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11月1日(月)冬の風物詩、区役所通りイルミネーションが点灯-来年2月末まで冬の歌舞伎町を彩ります [季節]

新宿・歌舞伎町の冬の風物詩、区役所通りのイルミネーションが点灯しました。歌舞伎町を南北に貫く、約700m、街路樹約90本に10万個の白色発行ダイオードを設置、11月1日(月)には、中山弘子新宿区長らを招いての点灯セレモニーが開催され、来年2月28日までの間、冬の歌舞伎町を彩ります。

11月1日(月)歌舞伎町区役所通りイルミネーション点灯式より。今年で5回目を迎える歌舞伎町“冬の風物詩”となった区役所通りイルミネーション、点灯式後Shinjuku Swing Leaves Orchestraのジャズ演奏が夜の街を彩る

平成18年の11月から始まったこの区役所通りイルミネーションは、今回でこれが第5回目の開催。実行委員長は、区役所通りのほぼ中央にあるチェックメイトビルのオーナー藤澤薫さん。藤澤さんは第1回目の実施以降、この区役所通りイルミネーションと同じく区役所通りのボランティア清掃を事業とするNPO法人新宿歌舞伎町区役所通り3Aを設立、同NPOの理事長としてこのイルミネーションを継続してきた。実施に当たっては、3Aの会のスタッフが歌舞伎町の各店舗を一軒一軒回っては、あるいはポストに投函するなどして寄付を集め、行政等公共機関には後援や許可関係を除き一切頼らず、いわば街の住人たち自ら手作りで実現してきたイベントである。寄付は集まることもあれば、そうでないときもあり、それでも藤澤さん自身のある意味での覚悟をもって継続されてきたことを強調したい。

イルミネーションへのご寄付のお願い

今年もまたイルミネーションの季節がやって参りました。
過去4回に亘り歌舞伎町を貫く区役所通りにある約90本の街路樹にイルミネーションを点灯して参りました。本年は第5回として11月1日より来年の2月末日までの4ヶ月間の予定で街を明るく点灯していく予定でございます。
このイルミネーション点灯事業は皆様方の貴重なご寄付により実現いたします。歌舞伎町で事業を営む方々、この街でお仕事をしていらっしゃる方々、そして街に訪れるお客様に是非ご寄付のご協力をお願い申し上げます。なんと言っても歌舞伎町を愛する皆様方と共に「明るく・安心・歩きやすい」の3Aを目指して活動を出来ます事を大変嬉しく思っております。また、ホームページへの広告掲載のご協力も重ねてお願い申し上げます。皆様方にこの活動のご理解とご協力を賜り第5回目のイルミネーション点灯が成功することを心より願っております。点灯式は11月1日午後4時より区役所前広場にて執り行われますので、皆様のご参加をお待ちしております。

特定非営利活動法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会
理事長 藤澤 薫

DSC_3051.JPG中山弘子新宿区長

「みんなが楽しめる街、わくわくできる街、これを3Aの会の藤澤さんのところで、大変ご苦労をされながらずーっとつながってきている、歌舞伎町は本当に多くの皆さんから楽しい街、安全な街、そして明るい街、歩きたくなる街、と言われてきていること私は大変嬉しく思っています。このイルミネーションがまさに歌舞伎町の将来をさし示していると思います。イルミネーションを楽しんで、そして歌舞伎町を楽しんで、食べて、飲んで、歩いて、皆さんに、より味わっていただきたいと思います。」

DSC_3058.JPG藤澤薫さん(区役所通りイルミネーション実行委員長、3Aの会理事長)

「これももう5回目になります。考えてみましたら、1回目の時は何にもわからずに、どこにどんな許可・申請をしてよいのか、わからずにはじめまして、区役所、警察、それから消防、本当に皆さんが親切に教えてくださいまして、第1回目は、なんとか、成功することができました。こははまた、皆様からのご寄付で賄っておりますので、今日も、雨や風にあおられて上手く付いてませんけれど、これ、ちょっと手直しして、もうちょっとゴージャスになるようにいたしますけれど、皆様の気持ちが一つ一つの電球に、歌舞伎町を愛する方々の明かりが灯ったということでございますが、そして、今年は5回目ですので、ご寄付のお願いとともに、このイルミネーション、そして歌舞伎町の街づくりにたいするアンケートというのをとらせていただこうと思いまして、配布をいたしました。
少しずつ戻ってきております。それを見ますと、ほぼ皆さん好意的な感じでございますけど、このイルミネーションに関しても好意的に思ってくださいまして、今後できるだけ続けてほしいと、そういう声が今のところ大半でございます。中には、辛口のコメントもありますけど、忌憚のないご意見ということで、私ども、すごくいい刺激をいただいております。この先、どれぐらい続けられるかどうかわかりませんけれど、これは、ほんとに街の皆さんの底力というか、街を愛して、これからずーっとこういうことをして活性化させたいという思いを、光とともに、皆さんにお伝えしたいなと思います。
まあ、景気が悪い悪いって言ってても始まりません。皆さん、元気を出して、元気に明るく楽しく、そして私たちのこのオーラを、歌舞伎町全部に纏って、そして歌舞伎町は不滅であるということを皆様、世界中にアピールしようじゃありませんか。これからもどうぞよろしくお願いします。」

区役所通りイルミネーションを主催する区役所通り3Aの会理事長・藤澤薫さん(区役所通りチェックメイトビルオーナー)と後援する新宿区、中山弘子新宿区長。やっぱり歌舞伎町は女が支える2人の女たち。歌舞伎町を引っ張るとしたら、先頭はやっぱり“女”が映えます。まぁ、実際そういうことになっていくべきなんだろうなと。故に、中山さん、色々と、もう少し頑張ってほしいなと思う。


現職中山弘子新宿区長の任期が平成22年11月23日に満了することから、下記日程において新宿区長選挙がおこなわれます。

■告示日  平成22年11月7日(日)
■投票日  平成22年11月14日(日)
■開票日  平成22年11月14日(日)即日開票

■投票できる方
以下の要件を全て満たした方のみ、今回の選挙で投票することが出来ます。

•日本国民であること
•満20歳以上(平成22年11月15日以前に生まれた方)であること
•新宿区の選挙人名簿に登録されていること
•投票する日現在引き続き、新宿区に在住していること

新宿区長選挙に関するお知らせ(期日前投票、投票所など詳しくはこちらで)

◇11月1日(月)新宿区長選挙公開討論会が開催、中山弘子氏(現職2期)と松ヶ谷まさお氏(元新宿区議・日本共産党)2名が討論。

7日からの選挙に先立ち、11月1日(月)19時より牛込箪笥区民ホールにおいて、東京青年会議所主催(新宿委員会主管)の新宿区長選挙公開討論会が開催された。なお、この模様は、ニコニコ動画にて生中継されたほか、同サイトch121早稲田大学マニフェスト研究ちゃんねるでは当日の映像が全編(前半・後半)に分かれて放映されている。討論には、現職で2期の新宿区長を務める中山弘子氏(65)と、区議を8期務め先だって区長選立候補の為辞職した日本共産党の松ヶ谷まさお氏(72)が参加した。すでに選挙の供託金を納め終えているもう一人の無所属候補者がいたようだが、この方は参加していなかった。

11月1日(月)、東京青年会議所新宿委員会主催の新宿区長選挙公開討論会にて。
新宿区長選挙は11月7日(日)告示14日(日)投票・即日開票です。立候補予定者の中山弘子氏(現職・2期)と松ヶ谷まさお氏(元新宿区議・日本共産党)。

11月1日(月)、東京青年会議所新宿委員会主催の新宿区長選挙公開討論会にて。公開討論会にはネットライブ中継された。この模様は、ニコニコ動画(※要登録)にて生中継されたほか、同サイト「ch121早稲田大学マニフェスト研究ちゃんねる」では当日の映像が全編(前半・後半)に分かれて放映されている。4年前までは無かった景色、ネットによる政見放送(2007年統一地方選新宿区議選)を半公式に仕掛けたものとしては感慨深い・・。

公開討論会開催に先立ち、東京青年会議所新宿委員会は、新宿区政に関するアンケートを行っている。

  • 新宿区の予算を知っていますか? YES 0(0%) NO 50(100%) ※調査人数50名
  • 新宿区長を知っていますか? YES 46(92%) NO 4(8%) ※調査人数50名
  • 外国人居住比率が増えていくことに賛成ですか? YES 23(42%) どちらかともいえない 10(18%) NO 22(40%) ※調査人数55名
  • 今の区政に満足していますか? YES 95(62%) どちらともいえない 18(12%) NO 40(26%)※調査人数153名
  • 「今の区政に満足していますか?」満足・不満足の割合
    防犯安全(満足)24:(不満足)22
    高齢者福祉 (満足)23:(不満足)27
    待機児童 (満足)7:(不満足)20
    予算の使い道 (満足)13:(不満足)17
    まちの美化 (満足)23:(不満足)16
    その他 (満足)27:(不満足)5
  • 予算の使い道:予算の不満点⇒予算の使い道を知らない。公表の仕方が分からない。
  • 外国人居住比率が増えていくことに賛成ですか?⇒YES派の意見(42%)/時代の流れ、よりよく共生していきたい NO派の意見(40%)/マナーが悪い、治安が悪くなると思う。

こういったアンケート結果に基づき、新宿区政における予算の重点配分はどうあるべきかについて討議が行われた。区の財政規模は約2,000億(国民健康保険特別会計・介護保険・後期高齢者医療を含む全会計、一般会計は約1,380億)があるが、そのうち7割は福祉予算、とりわけこのご時世がら、両者とも高齢者福祉と保育園等の待機児童対策についての議論が中心となった。詳細は、全編動画配信されている「ch121早稲田大学マニフェスト研究チャンネル」(ニコニコ動画、以下参照)でご覧ください。

あくまで、青年会議所のアンケート結果によるものだが、50名に調査をして区長を知っている人が9割いるのに予算を知っている人は0%、最も生活に密接した基礎的自治体であるにもかかわらずいかに区政に関する関心が低いか、一方で区長の事は割と皆知っている、このあべこべ感はいったいなんなのかな?と考えさせられる。行政の広報が良くないということなのか、あるいは区行政を地域自治における単なる窓口行政と捉えているからなのか・・。ちなみに、新宿区長選挙は中山区長の全職小野田氏の突然の辞職により統一地方選挙からはずれ、ここ3回は11月実施。その為、投票率は極端に低く、2002年25.15%、2006年26.58%、若者層の投票率に至っては10%程度と推定されている。正直、これで民意が付託されたと言えるのかどうか。以前から言っているが、首長選挙の制度改正は必要。例えば、選挙日は統一地方選挙と同日と定め、辞職・死亡などの場合は2名おける副区長(副首長)が首長になって区政を行うというようにすればいい、と思う。

さて、公開討論における中山氏と松ヶ谷氏、実際の主張は概ね差が無いことが分かると思う。両者とも、高齢者福祉と子育て支援、とくに待機児童対策を重要視している。違いといえば、中山氏は「これだけやってきました、今後とも努力します」松ヶ谷氏は「まだまだ足りない。」、これは現職と野党新人候補だから当然と言えば当然、あえて対立軸はどこにあるかを示すと、中山氏は“協働”推進、一方で松ヶ谷氏は「区がもっとやるべき。」というところぐらいか。行政(東京都職員)出身の中山氏は本人が言うように彼女の強みは"行政"を良く知っているということ。言い換えれば、行政の得意なこと苦手なことをよくわかった上で、苦手な部分は民間のアイディアや活力を生かす、これを“協働”を重視という言い方になっている。一方で、野党区議出身の松ヶ谷氏は、行政がお金もエネルギーも使うべき、というあたり。松ヶ谷氏の主張は建前としてはその通りかもしれないが、中山氏は、むしろ行政出身であるがゆえに行政の構造を本音で言うと批判的というか信用していない、とも見れる。そのあたりが、いい意味で“協働”が進む面と、区政人事がうまくいかない理由だったりもするのかもしれない。もうひとつ付け加えれば、新たな参入による“協働”はうまく行く場合が多いが、古いコミュニティ(既得組織)との“協働”はうまく行かない場合が目に付く。ここが中山氏の課題。

さて、この選挙、すでに6月頃から、実は水面下で始まっていた。中山氏は区議会で3選目出馬表明をしたのもこの時期だし、一方対抗馬と目されていたのが元都議の山崎泰氏は民主党の支持を受け、事実上「中山vs山崎」の一騎打ちムードだったのが8月頃から。だが、その山崎氏が表向きは「民主党推薦が得られなかったため」ということで、10月末に突然出馬を辞退、日本共産党は立候補者擁立に大分苦労した様子でぎりぎりまで決まらず、山崎氏不出馬情報を得てか、若干無理くり感が強いが松ヶ谷氏を候補者として擁立、ということで、事実上中山3選は確定的。山崎氏出馬があれば、彼は2期8年できっちり引退し1期2,500万ともいわれる区長退職金は返納するとまで言っていた、その区長退職金の在り方が大分クローズアップされるかと見ていたが、それもなくなり、結果的には日本共産党区議さん曰く「現職中山vs日本共産党の一騎打ち」ではあるが、実際日本共産党も、同党区議会幹事長で若くて(って言っても40代だけど)最も政策も弁の立つ沢田あゆみ氏あたりを持ってくるならその本気度もうかがえるが、実際引退間際の「おじいちゃん」を無理くり?出してくるあたり、なんか残念・・正直、何にも興味をそそられない今回の新宿区長選になってしまった。

前回4万4千という圧倒的(得票率72%)強さを見せた中山氏であるが、今回は投票率が下がって、組織票だけの勝負ということもあり、意外と対抗の松ヶ谷氏が日本共産党支持票を固めて善戦する可能性はあるにはあるが、自民・民主票は、対抗が日本共産党ということではなかなか割れにくい、となると今度はどこまで投票率が下がるのか?にむしろ注目してみようかと思う。この選挙の投票率が仮に20%程度、あるいはそれ以下にまで下がるようなら、先にも書いたが、それこそ首長選挙の制度を変えないといけない、そういった議論があって然るべきかと思う。


