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消えていく昭和の面影 ― 歌舞伎町最後のキャバレー”ロータリー”が2月28日に幕を閉じます。 [その他]

1970頃_歌舞伎町キャバレーロータリーweb.jpg
1970年代当時、キャバレー最盛期のころのロータリー。あふれる客、生バンド演奏でダンスをする古き良き昭和の時代の、夜の社交場の景色がそこにはあった。

2020年2月28日、歌舞伎町、風林会館の6階、240坪のフロア面積を擁する”キャバレー”ロータリーが閉店します。昭和の匂いをそのままに、東京で最後のキャバレーが50年の歴史を閉じます。


経営者の吉田康弘さん、御年82歳。 「さすがに疲れちゃってね。」と、今や82歳という高齢でありながら毎日現場に立ち、一介のボーイと変わらぬ現役っぷりだった彼も、時代の変化に乗れず、50年の歴史を誇ったロータリーもいよいよその幕を閉じる日がやってきてしまった。歌舞伎町が繁華街になり始めた昭和33年ごろから約60年間、数々のキャバレーを渡り歩き、”伝説”のマネージャーと呼ばれた方です。今、歌舞伎町の水商売をされている方たちはみんな吉田さんの後輩みたいなものかと。



【キャバレーという昭和な小宇宙の話】

戦後の日本で、そもそもは占領下としていたアメリカ軍人を相手に慰安所的な要素を含む、ホステスが接待する飲食店として生まれた日本のキャバレー。日本の高度成長期に、その象徴だったネオンで煌びやかに装飾され、加えて、生バンドやショーを行うステージ、ダンスホールを伴う形の大型の店舗『キャバレー』が一世を風靡した昭和の時代があった。ハリウッドやハワイチェーン、歌舞伎町でもクラブハイツとかクインビーというお店があって、みな活況を呈していた。こうした大型店舗はだいたい自前の建物を持ってやってきたが、法の規制や建物の老朽化、時代の変化とともに姿を消し、東京ではついにこのロータリーが閉じると『キャバレー』は姿を消すことになる。グランドキャバレーといわれる1000坪を超す大型店もあった。クラブハイツも約10年前、2009年に閉店。(現在の新宿東宝ビルの敷地にあった)解雇されたホステスたちの多くがロータリーで働いていた。少し前、ロータリーに行き、この店で時折ステージをするクラブ歌手のはるか(伊藤はるか)さんが、キャバレーってこういうところよ、という話を聞かせてくれたことがあった。その日のはるかさんのステージは、美空ひばりの曲で始まり、〆も美空ひばりだったのをふと思い出す。

「お客さんにダンスをさせて、っていうのはあるんですけど、キャバレーって生バンドっていうのが本当は定義だと思うんです。だから、今のここ(ロータリー)はキャバレー風といった方が正しいかもしれない。」とはるかさん。「かつて華やいだキャバレー界も、今となっては、東京でキャバレーの"システム"が残っていたのは唯一ここだけになった。大阪にはまだ2軒、横浜に最近新店が一軒できたようだけど、それでも結局3軒しかないかなあ。」

キャバレーには三原則というのがあって、それははるかさんが言うには「音と色と香り」のことだと聞いた。音は音楽とか、色はネオン、香りは例えばホステスたちの香水の香りか。

「大きなお店にはたくさんのホステスがいて、中にはお客様と同郷のホステスがいたりもする。ある席から方言のイントネーションが聞こえたりする。その田舎臭さ、は香りの中に含まれるかな。音は、基本は生演奏ですよね。でも、そこにはセクシーダンスとか社交ダンス、私たちがするステージなんかもある。それと、昭和のキャバレーには必ずあった黒服(男性スタッフ)のマイクパフォーマンス。色とか香りだけならクラブとかほかの業態にもあるけど、"音"があるからこそキャバレーなんだよ、というのを会長(吉田さん)から教わりました。」

黒服とホステスがつくるお店。だからキャバレーは、ママがいて、のクラブとはだいぶ違った。  


店で黒服がたこやきを焼き、金魚すくいもあったり。ここはいったい何なのかよくわからないけど毎日が祭りのような感じで、どちらかといえば”ママ”が店を創るクラブは繊細で整然としてて女性っぽさが前面にあり、キャバレーは男性的なダイナミックさと、悪く言えばこういった雑さがあった。だが、その”雑”な感じが、実は居心地の良さを作っていた気もする。


クラブなどキャバレー以外の業態にもある"香り"というのは「キャバレーは最後にホステスとお客さんとの『ラストダンス』というのがあって、"ねえ、今度いつ来てくれる?"とか"今からどこか行かない?"とかのお客さんとの駆け引きが行われる。その時の、ホステスの化粧のにおい、香水の匂い、それがかつては非日常だったのね。そういう駆け引きの形は今じゃあまりなくなってきたけど。」そうして、男たちはわかってても、この香りで恋に堕ちたりしてきた。「キャバレーはお店が大きいのもあって、お客様が、自分は今日はどこの席のどの位置にすわろう、とか、クラブみたいに永久指名ではないので、今日はなんとかちゃんいる?みたいに、お客側に選択肢が多いのも特徴だった。」

キャバレーには、ママ的な方が何人かグループを作っていて、若いコたちを差配している風な感じのところもあった。「お客さんの好みに合わせたコを連れてきてテーブルにつける。そうすると、お客さんは満足して、喜んでまた次も来てくれた。」いろんな情報を黒服とホステスとが共有しながら席をつくっていく、そういった席の和が、小さなクラブがあちこちにあるかのように空間に広がっていたわけだ。


携帯電話の誕生によって、ホステスが直接お客の男性と連絡を取りやすくなって、黒服の役割は変化した。たぶんちょうどその頃から、こういう昭和の宇宙のような空間は衰退しはじめたのかもしれない。

歌舞伎町から、最後の昭和のキャバレー、ロータリーは無くなってしまいますが、その前にはるかさんの話が聞けたのはよかった。もう彼女と会えるお店はないかもしれないなと思うとやや寂しい気もする。あるいは、彼女に限らず、ここで働いていた多くのホステスたちとも、再び歌舞伎町の夜のどこか違うお店で会える日がくるのでしょうか。


ロータリーの営業は今日を含めあと2日。NHKの72時間(4月放送)、おはよう日本(3/1放送予定)、それ以外にGyaoの木梨さんの番組、テレビ朝日などが密着で取材に入ってます。皮肉にも、コロナ騒ぎはどこへやら、という感じで、ロータリー最後の週は相当賑わっているかと思います。東京"最後"のキャバレー、ロータリーの終幕を見届けてはいかがでしょうか。

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