SSブログ

歌舞伎町、初の上昇率1位 都内基準地価 前年比3.7%上昇 [まちづくり]

歌舞伎町、初の上昇率1位 都内基準地価 前年比3.7%上昇[東京新聞TOKYO Webより...memoФ]
都は十八日、土地取引の指標となる都内千二百六十八地点の基準地価(七月一日時点)を公表した。全地点の平均は前年比3・7%の上昇で、六年連続のプラスとなった。住宅地では交通利便性が高く、割安感のある荒川区などで前年に引き続き上昇。商業地では外国人観光客に人気のエリアのほか、区部に近い多摩地区の上昇も目立った。(森川清志)全調査地点の八割で地価が上昇。このうち区部は全地点で、多摩地区は六割の地点で上昇した。

【住宅地】

住宅地の平均上昇率は2・4%で、このうち区部は4・3%の上昇。区部の上昇幅は前年の3・3%からさらに拡大した。上昇率の最高地点は荒川区西日暮里四の10・1%。上位五地点は荒川、足立、江東区と都心周辺が占めた。都心は高値が続いており、前年に続き周辺へと広がった形だ。

多摩地区で上昇率が最高だったのは、商業施設が集積し、利便性が高い立川市曙町三の4・3%。上昇率の上位五地点にはこのほか、JR中央線の区部に近い武蔵野市の三地点や、高尾駅に近い八王子市の一地点が入った。

【商業地】

商業地の平均上昇率は5・9%。このうち区部は7・2%上昇し、前年の5・9%から上昇幅が大きくなった。

上昇率の最高地点は、外国人観光客らの訪問が多く、周辺の再開発も進む新宿区歌舞伎町一の20・0%。この地点が上昇率一位になったのは初めてという。ほかにも、浅草や渋谷といった外国人に人気のエリアが上位を占めた。多摩地区で上昇率が高かった地点では、JR中央線沿線の区部に近い武蔵野市が多かった。地価が最も高いのは、十三年連続で中央区銀座二の明治屋銀座ビル。一平方メートル当たり四千百九十万円で過去最高となった。

[東京新聞TOKYO Webより]http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201809/CK2018091902000122.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まちづくりは投資の誘導である、という思想をもってこの10数年やってきての、これは結果だと思えば、今回の事は、施策の成功を意味してると思います。客引きはいる、ヤクザもいる、融資はつきにくい、大分改善されたとはいえ、そういう状況下に於いてさえ、それでも日本一の地価上昇率というのはなかなかだと思います。固定資産の税収アップへの大きな貢献ということになります。公共財源投資のいい裏付けにもなります。区は都は、歌舞伎町にもっとお金を投資していい、その正当性が証明されたわけですね。


一方で、20%の公示価格上昇率というのは、家賃でいうと、歌舞伎町の場合、坪単価2万/月が3万/月になってもおかしくない状況ですね。50坪の飲食店であれば、年間600万のコストアップということですね。これが何を意味するか。


歌舞伎町"らしさ"の一部は、多彩な飲食業の在り方からきている。これは、おそらく家賃が他の地域、例えば三丁目などに比較して安いところに起因している。それが、結果として、変化していくことになるのでしょうね。利益率から考えると、例えば飲食より物販、あるいは、もっと仕入れコストや人件費を削れる業態のほうがいいということに繋がっていくかもしれません。居酒屋より、ドンキやドラッグストアのほうが、今の歌舞伎町にはあってきているということなのでしょう。歌舞伎町らしさの一つ、飲食業の多彩さに強いプレッシャーがかかりだしてます。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

2018/9/16 平成30年度 新宿十二社熊野神社例大祭 Shinjuku Juniso - Kumano Shrine’s Annual Festival [September 16th ,2018] [祭]


Shinjuku Juniso - Kumano Shrine’s Annual Festival [September 16th ,2018]
Digest Movie 38'16"

