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東京ギンガ堂公演「夢~歌舞伎町物語」は興行成績も良好![アフタートークダイジェスト] [映画・演劇・ライブ]

5月17日より新宿シアターアプルで公演スタートした「夢~歌舞伎町物語」(東京ギンガ堂公演 脚本・演出 品川能正)、シネシティ広場であたかもお祭りのごときプロローグ、TOKYU MILANOビルの4Fベランダでなにやら男の叫び声「歌舞伎町なんか燃えてしまえ!」(大沢樹生)、屋外での演劇を終えると、そのまま観客を役者達がシアターアプルに誘導、中での演劇が始まる。

■5月17日初日:天候雨まじり;

  

初日はやや雨まじりの為、急きょ観客にもカッパを用意し配っての屋外演劇。東京消防庁新宿消防車が協力、雰囲気作りに消防車をだしてくれた。観客数は500名強、見切り席を売っていないので9割り程度の客入り。

 

・初日アフタートークは杉山文野クン(とんかつ茶漬け「すずや」の次女、鈴木喜兵衛氏のひ孫)×工藤章氏(戦後ムーランルージュを復活させた老華僑の林以文氏が興したHUMAXで現在テナント管理執行役員)

杉山文野(ふみの)クン。彼女は性同一性障害で体は女性だが心は男の24歳、5月18日に「ダブルハッピネス」(講談社刊)で作家デビュー。「鈴木喜兵衛ジイチャンの長男の喜一郎、その奥さんの華子さんというのが芝居に出てきたのですが、華チャン(華子さん)とは今でも一緒に暮らしています。喜兵衛さんは頭が切れて魅力的で女性にもてたっていうのは聞いてました。戦後焼け野原になった歌舞伎町を立て直したということは知っていましたが、具体的にどうやってとかそもそも如何に歌舞伎町が出来たのか、そういったことは最近やっとわかってきた。歌舞伎町の魅力としては、いろんなもの、それこそさまざまなマイノリティを受け入れる懐の深さじゃないか、と思う。」

鈴木喜兵衛氏のひ孫さん、杉山文野(ふみの)クンが「ダブルハッピネス」講談社刊で作家デビュー

工藤章氏は株式会社ヒューマックスのテナント管理執行役員。歌舞伎町ルネッサンスの活性化における最大のテーマであるシネシティ周辺の劇場街(四葉会)再開発ではその一翼を担う。「林以文は昭和21年にムーランドールを立て直した時、32歳だった。実際の林以文は身長186㎝、吸い込まれるような笑顔が印象にある。戦後の喜兵衛さんや林以文氏と想いは同じくして、今再びブロードウェイのような街として歌舞伎町の再生を行おうとしているというのも感慨深い。」

文野クンと工藤氏が初対面ということもあって、品川能正氏(東京ギンガ堂、「夢~歌舞伎町物語」脚本・演出)もアフタートークの司会・進行役として参加。「お芝居という部分と、これから変わっていこうとしている歌舞伎町で実際に活躍している人たちのアフタートークという意味と、それぞれを楽しんでくれたらと思います。」

■5月18日:天候曇!

この日も昼間は雨まじり、梅雨時のような空模様だったが、夕方から雨が上がる!パレードは一番街方面からシネシティ広場に、黄色い歌舞伎町商店街振興組合ジャンパーを着たボランティアスタッフの「歌舞伎町 夢~案内人」がパレードと観客を広場へと迎え入れる。

   

この演劇で鈴木喜兵衛役とその妻はる役のお二人、岩間沙織さんと江口伸さん。実は江口さんとは、自分10年ぶりくらいの再会でした、以前一緒にOVMの仕事をしたことが^^

「歌舞伎町なんて燃えてしまえ!!」だったかな。。客入りは約360人強、この日のチケットが一番出てなかったのではあるがそれでもまぁまぁだろう。

  

・二日目アフタートークは城克(歌舞伎町商店街振興組合事務局長)×李小牧「歌舞伎町案内人」

歌舞伎町の表の顔が歌舞伎町商店街振興組合事務局長の城克(じょう まさる)氏、裏の顔が「歌舞伎町案内人」の李小牧(Lee Xiao Mu)とでもいうか、もっとも今では李さんも半身浴かな^^。18年前の中国からやってきて、最初ホテルのバイト自給600円からはじめた李氏も今ではNewsweekをはじめ連載コラム10本を数える。演劇の設定にもある明星56ビル放火事件では本当に犯人と疑われたこともあるという。あのビルの地下の店で働いてたこともあったしね。その後、いわゆる外国人向けの「キャッチ」として生き延びてきて今や立派な文化人であり歌舞伎町観光振興の立役者でもある。役者デビューとしてはこの舞台が初めてではあるが、原作をこなし、セリフも上手にこなした。もともと声の大きい人だし、やってる役は「歌舞伎町案内人」そのものですから^^