11月14日(日)新宿区長選挙、現職中山弘子氏(65)が3選を果たす

平成22年度新宿区長選挙
・告示日    平成22年11月7日(日)
・投票日    平成22年11月14日(日)
・開票日    平成22年11月14日(日)即日開票

11月14日(日)、新宿区長選挙が行われた。立候補者は3名、中山弘子氏(65歳、無所属、現職)、松ケ谷まさお氏(72歳、無所属、元区議)、山下万葉氏(30歳、無所属、無職)、結果は投票率26.33%(前回比▼0.25%、有効投票者数63,150票)に対し得票率81.4%を集めた現職(2期)の中山弘子氏が圧勝。

◇2002年新宿区長選挙の得票分布(当日有権者数227,916人 投票率25.15%)
中山弘子25,847票 うるしばら順一14,430票 本葉カツ子15,558票2002新宿区長選.jpg

◇2006年新宿区長選挙の得票分布(当日有権者数237,315人 投票率26.58%)
中山弘子44,472票 石岡はるじ5,168票 すえよし和12,327票2006新宿区長選.jpg

◇2010年新宿区長選挙の得票分布(当日有権者数243,975人 投票率26.33%)
中山弘子51,384票 松ヶ谷まさお10,813票 山下万葉953票2010新宿区長選.jpg
中山弘子81.4% 松ヶ谷まさお17.1% 山下万葉1.5%
区長選挙供託金は100万※6,315票以下は没収(有効投票者数÷10)

中山区長、総投票数の8割を超える得票で3選。中山区政になって8年、新宿区は人口も増加傾向にあり、そういう意味でも区政の主である高齢者福祉や社会保障、育児支援などでの評価は高いということなのだろう。一方で、彼女が「投票率を何とか上げたい。」という部分では前回より微妙に下回った。人口増加の分もあるので、投票者数は増加(+6,660人)を評価できるという面と、投票をしていない人がまだ総投票数の3倍いるという現実をどう考えるか。日本共産党は苦戦、毎回得票数を下げているが、国政のときもそうだったがやはり地方選挙となるとさらに独自色が弱い。


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歌舞伎町の中心から、Merry Christmas!! [季節]

歌舞伎町区役所通りのスポーツバーM-SPOにて。かわいい!と、思わず写真撮らせてもらっちゃいました^^

歌舞伎町の中心からMerry Christmas!!!

最近ブログ更新怠り気味^^;まぁ、いろいろあるわけで・・お許しを。歌舞伎町、別に何もないわけじゃないけれども、じゃあ、何か特筆すべきことがあるのか、進んだ話はあるのか?と言われると、それほどあるわけじゃないもので。。

まぁ、そうは言ってもここ数日、そしてこのクリスマスにかけてあったことを時系列順に一応ご紹介。

◆12月17日(金)11月より新宿区・警察と歌舞伎町商店街振興組合が金曜日に行ってきた、歌舞伎町合同パトロールもこの日が今年最後の実施。この日は中山弘子新宿区長・頼本新宿警察署長も参加で、わりとこの大人数での巡回。

DSC_3623sub.jpgDSC_3601sub.jpg

「迷惑行為を撲滅」という名のもとで行われる迷惑行為・・と揶揄する声もないわけではないが、ケジメですこれも。わかりやすくこれで今年は終わり、そういう合図でもあるわけで。「街」はだれのものか、決して商店街だけのものでもなく、暴力団や客引きたちのでもありません。もちろん警察のものでも行政のものでもない。しかし、歌舞伎町は来街者のものでもあると同時に、みんなのものでもある。街は、いろんなバイアスが交錯しながらも、それぞれがそれぞれの利益のために引き合いながら結局行くべきところにちゃんとたどり着く、でも時間はかかるんだろうかれど。

◆毎年恒例、警視総監の歌舞伎町視察(12月22日)。池田警視総監の案内役は頼本新宿警察署長。

「歌舞伎町は警察のもの!」(ステージ)といわんばかりの警察の権力誇示、と見えなくもない毎年恒例の警視総監視察。しかし、同時に、それだけ「絵になる」場所であるというポテンシャルの証明。100点満点はないけれど、それぞれ「利」もあれば「害」もあるのはやむを得ない。

◆12月23日(木・祝)、歌舞伎町シネシティ広場にこの人だかり!
この日は、Re:animation主催の屋外DJライブ実施。パーティ『Re:animation-Rave in 新宿歌舞伎町-』
Re:animation(リアニメーション)とはアニメーションをきっかけに集まったメンバーを発端としたアニメーション・クラブミュージックの両方の土俵に跨ったイベント。 シネシティ広場初のクラブイベント。

ちょっと気づきがあって欲しい景色です。レイブにだって善し悪しはあるでしょう。知ってる方は知っていると思うが、ボク自身もあるクラブイベント(主に渋谷ですが)に多少なりともかかわってきた中で感じているのは、この時代の閉塞感が与えるストレスは常に発散できる場所を求めている、ということ。レイブの客層は、多くが20~30代のごく普通のサラリーマン。つまり繁華街が最も求める市場です。しかし、彼らは今、歌舞伎町に普段からやってきますか?答えはNoです。なぜなのか?

昭和60年の風適法改正によって歌舞伎町を含む多くの歓楽街が「フーゾク」化しました。それは既得権による駆け込み需要やキャバクラのブームによるところが大きい。このことが、「街」の人達に大きな錯覚を与えてしまったのだなと感じてます。

もちろん今も昔も風俗産業は歌舞伎町の資源であることは間違いない。ただ、風俗ファンは、これも永年風俗店のPRにも関わった経験から言えるのですが、あくまで「マニア」であり、特殊な層であるといえる。なぜなら、たとえば広告効果は1万部も発行してない風俗情報誌が数十万部も発行している大衆週刊誌の広告効果を凌駕しまうことから、ああ、これは特殊なマーケットなんだと気付いたわけですが、そういった視点でいえば、フーゾク化が加速した60年以降、ひょっとしたら風俗ファンは倍に増えたかもしれないが、おそらくそれ以上に一般飲食や映画産業のマーケットが縮小したからこそ、この街は疲弊したのです。たとえば、10人中1人が風俗ファン層だとする。風俗ファンが倍になったとしても、それ以外が半減したら、トータルでは35%減。ということなんでしょうね。

久々にシネシティ広場が人で埋め尽くされた景色でした。TMO(区主体の街づくり組織)の誘致ですが、これまでのイベントで最も成功したいいイベントだったと思います。

サブカル市場の街、と一言でいえば歌舞伎町はそういう街なのですが、風俗産業はあくまでその一部であって、メディア的には扱いが多いとしても、マジョリティは実は時代ごとに大きく変化してきている。歌舞伎町に遊びに来そうな人たちがどういう層なのか、街の人たちにはかなり大きな勘違いがある。話は元に戻るが、社会生活の中でストレスを発散する場が時代の流れでどんどん減っていくなかで、では、歌舞伎町はその受け皿となりうるか?そういった場を提供できるか?未来の歌舞伎町の運命は、まさにその部分にかかっている。ニーズのない商売を「わが道を行く」じゃないが、いくら必死に続けても、時代を読めなければ必ず滅びます。

今、同じ過ちを街の人たちがしなければいいな、と思っています。たとえば、外国人観光客。もちろんそれだけをとらえれば利があるように見えることですが、本当のところはどういうことか?外国人観光客は、年々必ずしも増えているわけではない。データでみると、中国だけが微減、その他は大幅減、相対的に中国人観光客が増えて見える。だが、実際のところ、中国人観光客は年間100万を下回る、仮に全員が一日は歌舞伎町に来たとしても日に3,000人です。概ね日計で来街者8万労働人口2万、計10万人が滞留する歌舞伎町ですが、うち、中国人観光客がそれでも3%。その他の国々を合わせてもせいぜい10%でしょう。先ほどの風俗ファンと数字がかぶってきます。10%の市場が倍になったとして、さて、90%の層にもし見放されたらどうなりますか?90%が仮に半減したら、やはり全体では35%減、歌舞伎町はもちません。

なにも10%を無視しなさい、と言っているわけではない。市場の中心がどこなのか、メディアや表層の話に惑わされることなく商売をする上で、コンテンツの趣向はどこに向けるべきか?食いつきやすいところに食いついて、本来軸足をおくべき部分をおざなりにしてませんか?と投げかけているつもりです、ご理解を。

◆さて、12月24日の歌舞伎町のクリスマス風景より・・

歌舞伎町TMO誘致の大久保公園でのコミュニティアートイベント。ちょっと微妙なオブジェ(ゴメン;下山君・・)がありました。昼間は子供たちが集まって、いろんな落書きをしてつくった・・これは、一種のかまくら、とでも言えばいいのか。どうせだったら雪持ってきてホントのかまくら作ってほしかった・・・(は、独り言だと思ってください)。中山区長の落書きも「LOVE歌舞伎町」その気持ちには感謝します。

こんなかわいいサンタコスのコはいないかな~と歩いてみたが。(区役所通りのドレスやさん)

毎年、多分日本で一番サンタの多い街じゃないかと感じる歌舞伎町に、なんとサンタ(コス)が今年は少なかった。相変わらず、ホストのキャッチ君たちはそんな格好のコもちらほらいましたが、それでも少ないなぁと。何件か飲み屋さんも回りましたが、「今年はみんなドレスですね」っていうことでした。ここだけにお金をかけてコスプレする、というのもしないほどに、やはり無駄と思われる部分はカットされたのか・・。

ゴールデン街では、こんな微妙なコスも見かけましたがw(これはオマケですが)

2000年のミレニアムカウントダウン、あの時ボクは渋谷にいました。仕事で今はなきパンテオンという映画館で「映画でカウントダウン」のイベント裏方をやってたのですが、その時の渋谷駅前の異様な盛り上がり、と同時に「あ、これはヤヴァイな」という予感が働くほどの度を超えた盛り上がり、案の定、朝方には渋谷の駅前がミレニアムのカウントダウンで多くの人たちが手にしていた酒瓶が残骸となって交差点中に散乱していた。そして、案の定、年越しのカウントダウンは日本中で自粛傾向になってしまった。

もともと70年安保の時の学生運動や各破壊活動によって、駅前に人が集まれないような工夫(たとえば新宿駅東口前の小山のような)が繁華街各所に残っています。広い意味では、歌舞伎町の噴水広場が無くなり法的には道路になったことにも似たような理由からなのですが、それから30年たち、ワールドカップ予選で歌舞伎町に3万人が押し寄せた日、渋谷駅前でのミレニアムカウントダウンの興奮、そういった中で再び「大衆が発散」する場所は失われて今に至っている。

時代と照らし合わせば、どういうときに歌舞伎町のような繁華街が賑わったのか、見事に合致していることに気づくかと思います。さて、新宿区行政は、警察と話し合いながら、その中でも徐々にシネシティ広場を人が集まれる空間にしようと、不器用にではあるが、そこを努力してきている。これは、シネシティ広場の閑散たる姿を活性化という意図ではなく、ある種の象徴的場所としての意味があるのでしょう。

手始めは、そう、わかりやすく言えば、つまり歌舞伎町のど真ん中で再び年越しのカウントダウンができる日がやってくるのかどうか。そういう日が、もしやってきたら、それは時代が動き始めたという証になるでしょう。今年はない、しかし来年こそは、そう願ってやみません。コマ劇場跡地の先行きがどうかというのも確かにとても大事な話ではありますが、合わせてその先に、歌舞伎町の未来はある、と断言します。(コマ劇跡地についてのことは、正月に書く記事でやる予定)

クリスマスの、とある歌舞伎町街かどの風景。

クリスマス、ある種の「不幸」を抱えている人にとって、みんなかもしれないが、この日は「特別な日」。正直に不幸せが心の中にある人にはチャンスな日、しかし、「幸せ」な「ふり」をしている人にはハードルにもなる日だね。だからこそ、ボクはこの日が大好きです。皆さんにとって、この日が「良き日」でありますように。決して「ふり」じゃなくてね。

歌舞伎町の中心から  Merry X'mas!!