平成30年9月16日(日) 新宿十二社熊野神社例大祭(大祭式/宮神輿渡御/歌舞伎町睦町内渡御)より


旧角筈(昭和23年までの呼称、現在の西新宿から新宿駅周辺、歌舞伎町1丁目)13睦は、十二社の熊野神社の氏子で、毎年、秋のこの時季、新宿駅周辺はこの十二社熊野神社の例大祭でにぎわいます。
例大祭には表の年と裏の年が2回、3年の周期で繰り返されており、本年は表の年ということで、神社本殿で大祭式が執り行われたあと、本社二基の宮神輿(一の宮・二の宮)が新宿駅東西13睦の各氏子町を練り歩きました。十二社熊野神社は、先代の宮司が亡くなられ、新たにご長女の伊藤綾野さんが宮司になってのはじめての例大祭でした。


Shinjuku Juniso - Kumano Shrine’s Annual Festival [September 16th ,2018]

The district previously known as Tsunohazu spans from Shinjuku Station’s west to east exits (and even as far as Kabukicho).
Shinjuku Juniso: Kumano Shrine is in this area. The Kumano Shrine’s very dicult, and traditional way of carrying their portable shrine is called “Chidori Katsugi”, which has an important culture heritage.
Both “Chidori Katsugi” and “Yotsuya Katsugi” (of Suga Shrine, Shinjuku Suga) are very unique styles. The word “chidori” means a drunkard’s walk. “Chidori Katsugi”however, is a bit dierent, in that they walk with sliding feet.

Yan festival, once every 3 years.Yin festival, twice every 3 years.

Juniso Kumano shrine’s annual festival has a 3-year-cycle. In the Yan festival, 2 big portable shrines (1.5t each) parade around Shinjuku station. In the Yin festival, each area’s portable shrine parade around Shinjuku and other towns, the shrine associations unite, and a handful of portable shrines parade around Shinjuku station. The parade’s dynamic views are a pleasure to see.


熊野神社の担ぎ方は『千鳥』、千鳥足と言ってもふらふら酔っ払い歩きをするというわけではなく、鉦(チャンチキ)のリズムにあわせて小刻みに足踏みし、ちょこちょこ摺り足で進む感じなのですが、なかなかこれが、慣れないと難しい。また、神輿の先棒・花棒は肩で担ぐのではなく、首の後ろをつけ、腰を突き出し脚をぴんと張って千鳥足で進むところも特徴でしょう。
江戸前の「そいや そーれ」と違い、「おいさぁ ちょいさぁ」がこの担ぎ方の掛け声です。

荘厳な本社渡御の合間に、それぞれの氏子の各睦町神輿による町内渡御もこの15・16日の二日間にそれぞれ執り行われ、新宿全体が祭り一色になった二日間となりました。

◎本社神輿渡御御順路
11:00 大祭式(十二社熊野神社本殿)
12:30 御霊入れ式
13:00 宮出し~宮出し
13:25 角筈区民センター付近
~西新宿2丁目~都庁南~議事堂南~西新宿(甲州街道)~西新宿2丁目を左折
14:10 新宿モノリス前
~NTT西新宿ビル前を右折~新宿駅西口ロータリー~
14:50 明治安田生命新宿ビル前
~新宿西口ロータリー~小田急ハルク前左折(小滝橋通りへ)~大ガード西を右折(靖国通り)~
15:25 歌舞伎町(靖国通り)
~ゴジラロード~劇場通り一番街~
15:50 靖国通りを区役所通り入口にて右折
~モア5番街~バーニーズニューヨークを右折、モア4番街~高野前~
16:15 新宿駅東口
~柿傳(安与ビル)左折~大塚家具前を左折~新宿3丁目西~新宿通り
16:50 アルタ前
17:05 アルタ前出発
~大ガード(靖国通り)~※以降、撮影班は歌舞伎町睦の町神輿へ随行、宮神輿渡御の映像はここまでです。
17:35 新宿警察署前
~アイランドタワーを右折~
17:50 第一生命ビル前
18:15 熊野神社前交差点
~右折し鳴子坂下までを往復
19:40 熊野神社~
20:10 13睦による宮入道中
20:40 宮神輿渡御終了

