平成二十五年 元旦 [季節]
世界はひとつじゃない。
例えばボクとキミ、それぞれが見えている世界が二つ。
目に映るボクの世界にキミはいるがボクはいない。
キミの目にうつる世界にはボクがいて、キミはいない。
目を閉じ、光を遮り、感じてみよう。
不確かな想像の中で、ボクはキミになり、キミはボクになろうとする。
不確かな想像の中で、確かな温度と湿度、そして匂いを感じてみる。
そしてその確かな感触を感じられたのなら、二つだった世界がそのとき一つになるかもしれない。
2012年3月12日、世界は、人口70億人を越えた―
70億の人の心に映る70億の世界も、だからきっと、「愛」の数だけ少ないはず。
そもそもは、たった一つの球面上に浮かぶ一つの世界。
一つじゃないこの世界の、世界と世界の境界に手を伸ばしてみよう。
絶望と希望、哀しみと喜び、諦めと諦めないことの境界へ。
確かな“光”は、その場所にしか存在しない。
"You would rather than escape to a goodness,put you at precarious life."
― 『善良』に逃げ込むぐらいなら、人生を危険にさらせ。
2013年(平成25年) 癸巳(みずのと み)
‘巳’の原形(甲骨文字)は、頭と胴のできかけた胎児の形だという。それが転じて‘巳’の楷書になった。「包の中に含まれる巳と同じで、包とは、胎児の包(子宮膜)の中に在る形」、つまり‘巳’は「胎児」である。
胎児は、2012年に宿ったものなのか、2013年に宿るものなのかはわからないが、癸巳が、甲子で始まる干支の前半の最後、中間点であることからも、例えば女が母に、男が父になるように、そして、あらたな命が宿り、子として生まれる前の胎児として育まれる時季だからこそ、人の、人生の折り返し点、人としての成長が求められ、また、成長もすることになる。幻想はリアリティを増し、或いは希望と絶望の狭間で、では、よりよき“世界”に向けて、何が出来るのか。
▼新宿・花園神社の初詣風景。2013/01/01 01:45
「歌舞伎町」と自分~
たびたび書いてきたことではあるが、「歌舞伎町」における自分の、現在の立ち居地としての“旬”は越えた、そんな気がしている今、考えていることは、一つは世代交代。これまで出来たこと、今も継続してやっていること、のほかに、まだ手付かずだがやったほうが良いこと、それを自らの手で触ることに実は躊躇がある。例えば、サラから手をつけるなら、その機会や要請があっても、自分ではなく、誰か他の若い人材にと。一方、少なくとも自分しか触ってこなかったこと、それが驕りや勘違いであったとしても、自分にしか出来なさそうなこともいくつか。サンセット法実現から風営法の抜本改正へ、地下鉄24時間化、など。無論、歌舞伎町のことだけではないが、ぼちぼち、この歌舞伎町の“ど真ん中”に居座らず、ソトモノらしいやり方で、この街に、“変化”を与えることに注力してみたい、そう思い始めている今日この頃です。
思えば、人生を広げるだけ広げ、ややとっ散らかった面もあるにはあるが、目指すべきゴールは見えていて、人生の後半で、その時間が足りるのかどうか、ゴールまでたどり着けるかどうかはともかく、拡大からシンプルへ、この“折り返し感”を、いつもよりやや神聖な心持ちで迎えた2013年、元旦でした。
皆さんにとって、良き一年となりますように。
謹賀新年
寺谷公一
▲歌舞伎町二丁目、鬼王神社の初詣風景より。2013/01/01 01:32
送信者 Shinjuku,Kabukicho 2013 |
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