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「あなたを忘れない」-私たちは決して忘れない。あの日、あなたが“生きた”ことを- [映画・演劇・ライブ]

夢に向かってまっすぐ走ることを教えてくれたあなた
相手を大切に想うことが恋だと伝えてくれたあなた
そして、あまりにも早く人生を駆け抜けて行ったあなた
-私たちは、あなたを忘れない

いのちより大切な愛がある。日本韓国合作映画「あなたを忘れない」が1月27日(土)より新宿ミラノ3ほか全国にてロードショー

■人々の記憶に刻まれたあの事故から6年

2001年1月26日の19時過ぎ、JR新大久保駅のホームから酒に酔った男性が線路に転落した。日本語学校留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さん(当時26歳)とカメラマンの関根史郎さん(当時47歳)が、男性を助けようと線路に飛び降り、走ってきた電車に3人ともはねられて亡くなってしまった。

当時、李秀賢(イ・スヒョン)さんは父親がもともと日本に縁のあった方で、その関係で日本にやってきていた。荒川区にある日本語学校に通う留学生で、音楽が趣味(実際に韓国では兵役前に大学時代「無断外泊」というバンドをやっていた)、新大久保駅近くのインターネットカフェでアルバイトをしていたその帰り道にこの事故に遭遇。カメラマンの関根史郎さんは神奈川県川崎市出身のカメラマンで母と二人暮らし、Group K2というカメラマングループを拠点に動物や植物の写真や中国の人々の生活に密着した写真作品などがあったという。

救助を試みて亡くなった方々の1人が韓国人留学生であったことから、この新大久保駅乗客転落の事故は日本・韓国のマスメディアの間でも「殺身仁成」-身を殺して仁を成す-という儒教の精神に基づく英雄的行動として取り上げられ、当時の総理であった森喜朗前総理も弔問するなど大きな反響も呼んだ。当時、竹島問題などで冷えていた日韓の政治的な関係を融和する架け橋として政治利用された感は否めないが、事故で亡くなった李さんの追悼事業に意を同じくする日本人によって映画化が企画され、これを自民党国会議員を含む各界関係者達が映画製作をサポートして今回の公開に結びついている。

なお、新大久保乗客転落事故後の経緯であるが、犠牲者を追悼するプレートが新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された↑。なおその後救助を行った2名の遺族にも感謝状を進呈した。一方で、通常JRでは人身事故を起こした人間に対し、損害賠償を請求しているが、この事故では最初に転落した者に加えて救出しようとした2人にも請求しようとしたが、JRに非難の抗議が殺到し、結局2人には請求せず、最初の転落者の家族にのみ請求する形になったと言う。また、最初に転落した男性が駅構内の売店で購入した酒を飲んでいたことが判明し、駅構内における酒類販売が問題になった。ホームから人が落ちて列車に轢かれる事故は過去にも度々起こっていたが、この事故を契機にホームからの転落事故に社会的関心が高まり、ホーム上にいて危険を察知した場合に入ってくる列車を緊急に停車させることが出来る(といっても制動距離は非常に長いわけだが)「列車非常停止ボタン」をホームの増設、またその存在そのものが知られていないためにこれのPRなどが行われた。ホーム転落時に入ってくる列車から逃げることが出来る空間が無いことも問題視され、駅によってはホーム下を部分的にくりぬき転落時に逃げ込むスペースを作ったという例もある。

非常停止ボタン

さて、映画制作の話に戻ると、企画を立ち上げたプローデューサーの三村順一氏は、三回忌を偲ぶ会で、亡くなったイ・スヒョンさんのご両親に会いに行った。その時のご両親の言葉「普通の人間なら当たり前のことです」が、映画完成へのその後の長い道のりを支え続けてくれたとか。

 

