、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのは、どこか、ある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感はずうっと晴れぬまま、月日が経ってしまったというか、闇の濃い事件(事故)だなと思います。
歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、当時23歳でした。
さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。
スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。
「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズです。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。
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2022年8月31日。歌舞伎町。人は徐々に戻り、賑わいを取り戻してきた歌舞伎町。
2001年9月1日、警察の発表では放火の疑いということですが、未だ答えは出ていません。44名の方が亡くなった日本で戦後5番目の大惨事が歌舞伎町で起きたという事実、今も多くの雑居ビルでは変わらず危うさも残る「歌舞伎町」です。亡くなった方々への弔いだけではなく、来街者と、今もこの街で生き、働く人たち自身の安全の礎になればという思い、毎年同じ中身ですが記憶を振り返るべく、こうして記し亡くなった方たちの冥福を祈りたいと思います。44名の尊い犠牲があって、以来、ルールとして防火防災施策は強化されてはいきました。このことを重く受け止め、記憶のあるものはその記憶をつなぎ、二度とこのような悲惨な出来事が起きない、起こさないようにと襟を正す、歌舞伎町にとって9月1日とはそんな日であってほしいと願います。