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新宿・花園神社例大祭 令和4年5月29日(日)神幸祭渡御より [祭]



歌舞伎町は、かつての、淀橋区、旧角筈北1丁目の一部が現在の歌舞伎町1丁目(1948年)、旧西大久保1丁目が歌舞伎町2丁目(1978年)、四谷区旧三光町の一部が歌舞伎町1丁目1番地(1978年、現在のゴールデン街付近)からなっています。そうした旧町名ごとに、それぞれの神社の氏子となっています。旧角筈地区は新宿・十二社熊野神社、旧西大久保が鬼王神社、そして旧三光町が花園神社の氏子です。結果的に、歌舞伎町界隈では、これら3つの神社の祭りがあり、例大祭は、熊野神社・鬼王神社は9月、花園神社は5月に執り行われます。

コロナ禍にあって、5月開催ということで順番としてはこの3つの新宿のお祭りの先陣を切った花園神社。令和2年3年と神輿渡御は中止となり、3年ぶりに神輿が街に繰り出されるということで、撮りに行っていきました。


いつもとは違う、担がず、台車に載せての渡御となったわけですが。

コミュニティの隔絶、とくに世代をまたぐつながりが弱くなったと感じる昨今、今、絆を取り戻せるのは「祭」しかない、しかし、若い世代の祭りそのものへの関心の低さは、その親世代から引き継がれているとも思います。その親の、そのまた親世代だけが祭りを頑張っていてもしょうがないという印象はぬぐえませんが、とはいえ、そういうことを意識してるかどうかはともかく、「何かしないといけない。できることをやる。」と宮司の片山裕司氏。担ぐのか担がないのか、氏子衆も最後まで悩んだようですが、今回は神輿を今回はこういう形に。


神輿に神様が宿り、各町会を回る、祭りの内向きの在りようとしては、たとえ神輿ではじけられなくともコロナ禍ならではの趣もあるかと思います。祭りの形はどうあれ、まずは、祭りそのものがあるという姿を示すことは必要かと。感染症対策には祭りはどう繕っても抗いではあるでしょうが、より大事なものを守る、あるいは取り戻す、そのための抗いであればアリなはず。

新宿、とくに歌舞伎町界隈では、9月に熊野神社例大祭、一日ずれて鬼王神社が例大祭を執り行います。先陣を切った花園神社の神輿渡御がどのように実施されるのか、課題はなんなのか、ほかの神社の氏子衆も関心があったようで見に来ていました。まだまだフル稼働な感じではない新宿ですが、来年には神輿を皆で担げたとしても、それまでに皆さん1つ歳をとるわけで、ということを考えると、今年はリハビリ気分で、ハーフ、せめて宮出し宮入くらいは担いでもよかったのではないかというのは私の個人的な意見です。



花園神社の例大祭は、例年、5月の28日に一番近い土・日・月曜日に行われます。本年は「表の年」(※1年おき)、例年は、獅子頭や島田囃子を乗せた山車を先頭に、本社神輿と雷電神輿の二基が神社から靖国通り、新宿通り、明治通りを練り歩きます。新宿の神輿で、ひときわ美しい花園神社本社神輿は、一度戦災で失われ、後に氏子のみなさんの尽力により昭和55年、35年ぶりに復活したもの。台座幅は110センチ、高さ3メートル、重量1500キロのかなり大きなものです。二基ある本社神輿のもう一基、雷電は宝物殿に眠っています。令和6年には再びその勇壮な姿を見せてくれるのでしょうか。例大祭では、例年、宵宮から神幸祭の3日間、境内に約120軒の露店・屋台が軒を連ねます。花園神社ならではの「風物」、こちらは今年も賑わっていました。



The sacred place of Shinjuku Hanazono shrine(5-17-3 Shinjuku)

The Birth of Naitoh Shinjuku

Shinjuku used to be called “Naitoh Shinjuku”, or “Tsuibun Shinjuku” which means “the new accommodation area built in front of the property of Naitoh mansion”.

The time when Naitoh bestowed Shinjuku,the area was quiet, and despite being right on the main street, had no hotels. At the time, the area with hotels was Takaido, about 10 miles away from Shinjuku.

This was inconvenient for people, so Kihei Takamatsu (headman of Abekawa town, Asakusa) applied to establish hotels on Naitoh family’s property in exchange for government payments in 1698. That is why it used to be called “Naitoh Shinjuku”.

Hanazono shrine,the land of blooming culture.

Back in the day Hanazono shrine was supposed to be a big village shrine, and many people would visit for the sake of their religious faith. When it needed a restoration due to the big fires in 1780 and 1811, they added a stage for plays and dance shows. This was the beginning of the performing arts culture of Hanazono shrine.

After World WarⅡ, the town where Koshu Kaido and Oume Kaido cross became a place of energetic spirits.

In Japan, the origin of the entertainment business is said to have come from the shrines. Hanazono shrine is not an exception.



さて。

秋の神輿渡御はどのような形で実施するのか。十二社熊野神社のほうは、6月の総代会でその方針が示されるようです。

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