◎歌舞伎町・町神輿渡御順路
13:30 出発式~宮出し(歌舞伎町弁財天神酒所)
さくら通り~靖国通り左折~東通り左折~区役所裏から区役所通りへ~風林会館前右折~花道通り往復~再びさくら通り入口左折~
14:15 籔花健前着
14:30 籔花健出発
~新宿東宝ビル前を右折~花道通り~アパ歌舞伎町タワー前を左折
15:00 シネシティ広場到着~本社神輿渡御へ

17:50 シネシティ広場集合
18:10 シネシティ広場出発
~一番街~第2東亜会館前右折~西武駅前通り~エスパス前を左折、えび通り~一番街へ
18:40 JAビル前到着
18:55 JAビル前出発
~一番街~靖国通り~
ゴジラロード(ここより"女神輿"渡御)~新宿東宝ビル前("女神輿"渡御終了)
~一番街~宮入へ
19:30 宮入(歌舞伎町弁財天)


本年は、従来渡御長として歌舞伎町の睦を仕切ってきた片桐真介ほか数名は宮神輿渡御に随行のため、歌舞伎町内での町神輿渡御は、LGBTの活動家でトランスジェンダーの杉山文野氏(とんかつ「すずや」)が今回はじめての渡御長を務めました。また、町内渡御の夜の、19時前後、ゴジラロード渡御では"女神輿"渡御を敢行、ここは柴本亜理砂が渡御長として仕切りました。鉦(チャンチキ)は手塚マキ氏、歌舞伎町のホストクラブSmappa Groupの会長で、この日は多くのホストを連れて祭りを支えてくれました。法被の貸し出し数が50だったから、そのくらいのホストが神輿を支え、LGBTの渡御長とあわせ、歌舞伎町のダイバーシティっぷりが発揮されてた気がします。

歌舞伎町睦の主要メンバーは持ち半纏で、担ぎ手の貸し出し用に別途約400着の半纏を用意しているのですが、それでも半纏が足りなくなるほど、多くの方々に参加いただきました。この9月の連休は各地祭りで賑わう季節ですが、その中、新宿熊野神社のお祭りにこれだけ多くの方々が来ていただけることはとてもありがたいことです。

映像に映しきれない多くの方々の下支えあってこそのお祭りでもあります。そうした皆さまを筆頭に、神輿を担ぎに来てくれた方々、そしてそれを見守ってくれた町内の皆様、来街者の皆様に深く深く感謝を込めて。
ありがとうございました。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

歌舞伎町が忘れてはならない記憶-2001年9月1日未明、44名の尊い命を犠牲にした歌舞伎町ビル火災、あれから17年が経ちました。 [その他]


9月1日午前1時。2001年のこの日この時間、歌舞伎町で44名の犠牲者を出す雑居ビル(明星56ビル)火災がありました。あの日から17年目が経ちました。現場は歌舞伎町劇場通り一番街(新宿区歌舞伎町1-18-4)、明星56ビルは今はもうなく、地権者も変わって、現在はここには低層の飲食店が営業をしています。
年毎に薄れていく記憶の中でひっそりと、この日も、数人の遺族の方たちが遠くからいらして、現場に花を手向ける姿がありました。働く側の人たちの入れ替わりも早く、また、観光地化が進むこの街で遊ぶ人たちも、働く者にも外国人は増えています。来街者はともかく、歌舞伎町で働く人たちの記憶からも最早遠い昔の出来事のように薄れつつある、17年という歳月が経ち、それもやむを得ないとは思いますが、2001年9月1日、44名の方が亡くなるという日本で戦後5番目の大惨事が歌舞伎町で起きた、この事件(事故)を振り返っておこうと思います。