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謹賀新年 2011年元旦 [季節]

2011年元旦(2011/1/1 AM6:56)朝日はたびたび見ますが、そーいう時間に帰宅したり寝ることが多いもので。しかし、元旦の朝日は、何か、沸々と、不思議と力をくれる、そんな感じがします。

イメージとしては、「希望」というものは、人が想像できる未来の、おそらく良いほうの姿。ありうる未来には幅があって、今が「要」だとすれば、未来は最良と最悪の幅の「扇」の間にある。過去を振り返ればひとつしかない道を歩んできたようでもあり、だが、未来を見渡せば、その「扇」の面に無数の道筋をもつ。では、「個」として存在する我々は、その未来に一体何ができるのかを考える。ふと思うのだが、「希望」を感じる人の心は、未来にありうる「最良」に対してではなく、その「扇」の幅にあるのではないか。

2011年、辛卯(かのとう)。一年を表す文字に含まれる「辛」は、殺傷を含む大きな突き上げや変化を意味する。時代は膠着している。なぜ膠着しているかといえば、変化を望まぬもの(世代)と望む者(世代)の、望まぬ側がまだ多数だということを表している。高齢化社会ですからね。否が応でも、この国は大混乱期を前にしている。安定志向がマグマ溜まりにエネルギーを蓄えさせ、つまり、わかりやすく言い換えれば、変化を望まぬ世代とは、その大混乱期からの逃げ切り世代、変化を望む世代とはそこから逃げ切れぬ世代のこと。このことをどれだけ正確に分析できているかはともかく、これは一種の危機予測、誰もが感じるように変化、若い人たちの言葉を借りれば「リセット」的な変化を望む者は日に日に増えていく。そして、その変化を望むものが多数となった時、その瞬間に時代は大きくうねる様に激変するだろう。世界も同じ、大多数の利益が「平和」を求めているうちは起きなかったことが、大多数の利益が、たとえば「戦争」によって実現できるとなった瞬間に時代は大きく変わる。その変化の向こうにある「世界」が、たとえ、ある「個」にとって望まぬものであろうとなかろうと、2011年という年は、あるいはそろそろかな(まるでヘッジファンドみたいな言い方だが)おそらくその端境期となるように感じています。

2011年、この国は事実上まさに破綻前夜。60台上の世代はそこから必死に逃げ切ろうとこの国の闇を隠蔽し続けている。だが、40より下の世代は逃げ切れない。確実に、破綻したこの国を担わなくてはならない。シグナルはもうすでに届けられた。安定の先にある不安定極まる状態。世代間闘争、それはこの国の人たちが最も苦手としてきたこと。年寄りを大事に、年上を敬え、安全・安心、多様性という名の不感症、刷り込まれたすべて正義が、結果としてこの国の変化を拒ませてきた。もう間に合わない、だから、みんな、直観的に身構える。そしてさらに時代が膠着する。だが、それもそろそろ終わりかな、いや、終わりにしたほうがいい。

「生命」が本能的にだたただ生きようとするのと似て、否が応でも、大多数の人々の「利益」を実現する方向に進もうとする「世界」、あるいは「社会」、あるいは「街」。「未来」を「扇」にたとえたが、確かにその「扇」のどこか一点に向かわせようとしても、「個」の力は無力。だが、その「扇」のある部分には向かわない「程度」のバイアスを与えることぐらいなら、たとえ一人の力もそれほど無力ではない。

それを、証明できるかどうか、それこそがボクの使命感。それは、ある種の「失望」でもあるのだが、「失望」の中から見出した自分なりの「希望」の示し方でもあるのです。

2011年1月1日0時00分の新宿駅東口駅前広場。2000年以来、カウントダウンイベントは粛清傾向が強く、当然新宿でも警察はイベントの実施を許さない。しかし、それでも、こういった場所にはどこからともなく人が集まりだす。警察官「道路には出すな!」その目の前で、集まり始めた人たちがカウントダウン「5、4、3、2、1、Happy New Year!!」そう、祝いたいことは誰が止めようが祝いたい!これはここ数年恒例の景色ではあるが、ここでいつか、再び公式にカウントダウンができる日がいつになるか。粛清・解放を繰り返す繁華街対策、その日それは、きっと粛清の10年の反転になると思います。警察監視の中とはいえ、カウントダウンを無事終え、その民衆はどこへと向かうかといえば(下写真)ほとんどが歌舞伎町へ。実際歌舞伎町の正月はわりとひっそりなんですが、この瞬間は人が進む方向には何かあるという期待感、あるいは、この勢いで歌舞伎町を散策したいという感じなのか。つまるところ、散策、カラオケ、あるいは花園神社に初詣が大多数。

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一日約10万人、内労働者2万人、概ねこれくらいの人が常に滞留する街「歌舞伎町」。最盛期は1980年、映画「E.T.」が新宿ミラノで上映されたその年、正確なデータは無いが、映画館の来場者数などから推測するに一日約30万人はこの狭い600m四方のエリアに滞留していたと考えられている。実に現在の3倍を超えていた。その80年に起きたぼったくりに驚いた大学生がビルから転落し死亡するという事故が発生、これを機に、当初はぼったくり対策を重点課題とした繁華街対策が政策の重要課題となるようになった。そして、85年の風適法改正を超え、加えて90年から90年代後半年にかけては繁華街対策は一度解放期を迎えている。そのことで、歌舞伎町は風俗色を強めながらもバブルな時期を過ごしている。一方で蛇頭の台頭などもあって治安が悪化、2001年には一番街で44名の死者を出した明星56ビル火災事件、ここがさらなる転機をこの街に与えている。

ここは異論があるかもしれないが、歌舞伎町は、いわゆる「地面が低い」。故に、この街には、常にその時代ごとの底辺が集まる。この国のマジョリティは中流あたりにあるとしても、中流は時代の変化には鈍感なもので、変化の表出は常に上層と下層の端に強く現れる。そういう意味では、歌舞伎町は、これまでも、おそらくこれからも時代の写し鏡であろう。その表出に対し、解放と粛清を繰り返してきた歌舞伎町、そのうねりと、その都度都度の時代の勢いと相まって、盛る時は栄え、だが、この10年単位の変化の波に加えて、やってきた50年の波、それが2008年のコマ劇場閉館、および中心劇場街の相次ぐ閉館という事態である。「歌舞伎町はコマ劇場の城下町、いつまでもこのままじゃ、死んじゃうよ。心臓を止められているようなもの。」(一番街ビルオーナー)という一方、閉館となったコマ劇場の先行きはまだまだ不透明(公式な決定は何一つない)、現在中央通りと一番街のは約40の空き室があるが、「コマの計画が決まった段階で、その日のうちに半分は契約が決まるだろう。」(歌舞伎町の店舗不動産業者)という声も聞かれる。今のこの街のもがきは10年20年に一度のことではない。50年に一度のものであり、だが、だからこそ反転の勢いも50年に一度のものとなる。そういった意味で、新年冒頭の記事としては、やはりこのコマの件について、その行方について書くことが、この街の「希望」になるのではと考え書いている。

DSC_4055.JPG現在、アスベスト除去工事を行っているコマ劇場。工事は11年2月あたりを目途に終了、東宝会館のテナント訴訟との兼ね合いもあって具体的な日程は決まっていないが、その後に解体工事となる。解体期間は概ね16~17か月(竹中工務店)。

※追記:新宿コマ劇場・新宿東宝会館解体工事の工期:平成23年3月10日~平成24年3月末日(予定)ということです。後日詳細アップします。今回の解体工事は、地上部のみということで、予定より若干短くなりましたが、言ってみれば第一期解体工事とでも言ったほうがわかりやすいかもしれません。地下部をどうするのか(更地、あるいは計画が決まり次第基礎うち)は未定。

解体にあたっても、地元や近隣者との協議を経て、まぁ言い方は悪いが、ハイジアが建設の際にそうしたように地元対策費としてお金がばらまかれる。もちろん地権者である東宝やゼネコンの竹中工務店にしてみればそこをいかに低コストに切り抜けるかというのは大事だろうし、そういうこともあってとくに地元議員などとの接触も多くなってきているようだ。だが、重要なのはそこではない。その先のことである。ここに何が建つのか、あるいは四葉会(劇場興業四社)による共同開発は無くなったにしても、場合によっては1ではなく2、あるいは段階的3またはプラスアルファはあるのか。
東宝(旧コマ劇場と東宝会館)としては、2009年の株主総会での発表通り、この約1700坪の再開発は行うにしても、その計画はまだ何も決まっていない。ベースのプランとしては、1700坪に空地を50%近くとり、離して2本の高層ビル(ホテル棟、オフィス棟)というものがあるようだが、テナントとなるホテル側から車両同線とホテル客の歩行主要同線となるセントラルロードの客引き問題で難色。よって、それ以外の選択肢についても、たとえば自主運営の劇場建設を含むあらゆる方向で検討中の様子。

DSC_4066.JPG写真はコマ劇場を背に、シネシティ広場を挟んで新宿TOKYU MILANOビル側。こちらから見て、右手が第一東亜ビル(東亜興業、売却予定)、左手がヒューマックスの地球会館(正式名はヒューマックスパビリオン新宿アネックス)

中心劇場街に2つの建物を持つヒューマックス。うち、上の写真にもある地球会館は子会社ワンダーテーブル管理だった。ワンダーテーブルは2部上場会社であったが、昨年TOBによって上場廃止、現在は完全子会社化。ヒューマックスのハンドリングは自由度を増したが、一方そのTOBによって30億といわれる資金を要した。このことで、ヒューマックスが仮に共同開発に「ノれる」としてもあと数年の時間差は必要とみられる。中央の新宿TOKYU MILANOを持つ東急レクリエーションは、四葉会共同による再開発には積極的であったが、2009年、親会社東急電鉄からの資金支援を取り付けられなかったことことから一度再開発計画を白紙に戻した。しかし、昨今の3D映画ブームの後押しや109シネマズIMAXの業績好調により資金計画は良化、概ね2年以内を目途に、具体的に再開発着手、となる可能性は高い。そして、第一と第二東亜ビルを持つ東亜興業。ここは事実上銀行管理状態のため、高収益ビルの第二東亜ビルは現状のまま。しかし、上写真右の旧本社ビルだった第一東亜ビルについては約50億程度で売却を目指しているようであるが、手付金の権利譲渡?や会社自体もみずほ→三井住友→りそなとメインバンクもころころ入れ替わるなどあって若干トラブっている様子。いずれにせよ、第一東亜ビルは第3者に売却されることは変わらないだろうが。最終的には30億台か。重要なのは、この第一東亜ビルを購入するのは誰なのか。20億台まで行けば、三社のうちの1社となる可能性もあるか。

DSC_4074.JPG早ければ2011年中には、この開かずの交番となってきたセントラルロード入口ドンキホーテ前にある「歌舞伎町臨時交番」が「青灯交番」として稼働する可能性が高まっている。

実際、コマ劇場の再開発が進行するかどうかの最大の障害は、すでに書いたように「車両導線」をどうつけるのか、そしてもう一つは少なくともセントラルロードの客引き問題を解決しないかぎりテナントは入らないという二点。もちろんこれについて、商店街が何もしてないわけではない。歌舞伎町商店街振興組合は開かずの交番となっているセントラルロードの臨時交番(上写真)の再開を東京都公安委員会と警察に対し求めている。そして、この議論の落とし所は、この臨時交番を官民共同の「青灯交番」。
「青灯交番」となると、民間負担も大きくなるが、耐えうる負担がどこまでかはまだまだ議論が必要であるにしても、これは商店街が一本化しつつあるだけにわりと早期に方向性が決まってくるだろう。毎日とは行かなくても、早ければ2011年中にも稼働するかもしれない。このことによって、これまで週一回2時間程度をボランティアでやってきた客引き排除がバージョンアップして、セントラルロードの体感治安対策は前進する。だが、もう一方の課題、東宝用地への車両導線問題、これの解決はなかなか難しい。かつて、職安通りから地下道路を作って大久保公園地下に駐車場をつくり、ハイジア駐車場と連結してというアイディアがあったが、200億を超える予算とその割に効果が低いことで消滅した。

歌舞伎町補完計画02-4.jpgこの導線の課題を解決するアイディアとして、提案されている、ある「案」(すでに非公開の歌舞伎町ルネッサンス推進協議会スタッフ会議では提案されている)上図は、コマ側から東急側を見たときの図案。

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72号(西武駅前道路)を1階路面で新宿TOKYU MILANO用地から車両を進入させ、シネシティ広場に車両プールをつくる。シネシティ広場には人工地盤が設置され、車両プールの上は広場であり、また同時に西武新宿駅-東宝用地への歩行者空中導線とする。アイディア(△パース)では、東急側用地に東宝側の容積を移譲、東急側には約160mの高層ビルが建つ一方で東宝側用地を広場状のものとし、空中をJRから西武新宿駅や主たる街区にはペデストリアンデッキ、セントラルロード地下をサブナードと連結して地下の歩行者導線とするものとなっている。

さて「答」は、もちろんまだ出ていない。しかし、確実に再開発を行う「東宝」と「東急レクリエーション」は、計画が遅れている東宝と、財政状況が良化しつつある東急レクリエーション、計画実施時期は実は徐々に重なりつつあり、時間軸の中で段階的にせよ、各企業の消極策がむしろ当初の四社による共同再開発へと、結果再び限りなく近づきつつある、と考えている。
閉じかけた可能性は、むしろ開かれつつあるのだ。最終的に完成までは、まだあと5年、いや、もう少しかかるか。これを遅いと考えるか、いや、そんなもんだろうと考えるかはそれぞれだと思うが、自分の思うところのこの街の「希望」は、事実上この辺りにあると考えているからこそ、今、書けるところまで書かせてもらった。

大同に立ち、小異を捨てよ

歌舞伎町商店街振興組合が「青灯交番」設置について、まとまりつつある経緯の中で、実際は議論をしている人たちの多くがセントラルロードでの迷惑行為撲滅パトロールに参加したことがないこと(つまり実務としてのパトロールを実感していない)、青灯交番設置となった時の財源問題(人材面も含め)について深い議論がなされていないことなどを危惧する声も聞かれたが、それでもまとまろうとしているのは、それが耐えうる負担であるのかどうかはともかく、「必要」なことであるという認識で一致しているからである。
商店街振興組合の実質加盟者は200人にも満たない。実際には商店街は歌舞伎町においてマイノリティである。しかし、その経緯、歴史からいって、「民意」を担う場とし代わりがないのも事実。そこには少数とはいえ「街をつくる」上での正当性が存在している。その商店街は民主主義(多数主義)ではなく、全会一致によってしか意思・行動を決定できないという組織で、故に、いろいろな意見を集約できず、なかなか具体的なアクションやアウトプットができずにこれまであった。だが、これが今、「やっと」変わってきた。
小異を捨て、大道に立つ、いろいろ思うことはあっても、前に進むためには意見をひとつにする、と、どうなるか?集約された(仮に、ように見えるだけでも)民意を担保に、やっと行政が、「それならば」と動き始めることができる。すると、企業が「街と行政がそういうのであれば」と、やっと意思を決定できるようになる。場合によっては、「街」や「行政」から「企業」への「過度」とも思われる要求があったとしても、そのことを言い訳に企業ははじめて「自己表現」の機会を得る。良しにつけ悪しきにつけ、物事には順番というのがあって、
そういう土壌がはじめて「本当」の道筋を見つける作業を行う上で必要な「議論」につながっていく。議論(自己主張?)は盛んだが何も決定できなかった商店街は、これまでずーっとボトムネックでもあった。話は元に戻るが、歌舞伎町をつくるのは「商店街」でも「行政」でもない。あくまで主役は「来街者」であり、その趣向に合わせて街は変化しながらつくられていく。また、そうしないものは去っていくことになるだろう。ここに「商店街」や「行政」の影響力は実際あまり大きくはない。だが、中心劇場街の再開発、これについては、短期的に言えば、「商店街」と「行政」の影響力は、その権能と構造から言って、決して弱くはない。しかし、これを決めていくのも実はトータル1,000億規模のもなるであろう投資者である。だから、決して間違えるわけにもいかない。だからこそ、多くの人たちの「智慧」を活かす場であるからこそ、「希望」となる。