「中国人、韓国の方、フィリピン、ミャンマー、アジア中心の人が多いが、3年まえぐらいから南米やアメリカの人もいて、働いたり住んだり、お店をもったり不動産持ったりして、でも私達通じる言葉は日本語しかないから、こういう繁華街でみんな日本の法律がどうなっているのかよくわからない人多いと思います。警察だけじゃなくて、行政だけじゃなくて、街の人たちみんなで考えて、いろんな人が共存共栄できるのが大事。」李氏。「歌舞伎町にかぎらず商店街とか繁華街というのが、今すごく疲弊している。で、さらにこれから少子高齢化社会を迎えて、じゃぁどうするか。一つは外国人の観光客誘致というのもあると思う。だから李さんたちの力も借りたいとも思っています。それと、わかりにくい法律とかじゃなくて、たとえばみんな一緒になって作る歌舞伎町の街としてのルールというかそういうのがあってもいいと思う。そのためには、いろんな人たちの意見、考え、想いをどんどん聞かせて欲しいんですよね。意見があったら是非振興組合なりにどんどん寄せてください。」と城氏。

風適法改正だの迷惑防止条例にしても、法律や条令は日本人でもわかりにくい。その上、既得権だの黙認・慣習・運用だのでダブルどころかトリプルスタンダードなんて良くある話。これじゃぁ、外国人に理解できるわけない、つまり法律の文体や矛盾、時代錯誤、あらゆるところを直さないとね。それこそ、一回法律全部チャラにして・・・というわけにはいかない。機能しない法律、時代錯誤や実体とかけはなれた法律・条令と知っててバックギア入れられない行政をどうすればいいのか。ちょっと話が大きすぎ脱線・・しかし、まず、そのまえに英語・韓国語・中国語くらいには翻訳できるような条文の法律にはしてもらわないと。(作ってる本人たちが「わかりにくいとは思いますが^^;」っていうくらいだからね)

■5月19日:天候曇り

 

鈴木喜兵衛氏の親戚縁者の方々同士の出会いもあったり、左から金子沙綾子(さやこ)さんはまさに喜兵衛氏の血を引く直系のひ孫さん、中央は喜兵衛氏の次男喜治氏(現在も健在、88歳になるそうです)のご子息である鈴木秀幸氏、つまり直系のお孫さんということに。現在香港で金融関係の会社でCEOをやってらっしゃるとか。右端は、おなじみの杉山文野クン、連日屋外公演の警備ボランティア・スタッフとして活躍。沙綾子さんと文野クンは初対面だが喜兵衛氏のひ孫さん同士。沙綾子さんは喜兵衛さんから見て次男の長女の長女という直系のひ孫さん、一方、文野クンの場合は喜兵衛氏の長男喜一郎氏の家系に養子縁組などあって系図としてのひ孫さん、つまり喜兵衛さんの血を引いているわけではない。とはいえ、演劇が一つの出会いに。鈴木秀幸氏は今回の公演のことをニューヨークの知り合いから聞いて急きょ帰国、観覧に駆けつけてくれた。

  

三日目アフタートークに中山弘子(新宿区長)×大平和登(演劇プロデューサー)、区長と大平氏は品川氏と一緒にシネシティ広場でのオープニングから観劇。右の写真は京劇・変面女優の劉妍(Liu Yan)さんの変面ステージより。この日の客入りは400名弱といった感じ。↓カーテンコールに拍手を贈る中山弘子区長、手前隣は区長秘書室の森課長。

 

・3日目アフタートークは中山弘子(新宿区長)×大平和登(演劇プロデューサー)

ニューヨークはBIG APPLE、このシアターを作ったときにブロードウェイを、演劇文化の発信地になる夢見てシアターアプルにしてはどうかと言って劇場の名付け親になった大平和登氏。この劇場が出来たのが1982年、当時ニューヨークの舞台を見てきた大平氏としては日本の舞台にはダンスのクオリティが弱く、その後ブロードウェイから人材を誘致してダンスの底上げに尽力した。「歌舞伎町ですごした青春時代がいろいろ蘇ってきて感慨深かった。歌舞伎町の背景は知らなかったのだが、この演劇は新しい文化の街として新宿・歌舞伎町が蘇る、一つのきっかけ、起爆剤になるのではないかと思いました。ニューヨークは商業演劇としてのブロードウェイと、一種の非営利団体がやっているリンカーンセンターの文化アクティビティとしての演劇・パフォーマンスがあり、それらがあいまってポテンシャルを上げ、アメリカ文化の大きな力になっている。新しい日本文化の担い手の誇りを持って、この街から新しいムーブメントを興して欲しい。」と、大平氏はトニー賞の受賞パーティだとかニューヨークの演劇関係者が誰もが訪れるというレストラン「サーディーズ」にいろんな有名な俳優・アーティストに混じって似顔絵が掲げられている唯一の日本人。