◆2001年9月1日未明の歌舞伎町ビル火災◆

20010901歌舞伎町ビル火災現場.jpg

2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星(みょうじょう)56ビル」で起きた火災。44名が死亡し、日本で戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火と見られているが犯人はまだ不明。(2010年4月の改正刑事訴訟法成立後、公訴時効消滅)

◇新宿区歌舞伎町ビル火災の概要(消防資料による)

1 発生日時等
  発  生:平成13年9月1日(土) 調査中
  覚  知:     〃       01時01分(119番による)
  延焼防止:    〃       02時14分
  鎮  圧:     〃       05時36分
  鎮  火:     〃       06時44分

2 出火場所
  東京都新宿区歌舞伎町1丁目18-4 明星(ミョウジョウ)56ビル
  耐火4階建 地下2階地上4階 複合用途

建築面積 83.07平方メートル 延床面積 497.65平方メートル(建物所有者 (有)久留米興産)
着工    S59年10月 1日 使用検査 S60年11月22日

B2  76.78平方メートル 機械室、ニュークラブレイン
B1  74.60平方メートル カジノパラダイスクイン
1階 82.43平方メートル 風俗店無料案内センター
2階   〃           ナースイメクラ(セクハラクリニック)
3階   〃           ゲーム麻雀一休       
4階   〃           キャバクラ(スーパールーズ)

3 概要
3階麻雀店から出火し、4階飲食店に延焼拡大した。3階80平方メートル、4階80平方メートルで延焼防止。なお、出火時3,4階に多数の逃げ遅れ者がいた。
(特記事項)
屋内階段は1ヵ所かつ狭隘で、3階から4階の階段はロッカーが多数置いてあり、消防隊の活動障害となった。3,4階の階段の防火戸が開放されていたため、火炎の拡散が早かった。 

4 焼損程度
3階部分80平方メートル、4階部分80平方メートル、計160平方メートル焼損

5 死傷者
(1)死 者 44人(男性32人、女性12人)
(2)負傷者 3人(男性3人)

6 消防機関の活動状況
(1)東京消防庁
   救急特別第2出場 救急車 48、火災-第2出場 車両53、計消防車両 101台
    (内訳・救急48、ポンプ・化学25、はしご4、救助6、指揮車6、他12)
   職員 340名 消防団員 21名 計361名
(2)消防庁の対応
 9月1日(土) 
  01時40分 覚知、情報収集開始
  02時00分 第1次応急体制(予防課に災害対策室を設置)
  04時30分 第2次応急体制(消防庁次長を本部長とする災害対策本部を設置)
  05時30分 東京消防庁に予防課職員を派遣
  07時20分 現地に予防課職員を派遣
  09時00分 消防庁長官が現地を確認
  17時15分 第1次応急体制に変更
 9月6日(木)
  16時30分 第1次応急体制解除
7 その他(東京消防庁情報)
  火災原因については調査中

当時建物にいた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡。3階から脱出した3名が負傷した。ビル3階と4階のセクシーパブ「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため、この2フロアに特に煙の回りを速めたこと、また避難をしようとした客と従業員らが屋上に上がろうとしたものの、出入り口を荷物らで塞がれ脱出不能状態だったことなどが被害を大きくした原因とされている。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員。また、目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後不明。

◇裁判等その後の経緯(民事・刑事訴訟)◇

■民事:2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕。
明星56ビルは東京消防庁から使用禁止命令が出、さらに犠牲者の遺族がビル所有会社と6被告らを相手取って提訴した損害賠償訴訟の過程で保全処分が出されたため、そのまま残されていた。2006年4月18日、民事裁判について概ね和解が成立したため保全処分が解かれ、その後解体された。ビル管理会社「久留米興産」やビルの実質的オーナーの瀬川重雄被告らとの民事裁判は最終的に2007年3月2日に終決、被告側の支払い総額は約8億6800万円。