命が消える前の7秒間の出来事

監督は、実話をもとにした作品を手掛けてきた花堂純次に決定した。花堂監督は、脚本を自ら手掛けることを希望、スヒョンさんのご両親と友人に話を聞くことはもちろん、日本で暮らす韓国人留学生など、約50人に徹底した取材を行った。さらに、事故に関する記事や目撃者の投書など、どんな小さな記事にも目を通した。花堂監督は「スヒョン君は、決して特殊な青年ではなかった」と語る。スポーツと音楽が大好きで、夢を抱いて前向きに生きる、好青年ではあったが、のちにヒーローになるような特別なエピソードがあったわけではない。
しかし、事故の目撃者から三村プロデューサーに届いた一通の手紙が、衝撃の事実を教えてくれた。スヒョンさんが電車に轢かれて亡くなるまでの最後の7秒間、向かってくる電車に両腕を突き出し、止まるようにと懸命な合図を送り続けたというのだ。7秒間……逃げようと思えば逃げられた時間。花堂監督と三村プロデューサーは、スヒョンさんの“魂”により重点を置くことを決意、実話に基づき、織り交ぜながらも、ドキュメンタリーではなく、魂を浮き彫りにするためのフィクションを書き上げることに決めた。

2000人の応募を受けて開催した韓国の公開オーディション

三村プロデューサーは「スヒョンさんはごく普通の青年だったという事実にこだわり、リアリティを大切にするためにスターではなく、新人を起用したいと思いました」。その結果、スヒョンさんの母校、高麗大学で公開オーディションが行われることになった。応募数はなんと2000人、書類選考で残った60名のオーディションが始まった。明らかに飛びぬけて輝いている、審査員全員がそう感じたイ・テソンが選ばれた。テソンは3本の映画に出演している注目の新進俳優で、実は祖父が日本で俳優をしていたという。「祖父と父が大阪に住んでいたことがあるという設定のこの役には、彼も大いに思うところがあったでしょう」と三村プロデューサー。

■STORY

出会い──東京の真ん中で、空から歌声が降ってきた

その日、マウンテンバイクにまたがって、東京の路上ライブを巡っていたイ・スヒョン(イ・テソン)は、一人の女性の歌声に足を止めた。激しさと寂しさが同居する艶やかな声の持ち主は、ストリート・ミュージシャンの星野ユリ(マーキー)。しかし、ユリとバンドのメンバーたちは、因縁をつけてきた男たちとトラブルになり、思わず割って入ったスヒョンも巻き込まれてしまう。ユリの音楽仲間の風間(金子貴俊)の車に拾われ、彼が店長を務める小さなライブハウスに連れて行かれるスヒョン。その店の経営者であるユリの父親、平田(竹中直人)はなぜか韓国人嫌いで、スヒョンは激しい嫌悪をぶつけられる。

友情の始まり──知らないことが多すぎる互いの国のこと

スヒョンは25歳、故郷で兵役を終えた後、留学生として日本にやって来た。祖父と父が大阪に住んでいた縁もあり、大きな夢と出会えるような予感を日本に抱いていた。ユリは21歳、バイトをしながら音楽で成功することを夢見て、路上ライブを重ねていた。両親が離婚してから父とはケンカばかりで、高校の同級生のミルキー(浜口順子)とアパート暮らしをしていた。翌日もユリのライブに現れたスヒョンは、彼女を新宿のコリアンタウンに案内する。半年前まで名古屋に住んでいたユリが、街並み以上に驚いたのは、スヒョンがサラリと口にした一言だった。「韓国では家族が大切です」

心の絆──音楽ならわかり合える、歌なら通じる

父と娘はよく似ていた。すぐカッとなるところも、頑固なところも。ライブハウスでのトラブルから、ひどいケンカをしてしまう2人。ユリが歌を始めたきっかけは、争ってばかりいた両親が、彼女が歌うと笑ってくれたからだ。そんな家族も今はバラバラ──もう歌いたくない。落ち込んだユリを励ましたのは、やはり音楽だった。故郷でバンドを組み、ギターを弾いていたスヒョンが、留学生のパーティでユリの曲を演奏した。舞台に誘われて歌いだしたユリは、スヒョンの魂に自分と同じスピリットが流れていることを感じ取る。「なぜプロにならなかったの?」「両親のために人のやっていないことで一番になる。ギターじゃ世界一になれないからね」