まさに、「大道」はそこにある。

謹賀新年

今年もよろしくお願いします。

寺谷公一(てらたにこういち)

歌舞伎町2丁目が氏子となる、区役所通りの稲荷鬼王神社。小さい御宮ではあるが、全国唯一の鬼の福授けの社でもあり、また境内の恵比寿神は新宿山ノ手七福神の一つと由緒もあり、またボクの好きな風情のある神社。来街者はだいたい花園神社なのでしょうが、街で働く人や住んでいる人の多くはわりとここで初詣をされている姿を見かけます。今年の初詣はここでしました。


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1月6日(木)平成23年 歌舞伎町商店街振興組合“新年の集い”より [季節]

DSC_4225.JPG1月6日(木)17時より、平成23年歌舞伎町商店街振興組合“新年の集い”が歌舞伎町・割烹料理店車屋にて開催された。毎年恒例の商店街新年会では、来賓57名、参加者数は組合員来賓をあわせて約110名。年頭の顔合わせということで、商店街各役員・理事ほか東宝や東急レクリエーションなどの企業、酒場や社交飲食・カラオケ業などの同業組合代表者、そして関係機関、新宿区長および地元選出議員らが参加。以下、主催者、来賓挨拶を列記(挨拶順)。

DSC_4221.JPG片桐基次氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長)、まずは主催者代表として、歌舞伎町商店街振興組合片桐理事長からの挨拶。歌舞伎町村の村長さん、言うなれば、自分のクライアント、いろいろ考え方の相違がないわけではないが、この人が正直ものだから支えて行ける。正直ゆえの苦労も多いが、今年は議論で時間を費やすのではなく、行動の年と位置付け。

「昨今の社会情勢の中では、難問が山積みされておりますが、こんな時こそ歌舞伎町は、アクションが必要ではないかと思います。兎年の今年、大いなる飛躍の年とすべく、行動を起こしてまいりたいと考えております。
何といっても、歌舞伎町は世界に冠たる繁華街、日本の宝であると私ども思っています。組合員の皆さまはもちろんのこと、この街で商売をされている方々、そこで働く多くの人たち、皆様この街が大好きな人たちで成り立っていると思っております。
自分が好きな街を、自分たちで創り出し、自らが守っていくことは、当たり前のことであります。できないはずは無いと信じております。街の活性化とは、投資を誘引することでもあると思ってます。この、資本の投下を妨げる要因となっていること、具体的に言えば、来町者に不快感を与えているホストクラブなどのしつこい客引き、迷惑行為の撲滅、また、観光客のおもてなしの窓口となるべく、案内板や安全ステーションなどのインフラ整備、新宿区、行政を交え、東宝さん、東急さんなどと連携し、集客装置である再開発施設の誘致など、組合が一丸となって自ら行動を起こして、実現させていきたいと思っております。また、新宿駅周辺繁華街の一員として、その繁栄のため、行動を共にしてまいりたいと存じております。」

DSC_4229.JPG中山弘子氏(新宿区長)、昨年11月の区長選挙で圧倒的得票で3期目を当選した中山区長、街はこうありたいという強い意志を示し、あきらめない楽観主義が人と街を動かす力。2期目後半、自分の言葉で話していない印象を受け、もう無理かな・・と思ってたが、3期目を迎え、再び言葉に意思がはっきり表れるようになった。区長という職務の権能、実際あるようで無い、その中では良くやってこられたことには敬意は持ってます。

「昨年の11月には本当に皆様にご協力ご支援いただきまして、私も3期目の区長を担うことができるようになりました。皆さんととも力を合わせて、この新宿の街が、本当ににぎわいも一番、暮らしやすさも一番の街になるように、なお一層努力してまいりたいと思います。
さて、歌舞伎町ですけれども、今、片桐理事長からお話がありましたように、この歌舞伎町は、新宿の街にとって、大きな宝です。そして皆さんもご存じの通り、ミシュランのガイドでも歌舞伎町は二つ星、そしてまた海外からおいでになる方々が必ず多くの方が見るという、観光ガイド・ロンリープラネットという中に、歌舞伎町がどう紹介されているかというと、安全で楽しい町、そういう風に紹介をされています。そのように、歌舞伎町というのは、世界に知られた繁華街、歓楽街でありまして、多くの皆さんにおいでいただく、そしてこの街がますます活気を大きなものにしていく、そういった賑わいの街であると思ってます。そのためには、TMOや振興組合の皆様方、地元の皆さまあってのことです。やはり今、経済状況等いろんな状況ありますけれども、それから東宝のところの、コマが閉まって丸二年経っている。そうした中で、私は多くの賑わい施設が、そこで再開発がうまく繋がっていくことを願っていますが、それも、近々動き始めるのではないかと期待をしております。
そうした中で、最も大事なことというのは、私は厳しい状況ばかりを言うのは、あまり前に進む力にならないと思います。皆さんが日々努力をしている、といった力を評価をし、そして、歌舞伎町の街はこうありたい、という皆さん方の熱い思いですね、そういった強い意志を持った楽観主義ということが、進んでいくことがとても重要でないかと思っております。去年のニュースでですね、私自身一番感動したというか、感激したのは、小惑星のはやぶさの話がありますけど、あれはいろんな困難にぶつかりながらも、あきらめない強い意志、それをなんで成功したのですかというと、"根性"という言葉で言った方もあるそうですが、やはり、あきらめない、こうありたいという強い意志こそ、今、必要なのではないかと思っております。
そうした意味で、プラスメッセージをこの街が、この一年しっかり、地元の皆さんの力を新宿区も支え、それから関係機関も支え、本当にいい街にできるように、力を尽くしたいと思います。」

DSC_4235.JPG吉倉正美氏(東京都議会議員・公明党)、昨年来「歌舞伎町の将来を考える会」(非公開会議)ではだいぶお世話になった公明党吉倉都議、彼の力添えで、少なくとも4~5年要望しててもまるで動かなかった、かねてからの地域要望、セントラルロード“開かずの交番”歌舞伎町臨時交番再開(官民協働による青灯交番として)の目処が一気にたちはじめた。もちろんこの会議帯で目標としているのは公共空間における宣伝行為禁止の条例化や歌舞伎町の24時間特区の件などもあるわけだが、そのまずは第一の目標「歌舞伎町臨時交番再開は間もなく」

「お話にございましたが、歌舞伎町は、首都東京の顔であり、表玄関の顔であります。その思いでですね、皆さんが歌舞伎町にかける思いが、特別のものがある、このように私も感じております。片桐理事長の、ホントに歌舞伎町改革ともいうべき熱い情熱に後押しをされまして、昨年から下村先生と一緒に、なんとしても歌舞伎町に臨時交番を作りたい、開設しよう、こういう思いで取り組みをさせていただきました。治安の、新しい牙城として、どうしても必要だと、こういう思いで取り組んできた次第でございます。間もなく、実現する形だと、考えております。
ほんとうに、皆さんと一緒にですね、健康で安心、そしてまた活力ある歌舞伎町のまちづくりのために私も全力で働いてまいりたいと、このように決意しております。」

DSC_4236.JPG歌舞伎町は日本経済のバロメーターと、深沢としさだ氏(新宿区議会議長)

「歌舞伎町はなんと申しましても、新宿の象徴であり、そして賑わいの原点であります。日本の経済のバロメーター、ここにつきるような街が歌舞伎町でございます。新宿のこの、歌舞伎町の賑わいというのは、一種独特の雰囲気がございまして、他の地域ではまねのできない、何か大きな武器になっていると思います。
また、方や、歌舞伎町ルネッサンス、いろいろなものが進展をしております。コマ劇場の閉館以来、ゆっくりとではございますが、大きな動きが見えてくる、そんな感じがいたします。私たち区議会も、一生懸命皆様とともに頑張ってまいりたいと思います。どうか、この街の発展、もう一度の振興のために、皆様方のお力を集結していただきたい、このように思っております。」

DSC_4243.JPG昨年は新宿署管内において、署開設以来焼損面積最少・死傷者0の実績を強調、市川恵一新宿消防署署長

「ちょうど今日の1月6日、東京消防出初式というのがNHKで朝11時5分からされたと思います。江戸消防記念館、そして消防団、消防職員等が参加してということで、約3千名の職員・団員、そして130台の車両等が参加をして毎年恒例な舞台検閲等を含めた活動を披露させていただくわけであります。寒い中、私も、行けということで、3年ぶりにビッグサイトのほうへ行かせていただいたわけです。その中で、やはり、ひとつ感心したのは、今まで、普通の訓練関係ですと、ゆっくり車が走って、人が降りて、また一式機材を降ろしたというその部分が、やはり緊急自動車、やはり皆さん方の119番通報、昨日ちょっとシステムの障害関係ありましたけど、119番通報がされたときに、やはり90km80kmぐらいのスピード関係でぱっと行って、ささっと火を消す、人を助ける、そういう風な訓練関係も、目の当たりにしたわけであります。
そして、この歌舞伎町につきましては、恒例ではございますが、だいたい12月に、振興組合の協力、また、警察・消防団の協力のもとで、一斉の立ち入り検査ということで、消防職員約300名近くの職員が、うちの消防署では足りませんで、方面内または全庁的に応援体制を組んで、立ち入り検査をさしていただく、昨年までは共用部分ということで階段・廊下という部分を見せていただいたのですが、一昨年、杉並区の高円寺で、屋内店舗内の階段が閉鎖をされていた、見にくかったということもございまして、前回の12月9日には各テナント一軒一軒見せていただきたいということで入りました。その結果、一昨年昨年以上に違反率が少なかった。
これは、皆さん方がしっかり、それぞれ自主防火体制を組んでいただいているおかげではないかなと深く感謝しています。
やはり、この振興組合を通じて、幾月幾日に検査をしますからという風な、組合加盟の方にはしっかりさせていただいてます。いい加減な、自分だけ良ければいいというような商売をやっている方には、消防署は厳しくあたらせていただいてますので、ひとつよろしくお願いします。最後に災害状況を話させていただきますが、火災につきましては、消防署管内139件、焼損床面積が149㎡ということで、焼損面積につきましては新宿消防署ができて、これは昭和7年にできたんですが、一番少ない焼損面積ですし、さらに、一年間火災による焼死者が発生をしておりません。これも、新宿区内、または新宿管内においては本当に珍しいこと、素晴らしい1年であったかなと思ってます。今年も、この素晴らしい成果を引き継いで行きたいなと思っておりますし、この、歌舞伎町の皆さん方のご協力も欠かせないものでございます。
先ほど中山区長さんのほうから、歌舞伎町は日本一、いや世界一の繁華街である、そして、安心して、ほんとうに楽しく遊んで帰れる、よかったなと、そういう風な街、繁華街というものにつきましても、消防署、一生懸命協力させていただきます。」

DSC_4245.JPG新宿東口の4商店街(大通、東口、駅前、歌舞伎町)を代表して、竹之内勉(新宿大通商店街振興組合理事長)、昨夜見た夢の話、旧コマ劇場の周りにカジノ、桜咲く歌舞伎町。ちょっと話はずれるが、毎年恒例の7月の沖縄エイサーまつりは今年第10回目の記念大会となる。竹之内理事長を含め各4商店街によってエイサーまつりは支えられている。

「何をお話しようかと思ってたんですが、幸い、昨日考えていたら夢を見ました。この夢が、なんと、そこのコマ劇場の跡なんですが、そこにドームができてまして、中で野球をやっておるんですね。で、バッティングセンターはものすごく繁盛しているわけですね。そして、そこに50階位の建物がわーっと建っておりまして、その上にホテルが入っておりまして、そして、回り、歌舞伎町のまわりがカジノになっているんですね。これがまたすごく繁盛している、でも、その中で、とても安全・安心の形のものも、防犯カメラももちろん、今も付いているんですが、それが空中に飛んでいるんですね。ですから、そこからよく見ているので、誰も悪いことはしない、そういう中で、まして中国の方がちょっと多かったんですが、中国だけではなくて、ヨーロッパの方といいますか、西欧人の方もですね、たくさんいらっしゃる。そういうような風景で、しかも夜なのに、桜の花が、いわゆる花が咲いてるんですね。とてもそれがきれいで、でもネオンというのではなくて、本当にきれいな花が咲いている。
そういった中で、皆さんが笑顔なんです。これがとってもよろしくて、あ、とってもいい夢を見たなと、私は思いました。こんな歌舞伎町になったらいいなと、言う風につくづく思っております。
私、今、東のほうでまちづくりということも含めて、一生懸命やろうと思っておるんですが、歌舞伎町さんも別ということではなくて、歌舞伎町は歌舞伎町としての、非常にいいものがたくさんありますので、これは一企業がどうのではなくて、やはり街と行政が一緒になって、今取り組んでいるわけですから、本当に明るいいい街になる、活力を取り戻す街になっていただきたいと、いう願いを込めまして、私の変な夢の話をして大変申し訳ないんですが、とてもいい夢だったので、ご披露させていただいて挨拶とせていただきました。」

DSC_4248.JPGもともと与謝野薫衆議院議員秘書から新宿区議へ、そして前回都議選で都議会議員とステップアップし続ける自民党新宿支部の若手ホープ、吉住健一氏(東京都議会議員・自民党)。挨拶では「民主党のマニフェストは崩壊寸前、統一地方選では地方からしっかり国に声を上げていく」政治バランスは巧みだなという感じの彼だが、そろそろ個性をも発揮してもいいんじゃないかなと、これは個人的な意見ですが。民主党都議選の政策要綱になった地下鉄24時間化、それを自民党なのに「ぜひなんとかしましょう!”」と言ってくれた彼だがさてどこまでやれるか。