■刑事:業務上過失致死傷罪に問われたビル所有会社の実質的オーナー、瀬川重雄ら6被告の判決公判が行われたのは2008年7月2日、東京地裁で開かれた。業務上過致死傷罪に問われていたのは、瀬川、永井両被告のほか、ビル所有会社社長、山田一夫、3階マージャン店の元実質的経営者、伊沢義司▽元同店店長、松元輝二、4階飲食店元経営者、後藤雅之各被告。6被告はいずれも無罪を主張してきたが、一方検察側の主張は「被告らは防火扉の管理や避難経路の確保などを怠り、被害を拡大させた」と主張。瀬川被告に禁固3年、執行猶予5年(求刑禁固4年)、5被告を執行猶予付きの有罪とした。3階マージャン店関係者永井伸二被告は無罪。

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災を契機に、その教訓を生かすべく、その後消防法・火災予防条例等が改正された。2002年10月25日の消防法改正ではビルのオーナーなどの管理権限者は、より重大な法的責任を負うこととなり、防火管理意識を高めるきっかけになった。また、自動火災報知設備の設置義務対象が従来より小規模なビルにまで拡大され、機器の設置基準も強化された。とくに違反是正の徹底として、それまで消防の立ち入り検査にあった時間制限が撤廃され、また措置命令発動時の手続きの簡略化、検査員の権限強化、あるいは違反時の公表、建物の使用停止命令、刑事告発などの積極発動により違反是正を徹底。罰則等も強化され、従来の「懲役1年以下・罰金50万円以下」から「懲役3年以下・罰金300万円以下」に、法人の罰則も、従来の「罰金50万円以下」から「罰金1億円以下」に引き上げられている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定はされるものの、だとしたときの放火犯は未だ捕まってはいません。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターの状態が問題。故意に外され、放火なのか、外されてた(ガス窃盗)状態放置に加え、何かしらの故意・過失によるガス漏れに引火、さらにバックドラフトなどその他複合的な要因、オフレコながら「放火と断定しにくい」(警察関係者)など諸々不明確なまま年月は過ぎました。
ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であることで、ビルオーナーの瀬川重雄が加害者側の中心人物として裁かれたわけです。では、その管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失うのは当然と言えるかどうか・・ビルオーナーにも被害者的側面があるにも拘らず、未だ”出火”原因が特定されていない、放火かどうかも推定、加えて民事刑事両面での責任は巨大、故の、その後の、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのはある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感がずうっと漂ったままということもあわせ、遺族・関係者の気持ちを苦しめている、闇の濃い事件(事故)だなと思います。




歌舞伎町ビル火災で亡くなった中村沙由理(さゆり)さんは当時23歳でした。
2001年8月31日から深夜またぎの9月1日午前1時ごろ、ビル3階のゲーム麻雀店「一休」のエレベータ付近から出火。第一通報者はその後の調査により、携帯電話の発信履歴から4階「スーパールーズ」従業員の中村さゆりさん(当時23歳、この火災で死亡)と思われる。さゆりさんの遺族(母、すい子さん)によると、遺体は綺麗でやけどの跡はなかったという。被害者のほぼ全員が一酸化炭素による窒息死。写真は亡くなる10日ほど前に足利の自宅にて撮影したさゆりさん。彼女の携帯電話の履歴から、さゆりさんが第一通報者とみられている。1978年生まれ、あの時亡くなっていなければ今年で39歳


