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スティーブン・スピルバーグ監督の最新作、「MUNICH」(ミュンヘン)は2006年正月第二弾 丸の内プラゼール系にて公開 [映画・演劇・ライブ]

 

この夏、「宇宙戦争」をヒットさせこの冬「SAYURI」をプロデュースし、来年は「インディ・ジョーンズ4」の製作もかかえている大忙しのスティーブン・スピルバーグではあるが、次回公開の監督作品「MUNICH(ミュンヘン)」は丸の内プラゼール系正月第二弾公開予定、となっている。歌舞伎町でいうと新宿ジョイシネマあたりか。

ミュンヘン MUNICH

監督:スティーブン・スピルバーグ

脚本:トニー・カシュナー

CAST:エリック・バナ ダニエル・グレイグ ジェフリー・ラッシュほか

2005年アメリカ映画/アスミック・エース

1972年9月5日、ミュンヘンオリンピック開催中にパレスチナ過激派「ブラック・セプテンバー(黒い九月)」によるイスラエル選手団襲撃事件が起きた。この映画は、この事件を題材に、事件を起こしたパレスチナ人過激派を暗殺するよう命じられたイスラエル特殊部隊「モサド」を中心に描いている。

イスラエル特殊部隊の隊長を演じるのは「トロイ」のエリック・バナ。そのほか「ロード・トゥ・パーデション」「トゥーム・レイダー」のダニエル・グレイグ、脚本はピューリツァー賞を受賞しているトニー・カシュナー。作品は事実に基づき、事件に実際にかかわった人たちのコメントも随所にインサートされているという。

スピルバーグ監督は「ミュンヘンでのブラック・セプテンバーによる攻撃と、それへのイスラエルの対応は、近代中東史の大きな分岐点だった。歴史に対して後知恵的見方をすることは簡単だが、当時の人々の視点から見るのは難しい。ミュンヘンの事件に対するイスラエルの対応を、悲劇に対して復讐を命じられた兵士の視点で眺めることで、政治的・軍事的視点からのみで語られることの多い、この恐ろしい出来事に人間的側面を加えることができる。容赦ない決意のために、自分自身の行動に徐々に疑問を抱くことをやめていく彼らの姿をみることで、私たちは今我々が置かれている悲劇的孤立について何か学ぶことがあると考えている。」とコメントを出している。

ミュンヘン事件の生き残りのパレスチナ人テロリストが、スピルバーグが映画でイスラエル側から一方的に描くことを批判するなど、題材が題材だけに現場や周辺はかなりピリピリとしたムードだったようだ。「ミュンヘン」はフランス、ハンガリー、マルタ、ニューヨークなどで撮影、12月23日に全米では一足先に公開される。

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■ミュンヘンオリンピック開催中、イスラエル選手襲撃事件発生

1972年9月5日、西ドイツ ミュンヘンにて、イスラエル選手村にパレスチナ人過激派、ブラックセプテンバー(黒い九月)のテロリスト7名が侵入した。彼らはイスラエルのコーチと選手の2名を射殺、残った9名を人質にとって立て篭もった。
■テロリスト側からの要求
 ブラックセプテンバーは西ドイツ警察に対し、イスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人の仲間の釈放と自身の逃亡を要求。イスラエルのゴルダ・メイア首相はモサド(イスラエル特殊部隊)のザミアー長官を派遣、イスラエル特殊部隊による事件解決を西ドイツ側に打診する。 しかし、西ドイツ側はイスラエル側の申し入れを拒否、自国の警察狙撃部隊の作戦による選手救出の作戦をすすめる。

■西ドイツ警察の作戦
 西ドイツの警察の作戦は、犯人側の要求をのむふりをして時間を稼ぎ、犯人側が要求する脱出用のエジプト行き飛行機を用意し、選手村から犯人達と人質になっているイスラエル選手団を移動。 そして、犯人達が飛行機に乗り換えるタイミングを狙って、あらかじめ空港に配備された狙撃部隊によって犯人らを狙撃するという作戦。
作戦通り、テロリストとイスラエル選手団を乗せた2機のヘリはエジプト行き飛行機の用意されていた空軍基地へ着陸、テロリストが飛行機内部をチェックし、安全を確認後自分達が乗ってきたヘリの方を振り向いた瞬間、狙撃部隊指揮官が犯人の狙撃を命令した。

このとき夜の10時30分、暗闇の中、狙撃隊員が放った初弾が犯人をはずした。これが作戦の致命的な失敗につながった。狙撃によってブラックセプテンバーの3人を射殺、しかし他の犯人らはヘリを盾に西ドイツ警察との銃撃戦になった。

銃撃戦は長時間に及び、犯人らはヘリコプター1機を手榴弾で破壊、人質9名全員を殺害、さらに警察官1名が殉職するという最悪の結果で終結した。犯人側は8名のうち5名が射殺され、残りの3名は逃走を図るが逮捕された。だが、この3名は1977年10月13日のルフトハンザ機ハイジャック事件で解放されることになる。

■イスラエル特殊部隊「モサド」による報復

イスラエルは、この事件に対する報復として、特殊部隊モサドによるPLO関係者や事件にかかわったと思われるパレスチナ人らの暗殺・殺害を行う。しかし、1973年7月21日、モサドは1人の関係者暗殺を失敗する。失敗したのは当時ノルウェーに潜んでいたアリ・ハッサン・サラメ。サラメはブラックセプテンバー幹部でありフォース17のリーダーを兼任し、そしてミュンヘンオリンピックのイスラエル選手団襲撃の首謀者としてイスラエル・ブラックリストにおける最重要人物だった。
失敗の原因は、モサドがサラメの居場所を突き止めたとき暗殺部隊は休暇中だったため、モサドのザミアー長官は特殊部隊の人材ではない素人の殺人部隊を率いてノルウェーまで自ら出張したのです。結局サメラと思われた人物を暗殺するにいたるのだが、なんとこの素人暗殺部隊の一部がノルウェー警察に逮捕されてしまった。
ノルウェー警察の取調べの結果、この素人暗殺部隊はイスラエルに対する現地協力部隊であったことを自白、その上サメラと思われ暗殺した人物が実はまったくの他人であったこと、などが明らかになったことで、イスラエルの当時最強といわれていた特殊部隊と世界中に張り巡らされた暗殺のネットワークが明るみに出る。以降、イスラエル特殊部隊「モサド」は非難の対象となり急速に力を失っていった。

その後、時間を経て逃亡中のサラメは1979年1月22日、ベイルートで自動車に仕掛けられた爆弾によって殺された。

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フランスを中心にした移民系の若者達による暴動は拡大の一途をたどり隣国にまで波及、緊急事態法を布告、夜間外出禁止令も出されそうになっている。フランスによる同化政策のほころびとして移民系市民に対する経済的・人種的差別に対する不満が爆発したことによる暴動なのだが、根本的背景には失業率の増加と経済状態の悪化がある。

くしくも来年は早々にトリノで冬季オリンピック、そしてサッカーのワールドカップではオープニング戦がミュンヘンで6月9日に開催される。


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