「片桐理事長のもと、歌舞伎町の将来を考えるということで、これまで繰り返し会議が行われてきました。そして、この中の集約が終わるまでは、次の会議を開いてもということで今(休止と)なっておりますが、これからも、吉倉先生、先輩のいろんなご指導をいただきながらしっかりとお手伝いしてまいりたいと思っております。統一地方選挙もございますが、今、民主党の政権、これはもう、どんな状況になっても議席を減らすようなことは普通は致しませんので、あと何年か続くことになると思います。しかし、マニフェスト、2009年のあれは崩壊寸前でございますので、やはり、この統一地方選挙で、自民党・公明党、そういったところにご支持をいただきまして、私どもが勝利をすることによって、地方から、国のそういうことはもう少し改めていただきたい、地方が変わっても国は変わりませんけど、しっかりと地方が声を上げることによって、はっきりと有権者の皆さまに意思を示していただくことによって政治を変えることができると思いますので、どうかご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げたいと思います。
安心して遊びに来れる街・歌舞伎町、そして賑やかな歌舞伎町を目指して、これからも先輩方のご指導をいただきながら全力を尽くさせていただきます。」

DSC_4259.JPG海江田万里氏(内閣特命担当大臣・経済財政政策、衆議院議員、民主党)。やや開会には遅れて駆けつけてくれた氏、ということで挨拶は短め、「安心してお金が使えるような世に」。仰ることはごもっとも。これまで会ってきた政治家の中で海江田氏は正直なほうだとは思う。政界復帰して空気感も変わってきた。姿勢とかね。が、彼はある意味、バランス感覚がいい、というか良すぎるというか。今は政権のパーツなのでそれはそれでいいのでしょうが。

「株価も、今日は1万500円、ホントはこれが1万5000円ならいいわけでございまして、1万500円をつけましたので、私はぜひこの様子が、これからもがーっと続いていくようにということで、今、先ほど内閣特命担当ということですが、この特命とは何かというと、経済・財政政策をしっかりやれということでございますので、本当に気合いを入れて頑張っていきたいと思っております。私は、自分が就任したのは9月17日でございますけれど、やはりこのときの株価というのは9,260円ということを覚えておりまして、これよりも少しでも下がらないように、そして、やはり、この日本の国で、人々が、ぱ~っとお金を使って、安心をしてお金を使えるような世を作っていかなければいけないというふうに思っております。またぜひ、地元の皆さまから、いろんな叱咤激励というんですか、役人が持ってくるデータというのはあまりあてになりません。これはやっぱり、肌で感じるデータが一番でございますので、ぜひ地元の、とりわけ歌舞伎町の方々のご意見をお聞かせいただきたいと思います。」


今年4月は都知事選挙と新宿区議選

平成23年東京都知事選挙(告示3月24日、投・開票4月10日)と、統一地方選挙(特別区議員選挙は24日投票期日)を前に、今年は正月明けから議員の活動は活発。よくねじれ国会の話はするが、概ね国と地方のねじれ現象はあまり話題にならない。これをねじれと言うかどうかはともかくだが、たとえば国会でいくら自民党が改革を進めても地方は旧態依然とか、逆に民主党が国政で与党でも地方ではまだまだ少数派、それがネックになったりとか、そういう意味でボクは表現している。それが、今回の都知事選・区議選の結果でどういう情勢になるか、場合によっては都議会捻じれ解消をもくろんだ議会解散によって都知事選と都議会選が重なってくることもありうる。それらによって何が変わり、何が変わらないか、予測をする意味でも重要なことなんです。

この国は、今まさに“世代間闘争”へ

実際のところ、この国は、「闘争」にこそなってはいないものの、超高齢化社会において世代交代をどうやって行うのか、一言でいえばそれで喘いでいるといえる。もっとはっきり言えば、破綻国家からの“逃げ切り世代”と“逃げ切れぬ世代”が団塊世代を挟んで綱引きをしてて、ここが拮抗して前に進めないという状態。つまり、ボトムネックは“団塊世代”ということ。国政の膠着は、もちろん衆参の捻じれもあるし、民主・自民双方とも実行力でまだまだ疑問符だらけというのもあるが、若干自助・自立の色が強い自民、共助・社会保障充実路線の民主という色以外、政策は結構近いものを持っている。にもかかわらず、動きがとれないのは、一つに、民主党は地方で主導権を握れていないこと、自民は国政がなんとか世代交代を進めようとしているわりに地方が旧態依然、つまり双方ともねじれが何重にも重なっていることにもその一因はあるかと。そんなことをしているうちに、国政での失点が続く民主党は人気に陰り、よって今回の統一地方選は自民寄りの風模様。かといって、では、その風のせいで、むしろ自民の地方における若返りが遅れることも懸念、有権者がこれをちゃんと判断して投票行動に移せるかどうか。“逃げ切り世代”というのは、若者につけを押し付け、破綻前に年金も全部いただいて終了な人たち。逃げ切れない世代というのは、おそらくボクら(40台)あるいはもっと若い世代は、まさにそうで、やがて迎える破綻の後のこの国を背負う。逃げ切り世代にとっては破綻は先延ばししたいとこだろうが、若い世代は、むしろ早く破綻してもらって、そのほうが痛みも小さく早く成長に迎えるから、やはりリセットはそれこそ明日にでも欲しいし、逃げ切り世代にちゃんと責任を負わせたいと考えるものも多いだろう。この利害の不一致が、しかしながら政治参加は高齢者主体、ゆえに結果として“逃げ切り世代”の利益に偏らざるを得ないという選挙状況、これがこのままではこの国をよくするわけもない。

民主党がだらしない、だけじゃないんです。自民党もずるい。穿った言い方をすれば、破綻を民主に押し付けて、それまでは本気な振りして本気じゃない、破綻の後の漁夫の利を得ようとしているのが自民党、とも見えなくもない。“妖怪”切りをしない人だから総裁をやってられる谷垣氏、つまり、自民も本気だったら谷垣氏は総裁をしていないでしょう。結局、否が応でも外圧でしかこの国は変われないのか、じゃ、早く外圧、つまりヘッジファンドは総力挙げて一度この国を破綻させよ!と言いたくもなる。この国は今、事実上世代間闘争、ゆえに正直さの欠片もない“逃げ切り世代候補者”には一票たりとも票を入れるなということ。オレなら50台より上の候補者に票は絶対入れないし、支援もしない。

これぐらいにしておいて、、歌舞伎町の話。

まずは歌舞伎町臨時交番再開、そして24時間特区、地下鉄24時間化、そしてなんといっても肝はコマ劇場のその後。まだまだやることは多い。国家の情勢との兼ね合いも深い。国が沈んでいるときは国より先に繁華街は低調になるが、逆に国の情勢が上げ潮であれば、それより一歩早めに繁華街には必ず投資が入ってくる。まさに経済のバロメーター。中山区長は「意思を持った楽観主義」を勧めるが、どうもボクはそうなれないところがあるようで・・いつも区長に歌舞伎町のことでは「厳しい言い方じゃなくて褒めて!」と叱られる。わからないではない、みんな人の子だからね。しかし、なかなかこの国のほうの状態は、どう見ても褒めれるところがまるでない。歌舞伎町の不動産の動向は、まだまだ売り先行、買いがほとんどない。数字の状況はもう少し、のところまで来ている案件もあるにはあるんだが、そのもう少しがなかなか進まない。国も、歌舞伎町も、今が底、と早く言いたいものです。しかし、中山区長の意志ある楽観主義の勧めに感化されたわけじゃないが、100点満点はないにしても、やろうとしていることの半分でも進めば、少なくとも税金で食っているわけじゃない歌舞伎町は、必ずどこよりも先に浮上するという確信もあるのです。


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4月10日(日)新宿のサクラが満開-花園神社境内のソメイヨシノ、新宿御苑、歌舞伎町弁天堂の紅枝垂 [季節]

4月10日(日)新宿のサクラはいよいよ満開に。写真は新宿・花園神社境内のソメイヨシノ、新宿御苑のサクラや花見客、歌舞伎町弁天公園の紅枝垂。


4月10日(日)東京都議会選挙、現職石原氏(78)が4選

4月10日、平成23年東京都知事選挙が行われた。東日本大震災後ということもあって、各陣営が選挙活動を積極的にやりにくいこと、メディアがニュースの大部分を震災・原子力関連にさいていることなどから投票率低下が予想されていたが、実際は投票率57.80%(前回+3.45%)、石原氏は前回を20万票程度票を失ったが、反石原票は約10万票ほど石原氏の得票を上回ったものの受け皿が東国原氏と渡邉氏に分散、結果として現職を有利にさせる結果となった。投票結果は以下の通り。

◆開票結果(当日有権者数10,505,848人、投票者数6,072,604人 投票率57.80%)
石原慎太郎(無・現) 2,615,120票
東国原秀雄(無・新) 1,690,669票
渡邉 美樹 (無・新) 1,013,132票
小池 晃   (無・新)   623,913票

20110410都知事選年代別.png

MX調査・年代別得票率より―
20代 石原28% 東国原39% 渡辺20%
30代 石原34% 東国原37% 渡辺20%
40代 石原38% 東国原33% 渡辺20%
50代 石原45% 東国原20% 渡辺19%
60代 石原53% 東国原18% 渡辺16%
70代 石原60% 東国原16% 渡辺13%

世代人口比が同じ幅になっているため分かりにくいが、上記グラフでは30代と70代の人口が多くなる。一方で、世代ごとの投票率は上世代になるほど高く、よって、50代以上の圧倒的支持を受けた石原氏は得票上では断トツの結果となっている。今回の選挙は、東日本大震災の直後(1カ月)であることもあって、「安全・安心」「震災対策」がメインのテーマとなり、この点で言えば争点が弱く、また「安心・安全」という極めて保守的政策を軸とすれば必然的に保守側有利になる。こういった状況下にありながら、都営地下鉄24時間化などを訴えた東国原氏は169万票を獲得、やはり反石原票の分散が痛かったのではないかと思われる。東国原氏の選挙公約は、一昨年の都議会民主党が掲げた政策要綱のほとんどコピー版、にもかかわらず、都議会民主党は渡邉氏を支持、これは石原側から見れば完全に敵失だったのではないか。石原氏は現職として公務を粛々とこなすイメージが功を奏し、4期目の当選となった。

石原慎太郎氏はもう78歳、本人曰く「150%辞めるつもりだった。」のだが、公示直前に急遽立候補を表明、新銀行東京と築地移転問題を抱え、現職のまま行きたい背後からの力が働いているなどと言われたりもしたが、一方で、震災直後、「安全・安心」思考の保守路線を守ることがこの国難を越える礎という責任感から4選目に立った。石原氏は当選後、「4選しても同じことをやるしかない。それにプラス震災対策。東京は力もあるし、日本の原動力。東京が混乱して止まったら日本が止まる」と語った。

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東京都知事が誰になるか?が実際面でどれほど大きなことなのか、変化を望むなら知事が変わってもらう必要はあるが、とはいえ、東京都というところは極めて、国以上に官僚主導なところであると、これは経験を通じて言う事が出来る。個人的に言えば、石原都政、ある程度のところまでは評価してきた。が、ある程度のところまでなのであって、もういい、そろそろ変換が必要だとつくづく感じている。とくに警察庁・警視庁の治安対策は、実際のところ、かなりの「無理」が懸かってきている。白と黒をきっちりつけたい安藤長官の施策も現場では無理というか、むしろきっちり行かないグレーの対処がまるでなってない。グレーは追い込めば黒になるし、支えれば白くもなる、そのあたりの、机上と実情の乖離を都政はもう少し埋めていくべき。だが、残念なのは、世の中を知らない人たち(知らないから白いままでいられる。)が権力を持ち、あるいは政治家をやっているような今の時代、そんな中身のない人間を選んでいるのも有権者なのだということをよくこの国の国民は考えた方がいい。白い人間と言うのは、大抵、無知なんですよ。

原子力、Yes or No?

もうひとつ、原子力政策について。渡邉氏「どんなにコスト、時間がかかろうとも脱原発のエネルギー政策に転換を図る」小池氏「今こそ安全神話と決別し、安全最優先で(原発推進を)見直す時だ」東国原氏「太陽光発電、バイオエネルギー、自然エネルギーに転換していく社会を目指すべき」に対し、当選した石原氏は原子力に賛成も反対もなく、「電力消費を前提とした産業構造や日本人の生活様式の根本体質が変わらない以上、単純に原子力全てを否定することだけでは解決しない」と語っている。

これらについて、私見だが、多分国家が進む「道」は答えが出ている。原子力はこれ以上拡大させない程度にコストをかけて確実な安全を確保しながら維持しつつ、可能な範囲でLNG、水力、火力などを織り交ぜながら代替エネルギーを模索、必要な時間を使いながら、やがて再生可能エネルギーへと移行する。その間、「やむを得ず」原子力は現存し、無暗な反対活動はあまり意味が無いとも言えるし、一方で、原発回帰を防ぐためにも、「バイアス」として反対活動は必要、とも言える。つまり、一歩道を誤れば、いつでも安易に建設と発電についてはコストが安い原子力に流れる危険ははらむからだ。ただ、例えば、研究者としてもダメと言われればより「完璧」なモノを作ってみたくもなる、つまり誰もしない「挑戦」は蜜より甘い。そこは安易に考えないほうが良いかと思う。そういったモチベーションが、実はこの国の「知財」を支えてきた、という側面を軽視しない方がよい。そこを削ぐことになるかもしれないが、それはどう考えればいい?

産業、経済、科学の進歩、いろんな利と害が合わさって、最早、我々世代ですら「Yes or No」の答えを出すのは難しい。その点で、「安易」な綺麗事ともとれる東国原氏、小池氏、渡邉氏の発言に対し、むしろ「現実的」な石原氏の発言と、自分は実は結構近いし、そこは評価している。だが、答えを出すべきは、自分らやそれより上の、まして石原氏でもないだろう。ここはこの国の未来の在り方に深く関っている。未来は誰のものか?若者、少なくとも自分より若い世代のモノだろう。だから、答えは、そこに委ねるべき。故に、都知事選も若者支持者へと世代交代はされるべきだった、、と、それは後の祭りだが。


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歌舞伎町「冬の風物詩」区役所通りイルミネーションが点灯―2011年11月1日より2012年2月末まで [季節]

2006年以来、今年で6回目となる、歌舞伎町『冬の風物詩』区役所通りイルミネーションが11月1日より点灯。社交飲食業を中心とした区役所通りは、700mに歌舞伎町を縦断する、この街の代表的な通り。ここに並ぶ街路樹に合計15万個の白色発光ダイオードがネオン街に白い彩りを加える。このイルミネーションは、区役所通り・チェックメイトビルのオーナー藤澤薫氏が実行委員長となり、この事業のために設立されたNPO法人新宿区役所通り3Aの会として実施されている。予算は全て、民間有志の寄付で賄われている。来年2月末まで、毎日16時30分より翌日の朝まで点灯。

第6回新宿区役所通りイルミネーション
がんばろう日本〜元気を歌舞伎町から〜

今年もまたイルミネーションの季節がやって参りました。
皆様にHPを通じ3月11日の東日本大災害に対し、繰越金を全て新宿区を通して日本赤十字社にご寄付をし、暫くイルミネーション装飾事業をお休みすることをお知らせいたしました。ところがこのような時だからこそ区役所通りを明るく照らすイルミネーションを続けて欲しいというご意見が多く寄せられ、改めてご寄付を募り第6回区役所通りイルミネーション装飾事業を続けられることとなりました。皆様の暖かいお心に深く感謝申し上げます。まだまだ充分とは言えない資金です。どうぞこの事業をご理解戴き、引き続きご寄付のお願いをさせて戴きたく何卒宜しくお願い申し上げます。
2011年は東日本大災害をはじめ、各地で様々な災害に見舞われてしまいました。
今年のイルミネーションは「がんばろう日本 〜元気を歌舞伎町から〜」というキャッチフレーズのもと、被災された方々に歌舞伎町から元気を送りたいと思います。ワイングラスの形をモチーフにして区役所通りにワイングラスがあふれます。
平成23年11月1日午後4時より恒例となりました点灯式を新宿区役所前広場にて開催いたします。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。今年も新宿スウィングリーブスオーケストラのビックバンドによるジャズでスタートいたします。第6回イルミネーションの点灯期間は平成23年11月1日より平成24年2月末日迄の4ヶ月間の予定です。
経済活動も活発になり街が活気づく事を、そして一日も早く被災された方々に穏やかな生活が戻りますよう心より願っております。

特定非営利活動法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会
理事長 藤澤 薫

11月1日、点灯式にて中山弘子新宿区長より挨拶
「歌舞伎町の夜は、黄色や赤や、色が大変暖かい、また、華やかな色なんですけれども、そこに白色のダイオードというのはとても気持ちのいい、楽しい、素晴らしい彩りを添えてくれます。
今年は、3月11日に東日本大震災が発生し、多くの方々が犠牲になり、また、被災地では、復興に向けて取り組みが行われています。歌舞伎町ルネッサンスでは、今年の4月から、ほぼ全てのイベントを、復興支援のチャリティイベントとして実施し、新宿から被災地を、みんなの気持ちを一つにして応援していきたい、ということで取り組んでまいりました。
このイルミネーションも、歌舞伎町ルネッサンスの一環でもあります。被災地である、東北を応援し続けて、元気をここ、新宿から発信できればと考えています。」

また、今事業の実行委員長、藤澤薫理事長(区役所通りイルミネーション実行委員長、NPO法人新宿区役所通り3Aの会理事長)「3月11日の東日本大震災、それに続いて水害、今年はいろんな災害がございました。私ども3Aの会では、新宿区を通じ日本赤十字社に義援金として寄付をさせていただきました。そこで、いろんな事情で、もう6回目は無理かしらと、ほぼ諦めていましたところ、皆様から、ここまでやってきたのだから、こういう時だし、とにかく、続けてやりましょうという励ましのお声をたくさんいただきました。それで、考えましたけど、皆様の熱意に押され、また、LEDの電球を使っていること、夜間の電気を使うということで、なんとか6回目、点灯してもいいんじゃないかという、結論に達した次第です。私たちは、がんばろう日本、元気を歌舞伎町から、という言葉をモットーとして準備をすすめてまいりました。そして、この点灯事業というのは、皆様からの本当に暖かいご支援とご寄付、ご協力と、いろんなことで成り立っております。今年は、寄付がどれだけ集まるか心配をしておりましたが、本日こうして点灯式を迎えられるということは、嬉しいことだと思います。」と挨拶があった。

ちょうど左の写真、奥のイチョウはダイアモンドがモチーフ、カエデはワイングラスなのだそうだ。「歌舞伎町の区役所通りには、ワイングラスが溢れます。そして、年末年始と、皆様飲むチャンスがあると思いますけど、このワイングラスを思い、見ながら、楽しんでいただけたらと思います。」(藤澤薫氏)

点灯式を終え、18時迄は新宿スイングリーブスオーケストラがビッグバンドスタイルでジャズを演奏、光に加えて音楽でも夜の街を彩った。


11月1日(火)新宿・花園神社大酉祭(一の酉前夜祭)より

この日、新宿・花園神社では大酉祭(一の酉前夜祭)が行われていた。前夜祭で時間も浅めということもあって、人はそれほどでもなかったが、もう冬、そして今年も終わりに近づいてる感慨がわく。いろいろあった一年でした。こんな時こそ、皆が、いくらかでも楽しい気分で年末を迎えられたらいいですね。

2011年、新宿花園神社大酉祭は、一の酉 前夜祭11月1日(火)本祭11月2日(水)、二の酉 前夜祭11月13日(日)本祭11月14日(月)、三の酉 前夜祭11月25日(金)本祭11月26日(土)に執り行われます。


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平成二十四年 元旦 [季節]

▲2011/12/10 宮城県仙台市、荒浜海岸にて撮影

2011年を振り返る。記憶をたどるように。

2010年12月17日、チュニジア中部のシディ・ブジドにて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジが果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察官が商品と秤を没収、さらには婦人警官の1人から暴行を受け、没収品の返還と引き換えに賄賂を要求。これらへの抗議として、彼は同日午前11時30分、県庁舎前でガソリンをかぶり、イスラム世界ではタブーとされる焼身自殺を図った。これを機に、2011年1月、チュニジアから起こったジャスミン革命は、以降、アラブ全体の民主化運動という大きな波となり、エジプト、イエメン、ヨルダン、リビアなどに広がった。チュニジアのベン=アリー政権は間もなく崩壊、更に、エジプトで29年間大統領職にあり独裁政権を維持してきたムバーラクも2月には去った。チュニジアの隣国であったリビアも、ジャスミン革命の影響を受け、2011年2月にはガダフィ(カッザーフィー)退陣を求める大規模な反政府デモが発生、内戦状態へと突入、NATOの軍事介入を招いた。10月20日、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の独裁者であったムアンマル・アル=カッザーフィーがシルトにてリビア国民評議会軍の攻勢を受け拘束、その際に死亡した。アラブ世界における、長期独裁政権に対する反政府運動と民主化ドミノは継続中だが、イスラム原理主義の台頭など、“アラブの春”は未だ遠い。
5月2日には、9.11アメリカ同時多発テロ事件等の首謀者とされてきた、アル・カーイダ最高指導者、ウサマ・ビンラディンがアメリカ特殊部隊によって、パキスタンのアボッターバードにて殺害、事実上アメリカによる処刑だった。そして、記憶に新しいところではあるが、12月17日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の最高指導者、金正日総書記が死去した。

2月、ニュージーランドのクライストチャーチでM6.3の地震が発生、富山外国語専門学校の生徒12名を含む日本人28人が亡くなった。多くの記者たちがニュージーランドに入ったが、取材の折、「facebookをやっていないと(被災者と)コンタクト出来ない。」と話していたのが記憶にある。先のジャスミン革命もそうだったが、SNSツールは、最早、電話と同じように必要不可欠なコミュニケーションツールになった。
そんな折に、今度は、3月11日、日本で東北地方太平洋岸沖を震源とするM9.0の地震が発生した。

3.11、当初気象庁はこの地震のマグニチュードを7.9と速報したが、後に8.4、8.8、3月13日には外国の安定した遠地地形波データを用い9.0へと修正した。通常15分程度で算出できるモーメントマグニチュードだが、国内の広帯域地震計がほぼ振り切れたため対応できなかったと言う。如何にこの地震が、巨大だったかがわかる。

2000年代になってから、869年(貞観11年)の宮城から福島にかけて太平洋沖で発生したM8.4の貞観地震が知られるようになり、3.11はこの再来と言われているが、一方で、その後の調査結果から、今回と同程度の巨大地震は紀元前390年頃、允恭天皇年間(430年頃)、貞観11年(869年)、明応年間(1500年頃)と過去4回発生しており、再来間隔は450 - 800年程度と推定する報告があった。東北地方太平洋沖地震発生後に海溝型地震の長期評価見直しを進めている政府の地震調査委員会は2011年11月24日、津波堆積物の調査結果を反映して、紀元前4~3世紀頃、4~5世紀頃、869年の貞観地震、15世紀頃、今回の地震の5回三陸から房総にかけて約600年周期で海溝型地震が発生していると認定、次回の地震規模はM8.3~9.0としている。同地震により引き起こされた大津波に起因して、福島第一原子力発電所は壊滅的な被害を受け、これが大規模な原子力事故へと発展、2012年を迎えようとする現在にいたって、未だ現在進行形である。
大気に漏洩した放射性物質の量は37京Bq以上と推算、4月12日、国際原子力事象評価尺度について、暫定的ながら、史上最悪と言われる、1986年ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所事故にならび、レベル7と評価されている。なお、2号機から放出された高濃度汚染水が含む放射性物質の量は、東京電力発表の水量と濃度に基づけば330京Bqである。単純比較はできないが、福島第一原子力発電所事故によって放出されたセシウム137は広島型原爆約168個分(6月時点)、チェルノブイリ事故の放出放射性物質の総量は約400個分だったと言われている。


平成二十四年(2012年)壬辰(みずのえたつ)

揺れた。まさに大揺れの2011年だった。
日本経済の低迷は、中産階級の没落にある。単純労働が高度経済成長を支えた時代は終わった。グローバル化によって労働が海外に流出し、“中流層”が担う仕事は失われた。だが、この世界の変化にも関わらず、“中流層”は、中流階級であり続けようとする、これが既得権への執着、つまり時代を膠着させている。かつて1億総中流と言われたように、“中流層”はこの国の圧倒的多数であるからこそ、民主的にはなかなかこの膠着からは抜け出せない。仕事をしながら、その多くが、仕事の意味を見いだせず、既得権保持、時代の膠着の方棒を担ぐ、当然ながら、自己喪失感は増すばかりだろう。
そうして渇いた心を、3.11が揺るがした。そして、響いた。多くの人たちが、“人の心”を取り戻し、或いは取り戻そうと、被災地に向かった。多くの人たちが、元気を与えたいという思いで被災地を訪れ、だが、おそらく、むしろ、それより大きな何か“熱いもの”を貰ってきたのではないだろうか。人は人と繋がり、そこで何か、同じ夢を見たとき、心が震えたりするものだ。

大都会の、それも東洋一といわれる繁華街“歌舞伎町”において、地域の再生、街づくりということにかかわりつつも、やはり、心のどこかで、地域エゴの強い人たちとは思想的な衝突がいつだって違和感を与える。愛着のある人たち、街、それはそれで、大切にしたいが、一方で、東京の一極集中の、いわば象徴的な“新宿”という街が『一人勝ち』を目指す地域エゴ、理解はできるが、そんな“思想”は、必ずしも、この国を良くするわけがない。
個々の地域の個性が生かせる街づくり、一方で、他の街にある資源は資源として尊重し、犯さない、ある種の役割分担。都市間競争という言葉が私は大嫌いで、だから、歌舞伎町ならではのことは歌舞伎町でかまわない、だが、その資源はこの街でなくても・・というなら他の街に道を譲る。東京と東北の関係もそうだ。いや、むしろ、東京は、もっと生きにくく、商売も難しい、資金調達も困難な、負荷の強い街でよい。その分、例えば環境に配慮された首都として、インセンティブがあればいい。一方、地方都市には、もっと自由が、チャンスがあるような、そんな関係性の中で国家が設計されていくほうがバランスのいい国家になるのでは、そんな思想の中で、故に、歌舞伎町のような繁華街は、だからこそより規律的であって良い。規律的で不自由でなお、それでも生き残れる者だけが残る、それが歌舞伎町の新たなブランド力を創り出す礎となる。だから、まだまだこの街を、行政も警察も、甘やかしてはならない。

あの3.11、雪の降る中、ずぶ濡れた服のまま、孤独に救助を待った人たち、彼らが過ごした長い夜の寒さは、今朝の東京よりなお寒い。私自身も、5月、そして12月に被災地に出向いた。また、この1月、原発から20kmの福島・川内村に行くことにしている。

「壬辰(じんしん)」、干支を見るに思い浮かぶは、ともに女偏を足せば「妊娠」。2012年は自然の摂理に習い、これを経て、2013年の癸巳(きし)には、母は“枯れ”、子が“生まれる”、という感じか。
2011年の年度末、各企業は大手を振って赤字決算とするだろう。その分、実は、2012年度を迎えて以降、身軽になったりもする。だから、春にはどうにか時代は動き始めるかな。枯れる“母”が既得権益と、その中流層であり、2012年の“妊娠”から13年、誕生が、いわば新しい価値観へと、思想の進化の時代へ、となればいいのだが。

動く前に、今は、じっと考えている。どう動くべきかと。世界を動かせるものほど、力があるものほど、今は考えている。そういうものだ。

「壬辰」から「癸巳」と来て、なるほど、干支は2004年から13年の、この10年を『十方暮』だったことを示している。『十方暮』或いは『十方闇』とも言うが、途方に暮れるの意、四方八方十方塞がり、天地の気が相剋して、万事うまく行かない凶日のこと。そして、十方暮は「癸巳」にて終日、つまり干支は2013年に闇を抜けるを表す。となると、“闇”はあと2年か。だが、どうせ変わらざるを得ない、世界も、この国も。変わるならば、“闇”ではなく、“光”のある希望の時代へ。