さゆりさんの実家は栃木県足利市、家業は建築関係の会社。「渡良瀬川に沈む夕日がとても綺麗で、それを見るのが好きだった。でも、公衆電話なんてないわよ~なんて言ってたわ。」とお母さん。さゆりさんは、市原悦子さんのファンだったそうで、女優になる夢を見て東京に出てきた。TVドラマのエキストラの仕事をしながら、しかし火曜サスペンスの湯煙シリーズかなにかの仕事でヌードになる仕事が入ってきたとき「ヌードはイヤ」と断ってプロダクションを転々としたことも。それでも養成所に通い、少ないギャラのエキストラの仕事で緑山のスタジオなんかにも行っていた。なかなか生活費を稼ぐのが大変で、そのため友人の彼氏が店長をやっているという歌舞伎町の「スパールーズ」でアルバイトを始めたと言う。当時、スーパールーズは歌舞伎町では有名な繁盛店のキャバクラだった。当時、さゆりさんには恋人がいて、「彼氏がいるんなら、結婚したら?」という親の声に「女優として自立するまで結婚は考えてないわ。少なくとも30まではね!」なんて言っていたそうだ。


スーパールーズを退店、しばらく実家に戻っていたが、店の方からどうしても人が足りないからと請われ、再びスーパールーズに戻る。そして、その直後、2001年9月1日歌舞伎町ビル火災が発生。火災は3F麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近から爆発音とともに出火、当時3・4Fの間の防火扉は周囲に置かれた酒瓶やモップ、お絞り等が置かれ機能する状態ではなかったため、火災の炎と煙をこの2フロアに一気に広がった。0:57、4Fのスーパールーズにいた中村さゆりさんの携帯の履歴から、これが第1通報だったと思われる。

「歌舞伎町なんですけど、火事みたいで煙が凄いんですよ、歌舞伎町一番街のスーパールーズ
です。早くきてください、出られない、助けて」 「火事です、今現場いっぱい、4階、もう避難できないんで早く助けてください。10人ぐらい。お願い」(9月1日午前1時前後のビル内からの119番通報)―そして消防隊が到着するも、建物の屋外階段は一箇所、それもロッカー等が置かれ、これが消防作業の障害になり被害が拡大。死者44名(男性32名、女性12名)、負傷者3名。日本で戦後5番目の大惨事となった。さゆりさんのいた4Fには28名の男女がいたが、全員急性の一酸化炭素中毒で亡くなった。




民事・刑事の各訴訟が終わって以降、歌舞伎町ビル火災の遺族会は解散、火災が放火によるものと推定、しかし仮に放火だったとすればその放火犯は未だ捕まっていません。
オフレコながら「放火と断定しにくい」(当時の警察関係者)という声もありました。警察・消防の検証により、出火点は3階階段踊り場東京ガスのガスメーターボックス至近であることは特定されています。が、ガスメーター本体はガス管から外れ、ボックス内の底面に直立した状態で発見されていることから、このガスメーターはおそらくガス窃盗目的で外されおり、では外されてた状態を管理者は放置していた、そこで何かしらの理由にで引火という可能性、加えてバックドラフトなど複合的な要因など諸々不明確なまま年月は過ぎてしまいました。また当時、警視庁捜査一課は、"犯人は中国人"というやや偏りのある情報に頼り、当時歌舞伎町にいた中国人を片っ端から逮捕、相当きつい尋問を行ったようですが、そのことが却って、最も情報を持っていたであろう"側"の捜査協力が得られなかったなど初期の捜査の在り方にはやや問題があったようにも感じます。
いろいろ特定できない中で、結果的には、ビル管理の状態の酷さがこの火災を大惨事にさせた主な要因であるとして、当時、このビルのオーナーだった瀬川重雄氏は加害者側の中心人物として裁かれました。管理の酷さ故にビルという大きな財産(自身所有の建物)を失ってまでも、彼は被害者ではなく加害者として裁かれたわけです。


この事件をきっかけに、ビルの管理責任が重くなり、条例も施行、それは、現実の歌舞伎町"浄化"作戦では有用な施策の一つとなってきました。しかしながら、私自身その渦中にいながらも、資産家で逃亡しないビルオーナーに責任を、というのは、どこか、ある種のスケープゴートではないか、という、もやっとした霧中感はずうっと晴れぬまま、17年が経ってしまったというか、闇の濃い事件(事故)だなと思います。