友情から恋へ──大切なことを教えてくれた、あなた

スヒョンは、マウンテンバイクで富士山に旅立つ。誰もやったことがないことをやり遂げると宣言して。しかもその後、名古屋から大阪へ行くというのだ。「ユリが歌えるのも、ユリのお父さんとお母さんがいたからだろう?」スヒョンの真っ直ぐな言葉が胸に突き刺さったユリは、名古屋でスヒョンに合流する。半年前に出て行ったきり電話もしていない母、史恵(原日出子)に会いに行くのだ。友人の五月(大谷直子)が経営する託児所で元気そうに働く母に、感謝の気持ちを素直に伝えるユリ。今度はスヒョンの祖父が暮らした大阪に向かう。
それぞれの原点を訪ねるこの旅で、2人の友情は恋へと変わるのだった。

初めてぶつかった壁──みんな、傷つくことが怖いのかもしれない

大阪で祖父の知り合いだったおばあさんと出会ったスヒョンは、日本で生きてきた韓国人の心を知り、自分のやるべきことが見え始めていた。大好きなスポーツや音楽で二つの国の架け橋になりたい、そんなスヒョンの希望を曇らせる事件が起きてしまう。マウンテンバイクに乗るスヒョンにタクシーが衝突したのだが、韓国人だとわかった途端にタクシーは逃げ、スヒョンが悪いかのように扱われたのだ。季節はちょうど年の暮れ、体も心も傷ついたスヒョンは故郷に帰ってしまう。しかし、初めてぶつかった壁は、家族の温かい微笑で簡単に崩れ去った。

新しい年──。
ユリの待つ東京に帰ってきたスヒョンは、再び希望に満ちていた。
インディーズバンドの決勝大会で歌うことが決まったユリは、夢が叶う一歩手前まで来ていた。
スヒョンがユリに贈った二つのプレゼント、魂のアーチという名のネックレスと、ユリのために書いた新曲。
それが最初で最後の贈り物になるとは、その時、二人は思いもしなかった……。

■CAST

イ・テソン(イ・スヒョン)
1985年生まれ。デドク大学卒業。2003年にドラマ「走れ、うちの母ちゃん」でデビュー。04年、『スーパースター カム・サヨン』で映画デビューを果たす。05年、『サランニ(親知らず)』で、双子の高校生役を一人二役で演じ、高く評価される。最新作は本作とは『暴力サークル』(06)。

マーキー(星野ユリ)
1987年生まれ。ORANGE RANGEの弟分としてデビューした沖縄県出身の6人組のバンド、HIGH and MIGHTY COLORのヴォーカル。高校生モデルとして活躍していた頃、アンチノブナガというバンドと出会い意気投合、HIGH and MIGHTY COLOR、愛称「ハイカラ」を結成する。“HIGH and MIGHTY”とは、“傲慢な”“高飛車な”という意味。誰にも媚びない、自分たちの音楽を信じて突き進む、そんな決意を秘めた名前。最新シングルは、「機動戦士ガンダムSEED DESTINY SPECIAL EDITION」のエンディングテーマ「遠雷~遠くにある明かり~」。本作が女優デビュー作。

■STUFF

花堂純次(監督/共同脚本)
1955年生まれ。84年、TVドラマの監督としてキャリアをスタート、「誘惑の夏」、「愛の嵐」、「華の嵐」、「失楽園」、「ホテルウーマン」、「永遠の仔」。2001年、「羊のうた」で映画監督デビュー、その後、ハリウッド・フィルム・フェスティバル正式招待作品『夢 追いかけて』(03)、“ヤンキー先生”でお馴染みの義家弘介原作の『不良少年の夢』(04)を監督する。
三村順一(プロデューサー)
1948年、福岡県生まれ。79年、大ヒット作『キタキツネ物語』でナレーション台本、作詞、チーフ助監督を務める。以後、「火曜サスペンス劇場」他、多数のTVドラマ、ドキュメンタリーで監督、プロデュースを手掛ける。88年に渡米し、90年代はアメリカ映画中心に活躍、94年~2000年にはAFMの会員となり、アメリカ映画の海外セールスを担当。03年に帰国し、『Deep Love』(03)、『不良少年の夢』(04)などをプロデュース。


プロデューサー/三村順一 山川敦子 杉原晃史 原作/辛 潤賛(シン・ユンチャン)著「息子よ!韓日に架ける命の架け橋」潮出版社刊 / 康 熙奉(カン・ヒボン)著「あなたを忘れない」早稲田出版刊
佐桑 徹著「李秀賢さんあなたの勇気をわすれない」日新報道刊
監督  花堂純次 /支援  文化庁 /配給協力  AMGエンタテインメント /ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給 ©2007映画「あなたを忘れない」プロジェクト/ワイズジャパン

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12月26日、“チーム「あなたを忘れない」”とでも言えばいいか、この映画のプロデューサーの一人である杉原晃史氏(AMGエンタテインメント株式会社代表取締役)と、映画の配給・興行面をサポートする株式会社東急レクリエーションの佐藤進氏(代表取締役会長)・会田郁男氏(専務取締役)らが中山弘子新宿区長のところを訪れた。

「一昨年、日韓交流年ということでいろいろやってきたのですが、やってみてわかったのが、必要性もあるし定着もしてきている。竹島の問題とか、日韓の難しい問題があるからこそ、そういう状況の中をほぐしていくのは文化交流であるとか人と人のふれあいではないかと思う。新宿には、人口の1割、3万人の外国籍住民がいる。その中でも1番多いのが韓国・朝鮮の方々で1万人を越えている。歌舞伎町の北側、大久保地域を中心にそういう方たちの暮らす場であり活動の場であり、そして日本における窓になっている。これを積極的な特徴としてプラスメッセージを発信できるような多文化共生の街づくりを進めていくのを新宿区の区政の柱におき、最近ではニューカマーといわれる人たちにも区政に参画していただけるようになってきた。」と中山区長。

以前問題になった、大久保小学校裏でゴミが山のように出るところがあったのだが、当初「外国人がルールを守らないから」と地域住民から苦情があり、その対策として区と地元の町会と協定を結んで24時間監視のテントを設置したことがある。しかし、これもやってみるとわかったのだが、捨てに来る人たちの半分は日本人だった。結局、同じようなライフスタイルを持っていて、アパートなどに住み地域に愛着も関心も薄い人たち、そして単にゴミがあるところに捨てていっているという実際の姿が浮き彫りになった。悪質なケースとしては事業系ごみを捨てに来る日本人もいたと言う。ゴミ問題の対策を区と町会が一体となって進め、ゴミを捨てに来る人たちに声をかけることをしたことで、今ではゴミが無くなり、と同時にコミュニケーションが生まれたという。「外国人施策の方向性を示す上で、課題から入るとどうしてもネガティブな要素が強くでてしまうが、そうではなくて積極的なプラスメッセージの発信になるように、そして共存から共栄へと向かえるように日本がアジアの中の国としてお互いに分かり合うというのが大事だと思う。今回の映画のような感動的なエピソードがあれば、それでより繋がっていけるんじゃないかと思う。」と中山区長。

歌舞伎町では映画館街の再開発をすすめる四葉会の中核をなす東急レクリエーションであるが、その前身は新日本興行、そのさらに前身は戦前・戦中の国策会社、満州鉄道や東洋拓殖の流れを汲む。東洋拓殖の釜山支店は現在でも釜山近代歴史館としてその建物が現存している。佐藤会長は新日本興行の時代に入社されているのだが、会長が釜山を訪れこの建物を見に行ったときに、玄関に「この建物は東洋拓殖の建物だった。東洋拓殖は韓国を搾取した会社だ。」と書いてあったと言う。この歴史館では子供達が訪れ、戦前戦中の日韓の関係を教えていた。佐藤会長曰く「正しいことを教えるのはいいことだ。しかし、こういった教育がわれわれ日本の教育に無かったのが問題なんだ」と。区長も佐藤会長も、新宿という街は、そういうアジアの人たちを繋いで率直な関係を築いていける場になれるはずだと、いつのまにか映画を越えて多文化共生から共栄へという話に意気投合していた。

中山弘子新宿区長を中心に、左から会田郁男氏(㈱東急レクリエーション専務取締役)、杉原晃史氏(あなたを忘れないプロデューサー、AMGエンタテインメント社長)、佐藤進氏(㈱東急レクリエーション代表取締役会長)、区長の後ろが久保正則氏(㈱東急レクリエーション映像事業部課長・109シネマズ東日本エリア統括)、春山晶子さん(同映像事業部)、そして森課長(新宿区・区長室)。