中山弘子新宿区長も、生まれたのは台湾(あまり記憶はないそうですが)「歌舞伎町の遺伝子はこういった大衆文化・芸能だと思うんですよね。映画や演劇やミュージカルを楽しんで、その後の余韻としての楽しみ方が出来る街、今、そういう街づくりを目指している。いろんな人たちも集まってくれて、生の舞台はとってもいいと思います。新宿はとても多様な顔を思った街です。大衆文化・演劇・映画の街になっていくためには、観て頂ける人たちという担い手、そしてこれを仕事として食べていける環境、持続可能な経済活動ができるそういった街づくりを、街の人たち自身が目指そうとしているわけだから、それを私達行政はしっかりサポートしていきたいなぁと思っています。」

区長のトーク中に「歌舞伎町はこの猥雑さがいいんだ、ほっといて欲しい。ブロードウェイなんか目指さないで風俗の街でいいじゃないか」というある観客からの割り込みがあってやや想定外の展開に、しばらく話を聞いていたが「どうせ出来るわけない」といわれたので、この発言者をつかまえて自分個人的に話をした。どっかの記者らしく録音機材を持ち、自分が話しているときもRECランプが光っていた。こういった意見が街場の風俗業者、その周辺関係者(風俗ライターや記者連中、その他もろもろ)決して少なからずあるのは確か。しかし、長い目で街を見たとき、一年二年さきも見えないような経済活動を基幹にしていたら街がよくなるわけはない。それは街の資源でもなんでもない、なくなって結構。どんな商売であるにせよ、もっと永い時間持続可能な経済活動があって初めて地域のポテンシャルが上がっていく。なにも風俗を一掃しようというのではない、違法なもの、暴力団やその他の犯罪インフラになっているものは排除しよう、その上で環境を整備して街の人たちがお互いにコンセンサスの取れる形の中で地域の共存共栄を模索しようとしているのだ。ルネッサンスは行政がやっているわけじゃない、警察でもない。地元地域の人たちが主役なのである。区長の言う「ブロードウェイ」は一つのシンボリックな例えかもしれない、しかし、それ以上に風俗主役の状態からの脱却はしなければならないと思っている。なによりも、それを出来ると信じて日々努力し、または耐えながら街をよくしようと活動している人たちが大勢いる。一個一個のプロジェクトの中で、中にはうまくいかないこと、掛け違いも時にはある。その某記者に「所詮きれいごとだよ。」と最後捨てゼリフを言われたが、私も文化の発信地として歌舞伎町を蘇らせることが出来ると信じている一人。というか、まちがいなく街は変わります。

■5月20日(土)は二回公演、21日(日)は14時の回のみ。20日は夕立で第二回目の公演は屋外部分が出来なくなったため、急きょシアター内の芝居に変更。入場者数は1・2回目とも約400人強といった具合。屋外演劇を見れなかった方は少し残念だったかもしれない。

    

京劇・変面女優の劉妍(Liu Yan)さんの変面パフォーマンス、でも実はこんな素顔↑

 

・4日目アフタートーク(土曜日の19時の回)は片桐基次(歌舞伎町活性化プロジェクト座長・よくしよう委員会委員長)×工藤健夫(新宿サプライズ協議会事務局・博報堂)

片桐基次(歌舞伎町活性化プロジェクト座長・よくしよう委員会委員長

「私の父は、山形から丁稚でこの街にやってきて、その後、当時は歌舞伎町とは言いませんでしたが酒屋をやっていました。歌舞伎町は今、怖い街というイメージがまだまだあるが、二年前ほどから、歌舞伎町と外部の人たちも含めて歌舞伎町を誰もが安心して楽しめる街にしていこうと“よくしよう委員会”というのを作って今まで活動を続けてきている。この後も、氷彫刻祭りやエイサーまつりと夏にむけていろいろなイベントがあるので期待して欲しい。よくしよう委員会というのは、すべてのこの街の人たちに門戸を開いていて、というかむしろ歓迎していて、お互い顔を見える関係を作りながらどうしたらこの街を良くしていけるのか、そのためのアプローチを積極的にしていきたい。行政や警察がというより、街が自分達で街をつくり、守るんだという喜兵衛さんの姿を旨にこれからもやっていこうという想いです。」

工藤健夫(新宿サプライズ協議会事務局・博報堂)

「中学高校とこの近くの学校に通い、また新宿が好き、歌舞伎町が好き、そして今区役所の区政情報課に昔からの友達がおりまして、博報堂としてなにかできないかという話があったながれで今この街に関わるようになった。正直、まだまだ博報堂としてビジネスになるレベルではないし、やはりこの街でみんながビジネスになり、楽しめて、ハッピーになれるような環境をつくっていかなくてはいけない。この演劇で、屋外舞台に使ったシネシティ広場は、区道なんですよね。なので、いろいろ警察・消防・行政としがらみがあって出来ること、出来ないこととかいろいろある。街をよくしていこうという思い、おそらく同じベクトルにあるとは思うのだが、立場が違うとできないこと、乗りにくいことがあるなかで、それをもう少し時間を掛けて、たとえばスポンサーをつけてイベントが出来るような環境をつくっていきたい。そして、時にはいやな思いのする事件があったりはするが、それでもこうしてこの街に来てくれる人たちがいるということが私達のエネルギーなんです。この演劇を観に来ていただいたみなさんに感謝したい。」


 

■5月21日、快晴の最終日

千秋楽公演はほぼ満杯で約550名程度の入場者、計6回公演で平均400強、トータルで2500名の観客動員といったところだった。若干招待者もいるようだが、約1,000万弱の売上ということか。

品川さんじゃないので細かいことはわからないが、アプルに使用料が3割くらいとして、舞台作るのに300万、制作物(ポスターチラシ等)で100万、諸経費など考えるとギャラを払って品川さんの手残りはおそらくほとんどない。アプルでこれだけ客を入れればまぁ成功という数字にありながら、ビジネスにはほとんどなっていない、これが演劇の実情、それもいい方だと思う。

つまり、「歌舞伎町ルネッサンス」の言うブロードウェイを目指すという中で、どうしても必要なのがこういった演劇等を支えるスポンサーの存在、あるいはニューヨークのリンカーンセンターのような非営利組織として文化育成のために行政やBIDなどが支援組織としてあって、活動としての大衆芸能・芸術を育てるシステム。この両方が必要。たとえば、スポンサーをつけてのコマーシャル・ミュージカル、演劇はシネシティ周辺、あるいは再開発後の四葉会エリアで、大久保公園(区の所有地)やハイジア(7年後三菱信託との契約が切れて都にもどる)がリンカーンセンターのような役割をする、あくまで一つの例であるがそんなことを可能な状況が作れるかどうか、四葉会の再開発も今年度中にはスケジュールが見えてくると思うので、その向こうにあるのがこういったことを実現するという仕事になるのかもしれない。

歌舞伎町には韓国・朝鮮系の在日の人たち、最近増えてきたニューカマーの韓国の人たち、老華僑の方々、新華僑の方々、それも台湾系の人、大陸系の人たちそれぞれがいて、さらにアメリカ・ヨーロッパ、そのほかの国々の人たち、それに日本人が共存共栄し、これからますます国際的な街になる。そして、それはこの街ほど濃くはないが、未来の日本が必ず迎える姿でもある。そういった要因がポテンシャルになって、準備に、演劇に、裏方に、屋外の警備に、歌舞伎町のさまざまな立場、仕事の住人達(かならずしもここに住んでいるというわけではなく、この街で活動する人たち)が集い、今回の公演をささえたことを思うと、むしろ「演劇」というよりは、まったく新しい「祭り」の形を示したと思う。また、それを可能にした「鈴木喜兵衛」というキーワードは、それがまさにこの街のDNAであることを強く示したともいえるのではないか。


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コメント 6

文野

いつもいつもありがとうございます!アフタートークちょっと緊張しちゃいましたがとてもいい経験をさせていただきました。これからも歌舞伎町が楽しい街になるように頑張りまーす。

http://blog.livedoor.jp/bunbun_810/

テラさん、風邪お大事に!!
by 文野 (2006-05-19 09:32) 

Tera

(>_<)ゞありがと、ゴホッ;
by Tera (2006-05-20 03:24) 

神峻

連日、精力的に活動されていますね。頭が下がります。素晴らしいお芝居でした。「まったく新しいお祭りの形」…まさにそうだと思います。かつての賑わいが歌舞伎町に戻る日を信じています。
by 神峻 (2006-05-22 02:25) 

Tera

神峻さん、先日はどうも。すれ違っただけでしたが、今度ゆっくりお会いしましょう。
by Tera (2006-05-24 23:19) 

李 小牧

今回の舞台を詳しく取材をしてくれて非常謝謝! また、色々といいアドバイスもしてくれて、心から感謝します。ぜひ、また一緒にいいイベントをやりましょう。とくに、日韓中をはじめとする国際的なイベントを、この街で! 
by 李 小牧 (2006-05-28 04:57) 

Tera

李さん、コメント謝謝^^。李さんの声の大きさと、酒の強さ、そしてなによりその明るさと元気には頭が下がります。お互い、立場やアプローチは若干異なりますが、同じ歌舞伎町をすばらしい街にしたいという同志です。これからもちょくちょく議論しながら協力できるところは協力しながらやっていきましょう。
by Tera (2006-05-29 23:50) 

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