8月31日の深夜、今年も数人のご遺族の方たちが歌舞伎町に来られました。そして、あの"時刻"を前に、その"場所"に花を手向けました。ご遺族の方たちは、ちょっと笑顔で「また会いにきたよ~」と、亡くされた子どもさん、ご家族に向かって、言葉をかけます。以前は、当時22歳、26歳だった二人の娘さんを亡くした植田さんと、23歳だった沙由理さん(上記参照)を亡くした中村さんのお二人が遺族の代表としてマスコミ対応されていましたが、近年、中村さんの体調がすぐれず、今年は植田さん一人が対応しマスコミカメラに写っていました。「17年経ち、娘にできることは唯一、花を手向けること、事件が風化しないよう今後も続けていきたい」と話していました。記者たちと、亡くなった娘さんたちの年齢が、生きてたらちょうど近いというのもあってか、植田さんは、いつも記者たちにお土産をもってきてくれるのです。今年は手作りのティッシュ箱入れ、去年はコーヒーとかいただいたな・・年に一回の、バレンタインじゃないんだから~というと笑ってました。
日々、多くの事件、災害は起きています。歌舞伎町ビル火災のニュースバリューも小さくなってきているのか、今年はNHKと朝日新聞の2社が取材に訪れていました。でも、この2社は必ず欠かさず、毎年この事件の"記憶"を報道してくれる、それはありがたいなと思います。
良くなったところもありますが、多くの雑居ビルで変わらず危うさも残る「歌舞伎町」に対し、せめてその"心"がこの街の安全の礎になればという思いで、毎年同じ中身であっても、記事を残すために、年に一度、少しの時間ですが、ご遺族の方たちとここに集まり、軽く懇談、亡くなった方たちの思い出話とともに冥福を祈ります。


“歌舞伎町が忘れてはならない記憶”―とは書いたものの、遊ぶも働くも若い人の街の歌舞伎町、記憶が風化していく以前に、次第にこのビル火災を知らない人のほうが多くなっていく。取材カメラを見かけ、何かあったんですか?と聞いてくる人に、2001年に、こういうことがここであったと話しても、多くの人が「そんなことあったんですか?」というのが最早普通なのでしょう。「続けていきたい」とは言っても、"献花"もいつまでできるのか、亡くなった方々の記憶は変わらなくとも、17年という月日は、人を老いさせ、弱くもさせます。


歌舞伎町の建物の防火意識はだいぶ良くなったといわれるが、とはいえ、その多くが窓はあっても目隠しされてたり、内観や防犯上の理由もあるかもしれないが非常階段側の導線を閉鎖してたり、隠し扉のようになってたり、そしてまだまだ雑な管理の建物も多い。
記憶にも新しい、昨年末の大宮のソープの火災では5名が亡くなりましたが、歌舞伎町にとっても他人ごとではないのです。店舗型性風俗店(ヘルスやソープ)は禁止地域における既得権営業のため、風営法上構造変更ができません。そもそも客を逃がさない構造になっているうえ、2系統の避難経路をとなると建物からやらないといけない。火災予防、つまり命を守るための安全・安心施策が風営法のせいで何もできないのは異常、あの法律はダメだ、という声は、よく、消防のみならず警察の現場からも聞こえてきます。
歌舞伎町ビル火災のような事件・事故が再びおき得る土壌はまだまだ残っています。だからこそ、とくに歌舞伎町で事業を営む人たちには、2001年の、この場所であったことを忘れない、知っておいてほしいと思うのです。風営法だって変えなくちゃいけない。客だけではない、そこで働く人たちも被害に遭う可能性が常にあるわけですから。


未だ課題は多く残る、とはいえ、44名の尊い犠牲があって、少なくともこの10年強、ルールとして防火防災施策は強化されてはいきました。このことを重く受け止め、記憶のあるものはその記憶をつなぎ、二度とこのような悲惨な出来事が起きない、起こさないようにと襟を正す、歌舞伎町にとって9月1日とはそんな日であってほしいと願います。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース