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9月1日 44名の死者をだした歌舞伎町ビル火災から5年目 [その他]

 

天国へ旅立った44人の尊い命を無駄にしないで下さい~歌舞伎町ビル火災遺族会

44名の死者を出した歌舞伎町明星56ビル火災(2001年9月1日)から五年目を迎えたこの日、歌舞伎町ビル火災遺族会らによる献花が現場である明星56ビル跡地前にて行われた。8月31日の夜21時頃には献花台が設置され、あの日火災の起きた9月1日の深夜(第一報は0:57)にかけて集まった遺族の方々とともに、そして通りすがりの人たちも、5年前のあの悲惨な火災事件の記憶を思い出し、時には手を合わせて行かれる人もいた。献花台にはたくさんの花束、そして遺族や友人からのここで亡くなった人たちへの手紙が正面に張られていた。

  

さゆりへ

天国で元気に過ごしていますか。昨年はどうしてもメッセージがかけなかったよ。でも、今年は夢の中でさゆりが電話で手紙書いてと言ったので書くことにしたよ。

会えなくなって5年もたったんだね。時々、友達がさゆりに会いに来てくれるけど、皆大分大人になったよ、28才だって。お母さんは28才のさゆりは想像出来ないよ、23才のまま。やっぱりお母さんとさゆりはあのときから止まっているんだね。

さゆりに会いたくて仕方ない時は、さゆりの好きだった夕焼けや星を見ることにしたんだ。一番キラキラ光っている星はさゆりだと思っているんだ。じっと見ていると、笑顔で天国で幸せだよ、だから安心して、と言っているような気がします。お母さんはさゆりが幸せならそれでいいと思っている。

いつだかわからないけど絶対会えるよね。それまで天国で見守ってね。ぺぺもグッチも元気でいるよ。

お母さんより  ~歌舞伎町ビル火災遺族会 中村スイ子さんから娘さゆりさんへの手紙~

献花台の前に並べられたキャンドルに灯をともす、さゆりさん(当時23才)のご遺族であるさゆりさんのお母さん、中村スイ子さん。

↓当時、4Fの「スパールーズ」で働いていて亡くなった中村さゆりさん、亡くなる10日くらい前。

さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。

当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね^^」なんて言っていたという。実家で「姫さゆり」と言う日本酒が知人から送られてきたとき、さゆりさんが「私のお酒だ、結婚式ではこのお酒を使って」と言っていたことをきっかけに、実家が建設関係と言うこともあり地鎮祭などの際に使うようになった。「生きていればそろそろ結婚していたかもしれない。」と、母はこの日本酒「姫さゆり」を献花台に飾った。

スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生した。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。第一報は0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんからの通報だったと聞いた。その後、消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大したといわれている。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。この火災事件をきっかけに、2002年には、違反是正・防火管理の徹底、避難・安全基準の強化、罰則の見直し等を内容とする消防法の一部改正が行われた。

火災原因については、放火の可能性も含めいまだ特定されていない。当時、3Fの一休の客が「ゲームで負けた腹いせにやったと言っていた」(ファーストフード店員証言)などあって一休の会員名簿から割り出しを進めたが結局ほとんどが偽名で、特定はできていない。

歌舞伎町ビル火災遺族会は、ビルオーナー・テナント経営者らを相手にビル管理の怠りに対する損害賠償訴訟を提訴、訴訟過程で保全命令が出されていたため今年2006年春までそのまま残されていたが、2006年4月18日に遺族会とビルオーナーである久留米興産と実質的オーナーである瀬川氏らとの間で和解が成立(概ね被害者一名につき2,400万)したことを受け保全処分が解かれ5月に入って解体工事が始まった。現在は解体作業も終わり更地となっている。

保全命令によりそのままになっていた頃の明星56ビル。

 

↑今年の5月9日撮影、解体工事開始時の明星56ビル。↓解体後更地になった現在の姿。

 

8月31日、かねてから遺族の取材を進めていたNHKの杉田記者の仲介で、遺族会の中村スイ子さん、そのほか2名と歌舞伎町商店街振興組合との面会があった。組合からは専務理事の片桐基次氏、事務局長の城克氏が遺族の話を聞いた。賠償訴訟については大方目途がたち、遺族としては「44人の犠牲者の尊い命を無駄にしたくないんです。できたら毎年、歌舞伎町に慰霊をしに来れたらと思っている。明星56ビルも取り壊され、転売されるかもしれないという話を聞いている。亡くなった人たちのことを思うと、どうしても遺族が手を合わせられる慰霊碑のようなものがこの歌舞伎町にあったらと思う。」(遺族代表の方)とそんな話があった。「歌舞伎町にとって、忘れたい事件でもある。しかし、この火災がきっかけになって消防法が改正され、また後の歌舞伎町をよくしようという活動の原点にもなっている。遺族の方々のお気持ちは理解できます。今どのうと思いつくことはすぐにはないが、なにか出来ることがないか私達も考えていきたい。」(片桐基次専務理事)。

実は歌舞伎町ビル火災の遺族と歌舞伎町商店街振興組合との接触は事件後5年目にしてこれが始めてだった。街にしてみれば、あまりにも胸を痛める「出来たら忘れたい」と言う想いが大勢であろうこの火災事件と、ご遺族にしてみれば「風化させたくない」という気持ちとは相反するものの、こういった悲惨な出来事を決してくりかえさない、そして誰もが安心して楽しめ、また働ける、そんな街になれば亡くなった方たちも天国で喜んでくれる、それは今現在街がすすめている歌舞伎町再生のまちづくりとある意味同じ思いでもあって、遺族の方々と片桐氏、城氏との間にも強い共感はあったようだった。今年5年目を迎えたが、この明星56ビル跡地は久留米興産が現在売りに出している。30坪弱の土地で、10億円程度を売却希望額に設定しているようだ。更地になっているものの、今後建物が建ち、まったく第三者のビルオーナーになった場合、現在のように1F路面で献花を行うことは現実的に難しくなるかもしれない。その時どうすればいいのか、今年のように献花式を行えるのかどうか。まだ歌舞伎町で迎えられるかどうかわからない来年の9月1日、6年目はつまり七回忌となる。

9月1日は防災の日でもある。44名の犠牲者の冥福を祈りつつ、またこうした悲惨な事件・事故を決して繰り返さないよう、安心安全を謳う歌舞伎町のまちづくりに係る自分達は襟を正さねばならない。


防災の日のこの日、新宿消防署による歌舞伎町夜間査察が行われた。査察が行われたのは歌舞伎町1~2丁目のランダムな物件20件、30人体制。

  

査察前に2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災の現場にて、査察を行う消防署員30名全員で黙祷。その後、シネシティ広場の集合し、3名1班の10班大勢で歌舞伎町の査察に散らばった。

  

新宿消防署歌舞伎町防火安全対策本部の川名・椎橋氏に随行、査察の様子を拝見。上の写真は劇場通り一番街のまさに明星56ビル隣にある白馬車ビルの「北の家族」、従業員・アルバイトから店長(防火管理者)、ビルオーナー立会いのもと、防火設備・非常口・防火扉・消火器等の点検、椎橋さんはアルバイトの女の子に消火器の使い方説明(↑右)などを行った。

歌舞伎町の防火対策として、本年度より歌舞伎町防火安全対策本部(歌舞伎町防火担当の専従部署)が設置(常駐5名、新宿署より随時2名応援の計7名体制)され、また消防法の改正によって消防職員の権限強化や防火管理者の設置義務(2002年)、用途変更時の届出義務(2006年)なども設けられた。従来の保育行政から規制行政への転換が図られ、歌舞伎町に対する消防の取組も年々強化されている。

歌舞伎町での立ち入り検査数は年々増加傾向にある中で、違反指摘数は減少傾向、つまり全体としての改善傾向がある程度示されている。一方、かなりの割合で違反が1件以上なにかしらあるというのも事実、たとえば消火器1つがもし機能しなければ初期消火が遅れ、大きな火災へと発展する可能性もある。