▲2012.1.1 7:34 日の出は6:50予定だったが、雲がかかり、忍耐を求められた今年の初日。7:34、かろうじて雲の合間に一瞬太陽が覗いたので、これを初日の出ということに。2011年に起きた様々な事が、現在進行形のまま迎えることとなった2012年を象徴しているかのようだった。▼2012.1.1 0.34 新宿花園神社、初詣風景。


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1月12日(木) 歌舞伎町商店街振興組合 平成24年「新年の集い」より [季節]

1月12日(木)、日本料理「車屋本店」にて、恒例の歌舞伎町商店街振興組合・平成24年「新年の集い」が開催された。来賓としては中山弘子新宿区長をはじめ、海江田万里衆議院議員、吉倉正美東京都議会議員、吉住健一東京都議会議員、宮坂俊文新宿区議会議長、須藤國夫新宿消防署長など、来賓・組合員合わせて107名が参加。

冒頭、会の主催者として片桐基次氏(歌舞伎町商店街振興組合理事長)より挨拶。

「昨年は、本当に大変な年でありました。東北の大震災で、亡くなった方が本当に大勢いらっしゃいまして、また、福島原発という、考えてもいなかった原発事故が起きてしまいました。そういう中で、被災された方々に対しては、心よりお見舞い申し上げます。
歌舞伎町においては、昨年は、いろいろな事がございました。原発事故、震災の影響で、不況の風が、歌舞伎町全体、日本国中吹き荒れたのですけど、歌舞伎町も、その中で、強いアゲインストの風が吹きまして、皆さん、事業を本当に苦労されたことと思います。その中で、歌舞伎町としては、昨年、臨時派出所という、靖国通りにありました警察の派出所でありますけど、これが、組合に返還していただきまして、『安全・安心ステーション』として、今、なっております。今、町田防犯部長を筆頭に、頑張っていただいております。また、警察官OBの田中さん、逸見さんが、歌舞伎町の治安を一生懸命担っていただきまして、まことにありがたいと思っています。また、パトロールに参加していただきました組合の方々、また、新宿区の方々に対しても、御礼申し上げます。
また、7月になりまして、これは喜ばしいことではございますけど、ようやく、コマ劇場の跡の、東宝の再開発が発表されました。歌舞伎町にとっては、待ちに待った計画発表でありまして、私の感じるところでも、その発表があった後、歌舞伎町に対して、企業の方々、出店される方々の『芽』が、良い形で出てきまして、お店を開店される方が、今増えてきてまして、歌舞伎町では、活気を取り戻そうとしているところです。街としては、この計画、再開発が、2015年春に出来上がるということで、なんとしても、それまでに、歌舞伎町として新しい体制を整え、出店を目指す、そういう事業をしていかなければといけないと思っております。
それが、我々の、基本の形でありまして、もうひとつは、歌舞伎町の安全安心。本当に、客引きが多くて、それぞれ、お店の秩序というか、乱れて、自分勝手にお客さんを引いていくというようなものが多く見られています。これは、歌舞伎町だけではなく、新宿駅周辺9商店街の方々とお話をさせていただきましたが、まさしく、好き勝手やってる居酒屋さん、歌舞伎町ではホストとか風俗のお店があるのですけど、これをなんとしても無くしていこうと、新宿駅周辺の形においては、違法な連中をどうやって排除していくかというのが、大事なことでありまして、今、安田新宿東口商店街振興組合理事長に会長になっていただきまして、新宿駅周辺安全・安心の実行をする会というのが立ち上がりまして、9商店街が団結し、どうしてもこれを無くして行こうということで、頑張っています。
また、東宝さんのお話に戻りますけど、東宝の再開発には12スクリーンの最大級のシネコンが出来るということと、それから、30階建て、1千室のワシントンホテルさんが入っていただけるという事が発表されましたので、なんとしても、歌舞伎町は『観光の街』という顔を持っておりますし、昨年、(ミシュランガイドで)二つ星をいただいて、海外から見る歌舞伎町は、本当に歌舞伎町に来たいということで二つ星をいただいたのだということで、多くの外国の観光の方々に来ていただきたい。ワシントンホテルが出来る中で、歌舞伎町は大型バスが入るスペースというか、余地が無いんですけど、新宿区の皆さんと図って、大型バスの導入が、どうやったら出来るのか、今、協議会を立ち上げて頑張っているところです。
それと、もうひとつは、それができるまでの間、セントラルロード、周辺の広場、再開発周辺の再生と言うんですかね、新しく道路をおさえようということで、今月の終わりのほうから、その協議会が立ち上がりまして、街と区、それから事業者である東宝さんが入って、綺麗な形でその道路(整備)をやって行こうということで、これからそういう話がまいります。我々街としても、一生懸命頑張って行きます。組合員の皆様におかれましては、行政の方にお願いして、なんとかしてしていただくという形でありましたけど、やはりこれからは、それだけではなく、街の人間が立ち上がって、街が綺麗にしなければ、我々が綺麗にしなければ、やはり、出来ないんだということを解っていただいて、是非、歌舞伎町商店街振興組合に対し、ご協力していただきたいと思っております。」

原稿もなく、自分の言葉で喋られ、若干まとまりの欠ける文章になっているので、要約すると2点、重要な発言がありました。要点として①新宿駅東西9商店街(安田真一会長:新宿東口商店街振興組合理事長)による『新宿駅周辺安全・安心を実行する会』が発足、客引き対策等体感治安向上のための具体的なアクション(安全・安心条例などの制定を含む)をスタートしている、②歌舞伎町のける大型バス導線を検討する協議会が近々発足、地区・都市計画として、セントラルロード、シネシティ広場等を含む道路の再整備・新設などインフラ整備を検討していく。

来賓代表として、中山弘子新宿区長から挨拶。

「歌舞伎町と言えば、誰でも知っている、世界でも通用する、そうした街です。新宿は、やはり、多くの皆さんにおいでいただいて食べている街です。多くの、海外から来る旅行者の方々がガイドブックとして使っている、ロンリープラネットという中で、歌舞伎町とうのが、人気の街ということで紹介されておりまして、その紹介のされ方は『安全で面白い街』、そういう風に紹介されています。私は、そういったことを嬉しく思っております。
東京都が、観光客の入込調査、これは昨年3月の東日本大震災に行っておりますので、観光客については、福島第一原発事故の影響というのは非常に大きくて、残念ながら傾向が変わっているところもあると思いますが、何といっても、一番多く東京で観光客が来た街は、ダントツに新宿なんです。浅草でも、渋谷でも池袋でも銀座でも六本木でもなく新宿でして、そして、且つ、最も満足した街もダントツに新宿です。ですから、今、経済環境が悪い中で、皆さん大変ご苦労されていると思いますけど、新宿が持つ多様性、新宿が持つ猥雑性も力としながら、元気に、今年こそは良い年にしたいと思います。
そして、この歌舞伎町は、コマの建て替えもいよいよ始まっているところですし、それから、今年は辰年、昇り龍の年ということで、龍は龍神様といって、水の神様ですけれども、歌舞伎町には、昔、ここにも鴨池があったというような由緒あるところでして、やはり龍が、水を得てというような話にありますように、私が皆さんが、これまで、いろんな形で、歌舞伎町タウンマネジメントの取り組みや、振興組合のそれ以前にまず、この街を、安全で安心で、多くの皆さんにおいでいただける街として取り組んでいることに、力いっぱいバックアップをしてまいりたいと思います。
そして、この街が、多くの皆さんに来ていただいてこそ、またこの街はどういう位置関係になってきているかと言うと、東新宿の駅を近くに、また、多文化共生の街・大久保からの人が歌舞伎町2丁目に入り、そして東口のほうでお買い物もしていくというような、大変『立地』もいいわけです。ですから、長い目で、そして、日々、私たちの、この街に求められているニーズを先駆的に掴む努力をしながら、良い街にしてまいりましょう。
私は、歌舞伎町が新宿の、ある意味では『力』であり、新宿のイメージを決めている、そうした歌舞伎町の活発な活動に心から期待をし、そしてこの1年が良い年となりますように、歌舞伎町の、この街が持っている記憶は“民で街づくりをした”―区画整理事業を民でやった最初の街です。新たな担い手として、入ってきていただいている方も多い。そうした歌舞伎町に、これからも、ますます、皆さんとともに仕事ができるように心からお願いを申しあげ、挨拶とします。」

まず、前述、片桐基次氏の挨拶の要点①「新宿駅東西9商店街(安田真一会長:新宿東口商店街振興組合理事長)による『新宿駅周辺安全・安心を実行する会』が発足、客引き対策等体感治安向上のための具体的なアクション(安全・安心条例などの制定を含む)をスタートしている」についてだが、セントラルロードにおいて限られた時間における限られた範囲での、限られた財源によるパトロール活動は、ある程度の効果を証明してきた実績がある。青灯交番化し、警察OBを約200万の予算で雇い、さらに組織化した2011年、これを新宿駅周辺9商店街全域で連携し、場合によっては行政からの予算的支援を得て、なるべく広いエリアを大人数で、また警察の道路使用許可の運用範囲にも民間が干渉し、必要に応じて、理念的ではない実務的な条例化も検討しようというもの。商店街として、これまで長く懸案事項であり、且つ、その場しのぎの短期的な対処はやってきたが、実際のところ有効な手立てが打てずにきた、この客引き問題について、今度こそ、着地可能なアクションをする、ということ。

「②歌舞伎町のける大型バス導線を検討する協議会が近々発足、地区・都市計画として、セントラルロード、シネシティ広場等を含む道路の再整備・新設などインフラ整備を検討していく」についてだが、以下リンク参照※東宝㈱、新宿コマ劇場・新宿東宝会館跡地再開発計画(新宿東宝ビル)を発表、2015年春竣工(予定)基幹テナントはワシントンホテル(9-31階)と最新鋭シネコン(3-6階)地上31階建高さ130m(2011/7/11記)、現実として、実は、何も決まっていないに等しい。と言うのは、東宝の再開発事業における最大の課題は大型バスの導線確保にあるのだが、これが今以って、東宝はまったく解決策を見いだせないでいるという事実。当初から課題であったことは、東宝との話し合いの中で認識はされていたのだが、現実は、東宝はこの問題を、これでも甘く見ていた、と言わざるを得ない。またか・・という感じだが、その関係で、東京都の建築許可はおろか、藤田観光とのテナント契約ですら座礁する可能性も残っている。

一方で、こういう言い方はなんだが、震災を理由に“大幅減益”を、ある意味堂々とできる今期を上手く乗り切り、来年帳尻合わせ、再来年あたりに再開発着手をもくろむのが、旧コマ劇場の広場を挟んで真向かいに位置する新宿TOKYU MILANOビルを所有する東急レクリエーション。東宝が大型バスの導線で苦しんでいる間に、東急は西武駅前通りに面しているという立地の利を活かし、あわよくば親会社である東急電鉄の財政的支援を受け、ワシントンホテル以上のランクのホテルを基幹テナントとした“大型バス導線をもつ”複合ビルの再開発を目指している、と見られる。企業と言うのは生き物で、個人の意思はあまり関係なく、経済的状況が悪ければ消極的選択へと向かうは必然で、東宝は、そういう意味では、個人の責任ではないけれど、あくまで個人的な意見として、計画の“思想”において、ミスを犯している、と言い切れる。このことは、公式な発言にはないけれども、明らかに、関係者の中では、すでに認識されていると見てよい。

ビジネスなのだから、東急レクリエーションの上手な隠れ“単独行動”は、利が叶っているとはいうものの、だったら、なんで、どちらかが『頭を下げてでも』一緒にやらないのか、と思わざるを得ない。企業プライドという厄介な壁がそこにはあるわけだが、そこにはまだ、付け入るトコロがあるとも言えそうだ。区長の発言「“民で街づくりをした”―区画整理事業を民でやった最初の街です。」は、当然ながらある意図を持った言葉である。おそらく、客引き対策で条例化を含め、財源も公共に求めることに対する『牽制』であり、政令化や公共財源の投資となった場合の行政の責任回避とも言えなくもないが、行政はあくまで『民』の後押しであって先頭に立つべきではない、行政が先頭に立てば、歌舞伎町の、或いは新宿の“良さ”“魅力”を結局損なうことになりますよ、或いは、損なわざるを得ないことになりますよ、という示唆でもあるのではないか。だからこそ、民間で越えるべきハードルは民間で越えてほしいという思いを感じる。それぞれに一理ある官民が、どう“丁度いい”落とし所を見いだせるか、新宿の東西9商店街という事で、勿論より複雑になった面もある、調整にあたることになる城克氏(歌舞伎町商店街振興組合事務局長)あたりの手腕にかかる負荷は大きい。

さて、歌舞伎町商店街振興組合は、自らが“街”であると自負しているが、その自負にふさわしい決断と行動を示せるかどうか。意外と、実感が無いような分かっていないようだが、唯一の民意の担保ということで、どちらかと言うと利用されてきた側面が多かったとはいえ、事実上、“民意”という最強の武器を持っていることを、今こそ“正しく”大いに使うべきだろう。そのつもりで9商店街の協議会立ち上げまではこぎつけたのだから。おそらく、このまとまりを、今もがいている東宝も藤田観光も竹中工務店も、そして東急レクリエーションも、或いは行政さえ、望んでいるのではないかな。以前プレゼンし、一度は消えた(作成した模型はTMOの倉庫に今は眠っている)が、歌舞伎町補完計画(案)(※facebook 歌舞伎町ページに掲載)、実は意外に、まだ死んでいない気がしています。


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4月6日(金)福島県双葉郡川内村にて「平成24年度川内幼稚園・小学校・中学校合同入園入学式」が実施。音楽家・古川琴子らとともに、新宿の仲間たちと参加してきました。 [季節]