2001年、1月26日に起きたJR新大久保駅乗客転落事故で犠牲になった韓国人留学生李秀賢(イ・スヒョン)さん(当時26歳)とカメラマンの関根史郎さん(当時47歳)の二人に捧げる映画として、1月27日より映画「あなたを忘れない」が公開(新宿ミラノ3ほか松竹・東急系にて全国ロードショー)。

1月27日のロードショー初日の初回上映(新宿ミラノ2にて)に監督の花堂純次氏、主演の李太成(イ・テソン:イ・スヒョンさん役)、マーキー(イ・スヒョンさんの恋人役)、そしてイ・スヒョンさんのご両親の役を演じた鄭棟煥 (ジョン・ドンファン:父親役)、李鏡珍(イ・ギョンジン:母親役)、さらにイ・スヒョンさんのご両親も駆けつけステージに立った。

李太成(イ・テソン:イ・スヒョンさん役)、マーキー(イ・スヒョンさんの恋人役)。「生きていることに感謝し、両親や家族がいることに幸せを感じ、大切な人たちとともにいられることに感謝できる映画だと思います。映画を見て、両親や大切な人に電話をしたくなるようなそんな映画になって欲しいと思います。時がたっても、皆さんの心の中に暖かさや幸せが残るような映画として記憶されることを願っています。」と流暢な日本語でイ・テソンさんが挨拶。

李秀賢(イ・スヒョン)さんのご両親、李盛大(イ・ソンテ)氏と辛潤賛(シン・ユンチャン)さん。「映画のタイトルと同じように、本当に皆さん忘れないでいてくだされば、私たちも悲しい気持ちが少しでもやわらげることができると思います。」(母:シン・ユンチャンさん)、「映画の中でみなさんもスヒョンと会っていただいたと思いますけれでも、私も昨日の試写会でスヒョンと会うことが出来ました。たくさんの映画がハッピーエンドでラストを迎えるわけですけれども、この映画はそうではなくって本当に辛い思いを感じました。これからもどうぞ、スヒョンを愛してください。そしてスヒョンが出来なかったことをやっていってくださればと思います。」(父:イ・ソンテ氏)。

「あなたを忘れない」という映画について、そしてイ・スヒョンさんの死について、いろいろな思惑、政治的利用、そこにまつわる利権的背景などがあって正直真正面から扱いたくないところも無いわけではない。しかしながら、それはそれとして、誠心誠意デリケートなテーマに挑み映画を完成させたスタッフやキャストたちの想い、愛する息子さんを失ったご両親の心からの言葉を記憶としてとどめておきたいと思う。


2001年というと、ほかに歌舞伎町では44人の犠牲者を出した明星56ビル火災事件が9月1日に起きている。(参考記事)つまり、歌舞伎町ビル火災も今年2007年は7回忌ということになる。2001年は9・11同時多発テロなどもあり思うと本当に悲惨な事件事故の多い年であった。新年早々にこんな話をするのもなんだが、亡くなった方々やそのご遺族の無念を晴らすことは出来ないかもしれないが、我々生きているものが唯一出来ることとして、こういった出来事やそこにある物語、人々の生き様を心に留め、記憶を風化させること無く、また再びこうした悲しい事件・事故を起こさないようにしていくことなのではないか。

2007年、自分にとって歌舞伎町での最初の活動は1月8日の歌舞伎町グリーンバードによるゴミ拾いからスタートした。この日、一年最初の掃除ということもあってか参加者は43名とかなりの人数。例によって一番街入り口のアーチ下に19時集合。

 

2007年の初フミノ(歌舞伎町グリーンバード・チームキャプテン)↑10日までの修士論文に追われているカレだが、掃除にはちゃんと出席。

   

↓シネシティ広場、掃除する前からこんな。ゴミ減ってきたように思います^^

そして参加者皆さんで集合写真↓

終わった後は、恒例の「呑み」へ。新年会は一応来週15日の掃除後ということなんだけど、、、まぁ毎度のことですが^^

  