歌舞伎町管内における、防火管理者選任届出数、消防計画届出数は飛躍的に増加してきている。これは、地域事業者の防災意識の向上を示す。一方で、歌舞伎町のビル・テナント数の総数を仮に約3千件と見た場合、まだまだ防火管理者がいない、消防計画がないという事業所もかなりあるということも示唆されている。

「テナントの入れ替わりが非常に激しいため、たとえば防火管理者がいないといった違反ケースが目立つ。非常に多いと言ってもいい。防火管理者がいないと言う事は、防災・防火意識が低いということになる。防火管理者がいない所については早急に防火管理者の資格を取らせる、消火器の無いところは消火器を設置させる、まずそういったことをしていかなくてはいけない。常に我々が査察だけではなく、防火パトロールをする、毎日にように顔を出して地域・事業者・ビルオーナーに対して防火・防災の意識を高めていきたい。」(椎橋歌舞伎町対策本部副主任)

歌舞伎町のテナントには非常に高い確率でまた貸し(転貸借)が横行している。そのため、用途変更があってもそのまま届け出ないものや、以前のままの防火管理者名義のまま、実体としては不在というケース、また新規オープンのキャバクラなどであるのが消防検査後に再度改装して風適法上の規制を掻い潜るケース(照度・席数などの意図的な違反)が多く、また再度査察後改善指示を出しているうちに店ごと経営が変わってしまうものなどもある。以前指摘したように歌舞伎町に目に付く白看板も実際は事務所や風俗店の待機所、その他の看板の出しにくい店舗である場合が多いため、たとえ看板が白くても消防では逐次検査対象と位置づけている。消防は決して摘発・検挙を目的とした行政ではなく、もちろん悪質なものがあれば告発というケースもありうるが、あくまで予防・抑止が目的である。しかし、まだまだ明星56ビルのような悲惨なビル火災が起こりうる要因を持つテナント・建物もある。消防の限られたマンパワーの中で3,000件以上の事業所がひしめく歌舞伎町の安心・安全をいかに効率よく且つ有効に進めるか、これはやはり地域事業者やビルオーナー、つまり民間自身の防災意識にかかっているのだろう。


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YUKI-arch

転貸借が、無責任の温床になっていく、そんな現実が見えてますね。
歌舞伎町ビル火災の記憶をとどめておくことしか僕にはできませんが。
合掌いたします。
by YUKI-arch (2006-09-05 01:29) 

Tera

明星56ビルの歌舞伎町ビル火災について、遺族の方々には申し訳ないですが、目に見える部分ではいつかは必ず風化していくはずだと思います。しかし、この記憶をとどめ、メディアにも情報を発信し、また歌舞伎町の浄化・ルネッサンスの活動もこの事件がきっかけに始まったともいえるわけで、そういう意味ではいつの日か歌舞伎町やそのほかの繁華街にも言えることですが、防災・防犯インフラを充実させ安心して遊び、また働ける街にする、少なくとも地域の事業者や関係するみんながそういった志を持つ、意識の醸成をしてこそ亡くなった44人の無念も無意味ではなくなると思います。
話はかわりますが、歌舞伎町の夜に働く嬢たちにはさゆりさんと同じように、役者やモデル、アーティストや声優などを目指してる方がたくさんいます。こういったエンタメの仕事を続けるためには、なかなか定期の仕事には就きにくい、結果として出勤に自由の多い夜の仕事に就くというケースが目立ちます。もちろん一部ではありますけどね。歌舞伎町のような歓楽街のこういった側面は、実はエンタメ業界の本当の意味での裾野なんですよね。裾野をなくしてはいけない、むしろ活性化すべき、しかし経営筋を考えると違法な客引きや脱税、時間外営業、暴力団へのミカジメ等がある。そこが難しくもあり、またこれを乗り越えることが歌舞伎町再生の鍵だと思います。なんと言うか、自由を享受できる環境になればなるほど自身の意識付けが重要になる、みたいなものでしょうかね。逆に言えば、意識がないなら自由は得られませんよ、とでも言うか、街づくりもそんな感じです。
by Tera (2006-09-07 17:52) 

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