2012年4月6日、福島県双葉郡川内村にて、3.11震災以来、福島第一原発事故に伴う全村避難を余儀なくされ、閉鎖となっていた村の保育園・小中学校が、1年ぶりに再開。1月末の"帰村宣言"に続く形で、この春「川内村教育再開式」と銘打ち、川内村コミュニティセンター大ホールにて、平成24年度川内保育園・小学校・中学校の合同入園・入学式が実施された。
東京から音楽による支援として駆けつけた、音楽家・古川琴子が入退場を演奏。なお、式に続いて、合同入園・入学式の入退場を演奏した音楽家・古川琴子のミニコンサートが行われた。古川琴子(ピアノ・ヴォーカル)、あんり(パーカッション)、駒井朗(コントラバス)の3人編成、演奏曲は、「素敵なともだち」、ジブリメドレー、そして古川琴子のオリジナル曲「どんな未来も」「灯火」、最後に、来場の皆様や子どもたちとともに、遠藤雄幸川内村村長のリクエストでもあった「ふるさと」を合唱した。

4月6日、この日入学・入園したのは、川内保育園8人、小学校3人、中学校5人の計16人。原発事故前の入学予定者は小学校14人中学校17人の予定だったと聞いた。かつて、170名ほどの子どもたちがいた川内村、今年度、新入生を含めての児童・生徒数は保育園8人・小学校16人・中学校14人の計38人でのスタートとなる。川内村の人口はもともと約2,800人ということだったが、2月に訪れた時は約200人と言われていた。だが、この春、“帰村宣言”に伴う村役場や学校の機能復帰によってか「帰村人口は約500人を越えた。」と遠藤村長。

2012/4/6 平成24年度川内保育園・小学校・中学校合同入園入学式

[INDEX]
00'02"新入生入場 ♪Summer 演奏:古川琴子
01'42"開式の言葉~川内村小学校教頭
01'58"国家斉唱
03'00"入園・入学生徒 川内保育園8名
03'29"入園・入学生徒 川内村立川内小学校 3名
03'48"入園・入学生徒 川内存立川内中学校 5名
04'14"教育長 励ましの言葉 福島県川内村教育委員会 教育長 石井芳信
08'00"校長挨拶 川内村立川内小学校 高島仁校長
10'05"校長挨拶 川内村立川内中学校 高浜俊彦校長
12'48"村長挨拶 川内村村長 遠藤雄幸
18'15"職員紹介 川内保育園
18'58"職員紹介 川内小学校
21'12"職員紹介 川内中学校
22'49"誓いの言葉 川内中学校1年 遠藤遙奈
24'11"校歌斉唱 川内小学校
26'01"校歌斉唱 川内中学校
28'21"新入生退場 ♪エトピリカ 演奏:古川琴子

2012/4/6 古川琴子ミニコンサート 於:川内村学校等再開を祝う会

[INDEX]
01'24"♪すてきな友達
04'20"メンバー紹介(Percussionあんり Contrabass駒井 朗)
06'07"♪ジブリ・メドレー
14'35"「どんな未来も」 作詞 古川厚子 作曲 古川琴子
19'04"「灯火」 作詞・作編曲 古川琴子
25'00"♪ふるさと (合唱)

福島県双葉郡川内村は、村の中心が福島第一原発から約20kmのところにある。3.11の震災に伴う福島第一原発事故により全村避難を余儀なくされるも、昨年9月には一部警戒区域の指定も解除された。
福島第一原発から30km範囲内に全村が入っているものの、“村中心部(福島第一原発から約20km)の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルト、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている”ということで、今年1月31日に、村は“帰村宣言”を出した。福島県郡山に一時的に移されていた行政機能や教育・学校機能を川内村に戻し、帰れるものから村に帰ろう、という声かけだった。全域が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定されていたが、4月1日には警戒区域が解除、それまで村の半分近くを占めていた警戒区域が、住民に引き続き避難を求める「居住制限区域」と、早期帰宅を目指す「避難指示解除準備区域」の2つに見直されることになり、いずれも立ち入りは自由となった。
「必然と言うには余りにも酷」(遠藤村長)と、過酷な試練を受けながらも、着々と“帰村”環境を整えようとする川内村から、心温まるニュースの発信をしよう、ということで、この4月、震災以降閉鎖となっていた各教育施設(川内保育園・小学校・中学校)が再開するにあたり、6日、「合同入園・入学式」及び「川内村学校等再開を祝う会」が催された。

話は戻るが、つい2月7日8日と我々は川内村に訪れた。昨年10月、歌舞伎町で開催された「第4回歌舞伎町農山村ふれあい市場」で川内村の商工会長である井出茂氏と知り合い、その中で、これからのことを含め、「鍋でも突きながら話そうよ。」ということになって、川内村へ足を運んだ。その時のことをきっかけに、我々のチームの一員で音楽家の古川琴子に、川内村教育長の石井芳信氏から合同入園・入学式での演奏の依頼を受け、というわけで、改めて新宿の繋がりでチームを組み、式及び会を支援するために4月6日、川内村を再び訪れることになった。

[合同入園・入学式支援チーム・メンバー]

「川内保育園・小学校・中学校合同入園・入学式」を終え、川内村村長室にて遠藤雄幸村長と今回のプロジェクトスタッフ。

◇演奏スタッフ
古川琴子(ヴォーカル、ピアノ)※2007年から歌舞伎町ミュージックプロムナードなどで演奏
あんり(パーカッション)※彼女のブログlife&spice
駒井朗(コントラバス)
◇バックヤード
橘川徳生(宣伝、メディア対応)※株式会社ウィンダム、2009年まで新宿エイサーまつりをプロデュース。ウィンダムに勤務する前は、日本原子力発電本社に勤務という異色の経歴をもつ。東海村の放射性廃棄物におけるバックエンドを担当したこともある。
弓田一徳(Ustream、VTR)※イグニッションllc代表、以前は新宿放送局のプロデューサー・ディレクター、2007年新宿区議選ネット政見放送仕掛け人。Ustremは先駆者のひとり。
大澤真輝(AD)※NPO法人グリーンバード副代表、グリーンバード歌舞伎町チームなどでお世話になってます。
高千穂純(PA、照明)
◇企画・製作
寺谷公一古川琴子

4月6日当日の取材マスコミは、宣伝を担当した橘川氏のおかげもあってか、50社を超えた。所謂“仕事”としてやったわけではないのに50社のマスコミの仕切りは大変だっただろう。自分の、新宿関係で培ったマスコミ各社も東京から足を運んでくれた。過酷な運命に晒され、だが、なおもそこから立ち上がろうとする川内村、「だからこそ、この福島から、明るいニュースがたくさん流れるようになれば、悩んでいる県や、世界で悩んでいる人たちに、必ず勇気を与えるはず。」(古川琴子)、これがボクらの今回のプロジェクトの目標。また、音楽は人を繋ぐツールになればいい、そこに多くの智慧やマンパワーが集まって、それらが必ず、まだまだ多くの課題を抱える川内村や双葉郡で生きるはず、だからこそ、今回のプロジェクトはその第一歩になればいい、と考えたものだ。

いつからか、ボクは、若い人たちに見せる『背中』を意識するようになった。ボク自身、自分がどんな人間であるかとか関係なく、自分の欲望に関係なく、ただ『正しく』生きること、それでもちゃんと生きていける証をたてようと、心に決めた時期があった。今、この国の未来に、あるいは世界の明日のために、ただ『正しい』ことをする。この国の未来、世界の明日はどこにあるのか、明らかだ。
「今日という日を迎えるまで、避難を余儀なくされ、辛い日々を送ってこられたことと思います。おそらく、家庭のこと、学校のこと、そして、自分たちの生活のこと、とても、いろいろ葛藤があられたことと思います。しかし、川内村で生活をする、川内村で生きると決めたからには、どうかお子さんには、今を生きている幸せ、そして、家族が一緒にいる喜び、支え合う大切さを、しっかりと伝えてほしいと思います。不安の中で生活してきた子どもたちは、家庭にとっても、そしてこれから、川内村の将来にとっても、不幸なことだと思います。子どもは、未来からの贈り物です。学校、家庭、その地域が一体となって、贈られてきたお子さんに、凛として軽やかな気持ちを育んで、近未来へと贈りかえしてあげようではありませんか。」遠藤村長は挨拶の中でこう述べていた。また、子どもたちが、将来ある若者たちが見つめている我々大人自身が、その、生きる手本であらねばいけない。
今回のプロジェクト、その結果に対する評価や賛否もいろいろあるだろうとは思う。遠藤村長が言うように、「一歩目を踏み出すことが大事。」な半面、やはり、川内村の経済活動をはじめ、環境はまだまだ厳しい。除染事業も子どもが帰ってくる家の周辺を優先するなど、まだ途に就いたばかりだ。だが、大阪府ほどの広さをもつ双葉郡の中で、客観的に言って、最も機能している川内村は、或いは、双葉郡再生の拠点化していくことも感じている。そして、この地域の「再生」は、制度疲労日本の本質的な再生とリンクしていると思っている。ひとまず、報告として、このブログにアップしておく。前回の2月と同様に、“次の約束”は出来ずにまた、川内村を去ったボクらではあるが、デキルカギリを若干超えた面もあって、なので少し体力を戻し、改めて、再び次の機会を作れたらと思っている。

最後に、ボクらにとっては川内村の入り口となった、また、今回のプロジェクトの実現に奔走、スタッフの宿泊や食事の面倒までしていただいた川内村商工会・観光協会の会長井出茂氏(写真左端、井出さんが経営するお蕎麦酒房「天山」前にて)に感謝申し上げます。3.11以来、この春、このような形で再開を迎える学校等も多くあるかと思います。また、その場で何人かの音楽家たちが、似たような形で各所で明るいニュースを発信しようと演奏をしたかもしれません。その『何人か』の中に、古川琴子やその仲間たちを加えることができたこと、そういった機会を与えていただいた井出さんをはじめ、石井教育長、遠藤村長、何より、至らない我々のチームを寛容に迎え入れていただいた川内村の皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
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2012.11.1 区役所通りイルミネーション、点灯式より~ 歌舞伎町“冬の風物詩”区役所通りイルミネーションは11月1日より来年2月末まで、毎日16時~翌朝まで点灯 [季節]

2012年11月1日(木)第7回目となった歌舞伎町・区役所通りイルミネーション点灯式より~歌舞伎町“冬の風物詩”区役所通りイルミネーションは11月1日より来年2月末まで、毎日16時~翌朝まで点灯します。

―歌舞伎町区役所通りイルミネーション』は、街の有志の方々をはじめ、民間の寄付だけで運営されています


藤澤薫 NPO法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会理事長
「7回目、一口に7回めと言っても、結構苦労は多いんです。1回目が平成
18年に今頃で、点灯式をしたんですけれども、残念ながら、毎回毎回、イルミネーションの回を重ねるごとに、景気が右肩下がりになってしまいまして、ご寄付で成り立ってますこのイルミネーションの事業が、年々厳しい状況になっております。今年はとくに、肌身に感じて、その厳しさをひしひしと受けております。皆様のご協力なしではこういうことはできないのですけども、そのような中でも、毎年変わらずご支援ご協力をいただいてます多くの企業様、個人の方、それで、毎回なんですが見切り発車で、このように、7回目の点灯ができましたことを、心より感謝申し上げます。
今年も、去年に引き続き、ワイングラスの形にいたしました。7回目となりますと、1回目から使ってまいりました発光ダイオードの電球も古くなりまして、去年までは3mmというのが残ってましたが、今年は全て5mmの大きさになりましたので、ボリューム的には同じぐらいなんですが、光としては、去年より少し明るくなったのではと思います。
そして、現在私たちができる"最高"のモノでございます。もう少しいろいろ集まれば、ゴージャスになるのかもしれませんけど、これは皆様のこれからのご協力如何によって、8回目もできるかという非常に厳しい状態でおります。ですけれども、皆様にお願いをしなければいけないですけれども、まだまだ資金が集まっておりません。お気持ちの有る方は、この通り沿いのチェックメイトビルの8Fが事務所になっております。または、歌舞伎町、3Aの会で検索していただくと、このホームページがでてきますので、その中にいろいろ情報が入っております。
是非是非皆様、今後ともどうぞよろしくご支援のほどお願いいたします。まだまだご寄付を受け付けております。寄付のことばかり言って申し訳ないんですが、これが本当の実情なので、言わせていただきますが、とにかく、街が明るくなって、今度も『がんばろう日本~元気を歌舞伎町から~』というキャッチフレーズのもとやっておりますので、これで、日本中に発信して、歌舞伎町元気だぞ!といえるようになったらよいかと思います。」

【特定非営利活動法人 新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会】  
この法人は、広く一般市民を対象として、新宿歌舞伎町の区役所通りイルミネーションの装飾事業、美化推進事業、まちづくりに関する普及啓発事業、地域安全活動を行うことにより、汚い・暗い・怖いという3Kのイメージを払拭し、明るく・安心・歩きやすいという3Aを歌舞伎町のシンボルとしたまちづくりの推進に寄与し、豊かな社会生活の実現を図ることを目的とする。

【歌舞伎町区役所通りイルミネーションへの寄付】

■郵便振替口座を利用(所定の払い込み手数料が別途かかります。)
口座番号 00150-9-262182
口座名義
特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会

通信欄:「寄付金」とお書きください。
受領証をご希望の場合は、お名前とご住所を明記の上、通信欄に「受領証希望」とご記入ください。

■銀行振り込みを利用  (所定の振込み手数料が別途かかります。)
金融機関名 三井住友銀行
支店名 新宿支店
口座種別 普通
口座番号 3864302
口座名義 特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会

〔お問合せ先〕
特定非営利活動法人  新宿歌舞伎町区役所通り3Aの会
東京都新宿区歌舞伎町2-23-12 チェックメイトビル
TEL 03-3209-2238  FAX 03-3209-2459 (TEL・FAXともに株式会社チェックメイトとの共有になります。)


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