さて、いよいよ2007年も始まりました。今年もいろいろあると思いますがよろしくお願いします。


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コメント 5

憂国士

何と言うか・・・・ねえ。
この映画見るつもりなら、その前にここぐらい読んでからの方がいいですよ。でないと終わってから「金返せっ!」って怒鳴りたくなるから。

簡単に言えば「関根さんは忘れろ」って映画だよ、これ。

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1818709

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id326060/
by 憂国士 (2007-02-01 03:39) 

NO NAME

不純な目的で作られた偏った映画。

事実をありのままに描くだけでよかったのでは…。
予告編で「日本を嫌いにならないで!」と絶叫する女の子。主人公の日本人の恋人なのですが、完全なフィクション。おまけに彼女の父親が韓国人嫌いで主人公を差別という酷い展開。お上品に作ってますが「韓国美化、日本蔑視」のメッセージが透けて見える。

関根さんの名前が、とうとうHPからも消されてしまいました。
映画でも全く影が薄いだけに、こんな形で映画にされたんじゃ、彼らも浮かばれないと思います。

ところで、制作に大きく関わっているのは、あの悪名高い「2005 日韓友情年」。韓国美化報道に血道を上げ、メディア工作をやり続けてきた連中。
そういう意味では、まさに「日韓友好」の『現実』にふさわしい作品かも。
韓国に都合の悪い情報を隠蔽しまくる一方で、日本を蔑む情報をこれでもかとメディアに流しつづけた、あの手法がそのまま映画になりました、という内容である。
by NO NAME (2007-02-01 07:22) 

歌舞伎町の裏通り

まったく創作、とういうか妄想映画ですね。

 酔っ払って転落した日本人って
 なんか関根さんが落っこちたみたいな事を。

在日日本人を差別しないでください。
by 歌舞伎町の裏通り (2007-02-01 19:47) 

Tera

みなさんがおっしゃるように、ある意味突っ込みどころ満載の部分は否定できません。自分も、映画を観る前は関根さんの扱いがどうなっているのかが最大の関心ごとでした。
事実、関根さんのエピソードが描かれることはなく、最後のシーンに関根さんらしき人が李さんと一緒にホームから飛び降りる、エンドクレジットに「李秀賢氏、関根史郎氏に捧げる」とあるだけにとどまっています。

映画の結末がどうなるか知ってて、李秀賢氏を演じるイ・テソンさんの明るく正義な姿を見るのは辛いものがありました。胸に迫る切なさが画面の随所にあり、自分にとってはエンターテインメントとして見れる映画ではまったくもってありませんでした。自分も一クリエイターの端くれですので、そういう視点から見た場合、仮にここに関根さんの生前のエピソードを絡めたら、なお重苦しい、とても見てられない映画になってしまったのではないか、ついそんなことを思ってしまいます。
本来は、事実に基づき、なるべく正確な情報でドキュメンタリー的に、映画ではなくテレビのスペシャル番組のように仕上げるという選択肢もあったかもしれませんが、それならそれで二時間の枠におさまったかどうか。

個人的に思うに、この映画は日韓関係を切り口にしているが、描こうとしているのは「命・生きる」ことについてだと思っています。
最後の7秒、李さんらが逃げることも可能であった瞬間に選択したことについて、それはその場におかれたものの責任なのか、それとも生きるべき選択をすべきだったのか、いわば究極の選択を迫られた人間の姿についての問いかけではないかと。

先日東武東上線のときわ台駅で女性を助けようとした警官、宮本邦彦さんが今日の午後亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。彼らを忘れないことが、生きている我々の唯一可能な「供養」なのではないでしょうか。
by Tera (2007-02-12 23:28) 

ジョナサン

はじめまして。
今から半世紀前、我が身を犠牲にしてまで見知らぬ日本人を助けようとした、ある一人のデンマーク人がいました。
彼の勇気ある行動を初めて知った時、私は感動で体が震え、涙が止まらなくなりました。
関根史郎さん、李秀賢さんもそうですが、こんな勇敢な方は世界中に居られるんですね。

http://www2.w-shokokai.or.jp/knudsen/sibai/sibai_0.htm

http://www.town.mihama.wakayama.jp/kikaku/knudsen/knudsen.html
by ジョナサン (2007-08-18 18:23) 

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